設立20周年 | 国会議員より |
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各界より |
誇りある国づくりを目指して平成9年より活動してきた日本会議・日本会議国会議員懇談会の設立20周年記念大会が、平成29年11月27日、東京プリンスホテルで開催され、全国各地より2000名が結集した。司会は、鬼木誠衆議院議員(国会議員懇談会事務局次長)、半井小絵気象予報士(写真)。
この20年の足跡を振り返り、国家の諸課題に引き続き取り組むと共に、先の衆院選の結果を受け新たなステージに立った憲法改正運動の前進を誓い合う大会となった。
大会は、冒頭、20年の足跡を綴ったビデオが上映されたあと、開会式が行われ、国歌斉唱に続いて、塚本幸一初代会長、稲葉興作第二代会長はじめご指導いただき活動を共にしてきた関係物故者への黙祷が行われ、開会の辞が田中恆清・日本会議副会長(神社本庁総長)より行われた。
主催者挨拶は、日本会議からは田久保忠衛会長が挨拶。また日本会議国会議員懇談会からは、13年間にわたり第三代会長としてご尽力いただいた平沼赳夫氏よりのメッセージの後、平沼氏の推薦で第四代会長に就任した古屋圭司新会長(衆議院議員)が新任の挨拶を併せ、力強く主催者挨拶を行った。
続く特別来賓挨拶では、安倍晋三自由民主党総裁が祝辞メッセージを寄せ、憲法改正について「歴史的な使命を果たす」と明言、会場からは大きな拍手が沸き起こった。出席の国会議員の紹介(第二部祝賀会と合せ本人ご出席57名)に続いて、各党よりの祝辞が、下村博文衆議院議員(自由民主党憲法改正推進本部顧問)、松沢成文参議院議員(希望の党参議院議員団代表)、馬場伸幸衆議院議員(日本維新の会幹事長)から寄せられた。
続いて、各界よりの提言として、美しい日本の憲法をつくる国民の会共同代表の櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)、飯塚繁雄氏(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表)、古森義久氏(麗澤大学特別教授)、竹田恒泰氏(作家)より行われた。
そして、大会に参加している憲法改正の国民投票に向けて草の根国民運動を推進する支部代表(252支部のうち156支部より参加)、憲法おしゃべりカフェを1000回以上開催してきた日本女性の会、これら民間と連携する日本会議地方議員連盟がそれぞれ紹介。これを受け活動の現場から、都道府県本部を代表して加戸守行日本会議愛媛県本部相談役(前愛媛県知事)、地方議員を代表して松田良昭地方議連会長(神奈川県議会議員)、青年を代表して別府正智氏(NIPPON憲法PROJECT運営委員)より発表が行われた。
大会宣言文が網谷道弘日本会議理事長より発表され、採択された。最後に山谷えり子参議院議員(国会議員懇談会政策審議会長)の先導で参加者全員による勝鬨が上げられ、記念大会は盛会裡に終了した。
第二部祝賀会では、衛藤晟一参議院議員(国会議員懇談会幹事長)よりの挨拶、澁木正幸日本会議経済人同志会会長への感謝状授与ののち、三好達日本会議名誉会長の発声で乾杯が行われ、参加者の懇親が深められた。
なお当日の模様は、テレビ、新聞など多くのメディアが報道した。以下、登壇者の発表の内容を掲載する(文責・編集部)。
開会の辞 | 田中恆清 | 日本会議副会長 神社本庁総長 |
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主催者挨拶 | 田久保忠衛 | 日本会議会長 杏林大学名誉教授 |
平沼赳夫 | 日本会議国会議員懇談会第三代会長 元衆議院議員 |
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古屋圭司 | 日本会議国会議員懇談会会長 衆議院議員 |
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特別来賓ご祝辞 | 安倍晋三 | 自由民主党総裁 |
各党からのご祝辞 | 下村博文 | 自由民主党憲法改正推進本部顧問 衆議院議員 |
松沢成文 | 希望の党参議院議員団代表 参議院議員 |
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馬場伸幸 | 日本維新の会幹事長 参議院議員 |
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各界よりのご提言 | 櫻井よしこ | ジャーナリスト |
飯塚繁雄 | 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 | |
古森義久 | 麗澤大学特別教授 | |
竹田恒泰 | 作家 | |
憲法改正運動の前進めざして | 加戸守行 | 日本会議愛媛県本部相談役 前愛媛県知事 |
松田良昭 | 日本会議地方議員連盟会長 神奈川県議会議員 |
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別府正智 | NIPPON憲法PROJECT運営委員 | |
日本会議設立二十周年 記念大会宣言文 |
網谷道弘 | 日本会議理事長 明治神宮崇敬会理事長 |
第二部 「祝賀会」グラビア |
本日、日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年記念大会を、ここ東京プリンスホテルで開催致しました処、全国各地より、かくも多数の方々に御参会戴きましたこと、主催者を代表致しまして、御礼申上げます。
さて、日本会議が結成されてより、その基本運動方針に掲げ、総力を挙げて取り組んで参りました活動に、我が国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定推進運動がございます。平成24年に第二次安倍内閣が発足して以来、憲法改正にかかる気運は盛り上がりを見せており、平成26年10月には、本会及び憲法改正運動に取り組む関係者・諸団体が参画し、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立されました。現在、憲法改正案の速やかな国会発議を求めると共に、国民投票を見据えた世論喚起に努めるべく、一千万賛同者拡大運動を展開していることは、皆様既に御高承のことと存じます。
平成28年に実施されました参議院議員選挙によって、戦後初めて衆議院・参議院共にいわゆる改憲勢力が3分の2を占め、国会では何時でも憲法改正原案を発議できる状況となりました。そのような状況下において、先月(平成29年10月25日)実施されました衆議院議員総選挙は、まさに改憲勢力が引き続き議席を確保できるかどうか、ひいては憲法改正が成し遂げられるか否かの重要な局面を迎えた中で実施された選挙でした。結果は御承知の通り、憲法改正に前向きな国会議員の議席数は引き続き3分の2を維持することとなり、国会発議、国民投票へ向け、更に力強く一歩を踏み出すこととなりました。
本日のこの20周年の節目の大会は、憲法改正へ向けた、新たなステージへと向かう出発点でもあり、本記念大会を機に、国会議員懇談会の先生方ともより強力に連携を取りつつ、尚一層の運動の推進を展開すべく、心を新たに取り組んで参りたく存じます。
それでは、只今より日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年記念大会を開催致します。
日本会議20周年の会を開きましたところ、2000人の皆様にご参集いただきました。これはただの数字ではないと私は思っております。全国津々浦々からこれだけのメンバーを呼べる会というのはそう多くないと私は思います。まず最初に申し上げたいのは、皆様方に対する御礼でございます。お忙しいところをお集まりいただいた御礼と同時にもうひとつございます。憲法改正の署名運動その他、今、ビデオでありましたように本会は諸々の政治運動を展開して参りましたが、日夜献身的にこの運動に身を捧げておられる会員の方々に心から深く御礼を申し上げたいと思います。
この前の総選挙で、安倍首相は「国難」ということをおっしゃった。註1国難とは国内的には少子高齢化であり、国外的には朝鮮半島情勢であると。少子高齢化はずっと続く、我々が解決しなければならない大問題だと思います。朝鮮半島の問題は早晩決着がつくであろう。その後に何が出てくるかといえば、統一国家が出現するであろう。その統一国家には二つ条件があります。ひとつは自然に核武装をしているだろう。もうひとつは、日本に必ずしも好意的な国家ではないであろうということです。そして、その背後に中国がいる。こういう構図を見ると、やはり安倍さんは国難という言葉を吐露せざるを得なかったのではないかと思います。我々はこれにどう対処するか。これは少子高齢化以上に忍耐強い、大きな決断が必要だと思います。
いずれにしても明治維新に匹敵するような大きな国難が押し寄せたという認識を内閣総理大臣がお持ちである。このときにあたって、憲法改正は我が国が生き残るためにはどうしても通らなければならない道ではないか。しかも日本会議が20周年を迎えた年に、改憲勢力が衆参で3分の2を占めているということは天が下した示唆だと思います。今を外して憲法改正の時期はいつあるか。そう考えますと、本日の大会は大変意義のあることだと思います。
最後に、私も相当、年を取ってまいりましたけども、余生の全力を憲法改正に注ぐということをお誓いして、冒頭のご挨拶としたいと思います。
(註1)安倍首相は、平成29年9月25日、衆院解散を表明した会見で、《少子高齢化、緊迫する北朝鮮情勢。まさに国難とも呼ぶべき事態に、強いリーダーシップを発揮する。自らが先頭に立って、国難に立ち向かっていく。これがトップである私の責任であり、総理大臣としての私の使命であります。…この解散は「国難突破解散」であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様とともに突破していく決意であります。》と述べた。
設立20周年を迎えるにあたり、今日の国民運動の礎を築いて下さった諸先輩方、粘り強く地道な活動に取り組んでいただいている同志各位の長年の御尽力にあらためて深甚なる感謝と敬意を申し上げます。
私が国会議員懇談会の会長に就任した平成16年は、人権擁護法案、そして女系天皇を導入しようという動きがあり、私共はこの阻止に全力を投入し、皇室の伝統を守る武道館大会には、全国より皇室を思う一万人が結集し、私も胸をあつくしました。その後も国家の根幹を揺るがす、夫婦別姓法案、外国人地方参政権法案などを阻止してきました。
その一方、誇りある日本を生み出す運動としては、愛国心や宗教的情操教育が盛り込まれた教育基本法の改正、天皇陛下の御即位20年奉祝などを、展開してきました。そして今、憲法改正の実現へ、あと一歩というところに立っております。
憲法改正こそが我が国の安全を守り、未来を確かなものにする第一歩であることを、どれだけ真剣に国民有権者に真正面から訴えるかに、来る国民投票の成否が掛かっています。負けることは断じて許されない戦いです。今後、日本会議・日本会議国会議員懇談会の果たすべき責任は大変重いものがあります。
憲法改正を目前に、政界を去ることは、本当に無念の極みです。長年にわたり皆様には、本当にお世話になりました。心から感謝と御礼を申し上げます。約13年にわたり勤めさせていただいた超党派の日本会議国会議員懇談会会長には、盟友・古屋圭司先生にご就任いただくことになりました。今後は古屋新会長を中心に、内外の諸問題に対し、一致団結して大きな成果をあげられますことを確信しております。
皆様方には、誇りある祖国日本再建の為に、更なるお力添えを賜りますことを衷心よりお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。日本のこと何卒よろしくお願い申し上げます。
ただいまご紹介を頂きました、新しく日本会議国会議員懇談会の会長に就任させて頂きます、衆議院議員の古屋圭司でございます。過日、平沼先生の岡山の自宅にお伺いいたしました。お元気でした。一所懸命リハビリをされています。先ほど平沼先生のお言葉をお聞きし、憲法改正を直前にして政界を去らなくてはいけない、その思い、痛いほどよく分かりました。お会いした時、「古屋君、今度は君がこの大きな課題を背負うんだぞ、頼むぞ」―こう言われまして、私は身震いする思いがしました。そんな気持ちでございます。
今日はこの会場に初代会長の島村宜伸先生にお越し頂いております。二代会長は麻生太郎先生です。そして三代会長が平沼先生。不肖古屋圭司、甚だ力不足ではありますが、結果を出す、成果を出す、実現することが私たち国会議員に課せられた使命ですので、しっかり同志の皆さんと連携して必ず成果を出していく所存です。よろしくお願い申し上げます。
私が、日本会議国会議員懇談会で取り組んできたことで、まず、想い起こすのが人権擁護法案阻止の活動です。平成10年頃に、国連の規約人権委員会から「日本は人権に対する姿勢が不十分だから、人権擁護法案をつくれ」という謂われなき指摘を受けました。私たちは「真の人権擁護を考える懇談会」(平沼会長)という組織をつくって1年以上、与党の中で、あるいは自民党の中で戦いました。やはり、戦う政治家でなくてはいけない。そして最終的にこの人権擁護法案を議論のテーブルから押し出すことができました。
その他に思い出すのはやはり教育基本法の改正です。この改正の前に、下村博文先生をはじめ同志の皆さんとイギリスに1週間程参りまして、イギリスにおけるサッチャーの教育改革について調査を行いました。サッチャー首相登場前のイギリスの教育界は、日本の日教組のような極左勢力が跋扈しており、ガタガタでした。サッチャー首相は、教育改革法をつくって、教育改革を断行しました。ヒアリングを通して、なるほどと思う部分がたくさんありました。そこで我々は『サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道』という本を共同執筆して、世に問いました。このことも効を奏したと思いますが、様々な困難を克服して教育教本法の改正を実現できました。
私が初当選したのは28年前です。当時、私はパンフレットに「日本人自らの手で憲法を創る」と書きました。その時に平沼先生にご相談しました。すると「君は良いことを言う。私が当選した時のパンフレットを見てごらん。自主憲法制定と書いてある」と。当時、支援者からは、そんなことよりも社会資本の整備をするとか、そういうことをしっかり書かなきゃだめじゃないかと相当厳しい指摘を受けましたけれども、私は平沼先生同様、憲法改正のテーマを外すことはありませんでした。当時は、右翼と言われたものです。しかし、自分の主義を変えることはありませんでした。
私は中学生の時にアメリカにホームステイしました。その時にびっくりしたことがありました。学校に行ったら星条旗が掲げられています。友達の家に遊びに行ったらリビングには星条旗が置いてあります。そして、朝には左胸に手を当てて忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)をします。最初は違和感を感じましたが、だんだんと「自分の国に対して誇りをもって忠誠心を尽くす、当たり前のことだな」と思うようになりました。私の保守の立脚の原点はここにあったかもしれません。
私は、国会議員になってから、閣僚の時も靖國神社への参拝を春、秋、8月15日と欠かしたことはありません。それは当然のことです。国のために命を捧げた人に対して哀悼の意を示すのはもっぱら国内問題であり、よその国から干渉されることではないと私はそう思い続けています。今年(平成29年)の5月3日の憲法フォーラムで、安倍自由民主党総裁が自衛隊明記を主張されました。唐突に出てきたという批判がありました。しかし、日本会議国会議員懇談会では、一昨年の秋から学識経験者を招いて相当議論を重ねてきました。ですから唐突という批判は全く当たりません。
自民党は憲法改正推進本部を設置し、その他の各政党も色々な議論をしております。今日も役員会がありました。私は衆議院議院運営委員長という役を務めておりまして、これは国会運営の責任者でもあります。もちろん憲法審査会もその対象です。総理がいつもおっしゃっています、「憲法審査会において、建設的な議論がされていくことを切に望む」と。そのとおりであります。私たちは、公正な運営の中で憲法審査会で良い議論がなされていくことを期待しています。
一部のメディアはいろいろ批判をするかもしれません。それに打ち勝っていくのは世論の力です。今日全国から集まった皆さんが中核となって、憲法改正への正しい理解を促すための国民運動をぜひ盛り上げて頂いて、憲法改正に向けて国会議員の背中を力強く押して頂きたいと思います。
全国からお集まりの皆さんの熱気は、新会長古屋圭司としても力強い限りでございます。感謝申し上げつつ、共に憲法改正に向けた確実な一歩を進めていこうではありませんか。
このたび、日本会議・日本会議国会議員懇談会が設立20周年を迎えられましたことを、心よりお慶び申し上げます。
「誇りある国づくり」を目指し、美しい日本を守り伝えるため、草の根の国民運動を展開してこられた皆様の御尽力に、深甚なる敬意を表します。
先人たちが積み上げてきたものの重みを感じながら、大切なものを守るためにこそ変革していく。皆様の活動の大きな成果である教育基本法の改正は、心ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本を創る上での礎となりました。
東日本大震災における皆様方の献身的な活動は、今も忘れることはできません。日本人の誇り、家族や地域の絆が復興の原動力であることに思いを致し、当時野党であった私も含め、多くの人々が勇気づけられました。東北の復興なくして、日本の再生なし。あの困難の日々を胸に刻み、東北の未来を切り拓いていきます。
今年は、憲法施行70年の節目の年であります。憲法は、国の未来、理想の姿を語るものであり、国民的な議論が大いに深まることを期待しております。自由民主党は、国民に責任を持つ政党として、憲法審査会における「具体的な議論」をリードし、その歴史的使命を果たしてまいります。
緊迫する北朝鮮情勢、急速に進む少子高齢化。この「国難」とも呼ぶべき困難を、皆様と共に乗り越えていく。そして、皆様と共に、日本を、世界の中心で輝く国としていく決意です。
最後に、本大会の御盛会と、皆様の一層の御発展を祈念して、私からの祝辞といたします。
日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年まことにおめでとうございます。自民党を代表して、一言お祝いと決意を述べさせていただきたいと思います。
皆さん方が推進されてきたこの20年間の日本会議の活動は、独立国家としてのあるべき姿と美しい日本の国柄を守るための歴史であったと思います。
パンフレットにありますように、20項目を超える活動を展開してこられたわけですが、そのなかでも、先ほど、古屋会長からもお話がありましたが、私も新しい教育基本法を成立させることができたことについて、いささかでも寄与できたのではないかと自負しているところです。
そしてこの20年を節目として、いよいよ憲法改正が目前に来ております。今日の昼には、自民党で憲法改正推進本部執行役員会がありました。私は教育について憲法26条註2の改正を提案させて頂きました。これからの未来の日本を見据えた時に教育の果たす役割は大きいと考えます。経済的なハンディキャップを克服し、全ての国民にチャンス、可能性を提供するために、教育無償化に向け、憲法26条改正をしていきたい。
自民党ではこの教育無償化を合わせて憲法改正の4項目を優先的に検討しています。憲法9条と自衛隊明記の問題、緊急事態条項、そして、合区解消です。このうち、緊急事態条項は、東日本大震災以来、まさに日本会議、日本会議国会議員懇談会が大きなテーマとして掲げ、研究してきたところです。1990年以降、100余か国で憲法が制定されていますが、その全てに緊急事態条項が入っています。大きな災害が起きた時に国がしっかりと対処できるように緊急事態条項を新設したい。そして、参議院における合区解消についてですが、衆議院は人口動態によって選挙区割りができていますが、参議院においては47都道府県それぞれの代表を置くことによって地域の声が反映できるようにしなければなりません。そのためには、憲法改正が必要です。この4項目についてできるだけ早く党内でまとめようというのが、憲法改正推進本部の役割です。
そして先ほど古屋会長が発言されたように、自民党の中には47都道府県ごとに憲法改正推進本部ができておりますが、まだまだ十分な議論ができているとは言い難い。4項目について、さらには、平成24年につくった自民党憲法草案について、ぜひ、議論を活発にしたい。都道府県ごとに日本会議の皆様方とも議論をしながら、4項目を中心とした我が党としての憲法改正発議ができるように、憲法審査会で提案できるようにしっかりと頑張りたい。一緒に頑張りましょう。
(註2)日本国憲法第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
本日は日本会議の設立20周年まことにおめでとうございます。私たち希望の党は先の総選挙を機に生まれた新しい政党です。希望の党の結党の理念のひとつは、憲法を前向きに議論するということです。当時の小池代表は排除しすぎた部分もあったんですが、やはり政党には理念、政策が必要です。日本国憲法は様々な問題を抱えています。しっかりと前向きに議論をして改正すべきは改正する。そういう理念のもとに集まった政党であるということをまず皆さんにご理解頂きたいと思います。ただ、新しい政党なので、党の憲法調査会(細野豪志会長)がスタートしたのが先週で、どういう項目を改正していくのかということはこれからの議論なんです。したがって今日は私個人の考え方が強く出ることになります。
日本国憲法の最大の欠陥は、憲法になくてはならない国家危機管理と安全保障についての項目がないということです。あるいはあっても極めて歪(いびつ)だということです。ここをしっかり直していかないと憲法はまともなものになっていきません。例えば9条について、安倍総理や自民党が自衛隊を明記したい、ということは、ひとつの方向性として良いとは思いますが、むしろ9条には自衛権が明記されていないことが問題なんです。ですから、まず1項で侵略戦争はしないというのは日本の国の国是だと思いますが、2項があることによって様々な誤解を生んでしまっている。交戦権と自衛権がまずぶつかってしまう。ですから2項は外して、代わりに日本は独立国家であるから自衛権を持っている、その自衛権を担保するために自衛隊を置くとすればいい。そして自衛隊は内閣総理大臣の下、文民統治におかれるとすればいい。そういう議論をこれから憲法審査会の中でもしっかりと提案していきたいと思います。
我が党の細野憲法調査会会長は、中央集権の国家から地方分権の国家に変えていくために地方自治について憲法を書き直していかなければいけない、と問題意識があるようです。我々希望の党も来年(平成30年)の通常国会には、具体的にはどの条項から改正していくか、積極的に議論に加わっていきたい、そのことをお約束させて頂きたいと思います。
私は、参議院議員になる前は、神奈川県知事を務めておりました。その時のひとつの成果ですが、神奈川県は全国で初めて高校の日本史を必修にしました。高校は日本史と地理が選択科目ですので、生徒の半分は日本史を採らない。そこで、教育委員会や教育の現場と徹底して議論し、必修化を実現しました。これをぜひとも全国で実現したいと思い、文教科学委員会で下村文科大臣に何度も訴えました。そして、ようやく高校の日本史が必修化され、それに加えて近現代史について新しい教科を創設する方向へ動き出しました。
ただ近現代史を教えることは良いのですが、それが自虐史観に基づいた歪(いびつ)な教育内容になってしまったら、逆にますます日本がおかしくなってしまいます。子供たちが誇りを持てるような、そういう歴史教育を展開して頂きたいと心から願っています。
いよいよ来年(平成30年)が勝負の年です。しっかりと議論をして、日本国の将来を見据えた憲法改正に進みますように、希望の党としても最大限の努力を致しますので、どうか皆様のご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。
今日は日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年記念大会に、全国からこれだけたくさんの方々にお集り頂きましたことに、まず心から厚く御礼を申し上げたいと思います。皆様方の日本をよくする強い思いによる献身的なご活動に感謝申し上げます。
いま、メディア等でも盛んに取り上げられているひとつの問題があります。アメリカのサンフランシスコ市のリー市長が、反日の民間団体から慰安婦像と、史実を捻じ曲げ誤解があるような碑文の寄贈を受けました。これに対して、私たちの仲間である吉村洋文大阪市長が再三再四にわたってリー市長に対談の申し入れをしましたが、リー市長は市議会の決議をそのまま受け付けるという姿勢を崩しませんでした。そこで、吉村大阪市長としては、最大の抗議として、姉妹都市の提携を解消する決断を致しました。
今回はたまたまサンフランシスコにスポットが当たりましたが、アメリカの各地でこうした運動が行われ、さらに今、世界に広がろうとしています。これを日本が指をくわえて黙って見過ごす、こういうことが起これば私たちは祖先や先人に顔を向けられません。
しかも、この問題で最も危惧しなければならないのは、この日本の国に住む同じ日本国民がサンフランシスコ市長に対して応援の手紙を送っていることです。日本会議の皆様方には、これらの反日の活動を上回る活動を更に活発化して頂き、この動きをストップさせることにぜひご協力を頂きたいと思います。
日本国憲法の改正が必要なことは言うまでもありません。人間に例えますと、72歳の老齢になっているのにまだ4歳、5歳の時の服を着続けようとしている、これが現行の日本国憲法の姿であります。私たちは結党以来、憲法改正を大きな柱のひとつとして活動して参りました。既に先の衆議院選挙、その前の参議院選挙で3つの改正項目を挙げ、国民の皆様方と共に議論を積み重ねてきたところであります。すなわち、真の地方創生をするための統治機構の改革、教育無償化の推進、そして憲法裁判所の設置、これからの時代に真に必要な、そして国民の理解を得られるような改正項目を掲げております。
いよいよ衆参両院での憲法審査会での議論が始まる兆しが見えています。我々日本維新の会は小さな政党ではありますが、この憲法改正の議論をリードしていきたいと思います。
来年(平成30年)は明治維新から150年の年にあたります。150年前、ちょんまげを切って、腰から刀を抜いて、近代国家日本を創るために文字通り命を賭けて戦って頂いたその先人たちの想いに応える、それが今の我々に与えられた使命です。100年後、150年後の日本が素晴らしい国であり続けるために我々も頑張って参ります。更なる皆様方のご協力をお願い申し上げ、ご挨拶に代えさせて頂きます。
本日は日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年、本当におめでとうございます。
日本会議の皆様方、そして、日本会議に所属する国会議員の皆様方が、これまでに多くの素晴らしい変化をこの国にもたらしてくださったことに、心からの敬意を表します。
同時に今、私たちが日本会議の皆様方と共に最も力を入れなければならないのは、憲法改正を進めることです。
安倍総理は今年(平成29年)5月3日、東京オリンピックの年までに改正憲法を施行していたいとおっしゃいました。その内容は、9条1項2項はそのままに自衛隊を書き加えるというものでした。その内容が整合性があるものかどうか、さまざまな議論が起きました。しかし、それまで停滞していた憲法改正の議論がはずみをつけて進むようになりました。これだけでも大きな変化だと思います。
そしていま各政党の代表の方々が、それぞれの立場で憲法改正のお考えについて話されました。とてもうれしく思います。けれども申し上げたいことがあります。憲法改正の議論も審議も、もっともっと熱意を込めてスピードを上げて行わなければ間に合わないのではないでしょうか。
田久保先生がおっしゃいましたように、国際社会は本当に大きく変わっています。100年に一度、200年に一度の変化だと私は思います。
来年は明治維新から150年です。あのとき我が国は存亡の淵に立たされました。鎖国の果てに私たちの国はまだ産業革命も知らず、経済力もありませんでした。その代わり平和な時代が続きましたが、軍事力もありませんでした。国を閉ざしていたので、情報力もありませんでした。経済力がなく軍事力がなく情報力もない国が、列強諸国の餌食になるのは当り前の話です。
しかし先人たちは列強諸国の圧力の前に、我が国を日本民族の国として、土台をいささかも崩すことなく守り抜きました。なぜそれが可能だったのか。先人たちは現実を見る非常に冷静な賢い眼(め)を持っていました。国というものが経済力軍事力なしでは守りえないということをいち早く見てとりました。
打ち出した政策が富国強兵です。国民には五箇条の御誓文を発布して、「あなた方は一人ひとり日本国の宝なのです。問題山積の今、皆さん方の知恵と力を結集して、この国を一緒に守り抜かなければならないのです」―このように呼びかけました。
政府はしっかりと国際社会の現実を見て富国強兵を打ち出し、国民に自覚を促し、奇跡的に我が国はあの危機を乗り越えることができました。
今、私たちには経済力があります。軍事力もあります。情報力もあります。しかし失ったものがあるのではありませんか。それは現実を見る眼(め)です。厳しい国際社会の情勢をきちんと見る眼、見極める心、それに対処する決意、そうしたものが足りないと思います。
国際社会の情勢は激しく変わっていて、私たちが憲法改正を実現するまで待ってはくれないと思います。北朝鮮情勢の向こうには中国の膨張主義があります。こちら側にはアメリカの変化があります。アメリカと中国、この二つの大国が今までにないような変化を見せる時、どのようにして国を守るのか。私たち日本国民が祖国日本を守るしかありません。その守る態勢をつくるための憲法改正を本当に急ぎたいと思います。
日本会議の皆様方、そして国会議員の皆様方、今までの努力に倍して国民に語りかけ、憲法改正の気運を全国津々浦々に広げていくことが大事だと思います。よろしくお願いいたします。
日本会議、そして日本会議国会議員懇談会の皆様、設立20周年おめでとうございます。実は20年前というのは、我々拉致被害者の家族が「家族会」を立ち上げて運動を始めた時なんです。その当時から日本会議の皆様には、全国津々浦々で署名活動など我々の運動を支えて頂きました。それは今も全く変わっていないということに私共は自信を持ち、皆様に感謝したいと思います。
先の国連の総会で、アメリカのトランプ大統領が演説しました註3。今まで人権理事会で北朝鮮非難決議を毎回のように採択してきましたけれども、あれは単なる数字がだんだん増えましたよというデータしかなくて、なかなか具体的な動きが見えませんでした。それが今回、国連総会で、トランプ大統領が大きな声で、北朝鮮問題の中に日本人の拉致問題があるということをはっきりと言及したのです。初めてのことでございます。世界各国の代表もトランプ大統領の意見に賛同しました。あれから、世界各国のメディアが我々の所に押しかけてきて、取材をさせて下さいと相当の数の依頼があって、それにも対応してまいりました。
トランプ大統領は、その演説とその後の行動から推察するに、北朝鮮による日本人拉致問題はたまたま日本人が拉致されたことであるけれども、これは世界に共通する人権侵害の最たるものだという理解であられたのだと思います。
それで、具体的にその実態、あるいは帰国を待ちわびる家族の思いを心に留めようということで、あの演説の後、11月に来日したトランプ大統領は、私たち家族と会ってくださいました。安倍総理や日本政府の計らいでもあったと思います。私たちはトランプ大統領に、「今回のトランプ大統領閣下の行動について我々家族、あるいは一般の日本国民も歓迎しているはずです。ぜひとも日本の政府と緊密な連携を取りながらこの問題を解決してほしい」とお願いいたしました。トランプ大統領は、「安倍総理と連携を取りながらこの問題を解決するべく努力します」とはっきりと答えられました。私たちはこれを聞いて、ぜひ、拉致被害者の帰国に結びついてほしいと心から期待し、願いました。この応答を踏まえて安倍総理から、この問題を必ず解決すべく頑張るというお気持ちをいただきました。
これまで我々は期待ばかりで、そのたびに崩されてきましたけれども、今回は大きな何かが動いた気がいたします。これをテコに帰国者の実現に繋がることを期待しております。日本会議の皆様方におかれましても、当然ながら日本人として拉致被害者を取り返さなくてはいけないという強いお志があると思います。今後とも何かにつけてこの問題を注視して頂き、皆さんと一緒に、日本を美しい国、プラス強い国にしていこうじゃありませんか。これは誰かがやるというのではなく、一人ひとりがその立場、役割において何ができるか考えながら進めていく、それが今後展開されていくべき姿ではないかと素人ながら考えております。今日はこんなにたくさんの皆さんが私の話を聞いて頂き、ありがとうございました。トランプ大統領もよろしく言っておられました。
(註3)平成29年9月19日、トランプ米大統領は、国連総会演説で、「(北朝鮮は)13歳の日本人少女を拉致し、北朝鮮工作員の語学家庭教師を強制的にやらせた」と述べた。
日本会議設立20周年にお祝いを申し上げます。私は国際報道の記者としてアメリカの首都ワシントンや中国の北京など世界各地に通算30数年、駐在してきました。このため日本会議のご活動をあまり存じ上げないままに、長年を過ごしました。しかし近年その一定部分を遠くからにせよ、知るようになり、日本会議の目指すところは世界の現実の中で、ごく健全な自然の水の流れだと感じるようになりました。
自分たちの伝統や文化、名誉、安全、そして生命を守ることは全世界のどの国でも自明の真実だといえます。国民や国家が存続するために欠かせない土台だといえます。戦後の日本は、その基礎の要件を満たさない不均衡な欠陥国家だったと指摘できます。だから日本会議の活動は国際的にみれば、保守とか右派というイデオロギー的な特徴づけにも当てはまらない、日本みずからの自己保存の努力だとさえいえます。
私は日本国憲法草案を10日ほどで書きあげたアメリカ占領軍グループの実務責任者チャールズ・ケーディス氏にもう30年以上前ですが、記者として直接、長時間、話を聞く機会を得ました。彼は、この憲法の最大の目的は、日本を永遠に非武装のまま、半国家として抑えておくことだったと、淡々と語りました。自国の防衛という国家主権を制約することが目的だったというのです。
そのアメリカがいまや超党派で日本の憲法、とくに第9条の改正を期待するようになったことは歴史の皮肉です。共和党のトランプ大統領は憲法9条に起因する日米同盟の片務性をあげて、不公平だと非難しました。民主党のリベラル派議員は日本が尖閣諸島をアメリカに守ってほしいならば、まず憲法を改正して、相互防衛を可能にせよ、と迫っています。大手紙のウォールストリート・ジャーナルは、憲法9条こそが日本自身の防衛にとって危険だとする社説を掲げました。9条は日本のアメリカとの共同防衛を阻んでいる、というのです。
もちろん日本の憲法改正の是非は日本自身が決めることです。しかし日本の憲法草案を作り、その結果としての日本の自衛能力の自縄自縛という欠陥を日米同盟で補ってきたアメリカから、いま、憲法9条はその同盟をも危うくするという叫びが出てきた事実は重大です。
さて日本を世界の他の国と同じ、正常で普通な国にしようとする日本会議を、なにか危険で邪悪な存在であるかのように描こうとする動きがそのアメリカやヨーロッパのメディアの一部でときおり起きることがあります。
つい昨年の夏にも、日本会議について「カルト集団が日本を秘密裡に支配する」というタイトルの論文や、「日本のファシズムへの回帰」と題する論文がアメリカ人の記者や学者によって書かれ、一部アメリカメディアに載りました。日本会議は安倍晋三首相らを意のままに操り、軍国主義、帝国主義を復活させようとしている、という趣旨でした。日本会議を民主主義否定の人権弾圧の政治を求める陰謀の組織だと断じる論調でした。
ところがこの二つの日本会議悪魔化とも呼べる論文に対して、すぐに別のアメリカ人の記者や学者から激しい否定の反論が発表されました。この事実は日本会議の今後の発展にとっても重要だと思います。
日本会議はあくまで民主主義の活動組織だと強調したアメリカ人識者は、一人はワシントン・ポストの元東京支局長、もう一人は元海兵隊大佐の学者でした。彼らが発表した論文は先の日本会議悪者論に対して「まったく根拠のない人種偏見までがにじむ陰謀論だ」と断じていました。日本会議の公式の会員数4万は芸能グループのSMAPの支援者の30分の1に過ぎない、とも皮肉っていました。
こうしたアメリカ側の良識派は、日本がいま憲法の改正を求めるのは、中国や北朝鮮の軍事動向による危機と脅威の増大のなかでは当然だとも論じていました。さらに日本会議を非民主的な秘密組織だと断じることは、世界的に悪名高いユダヤ陰謀説の偽造文書「ユダヤ議定書」にも等しい悪質なプロパガンダだとまで非難したのです。
こうした客観的な論調が欧米の識者の間でも出てきたことは、私たちは銘記しておくべきだと痛感します。その後、米欧のメディアなどで日本会議を悪く伝える評論類は出てこなくなりました。日本会議の今後の活動にとっても国際情勢は良い方向に熟してきていると思います。
このたびは日本会議・日本会議国会議員懇談会、設立20周年をお迎えになりましたこと心からおよろこび申し上げます。思い起こすのは、10年前、10周年記念の頃のことです。小泉内閣において皇室典範の改定が画策され、もしかしたら男系継承が途切れるかもしれない、そういった皇室の危機に際して、日本会議の皆様方の力強い国民運動のおかげをもちまして、なんとか女性天皇、女系天皇の道を封じたうえで迎えた10周年記念の会だったということをよく覚えております。
ところが、その後この10年の間に、皇室を滅ぼそうと企む人たちが機会をうかがっている様子があります。つい最近も女性皇族がご結婚で民間に下るのを、下らないで残って頂きたいという、いわゆる女性宮家という話が野党からしきりに主張されるようになって、天皇陛下の譲位の道筋を作る議論にそういう主張を持ち込もうとする人達がいました。この流れを考えますと、これから10年間は、皇統を守るためのまた新たな戦いが始まるのではないかという気がしております。この危機は日本会議の皆様方のお力がなければ決して乗り越えることはできません。
先だって、椛島事務総長に私があることを申し上げましたら、それは大変重要なことですから、もし良かったら20周年大会でその話をしてほしいということでしたので、その件をひとつ皆様にお伝えしたく思います。
天皇陛下の譲位の道筋が定まり、間もなく日程が決まろうとしているところですが、大方再来年(平成31年)の春頃の譲位ということのようでございます註4。その後、ご即位―天皇の代(だい)替わりに関する様々な式典、儀式が行われることになりますが、是非皆様、このことに注目して頂きたいと思います。左派は、さも味方のようなふりをして近づいてきて、この式典や儀式をどんどん簡略化し、皇室の特別な行事をなくそうという力を働かせています。
現在の天皇陛下がご即位あそばした時には、昭和天皇がお隠れになったことと相まっていましたので、大喪の礼、即位の礼、そして大嘗祭と、戦後の日本国憲法下で初めて天皇の代替わりの行事が行われたわけです。先輩方が、厳しい状況の中でなんとか予算を取り付け、しっかりとしたものをしなくてはいけないと努力してくださったことと思います。特に大嘗祭は宗教儀式ということで、どのような名目で国家から予算を引いてくるかということは、大変議論の対象になったわけです。宗教的な儀式だけれども、宗教的な意味はありませんという説明をしながら、多少形を曲げてでも予算を引いてこなくてはいけないという厳しい事情がありました。
ですから今回の代替わりにあたっては、一歩でも二歩でも三歩でも復古しなくてはいけないわけです。百歩譲っても維持はしなくてはいけない。もしここで一歩でも引いたら大変なことが起きます。皇室の行事を簡略化するのが美徳というようなことになって、どんどん崩れ去っていくことでしょう。
例えば、徳島県の木屋平(こやだいら) 註5という所で古代から代々、天皇の代替わり行事の大嘗祭の時に麁服(あらたえ)という麻布を作る阿波忌部(いんべ)氏という氏族がいます註6。大嘗祭にあたって麁服を納める、そのために自分達が存在していると仰っているご一族です。今上天皇のときは、まさに60年以上ぶりの御大礼でした。60年以上経っていますから、麻の栽培から復活させて、文献を調べたり、ご年輩の方を集めて聞いたりして、お祭りを重ねながら2億円近い経費をかけてなんとか麁服を納めるようになったそうです。ところが宮内庁に問い合わせたところ入札だと言われ、全員ずっこけそうになったというんですね。しかし、そもそもそれを納められる人たちは他にいませんので、最終的には入札した結果になったという。
歴史的には、阿波の国(徳島県)から京都御所まで装束を着て行列を組んで納めたようです。ところがどのように納めたらいいか宮内庁に聞いたところ、宅急便で送ってくれと言われたという。別にこの方たちは、2億円かかったから2億円回収しようなんてこれっぽっちも思っていません。利害に関係なく、なんとか残そうと奉仕する人たちがいるので残っているわけです。この麁服が無ければ大嘗祭が成り立ちませんから、天皇は天皇になれない、半人前にしかなれないとさえ言われているほど大切なものなのです。
いま一例を挙げましたが、後一歩でも後退したら消えてしまうようなものがたくさんある。これらをひとつも絶やしてはいけません。それだけでなく、消されてしまったものもありますので、一つでも二つでも復古させなくてはいけません。
天皇陛下が、何年か前にご自分のお墓は小さくてよろしいと仰いました。発表する方もどうかと思いますけれども、もうこれは答えは出ております。帝国憲法下につくられた最後のお墓が大正天皇の御陵です。現憲法下においてつくられた最初の御陵が昭和天皇の御陵です。同じ大きさです。これが答えなんです。ですから天皇陛下が質素簡略にと仰いましても、お聞きして良いものとお聞きしてはいけないものがあります。調べますと、過去1200年以上の間、歴代天皇は必ず自分の墓は小さくせよという詔を出しています。ところが何故、ご歴代のお墓が荘厳なものかと言えば、1200年以上国民がお聞きしてこなかったからなんです。もしそれを陛下の仰せのままにお聞きしていたら今頃、天皇陛下のお墓はペットのようなお墓になっていたかもしれないわけです。
ですから天皇陛下は国民に負担を掛けたくないと仰いますが、現憲法下における天皇の埋葬に関してはもう答えが出ているのです。ここから一歩も引いてはいけません。
これから天皇の代替わりの儀式がいろいろとありますが、何とか踏みとどまって少しでも復古する、ということを、ぜひ皆様、意識して頂けたらありがたいと思っております。
(註4)大会終了後の12月1日、皇室会議で、《平成31年4月30日譲位、5月1日新帝即位、改元》とされ、同月13日、政令(天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める政令)が公布された。
(註5)徳島県美馬市木屋平
(註6) 麁服と阿波忌部氏…大嘗祭には神御衣(かむみそ)(神様のお召しになる衣)として麁服(麻織物)と繪服(にぎたえ)(絹織物)の二種類の織物が奉られる。天岩戸隠れのとき、真榊に掛けられた白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)が麁服の原型で、それを作った天日鷲命(あめのひわしのみこと)が阿波忌部氏の祖とされる。昭和から平成の御代代わりのときには、阿波忌部の末裔である木屋平村・山川町の人々が麁服貢進協議会を結成し奉納した。
日本会議・日本会議国会議員懇談会20周年を心よりおよろこび申し上げたいと存じます。
今、竹田恒泰先生から陛下のお話がございました。愛媛県では今年(平成29年)9月、国民体育大会が開催され、両陛下がご来県されました。私共は、奉祝委員会(竹田祥一会長)を結成して両陛下奉迎の提灯パレードを企画しました。2000人を目標としており、果たして集まるかなと心配していましたが、なんと4000人を超える県民が集いました。陛下のお休みになるホテルの前は人が溢れて陛下にお目にかかれなかった県民がたくさん出ましたが、陛下は規模を小さくしろとは仰らないと思います。どうか引き続きこういった皇室崇拝の気持ちを、多くの県でも引き継いでいただければ幸いです。
中央の美しい日本の憲法をつくる会に合わせ、愛媛県でも2年半前に美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会の設立総会を開催致しました。人寄せパンダが必要ですので、櫻井よし子先生にお越し頂き、3000人が集まって憲法改正の気運を盛り立てる会を開催致しました。私も前の知事ということで担がれまして実行委員長を拝命致しました。しかしこれをお受けするには実は私の個人的な思いが強くありました。
大学に入って法律を学ぶために最初に購入した憲法の本が、昭和28年に出版された『註解日本国憲法』でした。法学協会編の四分冊で有斐閣から刊行されていました。高い本でした。一冊370円。四分冊ですからその月の奨学金の半分以上がこの本のために費やされました。買って開いてみると、憲法の条文の横に英文がくっついているんですね。懇切丁寧だと思ったら、あにはからんや、アメリカ軍から頂戴した憲法だったからです。後に、日本会議愛媛県本部の友清重孝監事がこの英文から日本文に至る経路を調査されました。
さて、条文を見てびっくりしたのは、憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に(ヽ)信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章にある助詞「に」であります。受験勉強したばかりですから、「人を(ヽ)信頼する」とはいうけれども、「人に(ヽ)信頼する」という言葉は国語の文法の受験参考書にはなかったから驚きました。東京に出てくると言葉が変わるのかな、愛媛では「を」を使って、東京では「に」を使うのかなと思ったら、これは全くの翻訳ミスでありました。占領軍から押し付けられた憲法の原案があって、それが草案になり、それから国会提案をして何回か字句修正をやりながら占領軍とのやり取りの間で最後に用いられたのがその言葉でした。
あまりご存じないかもしれませんが、日本国憲法の官報は英語なんです。世界のどの国で自国の憲法が自国以外の言葉で官報に告示されるなんてことがあるでしょうか。
というわけで、私は憲法改正の話を、特に女性にする時には、次のような話をします。「皆さんはご主人を(ヽ)信頼されていますか」と聞くと、「はい、主人を(ヽ)信頼しております」と答えてくれるでしょう。でも憲法だと「主人に(ヽ)信頼しております」と答えないと正しくないんですよと。そんな話をすると、皆さん、びっくりされます。私は、最初に憲法を勉強して以来、こういう違和感を抱きながら64年も経ちました。本当に長い道のりですが、やっとその言葉も変わるかどうかということであります。
もうひとつ、基本的には中身なんです。たしかにこの憲法は占領軍から押し付けられたものですが、これを議論する貴族院では素晴らしい発言がありました。当時、東京帝国大学の総長は南原繁さんでした。当時の制度では、東京帝国大学の総長と貴族院の議員とを兼ねることが許されていました。後に全面講和論を主張して吉田茂首相から「曲学阿世の徒」と言われて意見対立しましたが、こと憲法の議論に関しては貴族院の審議で一番正論を述べられたのが南原繁総長でした。
南原総長は、この憲法は、英語で書かれたのを無理やり日本語で直したようなあやしげな表現で、これが暫定憲法ならいざしらず、恒久な憲法として戴くには忸怩たるものがあると皮肉たっぷりに述べています。議事録の一節を読ませて頂きます。「我々は日本政府が自主自立的に責任を持ってついに自らの手によって作成しえなかったことをすこぶる遺憾とし、これを日本国の不幸、国民の恥辱とさえ感ずるものである」。
さらに、その議論の中で、ポツダム宣言を受諾したからしょうがない、この憲法に従わざるを得ないだろうという意見に対して、「(ポツダム宣言に関するバーンズ米国務長官の回答では)日本国政府の最終形態は、自由に表明された日本国民の意思によって決定されなければならない」とあるではないか、と。
南原総長が言いたかったのは、ポツダム宣言に違反して憲法が押し付けられているということです。形の上では日本の議会で議論しているように見えるけれども、占領軍からもらったものが前提となっているのだから、「自由な国民の意思」を尊重するとしたポツダム宣言に違反しているではないかというのです。
また、憲法9条について南原総長は次のように述べています。「戦争はあってはならないとは誠に政治道徳の普遍的原理であるが、人類種族の存する限り戦争はあるというのが遺憾ながら歴史の現実である。ゆえにこの現実を直視し、少なくとも国家としての自衛権と、それに必要な最小限度の兵力を備える所がなければならぬはずである」。
愛媛県では18万人の賛同者署名を集めて先頭切って今でも頑張っております。愛媛県を舞台にした本で、『世界の中心で、愛(ヽ)をさけぶ』というのがあります。これからは日本の中心で愛(ヽ)媛が憲法改正をさけび続けます。
20周年を共によろこびたいと存じます。この会が始まる前に全国の地方議員の代表者と議論してきました。そこで決定したことをまずお伝えしたいと思います。ひとつは289の小選挙区に憲法改正を推進するための組織をつくろうということです。自民党選挙区支部長に中心になって頂きますが、我々地方議員も入り、そして日本会議の皆様方もご参加頂いて、来たるべき国民投票のための組織をつくりたい。9条の会など護憲派に負けないような組織をつくっていく。もちろんそれは選挙区にとどまらず、津々浦々に様々な形の組織を皆様と共に考えながらつくっていきたい。ぜひ皆様方のご協力をお願い申し上げます。
そしてもうひとつ。櫻井先生もおっしゃいましたが、我々も時間がないと思っております。さっそく行動したいと思っています。来年(平成30年)5月3日、フォーラムを開催します。全国で組織をあげてフォーラムを開催し、憲法改正の機運を高めていくことを決定いたしましたので、これについても皆さんと共にやっていこうではありませんか。
我々地方議連も10年目を迎えました。来年10周年の大会を開きますが、その時には海外の議員も招いて、新しい運動の形を示したいと思います。
10年前、私たちが日本会議地方議員連盟をつくった当時は、教科書の問題や外国人地方参政権の問題、夫婦別姓の問題などが惹起しており、これらの由々しき問題を決して見過ごすわけにはいかないと我々は組織をつくりました。ややもすると変人に思われました。そんなことやっていると選挙受かんねえぞ、だから君は選挙に弱いんだなどと批判されました。ましてや憲法改正など夢のまた夢でした。憲法の話をしたら後援会の人から止められたとか、用意した原稿が消えていたとか、そのような話を聞きました。当時は、そうじゃないだろうという思いを噛みしめました。
でも、皆さん、今、どうですか。憲法の論議を堂々とできるようになりました。憲法改正の発議は国会議員の先生方が必ずや進めてくれるでしょう。その後の国民投票が勝負です。最も国民に近い我々地方議員が先頭となってこれを進めていく。皆さんと共に憲法改正が実現する日がもうそこまで来ている。皆さん、もうあと少しのところまできたんです。いまの子供たちが次代の日本国民として振り返って、父母たちはよくぞやってくれたといえるように、そして、英霊の皆様にありがとうと言われるような日本を創るために我々は行動していきます。
NIPPON憲法プロジェクトは、日本に相応しい憲法をつくるため、若者による活発な憲法論議を興し、憲法改正を志す若い世代を結集し、インターネットやマスコミを通じて若者の声を内外に広く発信する目的で昨年(平成28年)4月に設立しました。特に10代から40代の若い世代を対象に、イベントや街頭活動、勉強会などに取り組んでいます。
NIPPON憲法プロジェクトは、憲法に関心がある若者であれば、誰でも参画できるネットワーク型の組織です。日本会議の青年もいますが、日本青年会議所などの憲法改正に前向きな青年団体やインターネットや街頭活動を通じて知り合った方々など幅広い層が参画し、毎月の定例会議を軸に運営しています。
よく、憲法改正すれば戦争になる、戦争しない為に憲法を変えてはならないと耳にしますが、改憲派も護憲派も双方とも戦争を起こしてはならないということは共通の課題であり、違いはありません。
私共の世代も今の北朝鮮問題をはじめとした国際情勢の中で日本の平和と安全を如何に図るべきか、不安を抱き、関心を抱いています。そのような中で批判の応酬ではなく、改憲、護憲ともに論議して建設的な道を開く憲法論議を若者は求めています。会に参画している青年は言います、「会社も議論なくして、リニューアルなくしては低迷して潰れてしまう。日本における憲法も同様だ。変えてはならないのではなく、いかにして日本を存続させ、より良くしていくのか、その中で憲法について考えたい」と。
これまで4回にわたり行事を行ってきましたが、仲間たちと話し合い改善を重ねています。現在は、講師からの提起という一方通行ではなく、参加者がスマホを通してアンケート投票や意見表明ができるシステムを導入し、聴衆と講師・登壇者が交流する「対話型」「参加型」の行事「トークライブ」を行っています。参加者からも「結論が見出せない内容を聴衆がみんなで考える雰囲気がとても良かった。今の政治の一番の問題点は安易な盲信と排除に終始して〝熟考する機会〟が少ないことだと思うが、今日は面白かった。やはり憲法は改正すべきだ」などの意見を頂いています。
私共はマスコミを通じて広く発信することを目的の一つとしています。先の衆議院選挙後に行われた新聞の世論調査では、憲法改正への賛成が反対よりも上回りましたが、世代別では18歳から30代の世代にその傾向が顕著にみられました。若い世代の憲法改正に関する見解は注目されています。私共のNIPPON憲法プロジェクトも第1回目のトークライブから、テレビ等にも取り上げていただきました。
今年(平成29年)の5月3日憲法記念日には、女性パネラー数名によるトークライブの東京行事を、全国の地方紙、埼玉、静岡、京都、山陰、熊本、宮崎、沖縄等で、護憲派の動きと共に報道していただきました。
このように、特に若い世代が憲法改正について発信する動きをマスコミは注目しており、今後もこの傾向は強くなると思われます。SEALDs(シールズ)だけが若者ではありません。憲法改正について真剣に考え、議論し、発信する若者はまだまだたくさんいます。そのような若者の声、存在をさらに顕在化していきたいと思います。
この若者の動きは、徐々にではありますが、広がりつつあります。現在、全国各地の同世代の方より賛同を得、地元で開催したいとの声を頂いております。熊本では憲法を考える青年実行委員会が今年(平成29年)の5月3日に憲法集会を開催し、350名の参加者のうち、100名以上の若い世代が参加しました。日本会議静岡の富士支部ではユーチューバーを招いての青年による憲法改正シンポジウムが開催され、40代以下の若い世代も多く参加したと聞いています。
来るべき憲法改正の国民投票は我が国の行く末を決する重大な選択です。これからの日本を担うのは私たち若者であり、改正された憲法の下で誇りある国を築いていくのは私達の世代の使命です。このような時に、青年・学生ら若者からの憲法論議をさらに興し、わが国の輝く未来を築くため、憲法改正の道を力強く切り拓き邁進してゆく決意です。
戦後失われつつある健全な国民精神の恢弘をめざして設立された「日本を守る会」「日本を守る国民会議」の両会の道統を継承し、平成九年に日本会議並びに日本会議国会議員懇談会が設立されてより、二十周年を迎えるに至った。
この間、我々は「誇りある国づくり」を目標に掲げて、わが国社会の根本にかかわる夫婦別姓、外国人地方参政権、女系天皇及び女性宮家など諸問題の阻止、教科書や慰安婦問題など歴史認識の是正、首相の靖國神社参拝の促進、拉致被害者の救出運動、尖閣諸島を守る世論喚起など諸案件に関する広範な国民運動を推進してきた。平成十八年には教育基本法改正の実現に寄与し、目下、国の根幹を成す憲法改正の実現に向けて全力を傾けている。その一方で今上陛下の御即位十年、二十年など皇室のご慶事をお祝いする奉祝運動や全国各地での奉迎活動の中核を担ってきた。
かかる国民運動における成果に加え、この二十年間は加盟国会議員や会員数の増大、また草の根運動を担う支部結成など、国民運動の推進母体である強固な組織基盤を構築してきた。これも歴代会長の指導のもと、参加役員、加盟団体、会員諸氏の日本再建を願う献身的な努力の賜物であり、これを機に物故された方々始め関係者各位に深甚なる感謝の意を表するものである。
いよいよ我々は、憲法改正実現のための正念場を迎えている。憲法改正によって、わが国は初めて自主独立の精神が明確となり、誇りある日本の姿を世界に示す道筋が開かれる。さらに来るべき御代替りの奉祝運動を通して、百二十六代へと続く世界最古の皇室を仰ぎ育まれてきた豊かな歴史伝統の国、日本の誇りを内外に知らしめたいと希う。
かくして我々は、この「誇りある国づくり」をめざす国民運動への参加を次代の青年達にも広く呼びかけ、世代を超えて一致団結し、ここに力強い国民運動を推進する決意を新たにするものである。
平成二十九年十一月二十七日
日本会議・日本会議国会議員懇談会設立二十周年記念大会