第24回 戦没者追悼中央国民集会 「声明」と「首相談話に関する日本会議の見解」
終戦から65回目の8月15日、炎天下の中、靖国神社参道特設テントでは、第24回戦没者追悼中央国民集会が開催され2100名が集った(主催:英霊にこたえる会、日本会議)。
本年は、直前の8月10日に「日韓併合百年」に関して謝罪の「首相談話」が発表された。これに対して日本会議からは、本集会で「『日韓併合百年』首相談話に関する見解」が公表された(以下に掲載)。
多くの国民が参拝に訪れる中で、この日、菅直人首相は靖国神社参拝を拒否、さらには全閣僚に参拝を自粛させた。一方、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(尾辻秀久会長)の41人の国会議員が参拝(政党別には、民主党11人、自民党26人、国民新党1人、みんなの党1人、たちあがれ日本2人)。自民党の谷垣禎一総裁、安倍晋三元首相らが参拝。谷垣氏は昨年の総裁選の約束を果たした。
集会では始めに国歌斉唱、靖国神社への拝礼の後、昭和二十年八月十五日の「終戦の詔書」の玉音放送を拝聴した。
続いて三好達日本会議会長、中條高徳英霊にこたえる会会長の両氏から主催者挨拶が行われ、各界からは、漫画家のさかもと未明さん、ジャーナリストの笹幸恵氏、ノンフィクション作家の関岡英之氏からそれぞれ提言が行われた。
正午より、日本武道館からのラジオ中継で政府式典での天皇陛下のお言葉を拝聴した。青年合唱団による英霊に捧げる唱歌合唱の後、声明文が朗読、採択された。最後は全員で「海ゆかば」を斉唱。以下、集会の「声明文」と日本会議の「『日韓併合百年』首相談話に関する見解」を掲載。
●声 明
世界の多くの国では、その国の文化・伝統・慣習に従った方式によって戦歿者を慰霊・顕彰して感謝の誠を捧げているが、これが他国の介入を許さない国家の根源にかかわることがらであることはいうまでもない。
わが国において戦歿者慰霊・顕彰の中心的施設は靖国神社であり、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」である八月十五日に、首相が政府及び国民を代表して靖国神社に参拝し、英霊に対し、深甚なる追悼と感謝の意を表すことは、至極当然のことである。
しかるに、昨年秋の総選挙の結果、政権に就いた民主党では、鳩山由紀夫前首相、菅直人現首相はともに自らの靖国神社参拝を拒否するのみか閣僚にまで参拝を自粛させている有様である。菅首相に至っては、八月十五日に靖国神社に参拝しないばかりでなく、直前ともいうべき八月十日に、韓国併合百年に当たることを理由に、これを謝罪する「首相談話」を発表した。
そもそも明治四十三年の日韓併合条約は、当時の国際法から見て合法的に締結されており、その前提のもとに昭和四十年に日韓基本条約を結んだことは疑うべくもない。
周知のように平成七年に出された村山首相談話は、わが国が「国策を誤り」、「侵略」「植民地支配」を行ったことに「反省」と「お詫び」を表明し、その後の日本外交を呪縛し続け、日本政府に国家賠償を求める訴訟や、外国からの日本批判に拍車をかける結果をもたらした。こうした轍を菅首相は繰り返そうというのか。
まさしく英霊への追悼・感謝の日であるべき八月十五日を、外国への謝罪の日に変えようとしていると断ぜざるを得ない。
申すまでもなく、我々が今日享受している平和と繁栄は、明治維新以来の幾多の祖国存亡の危機に際会して、尊い一命を捧げられた英霊の尊い犠牲によって築かれたものである。菅首相の言動が、この方々の思いを根底から踏みにじることになることは明々白々である。
我々はかかる状況を招いた菅首相に強く抗議する。そしてこのような愚挙を再び許さず、本来継続して行われるべき首相の靖国神社参拝を今後とも粘り強く要望し続ける。首相の靖国神社参拝の定着こそ、近い将来の天皇陛下の靖國神社御親拝への道であると確信するからである。
我々は、この実践活動を続けて行くことの延長線上に、憲法改正の実現という戦後体制の克服の道が開かれると考え、さらなる国民運動を力強く展開することをここにあらためて誓う。
右、声明する。
平成二十二年八月十五日
第二十四回戦歿者追悼中央国民集会
英霊にこたえる会
日本会議
●「日韓併合百年」首相談話に関する見解
日本会議
菅直人首相が、八月十日、「日韓併合百年」に関する首相談話を発表した。これほど重要な談話でありながら、その内容について与党内で論議された形跡はほとんどなく、閣議の場でさえ仙谷由人官房長官から各閣僚に「個々の意見はあまり言わないように」とクギが刺されたとされる。国民的合意はおろか、そもそも与党幹部・閣僚間での充分な検討・合意が図られたものですらない。しかもその内容は、左記に指摘するように、見逃すことのできない問題がある。
一、村山談話の枠を超えて歴史認識に踏み込んでいる。
まず、平成七年の村山談話が植民地支配の内容に触れていないのに比して、今回の談話は、「政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」とあって、いわゆる植民地支配による具体的な侵害にまで言及しているからである。その偏った歴史観はあらためて指摘するまでもない。
ふりかえってみよう。その後の政権は、村山談話の「国策を誤り」や「侵略」の内容について質された際、そのようなことは「政府として断言すべきではない」とする答弁書を出してきた。その努力を無にするものである。その意味で、菅談話は、村山談話の枠を大きく超えた由々しき代物であると見なさざるを得ない。
一、日韓併合条約に対する不当な見直し要求に拍車をかける恐れがある。
韓国メディアは、菅談話に関して、「植民地支配の根拠となった(日韓)併合条約が(日本に)強制されたものだとの内容でないと、『100年談話』の意味は相当色あせる」(朝鮮日報)と論評している。
韓国の立場からすれば、菅談話は、不満はあるけれども、これによって日韓併合は「強制」であると受け取られている。したがって、それならば植民地支配の根拠である条約自体が不当であると日本側も認めるべきだ、と韓国側が要求してきても反論できないのではないか。今後さらに日韓併合条約の見直し要求に拍車がかかることになることは明らかである。
一、今後、中国などからも二国間の首相談話を要求される可能性がある。
過去に首相が歴史認識について触れた事例は何度かあるが、それらは首脳同士による共同声明によってであり、また、アジア諸国全体を対象としたものであった。今回のように「特定の国」に対して、以後の内閣を拘束する危険性が多分にある「首相談話」を発表したのは初めてである。二国間に限られた首相談話による謝罪の前例ができた以上、他のアジアの国、たとえば中国から満州事変、盧溝橋事件、南京事件などの何十年という節目を理由として、同様の談話を要求された場合、拒否する理由が成り立たなくなるのは明白であろう。既に中国では、「日本の植民地支配で傷つけられたのは韓国だけではない。(北)朝鮮、中国や東南アジア諸国も苦しめられた」(新京報)といった論評が出ている。遺憾ながら、今後際限のない謝罪談話の要求を特定の国から突きつけられる恐れがあると考えざるを得ない。
一、歴史教科書の記述改悪などの悪影響を及ぼす。
本来、過去の歴史に関する評価は歴史家に委ね、政府がかかわるべきことではない。この当然の節度を政府が忘れ、これまで河野談話や村山談話などにおいて特定の歴史認識を政府は内外に公表してきた。このことが、外国政府によるわが国の教科書記述への批判や教科書採択問題への介入の口実となり、また自虐的な歴史教科書記述の横行の原因になってきたことは周知の通りである。既に韓国政府から「こうした認識をすべての日本国民が共有することを期待する」との注文が出されているではないか。今後ますます、こうした悪影響が助長されることとなる。
一、日本の戦後の誠実な努力への評価抜きで韓国に未来志向を求められるのか。
菅談話には、日韓基本条約の締結交渉以来、日本の政府および国民が行ってきた誠実な努力、それにきちんと対応してきた韓国側の姿勢が全く無視されている。こうした過去の日韓両国双方の努力に対する評価を抜きにして、日本が一方的に「植民地支配」の具体的内容に踏み込んだため、既に解決済みである戦後補償問題について個人補償まで示唆するかのような期待感を韓国側に持たせてしまったのではないか。
これでは菅談話の目指す未来志向の日韓関係は到底生まれるはずもなく、むしろ両国の友好関係を損なう結果となるだけだろう。
平成二十二年八月十五日