中国の尖閣領有権の妄説を撃つ② ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ② ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ② ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第2回 「東沙山を過ぐれば是れ●山の尽くる処」 (※●…門に虫=びん)
石井 望・長崎純心大学准教授
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◆新聞報道と反駁

昨年(平成二十四年)七月十七日、『産經新聞』第一面に尖閣列島の漢文史料の報道が出た。題して曰く「『明代から領土』中国の主張崩壊、明、上奏文、『尖閣は琉球』」と。明から琉球に派遣された勅任使節郭汝霖の『石泉山房文集』所載の上奏文に、
琉球境に渉る、界地は赤嶼と名づけらる。
と述べることが記事の中心であった。使節船が西の福建から東に航行して琉球の領域に至り、琉球領域の分界地は赤嶼(大正島)と呼ばれる、との意である。
この記事にはチャイナ側から反駁が次々に出た。反駁者の一人劉江永氏は、日本の朝日新聞にも時々取り上げられる人物だが、「渉るだけでは琉球境にまだ至ってゐないから、赤嶼はチャイナ領土だ」と主張した。
それから半年後の今年一月二十一日『讀賣新聞』夕刊で報道されたのが、尖閣のはるか西側までで明の領域が終ることを示す『皇明實録』の記録であり、先月すでに紹介した。しかし昨年七月と異なってチャイナ側から全く反駁が出ず、無視された。二つの新聞の流通量の大差を彼らが知らぬ筈は無い。無視したわけは、『産經新聞』報道が尖閣の東側の史料であり、『讀賣新聞』報道は尖閣の西側の史料である。尖閣の西側でチャイナ領域が終ると、尖閣が無主地だったことが分かってしまひ、困るのである。
一方で尖閣の東側を議論すれば、チャイナにも一定の理が有って議論が成立してゐるかの如くに見えてしまふ。それが『産經新聞』にだけ反駁した目的であらう。そもそも尖閣の東側は琉球の領土線なのだからチャイナと無縁の話であり、我々はまともに議論に取り合ってはならない。

◆尖閣の西方の史料

七月の『産經新聞』報道では、東側で誤解を招かぬやう西側の史料についても同時に取り上げられた。別の勅任使節汪楫の漢詩集『觀海集』である。その原文に曰く、

東沙山を過ぐれば是れ●山の盡くる處(福建の終り)なり。 (※●…門に虫=びん)

と。東沙山は今の馬祖列島中の一島であり、尖閣の西側約三百キロもの距離にある。汪楫の認識するチャイナの終りは、尖閣のはるか西なのである。この重要史料について、チャイナ側は全く反駁せず無視した。今年の『讀賣新聞』報道を無視したのと同じである。
汪楫はまたその著『使琉球雜録』で、尖閣の東の海上祭祀に於ける「中外の界」を耳にしたと記録してゐる。チャイナ側主張では「中外」とはチャイナと外との間の分界線であって、尖閣の東までチャイナ領土だと解する。しかし東沙山までがチャイナだと汪楫本人が認識してゐるのだから、その主張は成立しない。
中外とは内外であり、ここで正しくは琉球の内外を指す。なぜならこの中外界の位置は、上述の赤嶼附近の琉球の領土線とほぼ一致するからである。
歴代の尖閣史料の中には、琉球人の道教的風水思想を示すものがある。その一つが清の徐葆光の詩句「中山の大宅、中央に居す」である。中山とは那覇を指し、琉球を中とする風水思想を表現したものである。されば尖閣の東側で汪楫が耳にした道教的「中外の界」も、琉球を中とする可能性が極めて高く、チャイナと無縁の話である。

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◆尖閣に於ける虚構の華夷秩序

後のチャイナ人はこの「中外」の西を中とし、東(琉球)が外だと解した。中華思想である。チャイナ領土のはるかに外での話ではあるが、方向性として「中華」だけを「中」としてこの世界が構成されるといふ考へ方である。
そもそも黄河文明は後漢の中頃までであり、以後チャイナ地域は大印度文明圏に隷屬する一小文明となった。そして唐末に日本が遣唐使を停止して以後は中華思想の時代となる。
虚構の中華思想に於いては、チャイナ地域を支配する帝邦が全世界を統治するのが原則であり、中華からの遠近が即ち文明度の高低だといふ理屈になる。しかし現場では他邦との中間に無主地が存在し、遠近の基準はあて嵌らない。無主地をはさんでその東西二側に各一個の文明が存在するといふのは中華思想の基準外である。琉球とチャイナとの中間が無主地だったと理解させることは、彼らに中華思想を放棄させるための鍵なのである。
現代は多元的世界である。中華思想の時代は終了して頂かねばならない。それを迫るのはアジア文明を主導する日本の責務である。安倍内閣が南は東南アジアから印度まで、北はモンゴルと手をたづさへて中華思想のチャイナを取りかこむのは、大印度文明圏の通例にしたがってゐるに過ぎない。麻生・安倍二氏の提唱する「自由と平和の弧」とは、古くからの大印度文明圏の南半分である。北半分の多くは現在チャイナに統治されてゐるが、唯一モンゴルだけは安倍首相も訪問することができた。
日本が中華思想に向き合ふ時に極めて適切な四字語がある。チャイナ側は宴席などで「中日友好」を持ち出すことが多い。日本側は、日中友好も大切だが「世界平和」のためにこそ乾杯しようと答へるべきである。便利な言葉としてお薦めしたい。

 

第3回 「尖閣480年史は「陳侃三喜」から始まった」
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13450

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いしゐ のぞむ
昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

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