繰り返される拿捕事件と北方領土問題
『日本の息吹』平成20年2月号より
我が国固有の領土である北方領土がロシアに不法占拠されてより六十二年。未だ問題解決の兆しが見られないなか、平成十八年八月、ロシア国境警備隊により日本漁船が銃撃を受けて一人が死亡した。十九年十二月には四隻が拿捕され四人の船長は未だロシアに連行されたままである。
だ捕事件は終戦後にソ連が北方領土を占領した昭和二十年の翌年から発生し、現在まで絶えることがない。
ロシアは北方領土を我が領土と主張してこれらの島々から十二カイリを自国の領海として、我が国の漁船が近づくと、領海侵犯としてだ捕する。
平成十九年十二月現在まで、だ捕された漁船数は千三百二隻、だ捕された人員は延べ九千二十三人(北海道庁発表)。ロシア国境警備隊によりだ捕された船員は全員越調べを受け、船長らは短くて三ヵ月、長くて四年も抑留される。船体、漁具等は全て取り上げられる事が多い。漁船員の家族は働き手を失い、苦しい生活を強いられるのである。
この北方領土周辺の海域は魚の種類が極めて多く、古くから世界三大漁場の一つに数えられている。ちなみに北方海域の昭和十四年の漁獲高を今の価格に直すと百億円を越える。これらの漁業問題について、いくつかの漁業協定が結ばれたが、ロシアが主張する領海近くほど魚が捕れ、悪天候のために針路をまちがえることも多く、だ捕事件は絶えない。しかも結ばれた協定は、所の指定、種類や量の制限、出漁の厳しい手続きなどがあるため、思うように漁が出来ないのだ。我が国とロシアの主張は、大幅に違う。だ捕事件を根絶するためには、早期の領土問題解決が必要である。このような状況を打開するため、十九年二月一日、北方隣接地域の根室管内一市四町(根室市、別海町、標津町、中標津町、羅臼町)の代表が上京し、「北方領土返還要求行進」を行った。その先頭に立った長谷川俊輔根室市長にお話を伺った(以下に掲載)。
(参考文献:根室市発行「青少年のための日本の領土・北方領土」)
北方領土問題を風化させてはならない
長谷川俊輔根室市長に聞く
返還運動の再起を願って―
― 東京での「返還要求行進」を決断した理由は?
長谷川
北方領土問題は国の主権の問題で、戦後最大の懸案事項です。五千平方キロ以上の広大な領土をロシアが不法占拠しているにも拘わらず日本国民の関心があまりに薄いと感じたからです。これま
で我々は根室で、返還運動を推進する方々をお迎えして、啓発運動を行っておりましたが、戦後六十二年経て、未だ世論喚起がなされていないといたたまれない思いで東京に参りました。
十二月一日は昭和二十年、当時の根室町長・安藤石典氏が連合国軍総司令部のマッカーサー元帥に対し北方領土返還の陳情書を起草した日で、いわば返還運動が始まった日です。北方領土問題の世論啓発が停滞しているなか、我々、北方領土隣接地域である根室管内一市四町(根室市、別海町、標津町、中標津町、羅臼町)の代表は、国民に啓発するため、改めて運動出発の地に立ち返り東京で行進を行いました。根室からは五十六名が上京し、二百八十名で領土返還を訴えました。
昭和五十年代、ロシアは「北方領土問題は存在しない」と主張していました。「北方領土の日」が制定された昭和五十六年前後は、国内の返還運動は非常に盛んでした。平成五年、エリツィン大統領が来日して東京宣言が出されて、北方四島の帰属は未解決、早期解決して平和条約を締結するという確認がなされました。どうもそれ以後、国民意識が低下したのではないかと思います。国どうしで話をすればいいのだと、気が緩んだのではないでしょうか。
― 平成十八年には、ロシア国境警備隊の銃撃によって昭和四十六年以来の死者が出る事件が起こりました
長谷川
十八年八月十六日、ロシア国境警備隊が、第三十一吉進丸を銃撃しました。この事件で、根室市民である一人の青年が銃弾に倒れました。丸腰の漁船相手に一方的に発砲して死にいたらしめたことは、どんな事情があろうとも許されることではありません。この事件はロシアに実効支配されている海域と、日本の船が漁業を行う海域の中間点で起きた事件です。これまでも千三百三十隻以上の拿捕事件、二十件以上の銃撃事件が起こった海域です。今回の死亡事件を市民は、「なぜ殺されなければならなかったのか」と本当に怒っております。事件再発の根を断ち切るために、国は本腰を入れて領土問題の解決に向けて行動して欲しい。日本会議熊本からは弔問頂き、遺族の方に弔慰金も届けて頂きました。私も一周忌の際、皆さんと一緒にお寺に参りましたが、無念でいたたまれない気持ちになりました。
問題を風化させてはならない―元島民の声を聞け
― 元北方領土島民の現状は?
長谷川
終戦時、北方領土の住民は一万七千二百九十一人おりましたが、六十二年間で五四パーセントが亡くなり、現在、七千九百人になりました。平均年齢は七十四・三歳で高齢化が進んでおります。元島民の「島へ帰りたい」との望郷の念は強く、八割の方が北海道に住み、その半数が今も根室で島を見つめながら暮らしております。
北方領土返還運動は、元島民と漁民から始まった運動で。運動の中心を担ってきた一世がいなくなれば運動そのものが風化してしまうのではと懸念しています。これを絶対に風化させないために、領土問題を義務教育でしっかり行うべきです。以前より随分改善されてはいますが、まだまだ領土問題についての教科書記述が少な過ぎます。国に対して我々は、もっと義務教育で取り上げて欲しいと要請しております。
根室市では全国で最も早く、領土教育の副読本を作成し、小学五年生と中学二年生を対象にして根室市内にある全小中学校で領土教育をおこなっております。先生方も領土教育のための研究会を作って努力されておられます。
我々は、これからも全国の先頭に立って、北方領土問題の原点の地として返還が実現されるその日まで、全力で返還運動に邁進していきたいと決意を新たにしております。国民の皆様も、六十二年間未解決の北方領土問題に対して、早期解決する気持ちを新たにして頂きたい。そしてロシアが無視できない程、世論を盛り上げて日本政府を強く後押しするうねりを共に作り上げて頂きたいと思います。
(平成19年12月1日インタビュー)