オピニオン

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[地方議員]地方議員から「誇りある国づくり」を~柳居俊学 山口県議、弘田兼一 高知県議に聞く(令和2年9月)

日本

地方議員から「誇りある国づくり」をNo.72
9月号地方議員

危機管理の視点が抜け落ちている現行憲法

 日本会議中四国地方議員連盟
 会長 柳居 俊学 山口県議会議長

 同副会長  弘田 兼一 高知県議会議員


■中四国地方議員連盟が設立

― 7月22日に、日本会議中四国地方議員連盟が設立されました。中四国では、広島県議連が平成19年、岡山県議連が平成26年、山口県議連が平成29年に設立されましたが、そこからしばらく中四国地方の他の県の議連設立はありませんでした。しかし、柳居先生の各県へのお声かけで中四国議連をまず作ろうとなりました。

柳居◆
憲法改正の大きなうねりを作り出すためにも、協力させていただこうと考え、昨年10月に中四国議連設立に向けた第一回の世話人会を岡山で、第二回を2月に広島で開催しました。

弘田◆
昨年秋に、山口県議会議長の柳居俊学先生から、「中四国議連を作りたいので協力してほしい」とのお声掛けをいただき、我が高知県でも議連を作ろうということで動き出しました。当初、個人の意志で日本会議に加入していた自民党会派の県議が6人おりましたので、まずはそのメンバーに声を掛け、協力を呼びかけました。その後、12月議会で議連の設立を提案しましたところ、会派の21人の議員全員の賛同を得て、12月19日に高知県議連を設立致しました。

柳居◆
鳥取県が本年3月14日に設立されました。島根県では「憲法改正にかかわる研究会」が発足し、愛媛、香川についても、現在設立準備中です。7月22日に広島市で開催した中四国議連設立総会は、中本隆志広島県議会議長はじめ広島県議の皆様に尽力戴き、広島県下の多数の市町村議員にも出席戴きました。

■「コロナ」で明らかにされた危機管理の問題

― 中四国議連の設立大会は、当初4月に予定されていました。

弘田◆
新型コロナウイルスの影響で延期となり、7月の設立となりました。
実は、高知県議連の中でも憲法に対していろんな考えを持った人がいます。そういう人たちに対して「新しい時代にふさわしい憲法議論を進めましょう」と呼びかけてきたのですが、この度の新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、我が国の憲法には、こうした事態に対する危機管理という視点が抜けていることが明確になったわけです。メディアなどでは「コロナを憲法改正のツールにするな」といった意見もあるようですが、しかし現実的に、今の憲法では国民の生命、財産を守るための迅速な対応ができない、と言うことが露呈されました。

― 給付金の支給が遅いなどといった指摘もありましたが、これは安倍政権が悪いというより、緊急事態条項など、有事の際に対応するための仕組みがないことが問題なわけですね。

弘田◆
しかし一方で、そういった憲法の問題について国民、県民に知ってもらうための我々の努力が不足していた、というのも事実です。緊急事態になってから気付いたのではどうしようもありませんから。
ですから、こういったことについてさらに見識を深め、また地元の方々に知っていただくためにも、高知県議連として憲法改正に向けた研修会を行っていきたいと考えているところです。

■安倍総理と共に憲法改正を

柳居◆
最近の新聞での世論調査などを見ていても、憲法改正を望む国民世論が高まりつつあるように感じています。けれども、一部の護憲野党は、全く審議に応じようとせず、憲法改正原案の審議の前段階となる「国民投票法」改正案の審議すら、提出から2年も放置され続けています。
安倍総理のご発言などから、私は、総理は憲法改正に強い意欲を持っていると感じています。6月20日、橋下徹氏と対談された際も、「何とか任期中に国民投票までいきたい」と述べられていますね。また憲法審査会での審議停滞についても「民主主義は、全員のコンセンサスが取れればいいが、それは無理だ。その時は多数決で決めていくということだ」と発言されています。
これまで憲法審査会では、与党野党全会一致で話を進めるという慣例を利用して、護憲政党がその審議をストップさせてきた現状がありましたが、これを突破する意思の表明だと思います。長年憲法改正を望んできた私としては、安倍総理にはリーダーシップを発揮して、憲法改正に突き進んでいただき、地方議会においては憲法改正論議を求める意見書の採択や各地域での憲法改正研修会の開催など、地方でできる運動に更に取り組んでいきたいと思います

弘田◆
憲法改正というと9条や緊急事態条項がクローズアップされますが、地方に住んでいる者としては、地方を如何に活性化するのか、ということも喫緊の課題です。特に平成28年の参議院選挙から、高知と徳島、鳥取と島根は合同選挙区となりました。これではそれぞれの県の民意を伝えることが難しくなりますし、将来的に四国で一人、などということにもなりかねません。各都道府県で定数1は保障する、ということを憲法に明記すべきだと考えています。

(7月22日インタビュー/『日本の息吹』令和2年9月号より)

トピックス : 地方議員

5/3Youtube「憲法フォーラム」 安倍晋三総裁・櫻井よしこ氏 【憲法は国民の命と生活を守れるのか!】映像公開中

憲法

令和2年5月3日、民間憲法臨調と美しい日本の憲法をつくる国民の会の共催(後援:新憲法制定議員同盟)で、ネット中継・第22回憲法フォーラムが「憲法は国民の命と生活を守れるのか!-新型肺炎と中東危機」をテーマに開催されました。
フォーラムの全映像と、安倍総裁メッセージ、櫻井よしこ氏の基調提言が以下よりご覧になれます。

●憲法フォーラム全映像

●安倍総裁メッセージ

 

●櫻井よしこ氏 基調提言

 

また、下記の「憲法国民の会」のページに、概要や声明文が掲載されております。
ぜひご覧ください。
https://kenpou1000.org/news/post.html?nid=79

[要望]菅官房長官に習氏国賓来日の「中止」を要望(令和2年7月10日)

国会議員国民運動外交

日本会議国会議員懇談会と日本会議は10日、首相官邸に菅官房長官を訪ね、7日に発
表した「習近平主席の国賓来日の中止を求める声明」を手交し、現在延期となっている国
家主席の国賓招請の中止を求めました。

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声明文は、「今日、国賓来日を推進することは、わが国の国益に反し、日本が中国に屈
したと世界から嘲りを受ける」として、「政府は中国に対して毅然とした態度でのぞみ、
国賓来日を中止し、日中の懸案解決を最優先にすべき」と要望しています。

菅官房長官は、要望に対し「真摯に受け止めたい」と応えました。

国会議員懇談会からは古屋圭司会長、遠藤敬事務局長、山谷えり子政審会長、民間側の
日本会議からは網谷道弘理事長、百地章政策委員長、椛島有三事務総長らが同席しました。

(声明文はこちら↓↓↓)
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/12710

[地方議員]地方議員から「誇りある国づくり」を~加地邦雄 福岡県議に聞く(令和2年7月)

日本

地方議員から「誇りある国づくり」をNo.70

 tihougikai0207

憲法改正勝利のため、組織基盤の充実を!

日本会議九州地方議員連盟
会長 加地 邦雄 福岡県議に聞く

憲法改正に勝利するための「福岡方式」とは何か


■憲法改正を目標に組織基盤強化を図る「福岡方式」

― 日本会議九州地方議員連盟総会が今年2月に開催されました。実は、九州議連は、全国に先駆けて平成24年に設立されていました。

加地◆
昨年来、全国で設立されている各ブロック議連は、明確に憲法改正のための組織づくりを目指して設立されました。そこで2月の総会では、九州議連が取り組む憲法改正運動についての指針を提示し、九州一丸となって強力な組織づくりをしていこうという目標が確認されました。
具体的には、憲法改正を求める1000万人署名運動の成果報告や289選挙区のうち九州の31選挙区に憲法改正連絡会議を設置していこうという目標、国民投票に向けた勉強会の開催などについて議論をしました。また、現在338名の加盟議員数を500名にまで増やしていこうとそれぞれの役割を確認しました。―  憲法改正に向けて、再スタートを切ったわけですね。

加地◆
実は地方議員の中には、憲法問題を扱うことにアレルギーがある議員が多い。ですが私は、憲法改正を訴えるということが、そのまま組織基盤の強化になると思っているんです。

― どういうことでしょうか?

加地◆
私共の間では「福岡方式」と呼んでおりますが、まず国会議員を筆頭に県議、市議、そして議員の夫人まで組織の中に入れます。それから日本会議や神社庁、防衛団体、女性団体、青年会議所など若い人達などを巻き込み、憲法改正を一つの目標にしつつ小選挙区で勝てる組織をきちっと作ろうではないかという考えです。諸団体の方々とお話をしていると、「議員は憲法について不勉強だ」という声をよく聞きます。それはその通りなんです。なぜかと言うと、これまで憲法改正を謳った議員は厳しい選挙を戦って来たわけです。地方議員は地方の問題だけ取り上げればいいという空気があるからです。しかし憲法改正は最終的には国民投票で決まります。つまり、選挙と同じになるわけだから、憲法について理解し、憲法改正をしっかり訴えることができる議員を育てていく、ということがとても大切になってきます。と同時に、憲法改正を謳った議員が選挙に勝ち残らなければなりません。そのためには、国民の間に憲法改正への理解を深めていくことが必要です。そうでなければ、議員の心が憲法改正から離れていくことは已むを得ません。自民党福岡県連は憲法改正に理解があり、「我が国の国柄をよみがえらすためには憲法を改正しなければならない。国民自らが作っていく憲法を目指さなければ、日本の再興はあり得ない」という考えの下で、この福岡方式の基盤を作ってきました。

― なるほど、議員と国民の双方の理解が深まれば、組織強化にもなりますし、憲法改正にもつながりますね。

■憲法とは基本ソフト

加地◆
そう考えて、安倍総理にもこの福岡方式をご紹介しました。こうした考えのもと、現在、福岡県の議員連盟としても組織拡大を図っています。地方議員には自民党所属議員が意外に少ない。市区町村議会は無所属が多いわけです。ですから無所属の議員にも、憲法改正に理解がある仲間を増やして行こうと働きかけをしています。現在福岡では、60自治体のうち32の自治体で憲法改正の意見書決議が採択されました。7つの自治体では否決されたのですが、それを入れると39の自治体で憲法改正について議論されたことになります。さらにあと10くらいの自治体で、採択を目指して努力しているところです。

― 福岡の11選挙区全てで憲法改正連絡会議も設置されていますね。

加地◆
福岡では国会議員を筆頭に、憲法についての研修会も開催してきました。今は新型コロナウイルスの影響で開催できていませんが、落ち着きましたらまた進めていく予定です。いくら正論でも、憲法についての難しい話をしていては、その声は市民に届きません。私は憲法とはコンピューターの基本ソフトのようなものだと説明しています。つまり全体を管理し、制御し、動かすものですね。しかし時代や状況によって不備が出てきますから、アップデートが必要です。それを70年も放置してきたのが日本国憲法ですよ、と。もっと柔軟に考えて良いと思います。

― 憲法改正について、わかりやすく説明し、理解を広めていくことは、来る国民投票への備えともなりますね。

加地◆
本来、憲法とは歴史と伝統と文化の上に作られるべき基本法です。歴史伝統文化と対話するプロセスの中で、血の通った憲法を作るべきだと思っています。今から50年前、三島由紀夫先生が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決されました。当時20歳だった私は楯の会の会員でした。三島先生は、皇室を中心としたあるべき日本の姿を訴えてこられましたし、市ヶ谷では「憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる」ことを呼びかけられました。私自身、三島先生の思いを受け継いで、素晴らしい皇室を戴く、誇りある日本を取り戻したいと思っていますし、そのためにも憲法改正は必要だと考えています。しかし今、私たちが直面しているのは新型コロナウイルスとの戦いです。5月12日付の産経新聞には、憲法に緊急事態事項を盛り込むことに65%が賛成しているという記事が載っていました。安倍総理を始め、政府としては、今は国民の命、生活、産業を守るという後姿をしっかりと見せるときではないかと思います。政府は、本気で国民を守ろうとしている、という姿勢が国民に伝われば、憲法改正が発議されたとき、国民にもその意図が伝わるのではないでしょうか。

(5月12日インタビュー/『日本の息吹』令和2年7月号より)

トピックス : 地方議員

[地方議員]地方議員から「誇りある国づくり」を~中村奈良県議、植村奈良県議に聞く(令和2年6月)

日本

地方議員から「誇りある国づくり」をNo.69

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国民の生存を守れる憲法へ

日本会議奈良地方議員連盟
会長 中村 昭 奈良県議会議員
筆頭幹事 植村 佳史 奈良県議会議員

地方議会でなぜ憲法論議を求める声を上げるのか―
新型肺炎の危機に際し、いまこそ国民の生存を守れる憲法に!


■憲法論議を求める意見書を採択

― 今年の三月二十五日、奈良県議会では「国会における憲法論議の推進と国民的議論を求める意見書」が採択されました。憲法に関わる意見書の採択は42都道府県となりました。

中村◆
奈良県議会には八つの会派があります。このうち二会派の反対があれば、否決されます。以前に一度、憲法改正に関する意見書を提出したことがありますが、その時にいくつかの会派が反対したことで、否決されました。憲法や安全保障などイデオロギーが関わる事案については、それ以降、議題になっていません。

― それが今回は、共産党系の会派のみの反対で、採択にこぎつけたということですね。

中村◆
当初、国民民主系や社民系などの会派は、憲法問題について審議することすら反対していました。私は、憲法改正をなんとか成し遂げたいという思いが強くありましたから、反対する議員とも日頃から良い関係を築いたり、他の会派が提出する意見書についても、きちんと向き合ったりするなど誠意を示してきました。そして、憲法についての論議を進めることは、今の日本にとっても大事なことではないかと理解を求め続けた結果、先の意見書決議をあげることができました。

■地方から国を動かそう

植村◆
奈良県議会で、憲法についての意見書が採択されたことは、画期的なことです。奈良県では、中村先生が会長となられて日本会議奈良地方議員連盟が設立されました。中村会長のリーダーシップの下で、今回の意見書採択をすることが出来たと思っています。

― 意見書を採択するためのハードルが高い地域にとって、今回の奈良のケースは大きな励みになるのではないでしょうか。

植村◆
そうなれば嬉しいですね。同じような状況で採択が進まない地方もあると思います。しかし奈良県議会でできたわけですから、他の地方議会にも働きかけたり協力したりできればと思っています。

中村◆
議連に集まったメンバーは皆さん意欲的な方ばかりです。もともと県議会議員は、県民とともにより良い地域社会を作ろう、ということで道路を整備しようとか、そういうことをメインに考えるわけですね。ですから、地方議会で憲法にかかわる決議をあげるというのはなかなか困難な事なのです。

植村◆
各市町村議会に対しても、憲法改正にかかわる意見書提出の呼びかけの文書を配布しました。前向きに推進してほしいと期待しています。

中村◆
本来ならば、憲法や外交、安全保障などは、国が責任を持って議論を進めなければならない。日本国憲法が制定されて七十三年が経つわけですが、憲法審査会すらまともに開けていないのが現状です。国会議員は、国民の福祉や幸せに責任を持たなければならないのに、その責任を果たす意欲に欠ける国会議員が多すぎるのではないでしょうか。

―  地方議会でこれだけの決議が上っている、これだけの勉強会が行われている、という数は、国会議員にとっても大きな後押しになります。

中村◆
奈良県には選挙区支部が六つあります。自民党からの通達も届いています。しかし、現時点で二つの支部しか勉強会を開いていない。

植村◆
私共としましては、まだ開催されていない支部の国会議員にも働きかけながら、憲法について考える勉強会を開催していきたいと考えているところです。

■国の歴史文化と国民の生存を守るために

中村◆
ぜひとも、国会議員の先生方には、国民の生活、幸せを守るためにも、憲法改正についてしっかりと議論してもらいたい。もちろん、憲法の問題は、我々日本人一人一人の問題でもあります。七十五年前に我が国はポツダム宣言を受諾し、敗戦しました。そしてGHQによる占領を受けました。日本国憲法は、戦勝国が敗戦国に押し付けたものです。ですからそこに書かれていることは、我が国の歴史や文化に基づいたものではないわけですし、本当に国民の生存を守れるものかどうか疑わしいわけです。自衛隊についてもそうですね。東日本大震災のときもそうですし、今回の新型肺炎でもそうですが、自衛隊は国民の安全を守るために、懸命に働いてくれています。その自衛隊が誇りと自信を持って務めを果たせる憲法に変えていかなければならない。私も日本人の一人として、また県議会議員の一人として、日常の政治活動と共に、我が国の重要課題である憲法改正についても考え、訴えていきたいと思っています。

植村◆
今回のコロナウイルスの問題を見るとよくわかりますが、日々増え続ける感染者の数を見ていると、危機が身近に迫ってきているということをひしひしと感じるわけです。四月には緊急事態宣言も出されましたが、要請しかできない、とか、罰則規定がない、とか、外国との違いが浮き彫りになってきています。多くの諸外国には憲法に緊急事態条項がある、我が国の憲法にはそれがない。おそらくこれまで憲法について考えたことがなかった人でも、外国との法律の違いがあることが解ってきたのではないでしょうか。こういう時だからこそ、憲法の在り方について議論をすべき時ではないでしょうか。

― 国会議員、地方議員、国民が一緒になって考え、議論を深めていきたいですね。

植村◆
幸いにも奈良県では、勉強会などを通して、中村会長を中心に人が集まってきています。勉強会もそうですが、そのあとに開く懇談会などで、中村会長のお人柄に触れた人たちが、憲法などの問題に関心を示し、仲間になってくれています。そういう人たちと一緒に、憲法について議論する輪を広げていきたいと思っています。

(4月8日インタビュー/『日本の息吹』令和2年6月号より)

トピックス : 地方議員

[声明]習近平主席の国賓来日の「中止」を求める声明(令和2年7月7日)

外交

「コロナ」「尖閣諸島」「香港」。国賓来日には日中間に懸案事項が山積。

日本会議と日本会議国会議員懇談会では、習近平中国国家主席の国賓としての来日が、再び外交交渉の俎上にのぼろうとしていることから、2月7日に発表した「国賓としての招聘を憂慮する声明」の第2弾として、「国賓来日の中止を求める声明」を連名で発表しました。

主席の国賓としての来日が、中国の国際宣伝に利用されることが明らかであることから、日本政府に対して、中国に毅然とした態度でのぞみ、国賓来日の中止と日中の懸案解決を最優先にすべきことを求めます。

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■習近平主席の国賓来日の中止を求める声明

本年4月に予定された中国の習近平国家主席の国賓としての来日は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により延期された。しかし今日、主席の国賓来日が、再び外交交渉の俎上にのぼろうとしている。

日中間には現在も、数多くの懸案事項が山積しており、中国に対する国際世論が厳しい現状では、習主席の国賓来日に国内外の理解は得られない。

第一に、新型コロナウイルスの世界的大流行の背景には、中国政府の情報開示の遅れと春節前の大量の中国人による国外移動があったと指摘されている。しかし、中国政府は、今もその責任を認めていない。

第二に、世界が感染の抑制に一丸となっている最中、人民解放軍は、尖閣諸島周辺海域で、軍と公船の活動を活発化させている。5月8日には、中国海警局の警備船が領海侵入し、操業中の日本漁船を執拗に追尾するという重大な挙動に出た。わが国の主権を侵害したこの危険な行為を断じて許すわけにはいかない。

第三に、中国の全国人民代表大会常務委員会は、6月30日、香港への統制を強める「香港国家安全維持法」を可決した。これは中英共同声明にある、50年間の「一国二制度」と「高度な自治」を否定し、中国共産党一党独裁下に置く決定であり、欧米をはじめ国際社会から非難の声が高まっている。中国の振る舞いは、自由、民主主義、法の支配、人権尊重といった国際ルールから大きく逸脱しており、到底容認できない。

中国の異常な姿勢は、来年の中国共産党結成100年に向けて、ますます顕著となることが想定される。

こうした時期の国賓来日は、中国の体制強化と国際宣伝に利用されることが必至である。平成4年、上皇上皇后両陛下の中国ご訪問が、天安門事件後の国際的孤立からの脱却に利用された歴史を繰り返してはならない。今日、国賓来日を推進することは、わが国の国益に反し、日本が中国に屈したと世界から嘲りを受けよう。

政府は中国に対して毅然とした態度でのぞみ、国賓来日を中止し、日中の懸案解決を最優先にすべきである。

令和2年7月7日
日本会議国会議員懇談会
日本会議

Statement calling for the cancellation of President Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest(英語版:習近平主席の国賓来日の中止を求める声明)

外交

 Novel Corona Virus, the Senkaku Islands of Okinawa prefecture, and Hong Kong. There are many pending issues between Japan and China on Xi Jinping’s visit as a state guest.

As Chinese President Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest is about to be brought up again as a topic for diplomatic negotiations, the Japan Conference and Diet members’ committee of the Japan Conference  jointly released the “Statement Calling for the Cancellation of Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest” as the second installment of the “Statement of Concern about the Invitation of Chinese President Xi Jinping as a State Guest,” which was released on February 7.

Since it is clear that the President’s visit to Japan as a state guest will be used by China for its international propaganda, we urge the Japanese government to take a firm stance against China and place the highest priority on the cancellation of the President’s visit to Japan and the resolution of the issues between Japan and China.

On July 10 2020, the delegates of Diet members’ committee of the Japan Conference  and the Japan Conference visited Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga at the Prime Minister’s Office and handed the resolution calling on the Japanese Government to cancel President Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest, and verbally requested Chief Cabinet Secretary Suga to cancel the plan which has been pending due to the global pandemic of the novel coronavirus. Chief Cabinet Secretary Suga responded to the request, saying, “I would like to take it seriously.”

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Statement calling for the cancellation of President Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest

Chinese President Xi Jinping’s visit to Japan scheduled in April this year as a state guest was postponed due to the global pandemic of the novel corona virus.  Today, however, the President’s visit to Japan is once again about to be brought up as a topic for diplomatic negotiations.

A number of pending issues between Japan and China are still piling up at the present time, and with the current state of international public opinions about China, President Xi’s visit to Japan will not be well received both at home and abroad.

First, it has been pointed out that the background to the global pandemic of the novel coronavirus is the Chinese government’s delay in disclosing the information about the virus and there was a mass exodus of Chinese nationals from the country before the Chinese New Year festival. However, the Chinese government still does not accept responsibility for this.

Second, at a time when the world is united in its efforts to control the outbreak, the People’s Liberation Army (PLA)is escalating activities with its military vessels in conjunction with Chinese Maritime Police Bureau’s security vessels in the waters around the Senkaku Islands. On May 8, a Chinese Maritime Police Bureau’s security vessel engaged in a reckless action by invading Japan’s territorial waters and relentlessly chasing a Japanese fishing boat. This dangerous violation of our sovereignty cannot be allowed to continue.

Third, China’s Standing Committee of the National People’s Congress announced on June 30 that the “Hong Kong National Security Law” which tightens China’s control over Hong Kong was passed. This rejects 50 years of “one country, two systems” and “a high degree of autonomy” as stated in the Sino-British Joint Statement. This Chinese Communist Party’s decision to place Hong Kong under a single party dictatorship has been condemned by the West and the international community. China’s behavior is a major deviation from international principles of freedom, democracy, the rule of law, and respect for human rights, and it is totally unacceptable.

China’s extraordinary stance is expected to become more pronounced in the run-up to next year’s 100th anniversary of the founding of the Chinese Communist Party.

It is inevitable that Xi Jinping’s visit to Japan as a state guest at such a time will be used to strengthen the Chinese regime and promote its international propaganda. Japan’s Emperor and Empress’ visit to China in 1992 was exploited by China to salvage herself from international isolation that followed the Tiananmen Square protests.  We must not repeat the history of the past. Today, advancing Xi Jinping’s visit to Japan runs contrary to Japan’s national interest, and she will be ridiculed by the world for bowing to China.

The government should take a resolute attitude toward China, not receive President Xi as the state guest, and make it a top priority to resolve the pending issues between the two nations.

July 7, 2020
Diet members’ committee of the Japan Conference
The Japan Conference

[地方議員]地方議員から「誇りある国づくり」を~近藤永太郎京都府議に聞く(令和2年5月)

日本

地方議員から「誇りある国づくり」をNo.68

 tihougikai0205

国民を守れる憲法へ、意識喚起を

日本会議近畿地方議員連盟会長
近藤 永太郎 京都府議会議員に聞く

自民党通達は、憲法改正を実現するための取り組みを一つ一つ重ねていた我々にとって、大きな後押しとなった。新型肺炎という未曽有の危機に直面する今こそ、国民を守れる憲法へするため意識喚起を図りたい

■大阪が起点

― 昨年11月25日、日本会議近畿地方議員連盟(以下、近畿議連)が設立されました。そこにいたる経緯をお聞かせください。

近藤◆
平成20年、近畿ブロックで初となる日本会議大阪地方議員連盟が設立されました。そこから12年を経て、ようやく近畿ブロック議連を立ち上げることが出来ました。大阪では、吉田利幸前大阪府議のご尽力が大きかったんです。吉田前府議は、大阪府議会、大阪市議会、堺市議会などの10市議会をまとめ約100名を集めて、議連を設立されました。強いリーダーシップを発揮されました。その後、近畿のブロック議連を作る、という構想の中で、平成25年からは毎年、近畿ブロック会議を開催してきました。全7回会議が行われましたが、その流れの中で、京都府や兵庫県の地方議員連盟も出来ていきました。

― 6年に亘る会議の積み重ねで、ようやく近畿議連が設立されたわけですね。

近藤◆
昨年10月に和歌山県の議員連盟ができました。和歌山はなかなか議連が設立できなかったんですね。先に近畿議連を立ち上げてしまおう、という議論もありました。ですが、私としてはやはり、現場で議連設立に向けて頑張っておられる議員の先生もいらっしゃいましたので、和歌山県議連の設立を待ちたい、という考えでした。

■自民党幹事長通達が起爆剤となり憲法研修会が各地で開催される

そのような中で、和歌山県議連設立のきっかけとなったのが、昨年10月に自民党本部から出された憲法集会を促す通達でした。これは二階俊博幹事長名で出されたもので、都道府県連、地域支部が協力して、憲法改正研修会を開催するように呼びかけたものでした。和歌山は二階幹事長のお膝元です。さっそくその通達が効力を発揮して、昨年10月18日、二階幹事長出席の下、1600名が参加して「憲法を考える県民集会」が開かれました。通達後、最初の憲法研修会となったわけですが、これが起爆剤となり、全国各地で憲法研修会が開かれるようになりました。そしてこの時に、和歌山県地方議員連盟も設立されたのです。

― 党本部からの通達はやはり力がありますね。

近藤◆
そう感じています。実は、今年2月20日付で、党の組織運動本部から通達が出されました。「友好団体に向けての憲法改正議論喚起のお願い」というものです。以前の通達は、憲法研修会を行うように、というものでしたが、今回はそこから一歩踏み込んだ形になっています。友好団体の地方組織が憲法改正の研修会を行う際には、各支部連合会として協力をするように、とあるのです。友好諸団体が開催する憲法改正の研修会には積極的に参加したり、講師派遣の協力をしてほしい、という通達なんですね。しかしながらこれらの通達は、必ずしも府県連会長に周知されているわけではありません。ですので私どもとしては、この通達をしっかりと周知するとともに、憲法研修会をさらに開催し、また友好団体の研修会も一緒に盛り上げていきたいと考えています。

― 近畿ブロックでは、和歌山県の他にも、既にいくつか憲法研修会が開催されていますか?

近藤◆
はい。中でも、特筆すべきは兵庫県での開催です。今年2月8日に、加東市支部と宝塚支部主催でそれぞれ憲法研修会が開催されました。講師は2会場とも稲田朋美衆議院議員です。同日の午後と夕方に開催することで、講師の先生の負担軽減にもなりますし、効率よく開催できるようになるわけです。近畿議連では、このスタイルを活用していきたいと考えています。
― いろいろ工夫することで順調に開催できますね。

■国民を守れる憲法に

近藤◆
ところがこの度の新型コロナウイルスの影響で、既に何会場か中止を余儀なくされました。コロナウイルスはまさに「未知との遭遇」です。地震や台風などの自然災害ではありませんが、未曽有の危機に直面していると思っています。政府も必ずしも実態を正確に把握できていない、医師も見解が分かれる、という状況です。危機感を持つことは大事ですが、不安を煽ってはいけない、と考えています。国としては「国民の命を守る」「財産を守る」「生活、暮らしを守る」ことが大事です。「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の法改正が成立し(3月13日公布、14日施行)、新型コロナウイルスにも適用されることとなりました。もちろんこれも緊急に対処するための一つの方法ではありますが、これで全て良しとするものではありません。

― 様々な場面で、個人の人権が制限される場面も出てきます。

近藤◆
そうしたことも含め、国民を守るため、社会を維持するために憲法はどうあるべきかについて、国民で議論していかなければならない事態に直面していると思います。世界に目を向けても、中国はもちろん、ヨーロッパやアメリカでは、ものすごい勢いで感染が拡大しています。一方、我が国は、様々な措置を行いながら、現在までは何とか発生数をゆるやかに抑えていますし、医療崩壊もしていません。もちろん予断は許しませんが、私は、我が国が国際的に果たす役割が大きくなっているようにも思います。だからこそ、きちんと存在感を示せるような国家になるためにも、緊急事態条項をはじめとする憲法の在り方をしっかりと議論し、国民を守れるような憲法に変えていかなければなりません。憲法改正が発議されれば、国民投票が行われるわけですが、それに備え、国民一人一人が、自分を見つめ、自分が所属している国を見つめてゆく、そんな意識喚起もしていきたいと思っています。

(3月20日インタビュー/『日本の息吹』令和2年5月号より)

トピックス : 地方議員

[地方議員]地方議員から「誇りある国づくり」を~古賀都議、中屋都議に聞く(令和2年4月)

日本

方議員から「誇りある国づくり」をNo.67

 tihougikai0204

「1千名ネットワーク構築に向けて
~1千名のネットワークを目指し、憲法改正の機運を関東から高めていきたい」

日本会議関東議員連盟
古賀 俊昭 都議会議員
中屋 文孝 都議会議員 に聞く

 

■憲法議論の推進を求める意見書の採択

― 昨年11月、全国に先駆けて日本会議関東議員連盟(以下、関東議連)が設立されました。

古賀◆
11月6日に衆議院議員の稲田朋美先生にお越しいただいて、関東議連を結成することが出来ました。現在、加盟議員は500名ほどです。各選挙区で勉強会を開催しながら、これを1千名にしていきたい、というのが、私たちの目標です。

― 勉強会とは、具体的には?

古賀◆
自民党の小選挙区ごとに、国会議員、それから都県議会議員、市区町村議会議員が参加して勉強会をします。憲法改正の問題を最優先に取り扱うことが出来れば一番良いのですが、それぞれの自治体の議会構成に任せて、柔軟にやっていければと思っています。その勉強会を経て、市区町村議会で「国会における憲法議論の推進と国民的議論の喚起を求める意見書」を採択していく、という流れを作っていきたいと考えています。

中屋◆
自民党本部からは、「憲法改正研修会」の開催要請が全衆院選挙区支部へ送付されています。つまり、各支部で憲法改正についての勉強会を開催しなさい、という通達ですね。この通達を受けて、しっかりと勉強会を開催している支部もあれば、そうでない支部もある。例えば、神奈川県の3つの選挙区では「未開催で予定もない」状況でした。そこで県の憲法改正推進委員会の委員長からそちらの支部宛に、「憲法改正研修会の開催についての要請」を行いました。それによってようやく勉強会開催への動きが出てきました。

― なるほど。党の通達と同時に都道府県連からも通達を出すことで、勉強会を着実に実施していくことが出来るわけですね。

古賀◆
現在、関東には8つの都府県がありますが、その全てで憲法改正についての意見書を提出し、採択されています。次は、市区町村単位でも意見書を提出できるよう、働きかけをしていくところです。現在、加盟している議員の多くは都県議会議員です。勉強会を開催しながら、市区町村議会の議員の先生方にもどんどん加盟していただいて、1千名のネットワークを目指し、憲法改正の機運を関東から高めていきたいという思いを持っています。

中屋◆
九州の話になりますが、福岡では市区町村で60議会がありますが、そのうち意見書は32議会ですでに採択されています。一方で12議会は全くの手付かずだそうです。これは何かというと、その12議会には日本会議地方議員連盟の加盟議員がいない、ということなのです。つまり、加盟議員を増やすということは、地方議会の意見書採択をできるかどうかに大きく関わっているんですね。もっと言えば、日本会議地方議員連盟が、今日の地方議会の憲法改正運動をリードしていると言っても過言ではありません。

古賀◆
昨年12月29日の毎日新聞に載った憲法改正についての世論調査によると、実に75%が憲法改正に賛成なんです。護憲勢力と言われる毎日新聞が調査してもこうなったわけです。この結果は、これまで憲法改正運動に取り組んできた我々にとっては大変励みになります。私個人の思いとしては、この憲法改正運動というのは、「宮澤憲法学」との戦いでもあると思っています。GHQの占領下で日本国憲法を押し付けられたわけですが、それを正当化するために、憲法学者、宮澤俊義氏が「八月革命説」なる奇想天外な邪説を唱え、マッカーサーに迎合しました。その宮澤憲法学の教え子たちが、今日、官界や学界、法曹界に入っている。ですから私はこの運動は、この宮澤憲法学を突き崩す運動だと思っているのです。

■国境離党、対馬を守れ

― 関東議連として今後はどのような問題に取り組む予定でしょうか?

古賀◆
私が今気がかりなのは、対馬の問題です。対馬が韓国人の旅行客に頼らない形で経済を立て直すにはどうすればよいのか、地域経済の自立も大切ですが、そもそもこれは国境管理の問題です。最近、対馬海峡には中国の海底調査団が来ているとも聞きます。中国はまず、日本人に対して、「日本はアジアを侵略した」「南京大虐殺を認めろ」などと思想侵略をしてきました。それから人口侵略。中国人旅行客のビザの緩和や入国条件の緩和をやりましたね。今、来日する外国人の中で最も多いのは中国人ですよ。最後が軍事侵略でしょうが、それももうそこまで来ているような気がします。「国境」と「国防線」は違う。普通、国境よりも外側に国防線を引くわけです。この国防線を超えられたら国境が危ないと。そのことを明治の政治家は分かっていました。だから満州にいたロシア軍を警戒して、朝鮮半島に国防線を引きました。国境が侵されて初めて戦うという専守防衛が如何に間違っているかということは、歴史に学べば明らかです。

― 対馬は、白村江や元寇など、歴史的にも国防の最前線であり続けました。

古賀◆
白村江の戦いの時には、天智天皇の下で、日本が国境警備を固めるとともに、百済に国防線を引きました。

― 対馬には、天智2年に対馬の防備を固めるために作られたと言われる金田城址がありますね。

古賀◆
今度5月に、地方議員連盟で対馬に行くツアーがあり、金田城にも行くようです。関東議連としてもここに参加したいと思っています。

中屋◆
そうですね。全国に先駆けて関東議連を設立したわけですから、モデルとなるような取り組みをしたいですし、それが全国に波及していくことを願っています。

※訃報 古賀俊昭先生には、3月9日、急逝されました。享年72。ご生前のご厚情に深く感謝し、謹んで哀悼の意を表します。
(令和2年1月23日インタビュー/『日本の息吹』令和2年4月号より)

トピックス : 地方議員

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ⑤ ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第5回(最終回) 大明一統志「東のかた海岸に至る」
石井 望 ・長崎純心大学准教授

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◆佐賀講演で新見解

明の勅撰地理書「大明一統志」には、福建各地の領土を「東のかた海岸に至る」と繰り返し規定してゐる。各地の官製地誌諸本も同じである。海岸の外の尖閣は領土外となる。あたり前の史料なのだが、尖閣論議の中で言及されたことは無かった。歴史研究者が尖閣を避けてきたからだ。
ところがチャイナ側は明の「籌海圖編」といふ海防書に載る「釣魚嶼」を以て、海防の管轄内だと主張する。手間のかからない主張だが、否定するにはその時代の諸史料を以て海防の到達地を逐一明らかにせねばならない。私はあれこれと史料を調べた結果、福建の海防圏は兵力最弱時に海岸まで、最強時でも沿岸列島線までと分かった。これぞ歴史的第一列島線である。尖閣は三百キロの彼方に在る。
「籌海圖編」は下半分に海岸の陣地を列し、上半分はただ島嶼を列する。上半分に陣地が無いのは海防外なるがゆゑであり、まさにその時代の海防線の内外を描いた書である。丁度チェス盤のやうなもので、敵地の最後方(上端)に尖閣があるに過ぎない。
以上の内容は昨年九月三十日に日本會議佐賀で講演し、十月五日佐賀新聞(印刷版)及び十月六日八重山日報(電子版あり)で報じられた。

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◆尖閣でなく福建の領土問題

「釣魚島史料は悲劇だ、あまりにも悲劇だ。」香港などのインターネットに出沒する或るブログの達人が、そんな嘆きを投稿してゐる。なぜなら一つの例外を除き、釣魚嶼は全て隣邦との間の渉外的史料にばかり記載され、チャイナの内で自己完結する史料が無い。例へば第三囘で紹介した陳侃「使琉球録」以下、歴代使節の記録は全て隣邦琉球への渡航途中で釣魚嶼を記録する。第四囘で紹介した「順風相送」も、琉球航路の記載である。佐賀で話した「籌海圖編」も、隣邦日本から渡ってくる倭寇(但し中身はチャイナ人が九割)に備へる海防書である。後の清の「臺海使槎録」「重纂福建通志」などもまた「海防」の卷の末尾で釣魚臺を載せる。
清の後半になると「全臺圖説」「葛瑪蘭廳志」などタイワン島の地誌に釣魚臺が載るやうになる。チャイナ側はそれを以て行政域に編入したのだと主張する。ところがどの地誌の釣魚臺も「臺海使槎録」の抄録ばかりで、情報源は矢張り海防である。しかもそれが地誌中の領土外の部分に記載されてゐたといふ笑ひ話は、昨年十一月二十六日から十二月一日まで、八重山日報の連載「馬英九閣下…」をご一閲頂きたい(電子版あり)。
どれもこれも自己完結できないのは、隣邦との間の無主地なるが故である。そもそも帆船の時代に外洋を航行するには季節風を必要とした。福建から琉球へは夏に渡航し、琉球から福建へは季冬初春の間に渡航する。かりに釣魚列島まで領土内として自己完結したければ、夏に福建から航行し、列島東端の赤尾嶼(大正島)に至って半年間停泊し、冬の季節風を待って福建に戻らねばならない。絶海の無人島でそんなことは不可能且つ不必要であった。だから帆船時代には領土になり得ず、常に琉球航路の通過地に過ぎなかったのである。
ならば「籌海圖編」などの海防書に載ったのは何故か。佐賀で講演した通り、福建の海防域は大陸沿岸の列島線までで終る。海防外の釣魚嶼は、琉球航路書から取った情報か、もしくは陳侃のやうに琉球の水先人から得た情報と推測せざるを得ない。海防のため特別に赤尾嶼まで巡邏したといふのは、歴史を持たぬ今の彼らの張る虚勢に過ぎない。
逆に言へば、日本は尖閣の西方はるか彼方でチャイナが自己完結してゐた史料だけを論ずれば良く、そもそも尖閣を論ずべきでない。尖閣に領土問題が存在しないことは歴史が物語ってゐる。尖閣でなく福建の領土問題なのである。

◆孫崎享氏が高く評した史料

さて上述の唯一の例外とは、光緒十九年(西暦1893年)、西太后が大臣の盛宣懷に釣魚臺を下賜した慈諭(太后の諭告)である。隣邦と無縁であり、且つ日本が領有する直前なので、かなり有効に見える。昨年からマスコミに頻々と出る孫崎享氏も絶贊して曰く、
「文献は圧倒的に中国に属していたことを示している」と(平成二十三年、ちくま新書「日本の国境問題――尖閣・竹島・北方領土」、第六十四頁)。
ところが何のことは無い。慈諭中の官職「太常寺卿」に盛宣懷が就いたのは光緒二十二年(西暦1896年)なのである。慈諭の署する光緒十九年には、盛宣懷はまだ北京の高官ですらない。流石に近年はチャイナ側もこの贋品を公式主張に入れなくなった。
孫崎氏はきっと「瑣末事よりも本質が大切だ」などと反駁するだらうが、チャイナ側の歴史的主張は全て誤ってをり、本連載で述べたのは一端に過ぎない。日本領有までの長い歴史でチャイナはゼロなのだから、百を乘じてもゼロ、カイロ宣言を持ち出してもゼロ、極めて明朗に連載を終へることとしよう。

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いしゐ のぞむ
昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ④ ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第4回 「オックスフォード写本で新事実 1403年に釣魚嶼なし」
石井 望・長崎純心大学准教授

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◆六百年の大見得

先月紹介した「陳侃三喜」は、西暦1534年、釣魚列島(今の尖閣列島)の航路を琉球人が案内した最古の記録である。ところがチャイナ側の楊潔〓外相は、昨年のASEM(アジア・ヨーロッパ・ミーティング)の場で、世界の指導者らを前にして「釣魚列島を六百年前から管轄してゐる」と演説した。その夜のテレビで時の野田首相の慍色とともに、「六百年」の一語が茶の間に響き渡ったことを私は記憶してゐる。陳侃三喜よりも百年以上さかのぼる。
六百年の豪語がもとづくのは、「釣魚嶼」を記載する航路書「順風相送」である。序文に「永樂元年」(西暦1403年)、勅使として「西洋等」に往った時の航路だと書いてあるため、勅命により釣魚嶼を記録したのだとチャイナ側は主張し、公式見解にも入れてゐる。さあ日本、大丈夫か。

◆西洋針路簿になぜ尖閣が

ご心配には及ばない。序文の「西洋」の一語が全てを物語ってゐる。この頃の西洋とは、スマトラ島からインド方面への海路を指す。一方でジャワ・ボルネオ・フィリッピン・タイワン島・尖閣・琉球・日本は全て「東洋」と呼ばれた。西暦1403年には「東西洋」に往ったのでなく「西洋等」に往ったのだから、はるか東方の尖閣と無縁の話である。「等」といふのは東洋の南端のジャワ・ボルネオを通過したがゆゑに過ぎない。
この書は明の皇帝に仕へたイスラム教徒・鄭和(ていくゎ・ていわ、西暦1371至1433在世)が遠く「西洋」のイスラム諸邦の間に航した針路簿だとされる。福建で出航し、最遠ではホルムズ海峽まで記載してゐる。但しこの書が鄭和の原本だと確認できるわけではなく、後の時代に同類の書から採録したとするのが定説である。
鄭和は嘗て日本にも派遣されたとする史料が有り、東洋を知らなかったわけではない。しかし鄭和の日本行の史料は浙江省の寧波をめぐる記載ばかりであり、寧波から出航したとしか解し得ない。福建から出航する「順風相送」とは無縁である。
では「西洋等」針路簿に何故東洋の「釣魚嶼」が載ってゐるのか。それはこの書の前半の西洋等航路が終ると、後半は全て東洋航路であり、東洋の末尾近くで琉球及び「釣魚嶼」を記録するのである。
前述の序文の後、正文の針路簿の前までの間には、福建から西洋までの諸地名を列して水深などを記載するが、東洋の地名は列しない。また正文の西洋等部分では各地の島嶼附近の水深を百箇所以上も記載するが、東洋部分では二箇所しか記載せず、編纂基準が異なる。この書の原初形態では東洋部分が存在せず、後から附加されたのである。

◆東洋針路簿と合綴の痕跡

さらにここで新消息を披露しよう。「順風相送」は現在活字本で流布してゐるが、手書き原本はオックスフォードに在る。尖閣を早くから研究する奧原敏雄氏は、洋行した際に原書のマイクロフィルムを入手した。後にそのフィルムは、同じく早くから尖閣を研究する尾﨑重義氏の手をへて、島嶼資料センター(センター長は高井晉氏)に寄贈された。このたび諸先生のご厚意により、私も見せて頂いた。
フィルムの西洋等部分の末尾と東洋部分の開始とを今掲げておく。西洋等の末尾で紙を終へて、東洋部分は別紙で開始してゐる。活字流布本では別紙に分けてゐないので、前後が別物だとは氣づかないが、フィルムを見れば一目瞭然、別書を合綴した可能性が高まった。

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◆琉球人が教へた釣魚嶼航路

かくして序文の西暦1403年は、東洋と無縁の年代であることが益々明瞭となった。では東洋部分はいつ成ったのか。明白な一徴としては、東洋の末尾に「長岐港に入る、佛郎番ここに在り」と書かれてゐる。長岐は長崎である。港は入り江である。佛郎番はポルトガル人である。この句については昭和六十年にもう論文が出てゐる。ポルトガル人は種子島の銃とともに初めて日本に到達し、長崎には西暦1570年頃に住み始めた。東洋部分が成ったのはこれ以後であり、但しやや早い内容を含んでゐる可能性は考へられる。
その頃の福建人の海路認識を確認しよう。西暦1534年に前述の陳侃が使節として渡航する際に、初めて琉球人から尖閣航路を教へられたことが、陳侃「使琉球録」及び鄭舜功「日本一鑑」(西暦1565年)に記録されてゐる。更に高澄「操舟記」(西暦1534年)によれば、福建の水夫たちは幾十もの海外諸邦に渡航したと誇りながら、誰も琉球航路に行ったことがなかったと言ふ。成程、そんな時代だから「順風相送」に西洋方面航路だけが載ってゐたのだな、と納得できる。尖閣琉球航路が載ったのはそれより後、西暦1500年代後半とするのが適切だらう。長崎港の年代とも符合する。
それだけでなく、「順風相送」の釣魚嶼は琉球人特有の北寄り航路であったことを、昨年私が見出し、「純心人文研究」に論文を掲載した。十一月九日の八重山日報インターネット版でも報じられたのでご覽頂きたい。
要するに六百年の主張は粗雜な虚構であるのみならず、琉球人に教はった航路を勝手に剽取したお目出たい話に過ぎなかったのである。
(つづく)

第5回(最終回) 大明一統志「東のかた海岸に至る」→
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13460

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いしゐ のぞむ
昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ③ ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第3回 「尖閣480年史は「陳侃三喜」から始まった」
石井 望・長崎純心大学准教授

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近代以前の遠い昔、琉球人は尖閣列島を熟知してゐた。最古の記録が明の『使琉球録』に載る「陳侃三喜)」である。
明の使節陳侃は、福州から出航の前年、未知の琉球への渡航を畏れてゐた。そこに琉球の朝貢貿易船が入港したので、情報を得られると喜んだのが一喜。次に琉球から迎接船が入港したので、先導してもらへると喜んだのが二喜。次に迎接船が羅針盤役らを派遣して陳侃と同船させ、琉球までの操舵を申し出たのが三喜である。明くる嘉靖十三(西暦1534)年出航した使節船は、琉球の役人の操舵のもと陰暦五月十日に尖閣列島の「釣魚嶼」(魚釣島)を通過する。尖閣は最初から琉球王が公式に外邦の客を導く航路として記録された。
この日から尖閣は有史の時代に這入る。歴代史料では尖閣の西にチャイナの界線が記録され、同じく東に琉球の界線が記録される。二つの界線の間の尖閣列島は、東西どちらから見ても外側の無主地であった。無主地ながら、琉球人が針路を司る航路上の要地でもあった。海洋的琉球文化圏だったことは明白である。しかしチャイナ側はつねに陳侃が釣魚嶼を記録したことだけを強調して、琉球人が針路を司ったことを無視しつづけてゐる。
明治二十八(西暦1895)年一月十四日、日本は尖閣を領土に編入した。石垣市がこれを「尖閣諸島開拓の日」に定めたのは多とするに足る。しかし四百八十年になんなんとする尖閣史上では、最古の五月十日も忘れてはならない。この大切な歴史を世間では話題にせず、逆にチャイナ側の虚構に利用されてゐる現状は憂慮に値する。

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◆釣魚島は漢文の古名

日本の保守論壇には、明治以前の漢文史料で我が方が不利だとの誤解が有る。しかし原文をよくみれば、チャイナ側主張は全て虚構に過ぎない。要注意の一つは「釣魚嶼」といふ漢文名である。所謂チャイナ名ではない。命名者の記録は無いが、最初に琉球人の案内のもとで島名が記録された以上、琉球人が命名した可能性が高い。今これをチャイナ名と呼ぶのは、琉球の先人の功績をなみすることに外ならない。
漢文は東アジア共通の文語であって、西洋のラテン語と同じである。ラテン語をイタリア語と呼ばないのと同じやうに、古代から漢文を書いてゐた日本人は、チャイナ語を書かなかった。漢文名をチャイナ名と呼ぶことは、尖閣史のみならず日本史及びその一部としての琉球史を否定するに等しい。日本は領土編入とともに尖閣といふ現代名を定めたが、チャイナは尖閣を領有しなかったから命名もしてゐない。

◆歴史こそ最後の決め手

尖閣漢文研究について、世間では「どうせチャイナは侵犯をやめないか
ら、歴史で勝っても無駄だ」とか「細かなことよりも大局を論ずべきだ」などと冷ややかに評する人が多い。事の重大性を理解しない評である。
平成二十二年の冬頃、漁船衝突事件からしばらく後に、チャイナ側がしばし息をひそめて沈黙したことをご記憶だらうか。原因は、稀土類禁輸やフジタ社員監禁などの横暴を世界が支持しなかったからである。日本側に世界の同情が集まり、保守論壇には「我々は負けて勝った」との評も出た。同情を失って焦るチャイナの顔色を見て、香港の保釣運動家までも出航を見合はせたことが、現地で小さく報道された。
ところが昨年後半から、世界(特に西洋)の同情はチャイナに集まってゐると聞く。歴史上で尖閣を支配したチャイナと、現代公法の論理に固執する日本。そんな誤った形象が西洋の論壇にひろまったことが原因らしい。日本政府が尖閣を購入したことが原因ではない。
いま歴史が勝負を左右しようとしてゐる。歴史の虚構が逐一曝露されて世界の同情を失なへば、チャイナは焦って再び沈黙するだらう。彼らの横暴をやめさせるには、尖閣四百八十年史の正義を明らかにするのが最善手であり、急がないと日本は負ける。

◆琉球を主人とする記念式典の開催を

きたる平成二十六年は尖閣有史四百八十周年の記念すべき年である。那覇や石垣などで記念式典を行なふことを提言したい。そこには四つの意義がある。第一に、尖閣古史は文化的に琉球のものだと世界に宣言すること。第二に、最初に記録された釣魚嶼がチャイナ名ではないと世界に知らしめること。第三に、歴史で日本が不利だとの印象を一掃すること。第四に、尖閣を政治的色彩から脱せしめ、誰にとってもあたり前の歴史とすること。
陰暦五月十日は陽暦上で毎年不定期となる。行政上の都合も有らうから、陽暦五月十日で記念するのも次善策だらう。毎年が難しければ、四百八十周年の一度だけでも良い。
但し記念日の前提として歴史に忠なるを要する。「日中友好」などを合言葉に記念日を無原則に利用する陰謀には警戒せねばならない。記念日名としては「尖閣三喜記念日」もしくは「釣魚嶼みちびきの日」を提案したい。制定主旨には「無主地にして琉球文化圏だった」と明記することが必須である。この原則を貫徹しないと、チャイナ側の勢力が記念行事に滲透してくることとならう。それどころか、チャイナ側に先に記念日とされて仕舞ふ虞れもある。善は急げ。地元を中心としてみんなで考へたい。(つづく)

 

第4回 「オックスフォード写本で新事実 1403年に釣魚嶼なし」
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13455

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昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ② ―釣魚島*史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第2回 「東沙山を過ぐれば是れ●山の尽くる処」 (※●…門に虫=びん)
石井 望・長崎純心大学准教授
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◆新聞報道と反駁

昨年(平成二十四年)七月十七日、『産經新聞』第一面に尖閣列島の漢文史料の報道が出た。題して曰く「『明代から領土』中国の主張崩壊、明、上奏文、『尖閣は琉球』」と。明から琉球に派遣された勅任使節郭汝霖の『石泉山房文集』所載の上奏文に、
琉球境に渉る、界地は赤嶼と名づけらる。
と述べることが記事の中心であった。使節船が西の福建から東に航行して琉球の領域に至り、琉球領域の分界地は赤嶼(大正島)と呼ばれる、との意である。
この記事にはチャイナ側から反駁が次々に出た。反駁者の一人劉江永氏は、日本の朝日新聞にも時々取り上げられる人物だが、「渉るだけでは琉球境にまだ至ってゐないから、赤嶼はチャイナ領土だ」と主張した。
それから半年後の今年一月二十一日『讀賣新聞』夕刊で報道されたのが、尖閣のはるか西側までで明の領域が終ることを示す『皇明實録』の記録であり、先月すでに紹介した。しかし昨年七月と異なってチャイナ側から全く反駁が出ず、無視された。二つの新聞の流通量の大差を彼らが知らぬ筈は無い。無視したわけは、『産經新聞』報道が尖閣の東側の史料であり、『讀賣新聞』報道は尖閣の西側の史料である。尖閣の西側でチャイナ領域が終ると、尖閣が無主地だったことが分かってしまひ、困るのである。
一方で尖閣の東側を議論すれば、チャイナにも一定の理が有って議論が成立してゐるかの如くに見えてしまふ。それが『産經新聞』にだけ反駁した目的であらう。そもそも尖閣の東側は琉球の領土線なのだからチャイナと無縁の話であり、我々はまともに議論に取り合ってはならない。

◆尖閣の西方の史料

七月の『産經新聞』報道では、東側で誤解を招かぬやう西側の史料についても同時に取り上げられた。別の勅任使節汪楫の漢詩集『觀海集』である。その原文に曰く、

東沙山を過ぐれば是れ●山の盡くる處(福建の終り)なり。 (※●…門に虫=びん)

と。東沙山は今の馬祖列島中の一島であり、尖閣の西側約三百キロもの距離にある。汪楫の認識するチャイナの終りは、尖閣のはるか西なのである。この重要史料について、チャイナ側は全く反駁せず無視した。今年の『讀賣新聞』報道を無視したのと同じである。
汪楫はまたその著『使琉球雜録』で、尖閣の東の海上祭祀に於ける「中外の界」を耳にしたと記録してゐる。チャイナ側主張では「中外」とはチャイナと外との間の分界線であって、尖閣の東までチャイナ領土だと解する。しかし東沙山までがチャイナだと汪楫本人が認識してゐるのだから、その主張は成立しない。
中外とは内外であり、ここで正しくは琉球の内外を指す。なぜならこの中外界の位置は、上述の赤嶼附近の琉球の領土線とほぼ一致するからである。
歴代の尖閣史料の中には、琉球人の道教的風水思想を示すものがある。その一つが清の徐葆光の詩句「中山の大宅、中央に居す」である。中山とは那覇を指し、琉球を中とする風水思想を表現したものである。されば尖閣の東側で汪楫が耳にした道教的「中外の界」も、琉球を中とする可能性が極めて高く、チャイナと無縁の話である。

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◆尖閣に於ける虚構の華夷秩序

後のチャイナ人はこの「中外」の西を中とし、東(琉球)が外だと解した。中華思想である。チャイナ領土のはるかに外での話ではあるが、方向性として「中華」だけを「中」としてこの世界が構成されるといふ考へ方である。
そもそも黄河文明は後漢の中頃までであり、以後チャイナ地域は大印度文明圏に隷屬する一小文明となった。そして唐末に日本が遣唐使を停止して以後は中華思想の時代となる。
虚構の中華思想に於いては、チャイナ地域を支配する帝邦が全世界を統治するのが原則であり、中華からの遠近が即ち文明度の高低だといふ理屈になる。しかし現場では他邦との中間に無主地が存在し、遠近の基準はあて嵌らない。無主地をはさんでその東西二側に各一個の文明が存在するといふのは中華思想の基準外である。琉球とチャイナとの中間が無主地だったと理解させることは、彼らに中華思想を放棄させるための鍵なのである。
現代は多元的世界である。中華思想の時代は終了して頂かねばならない。それを迫るのはアジア文明を主導する日本の責務である。安倍内閣が南は東南アジアから印度まで、北はモンゴルと手をたづさへて中華思想のチャイナを取りかこむのは、大印度文明圏の通例にしたがってゐるに過ぎない。麻生・安倍二氏の提唱する「自由と平和の弧」とは、古くからの大印度文明圏の南半分である。北半分の多くは現在チャイナに統治されてゐるが、唯一モンゴルだけは安倍首相も訪問することができた。
日本が中華思想に向き合ふ時に極めて適切な四字語がある。チャイナ側は宴席などで「中日友好」を持ち出すことが多い。日本側は、日中友好も大切だが「世界平和」のためにこそ乾杯しようと答へるべきである。便利な言葉としてお薦めしたい。

 

第3回 「尖閣480年史は「陳侃三喜」から始まった」
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13450

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昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

中国の尖閣領有権の妄説を撃つ ①―釣魚島史の代表的漢籍に照らしても尖閣は日本の領土である(石井 望・長崎純心大学准教授) *日本名は魚釣島

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第1回 「明石道友、大明の境界に入らず」
石井 望 長崎純心大学准教授

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◆無主地確認は江戸時代初期

尖閣列島よりはるかに西側の「東湧島」が領土の東限であると、明の皇帝に上奏した記録が、元和三年(西暦1617年)の漢文史料(「皇明實録」)の中から見つかった。
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――本年一月二十一日の讀賣新聞夕刊などでこの報道に接した人は、記憶の片隅にあるかも知れない。尖閣の西が東限だから、この時の尖閣は無主地であった。チャイナ側の「釣魚島を六百年前から支配してゐる」(昨年十一月外相演説)などの主張は明確に誤りである。
しかしこの報道よりもっと凄いものが有る。これより前の元和二年(1616年)に日本側で既に尖閣を無主地と確認した記録が、「湘西紀行*2」「東西洋考」「盟鴎堂集」*3といふ三種の漢籍の中に見える。これについては二月四日にキャノン・グローバル研究所にて研究報告したが、まだ世間にあまり流布しないので、いま略説しよう。
このとき日本の使者明石道友は、出航前に長崎代官(=長崎市長)から「大明の一草一粒をも犯すを許さず」(明の領土に立ち入るな)と命じられた上で、海を渡って東湧島に着岸した。そして明の偵察員に向かって「大明の境界に入らず」と述べた。明の領土を犯さないためには、東湧から東が無主地だと事前確認した上で渡航したのだと分かる。のちに明治政府は尖閣を無主地と確認した上で領土に編入したが、今度の史料で日本側の確認の年代を三百年近く繰り上げたことになる。古史料は法的に無効だとはいへ、明治の確認が決して一夜づけでなかったことを明示できた。
附言しておくと、チャイナ側が今でも使用する「釣魚嶼」・「釣魚島」・「釣魚臺」などは尖閣の古名であり、「尖閣」は日本が命名した現代名である。古名は決してチャイナ名でなく、命名者は不詳である。チャイナ側は一度も領有しなかったので、現代名無きまま現在に至る。

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◆香港人の精神不安定

報道後、「いつ頃からなぜ尖閣を研究し始めたのですか」との質問を受けることが多い。短期連載の始めに、まづそこを述べておきたい。
私は平成八年に、返還前の香港に住んでカントン語を習ってゐた。漢文の古い字音を研究するためである。その頃保釣(尖閣奪取)運動は香港だけが突出して烈しかった。それにはわけが有る。それまで香港の人々は自分が半イギリス人であることを鼻に掛けて暮らしてきた。しかし香港返還が近づくと、西洋に移民できない大部分の人々は、自分がチャイナ人になることについて心の平衡を保つ必要があった。
心の平衡の材料となったのが日本である。日本を「釣魚島泥棒」と呼ぶことにより、己れの自尊心を保ちたいとの渇望が、全香港を一色に染めつくした。連日沸騰する新聞テレビの威力で、私は街を歩くにも怖くなった。
その時香港の新聞テレビで繰り返し散布されたのが、漢籍中の片言隻句である。主なものをあげれば、

○明・陳侃「使琉球録」(釣魚嶼を記録する。チャイナの命名と主張。)
○明・鄭若曾「籌海圖編」(釣魚嶼を海防内に入れたと主張。)
○明・無名氏「順風相送」(釣魚嶼を記録する。1403年成立と主張。)
○清・汪楫「使琉球雜録」(釣魚嶼の東に「中外之界」を記録する。)
○清・官撰「重纂福建通志」(海防の卷に釣魚臺を記録する。)
〇清・西太后「慈諭」(釣魚臺を大臣に下賜すると述べる。)
などである。それを見て私の印象としては、「チャイナの領有だと明記されないから、法的には矢張り日本のものだが、文化的にはチャイナに近いのかな」と思った。ただ西太后の慈諭だけは法的に有効とも見えた。

◆原漢籍で正否を確認

香港での強烈な記憶により、以後私にとって尖閣史料は、日本人としての存在を自問する材料となった。そして報道の正否を確かめるため、尖閣の漢文史料を少しづつひもとき始めた。
ところが漢文の内容を知れば知るほど、文化的にも日本のものだとの確信が強まって行った。そこへ平成二十二年の秋に、あの漁船衝突事件である。領土のみならず日本の統治の根源がゆさぶられたことを多くの人は忘れない筈である。
しかしこの時、日本の尖閣報道や論壇の言説中には漢文史料が全く出現しなかった。これではいけないと私は思ひ、勉強の一端を論壇誌に投稿するとともに、本格的に研究を始めたのである。研究しながら常に抱いたのは、誰か親チャイナの評論家が、チャイナ側と同じく漢文史料を曲解して散布するのではないかとの危惧である。危惧は昨年、外務省元職員孫崎享氏らの言説散布によって的中してしまった。
彼らの所説は嘘ではないのか。次から代表的史料について逐一論破して見せよう。連載に御期待頂きたい。

 

第2回 「東沙山を過ぐれば是れ●山の尽くる処」 (※●…門に虫=びん)
http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/13446

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いしゐ のぞむ
昭和41年、東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合科学大学講師などを経て現職。担任講義は漢文学等。研究対象は元曲・崑曲の音楽。著書『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学)、論文「大印度小チャイナ説」(霞山会『中国研究論叢』11)、「尖閣釣魚列島雑説四首」(『純心人文研究』19)など。

[声明]習近平国家主席の国賓としての招聘を憂慮する声明( 令和2年2月7日)

外交

■習近平国家主席の国賓としての招聘を憂慮する声明


周知のように、日中両国の間には「4つのトゲ」と称される「尖閣諸島」「日本人拘束」「日本食品輸入規制」「香港・ウイグル」の外交問題があるが、中国は日本政府の要求を拒み続けており、改善の見通しは全く立っていない。

その中にあって、河野防衛大臣は1月、米国において、尖閣諸島周辺で中国公船が今なお活動していることに触れ、「中国が状況を改善する努力をしなければ、4月に予定している習近平国家主席の国賓としての日本訪問に支障を来す」と講演したと報じられている。

それに加えて、河野大臣は香港やウイグルなどの人権問題、南シナ海での軍備拡張を念頭に、「中国が自由や民主主義、法の秩序といった国際規範をないがしろにするなら、国際社会と連携して、中国に相応のコストを支払わせる状況をつくる必要がある」と語った。極めて正論である。

安倍政権は発足以来、地球儀を俯瞰する外交戦略を掲げ、「積極的平和主義」などの取組みは、各国の幅広い理解と支持を得てきたが、このまま習主席の国賓としての来日が実現すれば、日本外交に大きな禍根を残しかねない。

一般に、隣国と諸課題を協議し、関係改善に向けた首脳外交を行うことは重要である。毎年あまたの国家元首級の要人が来日している。しかし、国賓としての招聘は別であり、僅かに1~2か国に限られる。現在の中国の国内外での振る舞いを見れば、中国が国賓待遇の国としてふさわしいと言えないことは明らかである。

また、国賓としての来日の場合、天皇陛下とのご会見、宮中晩餐会など、天皇皇后両陛下はもとより、皇族方は心を込めたおもてなしにのぞまれることになる。ご会見の席で、習近平主席から天皇陛下に中国ご訪問の要請があることはほぼ間違いあるまい。

歴史を振り返れば、平成4年、宮澤内閣は中国の求めに応じ、上皇上皇后陛下の中国ご訪問を強行したことがあった。それは、無抵抗の市民・学生を人民解放軍の武力で鎮圧した、いわゆる「天安門事件」によって国際的に孤立していた最中のことである。当時の中国の銭其琛外相は、のちに「日本の天皇がこの時期に訪中したことは、西側の対中制裁を打破するうえで、積極的な作用を発揮した」と、天皇ご訪中を政治的に利用したことを誇らし気に認めている。その轍をふたたび繰り返してはならない。

昨年10月の内閣府の調査では、75.5%の日本国民が日中関係を「良好だと思わない」と実感しているように、中国に対する国論は非常に厳しい。

翻ってみれば、昨秋、即位礼正殿の儀にのぞまれた天皇陛下は、内外に「日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と宣明された。

もしも政府が、国論が分かれている中で習主席の国賓招聘に固執するならば、「日本国及び日本国民統合の象徴」としての天皇陛下の御品位を傷つけることになる。

更に現在、中国の武漢で発生した新型コロナウィルスは、世界的な猛威を振るい始め、中国本土での感染者は既に3万人を超え、死者も600人に達した。そして新型肺炎は終息どころか今後の拡大予想さえつかない。このような時期に中国の最高責任者を国賓として招くことは国民だけでなく国際社会の理解も得られない。

我らはここに習近平主席の国賓としての来日が我が国の国益を大きく損なうことを深く憂慮し、その前に政府があらゆる外交ルートを通じて、中国に対し両国間に横たわる重要課題の解決に尽力するよう働きかけることを強く求める。

 令和2年2月7日  日本会議

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