十月六日、東京・ビッグサイトを会場に全国より三千名が集い、日本会議・日本会議国会議員懇談会設立十周年記念大会が開催された。
始めに参加者全員で国民運動に献身され、道半ばで御逝去された物故者に黙祷を捧げた。主催者挨拶に立った、三好達日本会議会長は、「まず教育改革を行って国民精神を立ち直らせ、そして憲法改正へ」と国民運動の基本方針を力強く述べ、国会議員懇談会の平沼赳夫会長も、昨年末の病気による声のかすれをものともせず、皇室の伝統を守るために展開してきた活動の成果を力説した。
来賓の祝辞には、伊吹文明自民党幹事長、民主党の松原仁衆議院議員、山谷えり子首相補佐官が立たれ、教育基本法改正に当たって日本会議が果たした役割を評価するとともに、今後の活動への期待感を表明された。
夏の参議院選挙で日本会議が推薦し当選した有村治子参議院議員、衛藤晟一参議院議員から特別報告があり、続いて各界からの提言がなされた。その後、今大会で新たに設立された「日本会議地方議員連盟」を代表して吉田利幸大阪府議会議員、及び第一回全国代表者会議を開催した「日本女性の会」の小野田町枝会長から活動へ向けて決意表明が行われた。
続いて大原康男政策委員会代表より、「国民運動の前進をめざして」の提言がなされ、最後に「教育改革」「新憲法制定」「天皇陛下御即位二十年奉祝」の三つを基本の運動として今後展開することを確認する大会宣言が採択された。
主催者挨拶 | 三好達 | 日本会議会長 元最高裁長官 |
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平沼赳夫 | 日本会議国会議員懇談会会長 元経済産業大臣 |
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来賓祝辞 | 伊吹文明 | 自民党幹事長 |
松原仁 | 民主党 衆議院議員 |
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山谷えり子 | 内閣総理大臣補佐官 | |
特別報告 | 有村治子 | 参議院議員 |
衛藤晟一 | 参議院議員 | |
各界よりのご提言 | 島村宜伸 | 皇室の伝統を守る国会議員の会会長 元農林水産大臣 |
横田滋・早紀江 | 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 | |
下村博文 | 前内閣官房副長官 | |
金美齢 | 前台湾総統府国策顧問 | |
佐藤正久 | 参議院議員 | |
吉田利幸 | 日本会議地方議員連盟幹事長 大阪府議会議員 |
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小野田町枝 | 日本女性の会会長 | |
国民運動の前進目指して | 大原康男 | 日本会議政策委員会代表 國學院大学教授 |
開会の辞 | 小堀桂一郎 | 日本会議副会長 東京大学名誉教授 |
来賓祝辞 | 小野田寛郎 | (財)小野田自然塾理事長 |
乾杯 | 山本卓眞 | 日本会議副会長 富士通株式会社名誉会長 |
特別挨拶 | 櫻井よしこ | ジャーナリスト |
大会宣言文発表 | 百地章 | 日本会議常任理事 日本大学教授 |
「日本を守る会」及び「日本を守る国民会議」の歴史を受け継ぎ、「日本会議」と「日本会議国会議国会議員懇談会」が設立されたのは、平成九年でありました。爾来十年、設立十周年の記念大会を企画いたしましたところ、関係諸団体の方々にもご賛同を賜り、多数の方々のご参加を頂いて、このような盛大な大会を開催する事ができましたことを、先ずもって御礼申しあげます。
ここに十年間の日本会議の活動を振り返りますと、その成果には見るべきものがあったと自負しております。主要なものだけを取り上げましても、国旗国歌法の制定に向けて国民運動を展開してその成立に大きく寄与し、家庭の大切さへの想いや家族の一体感を希薄ならしめるおそれがある夫婦別姓を容認する制度の導入を阻止し、我が国の主権に関わる大問題であります外国人地方参政権制度の導入を阻止して参りました。更には一昨年終戦六十年の節目の年には、終戦の日―八月十五日―に國神社二十万人参拝運動を推進して、目標を達成し、昨年は、女系による皇位承継を容認しようとする皇室典範改定を阻止すべく、「皇室の伝統を守る一万人大会」を企画し、皆様の絶大なるご賛同とご協力により、目標を越える人々にご参集頂き、あの広い日本武道館が埋め尽くされたのでありました。
わけても、強調したいのは、昨年暮の教育基本法の改正であります。日本会議は何としてでも、戦後教育に終止符を打たせなければならないと、長年にわたり教育基本法の改正をはじめとする教育改革に、その運動の重点をおいてきました。勿論日本会議だけの力で成し遂げた訳ではございませんが、教育基本法の改正を成し遂げたことは、日本会議が取り組んだ多くの運動の中でも、最も大きな成果であったと私は思っております。日本会議といたしましては、自民・公明両党の協議によって出来上がった与党案には、賛成いたしかねる点があり、いわゆる三点修正を求め、国会審議の最終段階におきまして、「日本会議国会議員懇談会」の方々をはじめとする多くの方々のご尽力があって、文部科学大臣から、三点につき、私共も受け入れる事のできる御答弁を頂いた上、成立の運びとなったのでありました。
以上主要な点だけ申し述べましたが、私は、この十年の活動によって、日本会議は、大きな存在感を世に示すに至ったと自負しております。もとより、それは、各地の役員各位をはじめとし、全国津々浦々の会員各位、関係諸団体の各位の熱意と行動力によってできた賜物でありますし、また心ある国民各位が私どもの活動を支持し、応援してくださってきたお陰であります。ここに衷心より御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
さて、「まず、戦後教育を改める教育改革を行い、国民を立ち直らせ、そして憲法改正へ」、これは私の持論であります。何故でありましょうか。甚だ残念ながら、現在において、多くの国民の間に「自分勝手至上主義」ともいうべき意識が蔓延しています。このような現在の大多数の意識のままでは、的確な憲法改正は期待できないからであります。
昨年暮、教育基本法の改正が実現し、今春、教育三法も改正されました。国民投票法も成立しました。まだまだ道のりは遠く長いとはいえ、憲法改正への基盤は着々として出来上がりつつあり、前途に光明が見えてきていたのであります。
しかしながら、七月末の参議院選挙において、自民党は、参議院の議席を大きく減らしました。そして、総理の10周年大会特集交代もありました。これまでの流れに対する揺り戻しが危惧される政治情勢になっているのであります。甚だ遺憾ながら、福田総理は、靖國神社には、参拝しない旨を明言し、また十月一日に国会で行われた所信表明演説では、「憲法改正」には全く触れませんでした。また国会答弁においても、積極的な憲法改正への方向性は示されませんでした。
このような情勢のもと、「誇りある国づくり」を目指す私どもの国民運動は頓挫し、挫折に追い込まれてしまうのでありましょうか。そのようなことはありません。私は、「そのようなことは絶対ない」と確信しております。日本会議設立以来十年。その前身である「日本を守る会」及び「日本を守る国民会議」の時代から数えれば三十有余年、この間の国民運動により、「誇りある国づくり」を目指す日本会議の主張は、既に国民各層に深く広く浸透しつつあります。若者の間にも、確実に浸透しつつあります。
既に大きな流れが出来上がっているのであります。戦後体制を墨守しようとする守旧派も、この流れを押し留めることは絶対に出来ないと確信しております。一進一退はあるにしても、大きな流れとしては、私は心配をすることは全くないと思っております。
このことは今回の参議院選挙の結果にもはっきりと現れている、と言えると存じます。参議院選挙で自民党は大きく議席を減らしたとはいえ、日本会議が推薦したお二人は、見事に当選を果たされました。お一人は、「誇りある日本を築く為に」と高らかにその決意を表明し、教育、福祉、憲法改正を強く主張して戦った衛藤晟一先生であります。もうお一人は、「しっかりとした国家観、家族の絆、日本の尊厳」を訴えた有村治子先生であります。戦後体制を打破し、戦後の日本の在り方を正していこうと訴えたお二人は、逆風の中においても、広く国民の支持を得て、当選しておられるのであります。
安倍前総理は、三年後に憲法改正を発議することを目標としておられましたが、現下の政治情勢のもと、その道のりは、少し長くなったと考えざるを得ません。しかし、私はそれをマイナスと考える必要は、少しもないと思っております。先程も一寸申し述べましたように、独立国に相応しい憲法とし、我が国の歴史と伝統を踏まえた憲法とするための改正を成し遂げるためには、国民の意識改革がどうしても必要不可欠であります。道のりが少し長くなったことにより、国民各位に、良く考えて頂き、私共の考え方に対する、理解を深めて頂き、意識を改めて頂く、貴重な時間が与えられたことになるからであります。
本日はこの記念大会に先立ち、「日本会議地方議員連盟設立総会」が開催され、私共と志を同じくする全国の地方議会の議員の力が結集されました。
また昨年、小野田町枝先生が会長に就任された「日本女性の会」は、小野田先生のご尽力により、着実に組織が強固になり、また広がりつつあり、同じくこの記念大会に先立ち、「日本女性の会全国代表者会議」も開催されました。
このように私共の国民運動は国民各層に浸透し、全国津々浦々に広がりを見せてきております。私共はこれまでの十年の間の成果を踏まえ、この記念大会を新たな出発点として、揺り戻しを跳ね返し、着実な国民運動を更に更に広め、「誇りある国づくり」に向けての流れを一層強固なものに、一層、幅広いものにして行こうではありませんか。皆さん宜しくお願い致します。
普段は鈴を転がすような良い声をしているんですけれども、不覚にも昨年の十二月に病気になりまして、声だけがもうちょっとでございますので、ご容赦を頂きたいと思います。
本日は日本会議、更には日本会議国会議員懇談会の十周年、誠におめでとうございます。
私共は、前身の「日本を守る会」「日本を守る国民会議」時代より様々な実績を上げさせて頂きました。最初に心を一つにして取り組んだのは、元号の法制化です。全国各地の問題意識を持った方々が地方の議会を動かして決議を上げ、国民運動を起こして行きました。今日、地方の議員の先生方が、日本会議地方議員連盟を発足して頂いたことは、有難いことであります。また、昭和天皇様の御在位五十年、六十年の奉祝運動など、保守の本流として絶大な足跡を残して頂きました。
平成九年に日本会議になり、日本会議国会議員懇談会になりました。そのあまたの活動のなかで、私が忘れることができないのは、皇統の問題です。
時の小泉総理は有識者会議を設置し、その座長にロボット工学の学者が就任した。ご皇室とロボット工学が、一体どういう関係があるのか。ギリシャの古典の専門家も入っていた。その方は、「何で私が選ばれたんだろう?」と記者会見で話していました。僅か七ヶ月、十四回の会議で実質議論したのは三十四時間にしかすぎなかった。そして驚天動地の結論を出した。一つは女帝の存在を認める。我が国の歴史には八方十代の女帝がいらっしゃる。これはまだ良い。ところが、更には女系の天皇も認める。これが二つ目の結論だった。
三つ目は現在、女性が多い皇族の方に新たに宮家をお立ていただく、こういう三つの結論を出した。
時の総理大臣は、良い結論を頂いた、これは当然党議拘束をかけて、通常国会に上程すると言った。我々はこれを到底許すことはできませんでした。
我々は憲政記念館を皮切りに国民大会を開きましたが、わけても感激したのは、昨年の三月七日、日本武道館での国民大集会でした。半分も埋まらないだろうと、マスコミが揶揄しました。
しかし、当日は、三階席まで人が溢れ、一万六百人の心ある人々が全国から参集しました。各界各層より素晴らしい提言を頂戴しました。中でもヘブライ大学のベン・アミー・シロニー教授のメッセージに私は感激しました。「日本には紆余曲折があったけれども、男系を押し立てて来たその意味を現代の日本人はしっかりと考えないといけない。それは日本人が守るべき良き伝統じゃないか。ユダヤ教のラビという聖職者も、男から男へラビの伝統を保って来た」こういうメッセージを寄せて下さった。百二十五代続いている日本の御皇室も正に神武天皇以来、万世一系を守ってきた。その重みを大事にしなくてはいけない。
日本という国は不思議な国であります。二月七日に秋篠宮妃殿下ご懐妊という発表がありました。国中がよろこんだ。党議拘束をかけると言っていた総理大臣は、私は元々この問題には慎重だったんですよ、と態度を豹変させた。そして九月六日に悠仁親王殿下が、ご誕辰になられた。ありがたいことでした。しかしこの問題はまだまだ油断ができません。男系が尊いと我々が申していた時に、今の総理大臣は、「男系を言い立てる人間は馬鹿じゃないの?」と、こう言ったということが洩れ伝わってきている。改革、改革―これが今、日本の政界を取り巻いている流行の言葉です。改革すべきことは、それは改革しなければならないでしょう。しかし、健全な保守というものは、守るべき伝統というものはしっかりと守っていくことが私は必要だと思っています。
日本会議、そして日本会議国会議員懇談会は、まさに守るべき伝統はしっかり守ろうという価値観に立っている集団です。どうか健全な保守の確立のためにこの十周年を契機としてますます皆様方がお力を発揮して頂くことを心からお願いをし、日本会議国会議員懇談会の会長として、一所懸命頑張っていくことをお誓い申し上げ、私の挨拶に代えさせて頂きます。
私も実は国会議員懇談会の一メンバーでございますが、まず心よりお祝いを申し上げます。おめでとうございます。
また過ぐる参議院選挙において、我が党が公認を致しました衛藤、有村両参議院議員に対し、温かいご推薦を頂き当選をさせて頂きましたことにも、重ねて御礼を申し上げます。有り難うございました。
私は安倍総理の下で約一年間文部科学大臣を務めておりました。六十年ぶりの教育基本法の改正があり、そしてそれを実現する第一歩として、教育再生関連の三法案の成立を見ました。しかしその後、我が自由民主党は構造改革、市場経済化の反動とも言うべき痛みの中で国民の理解を得られず、参議院選挙に敗北いたしました。その理由はいろいろあると思います。しかし現実は、我々第一党である衆議院も民意。
そして民主党の皆さんが第一党である参議院も民意。日本国憲法は二院制を定めておりますから、日本国を動かしていく法律は参議院の議決が得られない限り、現実のものとなりません。この二つの民意の調整をして、党利党略に走ることなく、国家国民のために、話し合いに応じて頂きたいと思っております。
私は安倍晋三さんと、多くの部分で志を同じうしております。それだけに健康を損なわれ志半ばで総理の座を去られた安倍さんに対してお見舞いを申し上げ、再起の為に皆さんと一緒に拍手を送ってあげたいと思います。
安倍さんは、どんどん進んでいくグローバリズム、市場化の中で、その弊害を、良き日本人を作るということによって押さえて行こうと考えて、教育改革を第一の政策課題として提唱されました。
日本には武士道というものがあります。公に尽くす。大名においても例えば上杉鷹山は、民の君であるという心をもって、藩政を改革致しました。
『葉隠』の武士は恥を知る、公に尽くすという一心を持って武士道を貫いたんです。宗教の無い日本で、何故これ程までに秩序の取れた国が出来ているのかという疑問に答えるために英語で書かれた論文が、皆さんご存じの新渡戸稲造の『武士道』であります。しかし武士だけではありません。例えば商人に於いては商人道というものがあります。石田梅岩が唱えた石門心学、利は必ず上げねばならない、その為には勤勉で、自分たちの決したことについて責任を持たねばならない、しかし上げた利は公の為に使うのであって、「私の暮らし華美に流るべからず」と述べております。また、農民においても同じです。安藤昌益、二宮尊徳等は、大地を耕し、物を作ることが国のそもそもの元である。勤勉に、日の出る前に家を出て、日の没する後に家に帰る。
このように、日本の長い伝統の中で、武士も商人も匠も、そして農民も大切に守ってきた法律に書かれざる私たちの社会の規律、これが道徳であり倫理観というものであると思いますが、これを取り戻したいと安倍さんは考えていたと思います。
共産主義や計画経済ではだめで、競争社会は市場経済でいくしかないということは歴史が証明しておりますが、市場経済は、立派な制度であるけれども時には間違えるものであります。この中でやはり格差が生じ、そして時にはお金を儲けるために、やってはならないことをやる人が生まれてきます。
そうならないように人間を作りかえたい。安倍さんはそう考えたと思います。これが安倍教育改革の原点であったと思います。皆さんはその運動を支えて頂いて、たまたま私が文科大臣という職をお預かりしていただけのことでありましたけれども、教育基本法の改正を実現させて頂き、教育三法を成立させて頂き、日本の良き未来を作るための良き人間をつくる道を開いて頂きました。ありがとうございました。
これからも我々が大切にしてきた良き伝統を守り抜いて、国際社会の中で日本人のアイデンティティーをしっかりと日本人が誇りを持って保持できるように、そのような国にして頂くようにこれからの運動をお願い申し上げて、御礼と御祝いのご挨拶と致します。
福田さんが新しい総理となって、勿論与党の中にもおられるでしょうが、我が民主党内にもこの趨勢を危惧している者がおり、私もその一人であります。政治の世界でよく改革という言葉は使われております。しかし、改革が目的であってはいけない。何の為の改革かということが問われなければいけないのは当然です。その目的は、政治家が言う場合は、まさに国益という二文字に集約されるだろうと私は確信をもっております。
国益とは何か。国益には二つある。中国の諺に「衣食足りて礼節を知る」とありますが、衣食住というものをきちっと確保するということは国益の第一条件であることは言うまでもありません。これを経済的な分野、物質的な分野における国益というならば、もう一つ、その向こうにある精神的な分野の国益というものがある。つまり経済的な分野と精神的な分野と二つ合わせて国益であると我々は考えなければいけない。例えば海外に腰を低くして接しましょう、こういうふうなことを言う人がいる。海外に腰を低く接してどんどん日本の国のお金を海外に流し、頭を下げ続ける、果たしてこれが国益と合致するのか。それで日本の安全保障が守れるのであれば、国益に合致するかもしれませんが、例えばお金を流し頭を下げ続けることで、東シナ海におけるシーレーンの安全は確保されるのか。やはり、こういったことに対しては我々は国益という観点からきちっとものを言っていかなければいけないのではないか。また中国が日本に対し、過去の戦争について謝罪しろ、靖国に行くなということに対して、それを丸飲みするということは果たして日本の精神的な国益にかなうものなのか。私は違うだろうというふうに申し上げたいわけであります。
国益とは何かという観点を全ての政治家はまず行動の基準として立てなければならない。国会の議論もその観点に立ったものでなければならないと、私は思っております。
外交における国益とはなにか。資源問題でも一歩も引かない、領土問題でも追及する。そして同時に海外に対し、日本の誇りを高くするための行為をし、彼らが、例えば戦前の日本の行為について、真実とは違う日本に対しての様々な暴言、誹謗を繰り返した場合にそれに対して断固としてものを言う、これは当然の国益だろうと思います。
例えば、北京の日本大使館への破壊活動が行われた時に、中国政府に謝罪もさせないでないがしろにしてしまうのは勿論国益に反する訳であるし、同時に日本の国の憲法を変えて日本人が正々堂々と自らこの憲法を創りあげるというのも、これは精神的な意味においても、国益になるのは当然であります。
そういったことを、我々は戦後が還暦を迎えた、今、まさに行なって行かなければいけない時にきているのです。
潮の満ち引きがあるように、物事にはタイミングというものがある。残念ながら、今の内閣の下では、満ち潮か引き潮かと言えば、大きな引き潮になる可能性があるわけでありますが、しかしその中に於いても、我々は歯を食いしばって、国益の為の様々な施策を考え続け、やがて必ず、他日我々にとっての満ち潮がやってくる。それはどういう形でやってくるかわかりません。
例えば先般、拉致問題が大きくクローズアップされた時には、日本国民が物質的な経済的な国益と共に精神的な国益を大きく目指そうとするうねりがあったと、私は思っております。そのうねりが今引いてしまいましたが、そのうねりをもう一回、引き戻すための大きなうねりが再びやってくる。その時に私たちは憲法改正を行い、日本の国益や日本の名誉を重んじることを記した教育基本法の実行を迫り、そして新しい日本の姿を求める為の努力をしていかなければいけません。現在はその他日に備えて大きく力を蓄える時期に来ているのではないかと思っております。皆様と共に、党派を超え、歯を食いしばりながら、国益の為にこれから頑張ることをお誓い申し上げこの十周年が一つの節目となり、思いの結束が更に高まることをお祈りいたします。
全国からこうしてお運び下さいまして、胸がいっぱいでございます。日本会議、そして日本会議国会議員懇談会設立十周年。この十年間の歩みというものは本当に着実で確かなものでございました。皆様のお力で教育基本法改正がやっと実現致しました。またそれを教育の現場隅々にまで確かな形で行き渡らせることができるように、教育再生関連三法案を成立させることができました。また夫婦別姓問題、ジェンダーフリー問題、性教育の問題、国立追悼施設問題等々、一見あまりその問題の根深さがわからなくて、「時代の流れだから」とか、「多様性も大事よね」というような形で何かススッと進みそうな時に、皆様方が「いやそうではないのではないか、これは日本の国を分裂させるものではないか。日本の国柄とは違うものだ」というような問題提起を、日本の隅々から起こしてくださいました。
男女共同参画の基本計画第二次計画の時、私は安倍官房長官の担当政務官でございました。そこで男女が仲良く調和して元気に生きていくのはとても当たり前の大事なことだけれども、そこにジェンダーフリーという分裂、あるいは対立など日本の根っこをおかしくするような思想が入っているなら、それは違うのではないかと提案し、ジェンダーフリーは非常識だ、過激な性教育も非常識だ、という形で閣議決定に持ち込ませていただきました。
いま、日本の土壌がおかしくなっております。国の根っこから、問い直さなければなりません。日本再生の為には教育再生、これこそが重要なことでございます。安倍総理の下で教育再生担当の総理補佐官のお仕事をさせて頂きました。ゆとり教育の見直し、道徳教育の充実を謳い、また四十三年ぶりの全国学力調査を実施しました。困難を抱えている学校や地域にどういう人、どういう先生を送ったらいいのか、また予算をつけたら良いのか、一つ一つ具体的なことを見つめ直して応援していく。そういうまともな教育が、ようやく今始まろうとしております。
三十年間、ゆとり教育の名の下に、愚民化政策が行われておりました。四十七都道府県についても教えなくなったので、例えば北海道がどこにあるかわからない子供たちが、小学校五年生で半分を超えてしまいました。それもちゃんと教えましょう。英語の単語数も中学三年間で必修単語がかつては六百あったのを百にしてしまった。その結果、TOEFLなどのテストで、アジア二十九カ国中、日本は二十八番目。
一番ビリは北朝鮮。こんな酷いところまで来てしまっている。山谷はちっちゃいことばかり言うなと、随分言われました。しかしそうではありません。
神は細部に宿るといいます。「こういう具体的なこと一つ一つを、丁寧に問題視していくなかで、本質のどこが歪んでいるのかがはっきりと見えてくるのです」と私は言い続けて参りました。
入院中の安倍総理からお電話がございました。私が福田新内閣でも、教育再生担当の総理補佐官をするようにと言われた時のことです。「教育再生が残って良かった。日本再生は教育再生からだから」と病院から励ましてくださいました。また昨日もお電話がございました。もしかしたらテレビの国会中継を見ていらしたのかもしれません。
夕方でございました。本会議での福田総理の、「教育再生はやっていくんだ。家庭、地域、行政、一体となってやっていくんだ」という力強い答弁をお聞きになられたのかもしれません。「新総理が教育再生をしっかり引き受けてやってくださる。よかったね」というお電話でございました。福田総理は教育再生はスタートしたばかりだ。日本の土壌を丁寧に耕して行かなければ自立と共生という国もないと仰っておられます。日本は豊葦原瑞穂の国。美しい国でございます。むつみ、やわらぎ、徳を高め、務め励んで平和の国、文化の国、道義の国を紡いできた美しい国です。
教育再生はスタートしたばかり。日本会議の皆々様と共に、これを実らせて行くように、これからも粉骨砕身して参ります。
国家観、歴史観、道徳観、家族観の多くを共有する、日本会議をはじめ保守の皆様に、温かい御指導を頂きまして、この度参議院比例全国区で二度目の当選をさせて頂くことができました。
日本会議の十周年を現職として皆様と共にお祝いをさせて頂ける、このありがたみと使命と気概を肝に銘じながらこの場に立たせて頂いております。本当にありがとうございます。
与党自民党にとって爆風のごとき逆風の中で、逆風の時こそ志を高く掲げて、歯を食いしばって共に日本の未来を信じて立ち上がろうと最後まで戦い抜くお力を賜りました同志の皆様のおかげで、二十万千三百一人という票を頂きました。この度いただきました信用、絆ということを大切に、しっかりとした国家観と地に足のついた生活観、この両方を併せ持って挑戦する保守としての歩みをこれから確実に進めて参りたいと存じます。
過ぐる八月十五日、靖国神社に参拝をした閣僚はたった一名でした。本来は子孫に繋ぐべき我が命がたとえ南の島の果てに朽ちるとも、祖国に幸あれ、両親に、恋人の未来に幸せあれ、日本に栄光あれと私たちの日本を信じて命を捧げて下さった御霊、英霊の価値が、時の政権の支持率や、国政選挙の結果如何で変わるようなことがあっては断じてならないと考えます。このような保守の視点をしっかりと心に刻みながら腹を据えて、保守の歩みを確実に進めて参りたいと存じます。全国の同志の皆様のお健やかな日々、実り多き秋を心から祈念申し上げ、私の心からの感謝とお祝いの言葉とさせていただきます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。
今年三月、安倍総理から自民党に復党させて頂き、僅か四ヶ月。皆様のお陰で参議院の比例全国区に当選させて頂きました。心から感謝申し上げます。本当に有り難うございました。
日本会議が十周年を迎えたこのときに当選させて頂いたということは、本当に使命が大きいと感じています。日本会議の前身のときから、私は市会議員、県会議員として、そして衆議院議員としてこの運動に携わらせて頂きました。元号法制化の運動に始まり、昭和天皇御在位六十年奉祝運動等を経て、日本会議となって新たなスタートを致しました。そして、ついに私共の念願であった教育基本法の改正が実現できました。これこそ、長い国民運動の成果の賜物でした。
しかし改めて振り返りますと、教育基本法の改正をはじめ教育三法の改正や防衛省への昇格、国民投票法案の成立など、あの時で無ければ、即ち安倍総理でなければ、あれだけの決断はできなかったのではないか。安倍総理はその時を知っていたかのように、一人で突入をして頑張って来られたという思いがいたします。逆に言えば、我々は安倍総理一人に背負わせすぎたのではないか。それだけに、今の状況をもたらしてきたことについて、私共は足りなかったところは、やはりもう一回原点に帰ってそこから始めなければならないと思います。
私共は、教育基本法改正のより内実をつけさせ、日本を再生していかなければいけない。そして我々の手で憲法を改正しなければいけない。それには地方から大きな国民運動を盛り上げていくという私共の運動の原点に帰らなければならないと思います。
日本会議、そして日本会議国会議員懇談会は、非常に連携が密でありまして、常に呼応してお互いが行動致しております。平成九年に、日本会議国会議員懇談会が出来、私が初代の会長にご推挙頂きました。二代目が麻生太郎さんであり、三代目が平沼赳夫さんでありますが、代を重ねる毎に、着実にその実績が伸びている。誠に嬉しく心強く感じ、また私もその一員として、皆さんのご意思を体して活動致しているわけであります。
皇室典範問題につきまして、先程お話のありましたように、我々は断固としてその改悪の動きを阻止いたしました。そして、悠仁親王殿下の御誕生によってこの愁眉が開かれた、これは誠に喜ぶべきことであります。しかし、まだ問題は解決したわけではありません。そこで我々は、平沼会長の意を受けて、日本会議国会議員懇談会の中に、「皇室の伝統を守る国会議員の会」を作り、私がその会長の任を引き受けることとなりました。
また、私は、二百名を越える超党派の国会議員で組織いたします「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長も務めておりますが、靖国に代わる国立の追悼施設建設構想に対しまして、断固としてこれを阻止して参りました。
今日の世相をみるに、あの誇らしい日本人は一体どこに行ってしまったのかと慨嘆することしきりであります。
かつての我々の先人たちはどうだったか。例えば支倉常長や勝海舟など、ちょんまげ姿、羽織袴で海外に渡った先人たちの姿が外国人の目にどう映ったか。或いは日本に来たキリスト教の宣教師や商人あるいは、難破船で漂着した外国人が抱いた日本人に対する印象というものはどうだったか。彼等は奇妙奇天烈な格好をしているけれども、これほど団結心の強い、しかも知恵の豊かな、意欲に満ちた国民は他にいないであろうという評価をいろいろ致しています。それほど私たちの先人たちは優れたものを持っていた。だからこそ極東の島国、資源も何も無い本来貧乏国の日本が今日を築き得たのだろうと思います。それに引き替え、科学技術が進歩して、世界で最も贅沢な食生活を楽しむ環境の中にあって、衣食足りて礼節を知るという言葉はどこに行ってしまったのだろうか。全てのことに場当たり的で、一点集中刹那的なものの考え方、こんなことで日本の将来があるのだろうか。考えれば考えるほど問題は山積致しております。
さて、この機会に私は二つのお願いを申し上げたい。
一つは、本日この会場にもっと若い世代が加わったらどんなに素晴らしい盛り上がりを見せるんだろうか、ということです。残念ながら、平均年齢が極めて高い。日本のよき時代の教育を受けた人たちだけが集まる会に見えないではありません。私は是非、皆さんのお子さんやお孫さん、或いは親族にあるいは、社員に呼びかけて、次代を担う人たちもどんどん参加する会にしていただきたいというのが、一つのお願いです。
今ひとつは、マスコミをいかにして正すか、ということです。私はある新聞社がある思想的な意思を持って、不当な歪んだ報道をした時に腹を立てまして、ある会合の席で、参加者に、あなた方もおかしいと思うなら、この新聞の購読を止めていただけないだろうか言ったら、何と百九十八名の方から止めたという意思表示を受けました。
これをやれば日本の歪んだマスコミはいっぺんに姿勢が改まる。今日これだけ素晴らしい会合をマスコミはちゃんと報道するのでしょうか。テレビ局の報道の姿勢にも問題があると思いませんか。日本人の道徳を批判するような顔をして、自分でむしろそれを下に引きずりおろしているのが、今のマスコミです。私はマスコミを正していく、そういう確かな意識をこれからの日本会議、そして日本会議国会議員懇談会、それぞれの中に生み出していきたい。
おかしな行動をするマスコミは存立しえない、そういった社会を皆さんと共に作っていきたい。そのことを今日の十年の節目に申し上げたいと思います。
本日は日本会議・日本会議国会議員懇談会設立十周年を迎えられましたこと、心からおよろこび申し上げます。
誇りある国づくりを掲げ、教育基本法の改正運動などを続けてこられましたこれまでのご活動に心からの敬意を申し上げます。また、国会議員懇談会の会長の平沼赳夫先生は超党派の国会議員で作っております「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の会長に就任され、政府に対する働きかけ、外国等に対する働きかけをやってくださいまして、拉致の解決のために力を発揮して下さっています。
さて、拉致は一九七七、八年頃が一番多かったのですが、実際に運動が始まりましたのは、めぐみのことが国会で取り上げられました平成九年の二月からです。その後、「家族会」の結成、また全国各地に「救う会」が結成され、今日に至っております。「救う会」には日本会議のメンバーがたくさんいらっしゃいまして、そういった形で御支援頂いていることを感謝申し上げます。
拉致問題に政府が一所懸命取り組むようになったのは、平成十四年くらいからのことでありまして、それまでは拉致なんて本当にあるんだろうかとか、あるいは拉致があったとしても北朝鮮も困っているんだったら食糧でも支援すれば、相手も誠意をもって帰すだろうとか、あまり国民を救うことに熱心でないような、現在では考えられないような時代が続いたわけです。「アブダクション」(*)という映画にも出てきますように、我々が街頭で署名活動しておりますと、画板上の署名用紙をたたき落とすような人がいるというような時代がかなり長く続きました。しかし、平成十四年(二〇〇二)に小泉総理が訪朝し、北朝鮮が拉致を認めてからは、同胞を救わなければという機運も高まって参りました。それで五人の方が帰ったわけですが、あれは北朝鮮は被害者を帰したわけではないんです。
二週間くらい日本に滞在して親族にあったりお墓参りしたりしたあとは北朝鮮にまた戻って子供と相談してから決めるということでした。もしあのときに北朝鮮に戻していればそのまま日本には二度と帰って来られなかったかも知れません。それを安倍さん、中山恭子さんが帰さないと決めて、しかも被害者が帰りたくないという理由では、北朝鮮に残した子供たちの身の安全に関わるということで、国の責任をもって帰さないと決めたわけです。その後、子供さんは小泉さんの再訪朝によって帰ってきたんですが、それ以外の人については死亡または入国をしていないとして北朝鮮は拉致は解決したということを主張しております。
めぐみについて言いますと「遺骨」まで提供してきましたが、それはDNA鑑定で別人のものと分かった。北朝鮮は都合が悪くなれば次々と主張内容を変えていきます。昨日も内閣府で先般の六者協議について説明を受けました。日本側は拉致に進展がなければエネルギー支援はしない、拉致が解決しなければ国交正常化はあり得ない、ということを北朝鮮に言い続けています。
一方、国内には、そんなことをすれば日本が取り残されるという人も一部いますが、町村官房長官は、取り残されればそれでいい、むしろそんなことをすれば困るのは北朝鮮だ、とおっしゃいました。それは安倍総理のときから拉致問題は国の根幹に関わる問題との意識が浸透しているからだと思います。
ですから、どなたが総理になられても国民を救うことには変わりはありませんので、一時、福田さんが総理になったら拉致問題が進まないんじゃないかという声もありましたが、総裁選のときに、自分の手で解決したいと強くおっしゃって頂きましたので、我々としては心強く思っております。この問題は国内の世論の高まりが一番大きいわけです。政府は世論の力に押されてここまで熱心に寄与するようになりました。政府認定の十七名、一部帰国していますので未帰還者は十二名、そのほかにも北朝鮮にいる可能性のある方はたくさんいますので、ぜひ皆様が引き続き関心をもち見守ってくださることをお願い申し上げます。
昨日十月五日、めぐみは四十三歳のお誕生日を迎えました。新潟小学校の校長先生をはじめあの頃にお世話になった三十名ほどの方々がわざわざ上京して、お祝いの会を開いてくださいました。キンモクセイが香ってコスモスが風に揺れているこの季節になりますと、私はいつもめぐみがにぎやかな大きい声で、私が庭で育てていたコスモスの花を見ながら大笑いしながら言っていた言葉が思い出されるのです。
「お母さん、コスモスの花っていつも風にふわふわと揺られているものなのに、お母さんの育てたコスモスってなんでこんなに茎が太いの?
大きな花で風が吹いても揺れないよ、変なの」と大笑いしていたことがありました。
私は毎年秋が来ると悲しいことなんですけれども、そのことをいつも思い出しています。そして、きっとめぐみもあの北朝鮮のどこかで私が育てたコスモスのように、しっかりと地に足をつけて頭をもたげて、必ず日本に帰れるんだ、と毎日思いながら日本の国の助けを待っていると思っています。
拉致問題という恐ろしいことがこの平和な日本のなかで起きていた。北朝鮮の工作員という人たちがこの日本のあちこちに散在して拉致や様々な問題が起きていたにも拘わらず、三十年もの長い間、彼等は見捨てられていました。有本恵子さんはもっと早くに北朝鮮にいるからと手紙を寄越しておられて、ご両親が何度も上京して、これが証拠なんですと、手紙を持っていらしたにも拘わらず、日本は動きませんでした。たくさんの方が日朝交渉にいらっしゃいましたけれどもそのときもいつも拉致問題は提起されませんでした。
子供たちは見捨てられてきました。私は父から教わった大和魂を子供に教えてきたつもりでした。めぐみは優しく明るく元気な女の子でした。なんの悪いこともしていないのに、突然、あの暗い海岸近くからぱっと煙のように消えて二十年という間、私たちはあの子の行方を分かることができませんでした。なんで一人の人間が家のすぐ近くの曲がり角で消えてしまうのかしら、どうしてこんなに分からないんだろう、これだけの警察の大捜索にも拘らずなぜ現れないんだろう。不思議ねえ、どこに埋められてしまったんでしょうか。あの海のどこかに嵌まってしまったんでしょうか。私たちは、あるいはすべての家族たちは、一介の庶民でしかありませんけれども、平沼赳夫先生、松原仁先生、山谷えり子先生はじめ議連で応援してくださった先生方のお力を得、また支援の会の全国のたくさんの方々のお力を得ながら、私たちには考えられないような、ありとあらゆることをやってきました。もうこれ以上私たちには智恵も浮かびません。力も段々なくなってきましたけれども、子供たちが今でも毎日北朝鮮のどこかで、曽我さんや蓮池さんや地村さんたちだけが飛行機で帰っていったけれども、なぜ私たちを乗せてくれなかったんだろう、とどんな思いでいたかと思うと、必ず取り返してあげると毎日毎日それを祈って頑張っております。
百人にも及ぶと言われる日本の若者たち―この国でどんなにお役に立てていたかと思う子供たちが、どうしてあんな国の為すがまま、捕らわれのまま泣き叫ばなければならないのでしょうか。皇后陛下が、「どうして、もっと早くに私たちはこのことに気づかなかったのか、思いやることができなかったのか」とおっしゃってくださったことが為されていれば、もっと早い段階で手を打てていたはずだと思っています。
私たちは普通の父母でありますけれども、日本の純粋なお父様お母様方が、我が子がこのようであったらどうするのかとお思いになって下さい。この問題だけは日本の恥であります。日本は何をしているんだろうと世界は見ています。自分たちの大切な若者が取られていても、何もできないのかとあざ笑っていると私は思います。必ずこの問題が解決するまで、私は倒れないで、主人と共に多くの家族と共に一所懸命に智恵を働かせて戦って参りますので、どうか、皆さま、よろしく御支援お願いいたします。
皆さん今日はおめでとうございます。私はこれからの十年後、日本会議・日本会議国会議員懇談会が二十周年を祝うときには、今の十倍以上の勢力、パワー、それを時代が求めているし、また作っていかなければならないと、そういう思いをしております。残念ながら安倍内閣、途中で頓挫してしまいましたが、その志、思いは消えたわけではありません。戦後レジームから脱却する、そのためにわずか十一ヶ月という中でも随分重要な法案を通して参りました。そしてこれからいよいよ日本を作っていくというなかで、私たちは開かれた保守主義を目指そう、美しい国の骨子の中に目指すべき日本のビジョン、理念を明確にしていこう、そういう政治をこれからも作っていきたいと思います。
来年の七月には北海道洞爺湖サミットがあります。地球環境がテーマです。二〇五〇年、地球温暖化排出ガスを半分に削減する、これは安倍総理が提言し、京都議定書に参加していなかったアメリカや中国やインドすべての国が参加して地球温暖化対策に取り組む。
日本の技術力は経済成長と環境問題が相矛盾しない、ということを証明できるだけの潜在力を持っている。環境と共生できる、そういう時代を作っていくという日本のリーダーシップがいま世界の中で問われています。
開かれた保守主義というのは戦前回帰ではない、国家主義ではない、日本の一千年、二千年という長い歴史のなかで、私たちの祖先が作り、多くの現代人が忘れさせられている、あるいは教えられてない、そういう智恵を現代に生かすことです。環境との共生の問題や、文明の衝突、つまり一神教による宗教戦争ではなく、日本の他と和していく穏やかな宗教的価値観こそが二十一世紀の世界のなかで望まれている。
日本の文明史観を打ち立ててそして人類、世界に貢献する。いま日本が国際社会に歴史的な貢献をする、そういう時代に突入した、そういう思いをもって、これから力を合わせて共々に素晴らしい日本、そして世界に貢献できる日本を覚醒させ、自覚し、推進するために、共々に頑張って行きましょう。
皆さん、今日私は、皆さんに御祝いを申し上げると同時に苦言を呈しに参りました。私は辛口の白髪のばあさんです。何を成し遂げたか、ということを多くの方が発言なさいました。私は自省をこめて私たちが何が出来なかったかということを申し上げたいと思います。
今日ここに来るのにゆりかもめに乗って参りました。周りの景色には素晴らしい高層ビルがたくさん並んでおりました。ビルがどんどん大きく高くなっていくのに反比例して、人間の器はどんどん小さくなっているような気がしてなりません。今日ここにご参集くださった国会議員の方々は、大勢の国会議員の何分の一でしょうか。平沼会長、島村元農水大臣、このお二人は本当に日本の侍でございます。郵政民営化の選挙のときに島村大臣は職を賭して反対なさいました。たった一人、反対した閣僚です。平沼先生は自分の反対の意思をあくまでも通し、今は無所属の身でございます。こういう信念のためにわが地位を賭すという閣僚、国会議員がいまの日本の政治家のなかにどれくらいいるのでしょうか。
今日は民主党の国会議員には松原先生がお見えになっています。参議院で大勝利をした民主党の議員たちは小沢さんに反対でも口をつぐんで全部勝ち組に乗っております。
たった十一ヶ月の間にこれだけのことを成し遂げた安倍前首相は、いま、どんな気持ちで日々を送っているんでしょうか。なぜ私たちは日本の宝である、真正保守の宝である安倍首相をどうして守りきれなかったのでしょうか。
東京に何年かぶりにやってきた台風の中、多摩川の中州から救出されたホームレスの男がいました。後日テレビのインタビューであれだけ避難勧告を受けていたのに、どうして避難しなかったのかと聞かれたときに、彼は一言、「大丈夫だと思っていました」。これがいまの日本人の平均的なメンタリティです。危機管理ゼロ。これだけの理不尽な国家に囲まれて、北朝鮮に我が同胞を拉致されて、いま、横田ご夫妻の血のにじむような訴えを皆さん、お聞きになったはずです。横田めぐみさんをはじめ、まだ多くの日本人が拉致されている北朝鮮のあの理不尽な国に対して「対話」が始まろうとしています。
こんなことを許していいんでしょうか。「大丈夫だと思いました」。危機管理ゼロ。国際社会において日本はリーダーシップを求められているという話がありました。日本は、本当に国際社会でリーダーシップを発揮するような国でしょうか、いまは。そういう外交をしていますでしょうか。
簡単な例を申し上げます。山下泰裕さんが国際柔道連盟の理事に落選しました。ロサンゼルス五輪の金メダリスト、柔道発祥の地である日本の柔道界の宝ともいえるような山下さんが国際社会で通用しない。これもまたいまの日本を象徴しています。
内政問題においては危機管理ゼロ。自分たちがいまどういう状況におかれているか気が付かない、あまたの愚かな大衆。国際社会においてはちゃんとした存在感を示すことのできないような外交を展開し、または存在感を示すような力強い国際社会での発言を出来る人を生み出すこともできないような今の日本で、私たちはここで御祝いだけをしていていいのでしょうか。一歩前進二歩後退、二歩前進三歩後退しているようなこのなかで、私たちの責任は限りなく重いと思います。私たちが頑張らなくて一体どうなるんでしょうか、この国は。日本が危うくなれば、台湾の存在はひとたまりもありません。
台湾が危うくなれば、日本の存在はひとたまりもありません。私は日台のために皆さんと一緒に頑張りたいと思います。御祝いは御祝いです。しかし、しっかり反省をこめて、今日の一日を過ごしたいと思います。これ以上の努力を、今まで以上の努力を、二倍も三倍も四倍も五倍も努力をしなければ日本の将来は危ないと私は思っております。頑張りましょう。
私、参議院議員になりましても、仲間からは相変わらずひげの隊長と言われております。気持ちはまったく変わらず、元自衛官、日本会議岡山のメンバーである佐藤正久そのままであると思っています。
昨日の参議院の本会議で、社民党の福島瑞穂代表から、集団的自衛権の個別研究の一番の悪者として、佐藤正久の名前が本会議で読み上げられました。
かえって多くの同志から激励の言葉を受け取りました。
私はもともと政治家を目指す意思はありませんでした。私にあるのは、福島の農家の長男として家族のなかで育てられたその思いと、二十八年間の自衛官としての現場、海外ではカンボジア、ゴラン高原、イラクで学んだ思いです。
本日、皆様に訴えたいことは、しっかりと思いというものを強くもってやれば道は開けるということです。日本人の良き心―それは優しさ、思いやり、赤心など人によって何でもいい―そういう思いを強くもって努力をすることが大事なんです。議論は誰でもできます。努力をして動く、汗をかくということが大事だと私は思います。
イラクは、日本とは宗教、文化、習慣がまったく違います。でも日本人の良き思いをもって努力すれば必ず思いは通じます。私も約七ヶ月間、現地でゼロからの立ち上げに携わらせて頂きました。帰る直前に、ある部族の長に呼ばれました。「佐藤、お願いがあるんだ、日本に帰らないでくれ、一緒に残ってサマーワの町を再建してくれるなら家も土地もやるよ、嫁さんもやるよ」と言うから、日本で結婚してますと言ったら、「全然問題ない、お前がイスラムに改宗したら四人までOKだ」。
思いは間違いなく通じます。皆さんがテレビで見たサマーワの映像、あれは一番いい映像です。我々は政府の命令で、イラクの困っている人、困っている地域に手を差し伸べるために行きました。その一番の場所はどこか。サマーワの町中ではありません。田舎です。傷んでいる田舎、傷んでいる人々にいかに日本国民の善意をさしのべるか。
サマーワのお年寄りは太っています。でも田舎のお年寄りはガリガリに痩せています。平均寿命も五十歳もない。ほとんどが糖尿病、お金がないからものが食べられない、甘ったるい紅茶ばかり飲んでいるから、糖尿病にもなります。子供も中学生、高校生の背格好をしていても読み書きができません。
学校がないからです。人口の三分の二は農民です。あの暑い中、一所懸命父ちゃん母ちゃんと農作業をしています。握手をしてびっくりです。手はガリガリに痩せ細っていて、しかも皮膚病に罹かっています。水が悪いんです。色がついてる、臭いがする、ああいう水を飲んだら誰でも病気になります。人道復興支援、軽々しく口にしてほしくないと思います。ああいう水を飲まないと弾の下をくぐらないと、本当の人道復興支援を語ることはできないと私は思います。田舎には学校もあまりありません。やっと見付けた小学校、屋根が落ちています。サダム・フセイン時代から支援が来ないからです。五十度を超える炎天下のなかで子供が授業を受けています。隊員が日本から持って行った折り紙を教えようとしても、指が動きません。なぜか、分かりますか。お腹空きすぎて。一日一食。朝は甘ったるい紅茶一杯のんで終わりです。
でも学校に行ける子供はまだいい。行けない子供は塀の脇、穴から中をのぞいてますよ。でもみんなが夢をもってます。将来は何になりたい?みんながちゃんと答えますよ。一方、私は選挙期間中、日本の子供たちに訊きましたが、自分の言葉で将来こうなりたいと答えられる子供は、四分の一もいませんでした。
イラクでは、家族が地域が支え合っています。平和も安全も繁栄もまだまだです。だけど、家族で支え、困っている人がいたら地域で支えている、そういう世界がありました。何回も我々は言われました、自衛隊さん、日本よ、ありがとう、仕事ができた、これでやっと子供にものを買ってやれる、親を楽にすることができる、自分じゃないんですよ。一方、いまの日本はどうですか。ややもすると、「オレ、オレ」「もの、もの」「金、金」そういう風潮が広がっているような気がします。
イラクの人たちが日本に来て日本のテレビ、新聞のニュースを見て、びっくりします。トップニュースが、ほとんど悪いことぱかりですから。なんで親を殺し、子供を虐待するんだ。我々が自衛隊を通してみた日本、昔、イラクで一緒に汗を流した企業戦士を通してみた日本と違うと彼等は言います。
恥ずかしくなります。でも思いを強くもってやれば、絶対再生はできると思っています。思いを強くもって、人の二倍三倍じゃだめです。五倍六倍七倍八倍九倍十倍と汗をかくことによって間違いなく扉は開くと思っています。私は皆さんと共に、思いを強くもって、この誇りある国づくり―私の選挙のスローガンでもありましたが―そのために汗をかいていきたいと思います。思いを強くもって動きましょう。
「地方議会から誇りある国づくりを!―今こそ真正保守の結集を」とのスローガンを掲げて、大変おめでたい日本会議・日本会議国会議員懇談会十周年の節目の記念大会のおりに、北は北海道から沖縄に至るまで日本全国から、約二百五十名の議員が参集し、会長に野村有信東京都議会議員を戴いて「日本会議地方議員連盟」の設立総会の今日を迎えることができました。まさに日本の再生の夜明けといっても過言でないと思います。
昭和五十四年六月六日、忘れることのできない元号法の制定がなされました。この原動力となったのは、地方の力でした。全国の地方議会の意見書決議が結集して国会を動かしたわけです。
そして昭和天皇の御在位五十年、六十年の奉祝行事に始まり、平成九年に日本会議が設立されました。日本会議のこの十年間の一日一日の歩みは、祖先が築かれた祖国、その愛してやまない文化、伝統、歴史を守り抜くべく重ねられた先人方の志、それを継承すべく私共一人一人の同志が歴史にその志を刻んできた日々であったと言えると思います。
まさにいま地方議会こそが問われていると思います。今日、横田めぐみさんのご両親がお来しになりました。最大の人権侵害であり、国家主権侵害であるこの拉致問題を必ず解決しなければならないという強い思いから、それぞれの地方自治体の情報発信の広報に、この拉致問題を記述していただいております。
安倍総理のもとに、新教育基本法が成立し、そして教育再生関連三法案が成立しました。いくらいい法律ができても地方が現場であります。私共日本会議地方議員連盟は、一人一人の志を結集し、祖先が築いた祖国日本の伝統、文化、歴史を守り続けていくべく各地方において全精力を傾けて今後とも努力して参ります。
いま、大変問題だと思っているのは、沖縄の集団自決の教科書記述をめぐる問題です。事実に反する一部勢力の主張を鵜呑みにするのであれば、日本が日本でなくなります。政府においては断固たる姿勢で公正なる教科書検定の制度を守り続けて頂きたいと思います。
家族を愛し、祖国を思って命がけで国を守って頂いた護国の英霊の切なる叫びが聞こえるように思います。
今後とも私共はこの教育の改革も含めて、日本人が誇りと自信を回復できるように力を尽していきます。戦後、占領政策のなかで弱体化され失ったものはたくさんあります。そのひとつずつを取り戻すべく、日本会議地方議員連盟は、国会議員懇談会、日本会議の同志の皆さん方と連携を組んで全身全霊をかけて、地方の良識と叡智を結集して歴史を守り抜くことを、ここにお誓い申し上げて発表とさせていただきます。
私が昨年の十二月に日本女性の会の会長をお引き受けすることになりましたとき、私は会長として何をすべきかということを考えました。そのときは、女性の会員も少なく、支部が全国に四つしかありませんでした。私は仲間作り、そして全国に支部を作ることが一番重要だと考えました。そしてその実現のため今年の二月十一日、建国記念日に、鳥取県を皮切りに全国を隈無く歩かせて頂きました。そして現在新たに八つの支部ができました。そしてこの十月には二つの支部の結成が予定されております。これは日本会議、そして全国の皆様のおかげだと思っております。ここにこの席をお借りして全国の皆様に御礼を申し上げます。どうもありがとうござました。
日本女性の会は日本会議が母体でございますので、一人歩きすることはございません。日本会議の目的と方針に則って活動して参ります。私は、日本人に生まれて良かった。日本に生まれて良かったと、いつも思っております。
外国に暮らして日本人の素晴らしいことがよく分かりました。日本には世界に誇る文化と伝統そして深い歴史があります。叡智にすぐれた先人たちがこの国を育て、そして支えて参りました。
しかしです、このようなすぐれた日本人の中から国旗国歌をないがしろにする人たちが現れはじめました。これはなぜでしょうか。どうして、国の平和と繁栄に身を捧げた靖国神社の御英霊に心から素直な気持ちでお参りできないのでしょうか。男らしさ女らしさを否定するような男女共同参画の推進を新しい総理は所信表明でされました。
私はこの目と耳でその光景を拝見いたしました。これは夫婦別姓を推進する恐れがあり、日本の将来が案じられます。男性が男性らしさを失ったとき、女性は不幸です。女性が女性らしさを失ったとき、男性は不幸だと思います。
男女がそれぞれ天から授かった本分があるはずです。日本女性の会は男女の相違を尊重し、真の女性の姿を発揮しようという団体でございます。
戦後の偏向教育、家庭崩壊、政治や社会の歪み、問題はたくさんありますが、今は犯人を捜しているときではありません。大切なことは自分の子供をしっかり守り、しっかり育てることだと思います。女性は子供を宿し産み育てるという神様から与えられた神秘的なものをもっております。さらに子供たちや男達に勇気を与え勇気を奮い起こさせる魔法の力も持っていると思います。その魔法の力を家庭や地域社会に存分に発揮して私たち一人一人がよい家庭を作るのが国づくりにつながっていくと思います。それが日本女性の会の役割だと思っております。愛情に溢れた秩序ある家庭をつくり、子供たちに感性を育てる学校を作る。その目標に向かって良識ある女性が結集して粘り強く社会に向かって行動して参ります。街角に日の丸がはためき、高らかに君が代を歌うような子供たちをたくさん作りたい。そんなことを祈りながら私は日本女性の会の発展のために力を尽くして参ります。どうか、皆さん、日本女性の会をよろしくお願いいたします。
申すまでもございませんが、安倍前総理の突然の辞任、そして福田内閣の成立によって保守派の国民運動には冬の時代、逆風の時代が到来したことは否めないだろうと思います。戦後レジームからの脱却、そして美しい日本の再生を謳った安倍路線から決別して、戦後体制維持を目指すいわゆるリベラル派主導の逆コースへと転換されつつあると見ざるを得ないだろうと思います。日本再生に向けての国民運動が本格化しようとする矢先にこのような事態になったことによりまして我々一同の衝撃と失望、そして落胆の気持ちはまだまだ癒えていないという気がいたします。ただしこのまま運動が沈滞してしまってはまことにこれは由々しき事柄であります。私自身は、このような時期でありながらも、日本会議が設立される前史から今日までの運動の足跡を辿る中から、一つの教訓が出てくるのではないかと思います。
実は平成四年から平成七年までの宮沢内閣から村山内閣まではやはり保守派の国民運動にとりまして逆風、あるいは冬の時代であったことは事実であります。指折り数えますと、天皇陛下の御訪中、河野談話、細川首相の侵略発言、天皇陛下のアリゾナ記念館御訪問、戦争謝罪の国会決議、村山談話、夫婦別姓法案、平和資料館の偏向展示、歴史教科書への慰安婦記述など、十指に余るほどの由々しき事態が出て参りました。我々としてはそのような冬の時代でありながらも、前向きではなく、後ろ向き、防御的な対応でございました。阻止をするだとか是正を図るとか、当時の言葉ではモグラ叩きの連続という思いで一杯でございました。もちろんうまくいったこともございますけれども、成功しなかったもの、さらに今後の継続問題として火種が残っておるもの、多々ございますが、マイナスをゼロにするという後ろ向きの運動ではありましたけれども、これをなんとか堪え忍んだことが後のプラスの方向に転ずるエネルギーになったことを自負しております。
それから一年経った平成九年から本年までの十年間、日本会議の設立から今日までは保守派の国民運動が大きく進展し、そしてそれは防御的ではなく、むしろ積極的攻勢的な成果がいくつか積み重ねられたと思います。すでにいろいろお話がありました。国旗国歌法の制定、国会に憲法調査会を設置すること。首相の靖国神社参拝の再開、緑の日改め昭和の日制定。さらには教育基本法の全面改正から防衛庁の省昇格、あるいは集団的自衛権の解釈見直しへの着手、教育三法の改正等々、今申し述べたものの多くが安倍内閣の手によって実現されたことを改めてここで確認しておかなければならないだろうと思います。
この十年間は、確かに一方におきましては、国立戦没者追悼施設をつくるだとか、あるいは人権擁護法案の提出だとか、あるいは女系導入による皇室典範の改悪といったまさしく後ろ向きの、いわば防御面を考えざるをえない我々の対応もございましたけれども、しかし趨勢といたしましては戦後体制からの脱却を目指す―攻撃的といったら大げさでありますが、積極的な運動を、国会議員懇談会との緊密な連携の下に成し遂げてきた十年間であったことは言えると思います。
それでは今後我々はどのように国民運動を展開していったらいいか。まさしく安倍路線と福田路線は、積極的におこなう事柄と消極的に防ぐ事柄が逆転しているような形になっております。
しかし我々自身としてはこれまで日本会議の行なってきた国民運動の基本的な戦略、方針には変更はございません。
ただし、状況がこのように変化したことを充分に認識して、防御面、つまり後ろ向きへの対策へのシフトを強化しなければならないと思います。特に我々がこれまで阻止してきた外国人参政権、あるいは夫婦別姓の問題、人権擁護法案等々が新たに浮かび上がってくる可能性は多分にございます。そのようなことに対する対処も考えなければなりません。
しかしながらもう一方の面、積極的な面に関しては、さきほど三好会長がおっしゃいましたように、端的にいえば、教育再生から憲法改正へという基本的な方向性は動くことはございません。いま民主党の反対によって止まっている憲法審査会の早急の設置と新教育基本法に基づく新たな教育改革の推進はもちろんのこと、集団的自衛権の解釈の見直し、あるいは拉致問題の全面的解決、あるいは教科書改善などこれまで重視してきた事柄は当然のことながら努力を傾注して進めていく必要がさらにあろうかと思います。
さて、平成四年から七年までの逆風の時代、そして平成九年、日本会議が設立されてから保守派の運動が比較的順調に進展したこの十年間。丁度、その中間に平成八年という年があります。
実はこの平成八年という年に、皆様方ご記憶にあろうかと思いますけれども、天皇陛下が京都の石清水八幡宮をご参拝になりました。これは明治天皇以来百二十年来のことで、蒙古襲来に際して、さらには幕末動乱期に際して、それぞれ亀山天皇と孝明天皇が国難打開のための祈願をなされた、そのことを今上陛下がお心持ちに持っておられて、国難打開の祈願をなされたと私自身は承っております。陛下は何もおっしゃいませんが私自身はそう受けとめました。この平成八年という境目の時期における天皇陛下の石清水八幡宮への国難打開の御祈願が大きな布石となって、その後の十年間のこうした歩みをもたらしたのではないかと私は堅く信じるものでございます。
ときあたかも、平成二十年は天皇陛下の御即位二十年の佳き年に当ります。
私共は再びやってきた、この冬の時代、逆風の時代をしのぎ、そして日本再生に向けての新たな戦列を立て直すためには、日本国民統合の中心であられる天皇陛下の御即位二十年の奉祝に国民の篤い心と気持ちを結集して、そしてその中から新たな国民運動の展開を図って参りたいと思う次第でございます。
さきほど金美齢さんから大変厳しいご叱責の言葉を頂きました。私自身も極めて重く受けとめました。これまで以上に二倍も三倍もの努力を傾注して日本の国の真の再生に向けて皆様方と共に戦っていきたいと思います。
この両会の設立は平成九年の五月でありましたけれども、その時を期して、このような国民運動に取り組むことになったという訳ではございません。
その時までに前身の「日本を守る国民会議」及び「日本を守る会」の活動を通じ、日本の国体と、文化、伝統を守る国民運動の進め方については十分の経験を積んでいたわけです。その故に、この度、十周年を機会に過去十年の運動の実績を振り返って見ますと、設定した目的全てに十全の成果を上げたとは言い切れませんけれども、顧みて恥ずかしくないだけの実績は残してきた、と言って宜しいかと思います。
その実績の内実につきましては雑誌『正論』十一月号に、日本会議会長の三好先生が、穏やかにかつ情理を尽くして語って下さっております。
日本会議の国民運動の成果は、国会議員懇談会の先生方のご尽力によるところが大きいことはもちろんでありますが、立法府、行政府の歩んできた針路の大筋の部分と、我々の国民運動とが、結果を見る限りにおいて、どうにか波長の合うものであったと言って宜しいかと思います。時にはかなり危険を感じさせるような局面も生じは致しました。例えば皇室典範改悪の問題では、天佑神助というよりほかない奇跡が起こりまして我々の運動はその甲斐があったと言える成果を示すことができたのであります。
しかして問題は、今後、将来にかけてのことであります。果たして国政の中枢と、我々の波長とは合うだろうか、こんな危惧が湧いてきます。本会議の、仮に次の十年間、即ち本会議の国民運動二十周年までの間に、過ぐる十年のごとき堅実な歩みを内外に示すことが出来るかどうか、全く予断を許さないところがございます。おそらくこれまでの十年と比べて、遙かに重く困難な課題が次々と迫ってくるのではないかと予想されます。しかし予想される困難の前にたじろいではいられません。
過去十年の経験を十分に生かして、我々は伝統的日本の国の姿を守るための運動に新たなる決意を固めなくてはならないと存じます。
十周年記念の祝賀は回顧しての満足の表明ではなく、次の十年の活動に向けての決意と覚悟表明の式典としなくてはならない。皆様の更なるご奮励の程を切にお願いするものでございます。
今現代の日本で情けなく思う、不甲斐なく思うのは、自分で立つということを忘れているということであります。
やはり、自立自存という言葉が、我々がこれから生きていく上で一番大切なことであって、外国ではよく、食料の自給率の無い、自足できない国は独立国ではないと言われます。日本は僅か四十パーセントしか無い。そういう意味でも自立が出来ていないと言われても致し方がないわけでありますけれども、またよしんば食料を増産するに致しましても、現代の農業では油が無ければ生産できないわけなんですけれども、その油はいまご存じの問題になっているあの海峡を通らないと日本に持ってこられないのである。皆さんのマイカーも勿論そうでございますけれども、農業用も、或いはまた食料の輸送も全てが現在のところオイルである。
こういう自分たちが生きるか死ぬか。それが関わっているルートに対して協力しないというような、そういう国を思わない政治家がいるということは、私は、非常に残念であります。あの海峡で、この間もう既に二十万トンの日本のタンカーが狙われて、多国籍の艦艇によって守られた事実が報道されています。日本が協力しないのであれば、今度は日本の船など知らないと横を向かれたらどういう結果になるか。本当に情けないというか、何を考えているのか。
自分たちのオイルのルートは自分が守るんだということを考えて頂きたい。
自立自存こそ根本でなければならないと思います。
これから皆様方と共に、知恵を出して頑張りましょう。国会議員に働きかけるだけではなくて、その国会議員の背後の力、一般の世論を如何に良い方向に誘導するかという情報戦略に関して、日本会議はもっと真剣に知恵を出し、行動する。そういう新しい段階に入ったんではないかと思います。その意味でも、皆様方の知恵と御協力を御願いし、日本会議の健全な発展を祈念し、ご列席の皆様の御健勝を祈念して、杯を上げたいと思います。
日本会議が創立から本当に多くの貢献をして、今も大活躍していらっしゃるということを、日本の将来を考える時に本当に嬉しく思います。
今、日本は世界情勢の中で、大きく揺れ動くような動きを見せております。
同盟国アメリカとも摩擦を抱え、お隣の中国とも多くの問題を抱え、世界の中で日本が立派に道を切り拓いていくためには、日本会議の皆様方に本当に頑張って頂かなければならないと思っています。
これからも日本の為に、日本を愛しながら一緒に手を携えてこの国の為に頑張ってまいりましょう。
昭和四十九年設立の「日本を守る会」、昭和五十六年設立の「日本を守る国民会議」の歴史を受け継ぎ、各界有識者や団体・個人の広範な参加を得て、平成九年に「日本会議」、さらに「日本会議国会議員懇談会」が結成され、ここに早くも十年を迎えた。
翻ってみれば、我々は「誇りある国づくり」を目標に、国旗国歌法制定や教育改革を推進すると共に、「皇室の伝統」や「家族の価値」を守り、東京裁判史観の見直しを訴え、首相の靖国神社参拝を推進し、新憲法制定を求める機運を高めることを中心として、全国各地で多彩な国民運動を展開してきている。
ここ一年を見ても、教育基本法改正、防衛庁の「省」昇格、憲法改正国民投票法の成立に象徴されるように、「戦後体制」から脱却し、日本再生に向かう大きな潮流が生まれつつある。その一方で、これに逆行する憂慮すべき動きが見られるが、この潮流を失速させるようなことは絶対にあってはならない。
我々は、ここにあらためて国の現状を憂い、その在り方を正す「真正保守」の旗を高く掲げて国民各層を結集し、とりわけ次代を担う青年たちにその参加を呼びかけると共に、志を同じくする国会議員、地方議会議員との緊密な連携を図り、より強固な国民運動ネットワークを構築して、以下の課題について果敢に取り組むことを宣言する。
平成十九年十月六日
日本会議・日本会議国会議員懇談会設立十周年記念大会