●北朝鮮による拉致被害者・有本恵子さんの父・有本明弘さんの思い

●北朝鮮による拉致被害者・有本恵子さんの父・有本明弘さんの思い

●北朝鮮による拉致被害者・有本恵子さんの父・有本明弘さんの思い

外交

●北朝鮮による拉致被害者・有本恵子さんの父・有本明弘さんの思い

2月15日、北朝鮮による拉致被害者・有本恵子さんのお父様・有本明弘さんがご逝去されました。
謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

有本明弘さんは、娘・恵子さんの救出を信じ、長年にわたり拉致被害者救出活動に力尽くされました。願いが叶わぬまま、この世を去られたことは、さぞかし無念であったことと存じます。

恵子さんは昭和52年(1977年)、当時23歳で欧州留学中のイギリス・ロンドンから北朝鮮に拉致されました。40年以上に及ぶ長い年月、肉親との再会が叶わぬまま、今日を迎えてしまいました。

●恵子さんのご両親、有本明弘さん、有本嘉代子さんの切実な思い

かつて、日本会議・機関誌『日本の息吹』に掲載された、父・有本明弘さん、母・有本嘉代子さんの記事の一部をご紹介いたします。


有本弘明さんと嘉代子さん

「国民の生命を守る政治家を」
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 有本明弘さん

1988年の9月に、子供たちから北朝鮮にいるという手紙が送られてきて、それから15年間、政府、外務省、警察に対して、救済活動を行ってきました。

その2年後の9月24日に自民党・社会党両党代表団が北朝鮮に訪問し、その結果、私たちの子供の問題が表に出てきました。マスコミが公表した以上、私たちも表に出て救済のお願いをしてきました。

私たちは子供たちを救済するために、北朝鮮で恵子と一緒にいるという石岡さんの母校の日本大学の憲法学の教授を訪ねました。
先生は「これは国民の生命と安全の問題であるから、政府としては優先的に扱わなければならない。政治家に問うべきことは、政治の目的は一体なんであるのかということです。政治家は国民の一票によって職につくのであって、国民、即ち有権者の生命が脅かされている拉致問題から逃げることはできない」と言われました。
政治家が国民の生命を守ることは当然のことです。政治家は国民の一票で決まるのであって、国民の生命と安全の問題を真剣に受け止めて、拉致の問題を重視して欲しいと私は思います。
(平成15年『日本の息吹』12月号より)

 

「祈り」-娘が帰るその日まで
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会 有本嘉代子さん

昭和63年に恵子からの手紙を受け取ってから私と主人は、「必死の思いで手紙を届けたのだろうから、どうしても助けてやらなければ」という思いでしたが、9年間は、私達はどこに行けばいいのか、何をどのようにしたらいいのか全く分かりませんでした。主人は鉄工所で真っ黒けになりながら朝から晩まで働いていましたし、私は6人の子供の子育てが大変で、なかなか難しかったのですが、娘を助けたいとの一心で無我夢中でした。

「外務省に行かれてはどうですか」と言われて、上京して初めて外務省に行った時には、人が行き来するロビーの入り口に出てこられた外務省の方が立ったまま、「国交のない国ですからね」と言われてそれで終わりでした。どこに行っても相手にされませんでした。
(中略)
電車などで周りの方々が声をかけてくださいます。「一所懸命応援しています」「何をしたら良いのか分かりませんが、皆さんが一日でも早く帰ってこられるように、帰ってくるその日までご両親が元気に暮らせるようにずっと祈っています」と仰ってくださいます。皆さんが声をかけてくださること、それが一番の励みになっています。
政府、外務省、国会議員の皆さんにもこの気持ちを持って、北朝鮮と交渉に当たって頂きたい。日本人なら日本人らしく誇りを持って、きっちりした外交をして欲しいのです。拉致問題解決のために、どうしたらいいか懸命に頭をひねって頂きたいのです。

私は日本人は素晴らしい民族だと今でも思っています。ですからきっと政府の方も助けてくださると信じて、動かなければいけないと思っています。
恵子たちが、そして全員が帰るまで、不安はありますが何とか私達は元気で頑張っていきます。最後まで皆さんご支援ください。
(平成21年『日本の息吹』4月号より)

恵子さんの一日も早い救出を願いつつ、ご両親の悲痛な叫びを改めて心に刻みたいと思います。

 

◆日本会議『日本の息吹』についてはこちらをご覧ください。
 ➡ https://www.nipponkaigi.org/member

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