(敬称略)
荒木和博 | 拓殖大学教授 | 石井昌浩 | 教育評論家 元国立市教育長 |
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出雲井晶 | 作家 | 板垣正 | 元参議院議院 |
稲山靈芳 | 念法眞教燈主 | 宇佐美忠信 | (財)富士社会教育センター理事長 |
宇都宮鐵彦 | 株式会社日華代表取締役社長 | 遠藤浩一 | 評論家 拓殖大学教授 |
呉善花 | 評論家 拓殖大学国際学部教授 |
岡崎久彦 | 元駐タイ大使 岡崎研究所所長 |
岡野聖法 | 解脱会法主 | 岡本幸治 | 大阪国際大学名誉教授 NPO日印友好協会理事長 |
小川義男 | 狭山ヶ丘高等学校長 | 小串和夫 | 熱田神宮宮司 |
小田村四郎 | 日本会議副会長 元拓殖大学総長 |
小野田寛郎 | (財)小野田自然塾理事長 |
小野田町枝 | 日本女性の会会長 | 加瀬英明 | 外交評論家 |
金井肇 | 日本教育文化研究所前所長 | 上村和男 | 社団法人国民文化研究会理事長 |
唐澤祥人 | 日本医師会会長 | 川上源太郎 | 社会学者 評論家 |
久保田信之 | アジア太平洋交流学会代表 NPO法人 修学院長 |
クライン孝子 | ノンフィクション作家 |
黒住宗晴 | 黒住教教主 | 小林正 | 元参議院議員 教育評論家 民間教育臨調教育制度部会長 |
佐藤和男 | 青山学院大学名誉教授 法学博士 |
佐藤守 | 軍事評論家 元空将 |
篠沢秀夫 | 学習院大学名誉教授 作家 |
関岡英之 | 拓殖大学日本文化研究所客員教授 |
千玄室 | 茶道裏千家前家元 日本 国連親善大使 |
鷹司尚武 | 神宮大宮司 |
田久保忠衛 | 杏林大学客員教授 | 竹本忠雄 | 日本会議国際広報委員会座長 筑波大学名誉教授(在パリ) |
田下昌明 | 医療法人歓生会豊岡中央病院理事長 | 寺島泰三 | (社)日本郷友連盟会長 |
中村粲 | 獨協大学名誉教授 昭和史研究所代表 |
中島精太郎 | 明治神宮宮司 |
中野良子 | オイスカインターナショナル総裁 | 南部利昭 | 靖国神社宮司 |
西澤潤一 | 首都大学東京学長 | 浜畑賢吉 | 俳優 大阪芸術大学教授 |
久富真人 | 神道青年全国協議会会長 | 平間洋一 | 元防衛大学校教授 |
廣池幹堂 | (財)モラロジー研究所理事長 | ペマ ギャルポ |
桐蔭横浜大学大学院教授 |
保積秀胤 | 大和教団教主 | 堀江正夫 | 英霊にこたえる会会長 |
牧野和春 | 随筆家 | 増元照明 | 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長 |
丸山敏秋 | 社団法人倫理研究所理事長 | 水島総 | 日本文化チャンネル桜代表 映画「南京の真実」監督 |
宮崎義敬 | 神道政治連盟会長 | 森敬惠 | 「日本の心歌い継ぐ会」代表 ソプラノ歌手 |
森田健作 | 俳優 元衆議院議員 |
矢田部正巳 | 神社本庁総長 日本会議副会長 |
山本卓眞 | 富士通名誉会長 日本会議副会長 |
屋山太郎 | 政治評論家 |
米長邦雄 | 東京都教育委員会委員 永世棋聖 |
渡部昇一 | 上智大学名誉教授 |
許世楷 | 台北駐日経済文化代表処代表 |
荒木和博 拓殖大学教授
日本会議・日本会議国会議員懇談会に集う皆様がこの十年間やってこられたことは、日本の「軸」を作る上で極めて大きな意味があったと思います。
これまでの保守の運動に欠けていた大衆性、組織性が日本会議の結成によって大きく前進しました。その中で安倍政権が誕生したことは、皆様も強い期待を持って見守られたと思います。
その安倍政権が一年で退陣を余儀なくされたことは、大きなショックでした。しかし、それを嘆いてばかりはいられません。この間少なからぬ人が持った「安倍さん頼み」の意識を払拭するためにプラスに転じていかなければならないでしょう。一人ひとりがこの国を支えている意識を持ち、「役人が悪い」「政治家が悪い」「マスコミが悪い」と言うだけで何もしないのではなく、地道な保守の運動を積み重ねていくことこそが、先人と、次の世代に恥じない日本を作ることだと思っております。
私自身は発言している内容は日本会議のそれとほとんど同じだと思いますが、自分の原点は平成六年に解党した民社党にあり、「あなたの考え方は」と聞かれれば「民主社会主義者です」と、躊躇なく答えます。
私たちの仲間には、旧民社党の理念こそ、本当の「保守」であると主張する者もいます。確かに、皇室に対する尊敬の念は、決していわゆる「保守」の人たちに劣るものではありません。
かつて昭和天皇の御崩御に際して発表された「謹話」も、各党の中で最も格調高いものであったと思います。私はこれからも民主社会主義者として国家を守り、その中心である皇室の伝統を守っていくつもりです。その意味で日本会議の皆様と共に戦って参ります。
今こそ、日本会議の鼎の軽重が問われるときです。次の十年に向けての大きなご発展をお祈りし、メッセージとかえさせていただきます。(九月十六日)
石井昌浩 教育評論家・元国立市教育長
主要な文明国にあって、国の成り立ちの神話を否定された国は歴史上日本以外にはない。例えば、ギリシャ神話抜きに西洋の歴史が語れないことは世界の常識である。この、世にも不思議な戦後教育の異常な枠組みは、昭和二十一年三月のアメリカ教育使節団報告書に基づくものだった。その一年後、昭和二十二年三月に制定された旧教育基本法はこの報告書の忠実な具体化に他ならない。旧教育基本法は戦後六十年の長きにわたり日本社会の在り方に大きな影響を及ぼし続けた。アメリカ仕込みの教育政策は日本的なものを否定することから出発した。
戦後教育はGHQの思惑通り、戦前と戦後の日本の歴史・伝統・文化を断絶した。その典型がアメリカ発の子供中心主義の思想である。子供は生まれながらにして無限の可能性に富み、自由に伸び伸び育てればすくすくと育ち、大人は何も教えず子供に寄り添うことが理想とされて、親と教師は子供に教えることを極力手控えた。その結果、子供の単なるわがままを自主性、個性と礼賛し、学級崩壊など一連の教育崩壊に繋がった。このような公教育の機能不全についての国民的危機意識が教育基本法改正を促したのである。
幾多のハードルを乗り越え、平成十八年十二月二十二日、法案は公布・施行された。教育基本法改正実現に際し、安倍晋三首相の果たした役割は決定的だった。教育の在り方を定める根本の法律を国民の手に取り戻したのである。
旧教育基本法の「不当な支配」の呪文の甘い汁を忘れられない抵抗勢力は、あの手この手で新教育基本法の骨抜きを狙っている。しかし、教育基本法改正を改悪と言い続ける勢力と言えども、時計の針を逆に回すことはできない。
教育基本法改正により、子供中心主義を見直し、教育についての最終責任は国が負うことを明示するなど、戦後教育の理念は転換されたのである。(九月五日)
出雲井晶 作家
わが国は右でも左でもない。神代いらい天地を貫く真ん中の大道を歩む国がらである。その中心に無私ひたすら民の幸せ国の繁栄、人類の福祉、世界の平和を祈り続けられる天皇います世界に比類ない有難い国である。
ところがわが国の最古最高の文献である「日本神話(古事記・神代)」に示された人間の原点、自国の根っこは占領軍により消され、戦後世代は知らない人が多い。その上、国家存亡の危機にあった昭和の歴史も、日本神話のおお心を淡々と行じ果せられ、その危急を救い賜うた昭和天皇のご事績もあまりにも知らない。政治家も教育者もマスコミも物の豊かさ経済発展に汲々として金銭至上主義に陥り、心は乾き貧しくなってしまった。日本人としての高貴な魂を晦まされてしまったのだ。
かつて戦前は陸軍上層部が傲慢な自我により昭和天皇の祈りのお心を解せず三百十万もの同胞を失った。大和のおおみたから国の天皇は大御宝としての国民の、一人も死なせたくなかったが故に、どこまでも戦争に反対し話し合いによる解決を熱望された。当時の首相は天皇のお心を知りながら、詔を承れば必ず謹んで従うべきを、天皇の祈りを頭の上を素通りさせてしまったのだ。現代人は、世界情勢が色々あり仕方がなかったとか、今、新事実が出てこれを証明しているとか、戦前と違い民主々義の時代だとか、国の根幹を忘れた議論は騒騒しい。これでは戦前の轍を踏みかねない。
当然の事として倫理道徳は乱れに乱れ、獣に堕ちた人間の事件ばかりが多発している。教育基本法が改正されたというが、教育勅語が不磨の大典であることを踏まえた上でだろうか。次は憲法改正と走りだそうとしているが、改正に携わる人々は、古代我らの先祖わきまが日本神話にこめた大和の理念を弁え、天皇の無私のお心を心として取りくまねばならない。わが民族本来の気高い誠の心を発露させて、幽遠なる声まっとに答えうる、天地の理法に則った全うな憲法の出現を祈るばかりである。(九月五日)
板垣正 元参議院議院
「日本会議」は、前身の「日本を守る国民会議」以来、先人の献身と、全国の有志連帯のもとに、誇りある国づくりを目指す国民運動を推進し、幾多の成果を挙げて来ました。
昨年九月には、「戦後体制からの脱却」を高く掲げた、待望の安倍晋三内閣が登場し、まさに前途に光明がもたらされました。
安倍内閣は、戦後初めて憲法改正や教育基本法改正等を正面から提起し、短期間に、国会において、まさに画期的成果を収め、各方面に改革の新風を巻き起こしました。
去る七月の参議院選挙は、安倍政権の十ヵ月の実績評価と、国の基本的な在り方を問う重要な機会でした。しかし現実には、年金問題や、一部閣僚の失言や政治と金の問題一色の、反安倍、反自民のムードに終始しました。
そして民主党は第一党となり、参院は与野党が逆転する予想外の結果となりました。
安倍首相は、その責任を果たすとして、新陣容のもとに再発足しました。
小沢党首のもと、民主党は、権力闘争一本槍の、共産党も含めた野党共闘を推進し、衆議院解散、総選挙に追い込み、安倍政権打倒、政権獲得を目指すことを公言しています。
ここで、「戦後体制からの脱却」の基本線がまさに天下分け目の重大な関頭に立っていることを強く訴えたいと思います。
「戦後体制」とは、日本弱体化、歴史伝統の破壊を強行した「占領体制」に外なりません。
憲法、教育、外交、防衛等の実態が、なお戦後体制下にあることは否定できません。
また、靖国神社や歴史認識の問題が、依然東京裁判や東京裁判史観に呪縛され、洗脳されているのが実情です。
民主党の小沢党首は、靖国神社問題に関しかつての見解は、百八十度変更し否定的です。こうした存在に国の運命を委ねる訳にはいきません。新たな試練を覚悟し頑張りましょう。(九月五日)
稲山靈芳 念法眞教燈主
茲に日本会議設立十周年を迎えられ心より御祝い申し上げます。
日本会議は、結成以来さまざまな事案について取り組まれ、とりわけ、皇室問題、靖国神社問題、教育問題に対しては積極的な運動や活動を展開されすばらしい国づくりに大きな善果をもたらしました一方で、我が国の将来に思いを巡らせますと憂慮すべき事ばかりであり、日本の中で日本はどこにあるのかを探さなくてはならないような事態も招きかねない様相であります問題は山積みではありますが、日本会議には崇高な愛国心をもつ人材が結集し、我が国の精神的な再建に向けた地道な国民運動を中心に、未来ある子どもたちに誇れる国づくりにさらなるご活躍とご発展を切に祈念し、御祝いの言葉とさせて頂きます(九月十六日)
宇佐美忠信 (財)富士社会教育センター理事長
日本会議が、各界の有力なリーダーを結集して発足し、すでに十年が経過しましたが、この間、皇室の伝統を守る運動、国旗・国歌制定法、総理の靖国神社参拝促進、教育基本法の改正などによる教育改革、憲法改正など歴史的な運動をして参りました。わけても近代史に対する認識が、東京裁判史観によるところが多く、若い人々に日本に対する誇りと自信を傷つける状況が生まれつつあります。
これを正す国民運動はもとより、前記各項目の運動展開もさらに強化充実させる必要があります。私はかつて日本労働総同盟(同盟)の会長、ゼンセン同盟会長を数年にわたって続け現在は後進の指導、育成の仕事をしていますが、あえて日本会議代表委員をお引受けしたのは、この会議に、より良い日本建設のため多くの心ある人に参加して欲しいからです。国家が良くならずして、労働者生活が安定するはずはあり得ません。憂国の士が幅広く集まり与論をもりあげてゆきましょう。
日本会議の発展を期待致します。(八月二十七日)
宇都宮鐵彦 株式会社日華代表取締役社長
日本会議は平成十九年五月に、設立十周年を迎えました。誠にお目出たい事と思います。黛先生が命を捧げてこられた「日本を守る国民会議」を発展させて、平成九年五月三十日に現在の「日本会議」が結成されたと椛島氏は述べておられます。同年四月八日に御入院中の病院へ椛島氏が電話された際に、黛先生は「椛島君、五月三十日には行くからね」との会話が、最後のお別れの言葉となりました。其の後、三好会長他諸先生並びに議員諸先生、及び全国の御理解賜った諸先輩のお力添えと、職員の一丸となってのご活躍等により、今日の日本会議が存在するものと思います。
本年四月十日は、黛先生のご命日にあたりますので、関係者と相諮り、墓所である曹洞宗総本山総持寺に参りまして、御供養と本年度参議院選挙で、日本会議が推薦した候補者の方々の必勝祈願の誓詞を椛島氏により申し述べて参りました。黛先生のお言葉として、先生がある方に「政治が正されなければ、文化は守られません。今の憲法を変えなければ、日本文化は滅んでしまいます」と述べられた由、椛島氏よりお聴きしました。文化運動と政治運動は、切り離せるものでない事を教えられました。私共は祖国日本の将来の為に、邁進せねばなりません。日本会議国会議員懇談会の皆さん、全国有識者の皆さん、全国婦人部の皆さん、全国会員の皆さんが一丸となって、祖国の為に頑張りたいと思います。
次に考えたい問題は台湾との関係改善です。過去の日本国が統治した時の指導教育方針が、今日も尚現存しており、期待しているものが何かを検討することが大変重要だと思います。「日本人よ目覚めよ、そして自分の国を愛しなさい」と親日家であり、日本との交流をもっと期待されている、大実業家蔡焜燦氏の書かれた「台湾人と日本精神」(小学館文庫)の御一読をお薦め致します。(八月三十日)
遠藤浩一 評論家・拓殖大学教授
参院選大敗。改造内閣発足早々の閣僚辞任。安倍内閣は試練のときを迎へてゐる。
あの選挙を一言で総括することなんぞできやしない。メディアの巧妙かつ執拗な「重箱の隅」キャンペーン、国民の自民党政治に対する倦怠感及び民主党への幻想、そしてそれらに乗じた小沢氏のしたたかな戦術――いろいろな要因が重なり合つてああいふ結果になつたのだが、自民党にとつて最大の敗因は、何と言つても、安倍総理の「曖昧戦略」にあつたといふべきだらう。自分とは全く別の何者かを装つて支持を集めたところで、そんなことで寄つて来る賛同者は、ちよつとしたネガティヴ・キャンペーンで蜘蛛の子を散らすやうに逃げていくし、もともとの支持者は信じてゐた人の変節(とも受け取られかねないパフォーマンス)に失望する。
政治や運動の要諦は、多数派の形成である。このとき、引つかかりやすいワナは、支持を得るために顔の見えない有権者に迎合してしまふ(あるいは迎合したつもりになる)ことである。
安倍さんは「自分隠し」をして、小うるさい連中に擦り寄り、真の支持者を失望させたのだつた。
もちろん、広場で「自分が正しい」と、ただ叫び続けるだけでは、多数派の形成は困難である。そこには何らかの手練手管が不可欠であり、それを「政略」といふのだが、安倍さんのみならず、われわれも含めて「保守」はこれが大の苦手である。苦手だと自覚してゐればまだ救ひはあるのだけれども、プロを自任する連中は、しばしば、多数派の形成とそれへの迎合を混同してしまふ。宰相・安倍晋三(及びその取り巻き)が心がけるべきは多数派をして「真の安倍晋三」を支持せしめることであつた。そのための政略を追求すべきであつた。それができなかつたところにこのたびの混乱の根がある。
安倍さんにとつて起死回生の途はただ一つ、正気に返り、「真の安倍晋三」を回復することでしかない。それは孤独な営みであり、大変な困難が待ち受けてゐることだらう。そのとき、彼を支へるのが日本会議ではないか。もとよりそれは「贔屓の引き倒し」であつてはならない。安倍さんを叱咤し、「真の安倍晋三」は決して孤独ではないことを実感させる支援でなければならない。
安倍さんだけではない。実は、国家もわれわれ国民も、正念場に立たされてゐるのだ。(九月五日)
呉善花 評論家・拓殖大学国際学部教授
日本にはなぜか、日本を肯定的に評価したり、評価されたりすることを嫌う人が少なくない。それに対して日本会議の活動には、日本の個性を見抜き、肯定し、生かしていこうとする姿勢がとても強く感じられる。私にはそこが最も共感できるところで、日本はまさにその場面に立たされているのだと思う。
中国や韓国の社会については、当然ながら、今なおあちこちに罰点をつけながら批判を重ねていくことが有効である。しかし日本社会は逆に、本格的な肯定をしていくことから未来が開かれる時代に突入して久しい。
自国のだめなところを批判していくという罰点主義でやっていく時代はとっくに終わり、日本が当面しているのは、自国のよいところをしっかり見抜き、そこをはっきりと肯定していかなくてはならない時代である。別な言葉でいえば、現在のなかにすでに育まれている未来をどう発見するか、そのためには日本の個性をどう肯定的に評価していけばよいのか、それが現在の日本に問われていることである。
自国の歴史や文化の、どこをどう肯定し評価したらよいかを発見すること。
将来の日本を考えていくうえではそれが何よりも重要なことだ。未来的な可能性というのは、どこからかやって来るものではなく、内部から自ずと芽吹いて今にあるものだと思うからだ。
産業にしろスポーツにしろ、何事についても、すでに世界先端のプレイヤーとしてあり、そこからさらに超高度な領域へ移行していこうとする場面では、罰点主義は何の役にも立たない。
お手本に従うだけの丸点主義も役に立たない。批判の段階を早々に終え、そこから先の可能性へ向けて、自分の個性を見抜き、そのよいところをしっかり肯定することのできる能力が強く問われるのである。日本はまさにその場面に立たされている。(九月五日)
岡崎久彦 元駐タイ大使・岡崎研究所所長
まだ十周年かと驚く。
それほどにここ十年間の日本の変貌は目を見張るものがあった。
十年前にはまだ国旗国歌法も無かった。小中学生の教育に使われていた教科書には、南京大虐殺とか慰安婦問題の記述が溢れていた。二十年余り前に、総理が靖国参拝をやめて以来、総理の靖国参拝も絶えてなかった。北朝鮮による拉致問題を取り上げるだけで、また、中国、韓国の内政干渉的言動を批判するだけで、右翼反動と言われる時代だった。
それは悉く日本会議が問題意識を持って取り上げた問題であった。そしてその十年間の成果を振り返ってみるにつけても、志のある人々が力を合わせた時にどのくらいの力を発揮できるものかを、間の当たりにする感がある。
私個人の事を申し上げて恐縮であるが、集団的自衛権の行使の問題など二十年前には顧みる人が数えるほどしか居なかったが、もう私は孤独ではないと感じるに至っている。今や言論界、評論家でまともな反論は見あたらないようになった。
こうなるように世論を啓発するために、私自身はなんら貢献していない。
御会議をはじめ大衆運動にはほとんど参加していない。私はただ言い続けていただけである。にもかかわらず、日本会議を中心とする、皆様の無私のご支持を賜ったことに深く感謝申し上げる。
しかしまだこれからである。安倍内閣は就任以来、教育基本法、防衛省の設置、国民投票法など目覚ましい成果を上げてきたが、内政的には参院選で挫折している。この過去十年間の趨勢を弱めずに、憲法、教育、国家の安全を日本国家としてあるべき形にまで持って行くためには、ここで再び民間の国民運動が中心となって、世論を主導して行く必要が生じている。そのためには日本会議の今後一層のご奮闘に期待してやまない。(八月二十日)
岡野聖法 解脱会法主
日本会議設立十周年、誠にお目出度うございます。
ここに意義深い記念の大会が盛大に開催されますことを、心からお祝い申し上げます。
二十数年間の国民運動の歴史を引き継ぎ、新たに組織を拡大して設立された「日本会議」は全国の役員、多くの会員の皆様、事務総局の方々の献身的なご努力によって数々の成果を収めることができましたことは「日本の息吹」等で既報の通りであり、まことに喜びに堪えません。
国土の安泰と健全なる国民精神の作興をめざして、今後も日本会議が、今日までの実績をふまえ豊かな経験と知恵を駆使して、輝かしい日本の歴史と伝統の美風を高揚し、誰もが住みよい社会、平和で美しい国づくりにご活躍下さいますよう心から願ってやみません。
私たちも一日本人として日本会議の一メンバーとして精進努力させていただきます。
日本会議がますます発展していきますよう心より祈念申し上げます。(九月四日)
岡本幸治 大阪国際大学名誉教授・NPO日印友好協会理事長
夏の参議院選挙で「戦後体制の脱却」を訴えていた安倍政権が議席を減らし、二十一世紀を迎えた日本の構造改革に不可欠であった重要問題が霞んでしまったような感じがある。情報を商品として売りさばくマスメディアは、ジャーナリズム(原義は一日主義)の本領を発揮して、連日目先の些事を天下の大事件のように報道し、選挙民が簡単にそれに乗せられてしまったことが大きい。かつて哲学者プラトンは、古代アテネで花開いたデモス・クラチア(「大衆の支配」即ちデモクラシー)の実態に失望して、これではデモス(大衆)のためにも善い政治は実現できないと悟り、代わって哲人政治の必要を説いた。
人は皆正邪を判断するのに十分な理性を持つという仮説のもとに各人に一札を与え、過半数の入札を有権者の総意とみなす民主政治は、現実には常に衆愚政治に転落する可能性をもつ。人間を量的に捉え質的差異を無視するという無理に近い制度であるから、選挙という名の入札で民主政治が理想を実現することはない。そのギャップを埋めるのが、選ばれた「選良」の役割である。選良にはその名にふさわしくない者もむろんいるが、全体としての有権者よりは、レベルの高い者が選ばれる確率が高い。民主政治とは民意に忠実に反応することではない。技術の発達した今日においては、選挙ではなくテレビなどを通じて民意を直接に問い簡単に集計することもできる。間接民主主義に未だに意義があるのは、選ばれた選良が浮気な民意を啓蒙しつつ、質的により高い判断をもって国政の舵取りに参画することが必要不可欠だからである。
夜明け前の闇は最も深い。今日本が抱えている内外の重要問題は何なのかが判断できない有権者を啓蒙しつつ、衆愚政治の闇を切り開き、日本の夜明けを告げるのが安倍改造内閣の使命だ。
日本会議は、そのような「選良」を今後も民間でしかと支えていくであろう。(八月二十九日)
小川義男 狭山ヶ丘高等学校長
吉田松陰は十歳の時に、藩校明倫館で、先輩武士達を相手に講義を行った。
その学識を形成したものは、漢学についての素読だったのではないだろうか。
素読とは「文章の意義の理解はさておき、先ず文字だけを声を立てて読むこと」を言う。そのようにして吸収された知識が内面発酵を重ね、あのように天才的な学識として結実したものであろう。
戦後教育は「詰め込み教育否定」の名の下に、「知識」を敵視乃至蔑視するところから出発した。知識へのペシミズムと、子どもの内面から「ひとりでに芽生えてくるもの」への過剰な期待、それが戦後教育を貫く特質である。
その極限の姿が「ゆとり教育」だったと言えよう。
安倍内閣になって、このような病弊を克服するため、様々な努力が重ねられている。しかし、私のような現場教師の目から見ると、それはあまりにも拙速に過ぎ、対症療法的な弥縫策の域を脱していない。
全国どこに行っても「九条の会」なる看板を目にする。日本共産党が組織した「外郭団体」の活動と思われるが、その組織性には舌を巻かざるを得ない。
日本共産党は、今や完全に大衆の支持を失ってはいるが、衰退しつつも、今なお「左翼ナショナルセンター」としての機能を有効に果たしつつある。
これに対置できる国民的ナショナルセンターは「日本会議」をおいてない。
しかし、その研究、運動は、今なお国民的ニーズに充分応え切れていない。
我々は、他の政治課題克服と共に、「戦後教育の抜本的見直し」という視点からも、左翼を圧倒するナショナルセンターとしての役割を「日本会議」期待するのである。(九月六日)
小串和夫 熱田神宮宮司
この度設立十周年を迎え、本日ここに記念式典がかくも盛大に開催されますことは、洵にお目出度く御同慶の至りに存じ上げます。
顧みますれば、本会の前身である「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」におかれては二十数年に亘り、戦後日本が歩むべき道を誤らぬよう国民運動を展開されてきました。その輝かしい歴史を引き継ぎ、「誇りある国づくり」をスローガンに平成九年「日本会議」が設立され、爾来、皇室、防衛、教育など国家の基本問題に一致団結して取り組まれてこられました。殊に皇室典範改正の阻止、憲法改正と国防体制の充実に向けての国民運動、偏向教育の是正と教育基本法改正の実現など、大きな成果を挙げてこられました。こうした皆様方の並々ならぬ御尽力に対し、深甚なる敬意を表し上げる次第でございます。
我が国の伝統・文化は日本民族の永い歴史の中で育まれてきました。しかしながら、先人達が培って来たこの貴い歴史をいとも簡単に塗り替え、悲しいことにそれに同調しようとする風潮もあります。靖国神社を取り巻く慰霊、顕彰のあり方、国際的には拉致同胞の救出や領土問題など、内外共に混迷を極めてきている現在の社会情勢から脱却することは簡単なことではありません。
このときにあたり、国民一人一人が自信をもって言える「誇りある国」づくりが緊急の課題であろうと信じております。
十年が過ぎ、次の十年に向う本会の活動は益々重要性を帯び、更なる飛躍が必要と言えます。国内のみならず世界の平和、共存共栄のために、私も微力ながら力を尽くしてまいりたいと存じます。日本会議の益々のご発展と関係各位のご多幸を祈念し祝辞と致します。(九月三日)
小田村四郎 日本会議副会長・元拓殖大学総長
日本会議発足以来十年を経過した。
顧みればこの十年は、日本弱体化を強制した占領政策の効果が次第に浸透して衰亡の一途を辿つてゐた我が国が、戦後六十年を経て漸く正常化の第一歩を踏み出した時期とも言へよう。
この間、日本会議の全国組織も着実に整備され、全国会員及び日本会議議員懇談会の尽力によつて、多年の懸案であつた教育基本法改正や国旗国歌法制定も実現し、国民投票法も成立して憲法改正の気運も高まつて来た。また国家主催を毀損する外国人参政権附与や、皇位継承の神聖な伝統を破壊する皇室典範改悪も、靖國神社を形骸化しようとする国立追悼施設建設も阻止することができた。何よりも小泉首相の靖國神社参拝断行によつて中国の不当な内政干渉を排除したことは大きな成果であつた。そして「戦後レジームからの脱却」を政治目標とする安倍内閣の成立は、本格的な祖国再生への前進に希望を抱かせた。
しかしこれに抵抗するサヨク反日陣営の勢力は強大であつた。彼等はマスメディアを動員して巧みに争点をすり替へ、今次参院選での与党の大敗を勝ち取つた。解散できない参議院が今後六年以上野党に支配されれば、国政の麻痺停滞は免れない。重大事態である。
しかしこの間、国際情勢は寸刻の猶予もなく変転してゆく。今年から来年にかけてロシア、韓国、台湾、米国の大統領選があり、大国ロシアの復活と中国の飽くなき大軍拡がある。それらの我が国に及ぼす影響は甚大である。
他面、米国下院の慰安婦決議や米朝接近に見られる如き日米同盟分断の動きがあり、中国の策動に躍らされる米国知識人やマスコミの反日動向も無視できない。万一、臨時国会でテロ措置法の延長が実現できなければ、我が国は重大な危機に直面することになろう。
従つて日本会議及び日本会議議員懇談会に課せられた使命は重大である。
この困難を克服してゆくため全力を尽してゆかなければならないと思う。(九月五日)
小野田寛郎 (財)小野田自然塾理事長
敗戦後既に六十余年、漸く戦後レジームからの脱却や美しい国づくり等の声が聞こえ始めたのは嬉しいことだったが、当の首相が靖国神社参拝に言葉を濁し河野、村山発言を踏襲した発言では、何とも頼りないと感じていたが、国家の礎とも言える教育基本法を改正されたことは天晴であった。突然の辞任は残念である。次は誰であれ毅然とした首相であって欲しい。
徳川三百年鎖国の夢破れ、開国以来自国の存立の為に東亜の安定を願い努力し続けたことは、対露・対米英の宣戦布告の勅書に示されていて侵略は相手国であって我国は自衛の為の戦いであった。
正義の戦いであればこそ我々は戦場に出で、多くの戦友を失った。力戦奮闘の結果敗れたが、敗れたことは認めるがその結果、侵略国と烙印を捺され、軍人はその走狗だと罵られる謂われはない。それは同じ日本人だと思っていた人間から浴びせられる言葉ではない筈であったが現実は違っていたと仲間や兄弟からも聞いた。
私は幸いにも小銃に一命を託し三十年近く戦い続けた後、投降命令に従ったが、捕虜の屈辱を味わうことなく武装解除も受けず祖国に帰還することを得た。言い換えれば軍人としての栄誉を保持したままの終戦だった訳である。
従って私は戦友たちが味わった苦渋や恥辱は知らないが、罵声を浴びせた同国人である筈の日本人が多く居たことが今にいたるも占領中の憲法を改めることも出来ず、徒に暖衣飽食を得たのみで道義地に墜ち、上は政官より下は年少の輩まで連日マスコミに破廉恥な話題を提供している。
「かくまでも醜き国になりたれば捧げし人の命おしまる」と嘆かれた御遺族の老婦人のお気持ちに、真の日本人の心を持つ者は何と答えてよいのだろう。
いつまでも他国に自己の安全と生存を預けると憲法の前文に謳う腰抜け者の国であってはならない。(九月二十日)
小野田町枝 日本女性の会会長
日本人に生まれてよかった。そのような思いが最近ますます強くなりました。主人(小野田寛郎)と二人で開拓した、ブラジルの牧場と東京との二重生活をする様になって約三十年。この間、外国人と接する機会も多く、その度に日本人としての誇りも高まってきました。日本には素晴らしい文化と伝統があります。深い歴史に培われた英知に優れた民族がこの国を育て、支えてきました。
しかしです。このような優れた日本人の中に、いつの日からか、国旗や国歌をないがしろにする人たちが現れはじめました。何故なのでしょうか。外国では街角にはためく国旗は普通の光景です。何故、自分の生まれた国を愛せないのでしょうか。また、どうして、靖国神社にお参り出来ないのでしょうか。今の繁栄があるのは、国のために尊い生命を捧げた多くの人たちの犠牲の上にこそ成り立っている事を忘れてはなりません。
戦後の偏向教育、家庭の崩壊、政治や社会のひずみ……。問題は沢山ありますが、今は犯人さがしをしている時ではありません。まず大切なことは、自分の子どもは自分でしっかり守り、育てることです。特に女性は子どもを宿し、産み、育てるという神様から与えられた神秘の力をもっています。さらに、子どもや男性に勇気を与え、奮い立たせる”魔法の力を持っています。その力を家庭や地域社会で存分に発揮して、私たち一人ひとりが良い家庭をつくっていくことが国づくりに繋がっていく、それが日本女性の会の役割と思います。
愛情に溢れた秩序ある家庭をつくり、子どもの豊かな感性を育てる学校をつくる。その目標に向かって良識ある女性の声を結集して、ねばり強く社会に向かって発信して行こうではありませんか。
街角に日の丸がはためき、高らかに君が代を歌う。一日も早くそんな日本に甦ることを祈りつつ、日本女性の会の発展のため力を尽くして参ります。(九月二十二日)
加瀬英明 外交評論家
先の参院選の与党の惨敗と、安倍首相の唐突な辞任によって、日本が混迷をきわめるようになっている。
安倍内閣の発足によって、日本の黎明があけたと、期待した。だが、前大戦が終わってから六十余年になるのに、いまだ日本の精神的混乱が大きい。日本民族が先の戦争を戦ったことによって、数百年にわたって抑圧されたアジア・アフリカ諸民族を解放した偉業のために払った犠牲が、あまりにも大きかったのと、比例していよう。
日本はいま内外ともに危機的な状況に、立ち至った。
このままゆけば力を萎えさせて、世界の一流国家群から落伍しかねない。
日本は国家として尊厳を失いつつある。一人でも多くの日本国民が目覚めて、立ち上がらねばならない。
未曾有の物質的豊かさが国民を酔わせ、歴史共同体としての存立を脅かすようになっている。
私は日本の復元力を信じる。ある時、私は新宿の夜の巷に立っていた。青年男女が遊び痴れていた。私はふと前大戦で散華した若者たちが祖国に帰還して、失われた青春を取り戻すために、青年たちに宿って遊び呆けているのだと思った。そして祖国が危機に瀕した時には、青年たちがかならずや立ち上がるにちがいないと、確信した。
私は青年たちを軽んじることをやめた。だが、危機が募った時に、その心に点火する火種が必要である。
日本会議は全国に会員がまだ五万人しかいない。だが、国に恋慕する精鋭の集いである。私たちの使命は愛国の火種を燃やし続け、その火勢を熾んにすることである。
日本会議には悠久の国体を守り、平成の国産みを実現する責任を授けられている。
共に腕を組んで、平成の大業へ向けて邁進したい。(九月十四日)
金井肇 日本教育文化研究所前所長
我が国の良さ、伝統文化の大切さを子孫に伝え、発展させていくことが、子孫の代に生きる人々のためにも大切です。教育の課題です。我が国の伝統文化を否定的に子供たちに教えようとする勢力に対して、伝統文化を正しく伝えていく努力は重要だと思います。
反体制勢力はその立場を子供に教え込もうとしていますが、教え込もうとしても、子供は受け入れず、反感をもっています。多くの大学生の感想から分かります。
道徳教育でも、一定の考え方を教え込もうとしても子供は受け入れてくれません。我が国の学習指導要領の道徳教育は、一定の行いや考え方を押し込むものではなく、小・中・高校を一貫して「道徳性」を「育てる」教育で、道徳性は高校段階では「自分自身に固有な(行動)の選択基準ないし判断基準」(高等学校学習指導要領解説総則編)として機能することを目指しています。つまり、一人一人の固有な価値観を育てるのです。
ここで子供の立場で考えてみます。
一定の考え方を教えようとする教育と、自分自身の主体的な考え方、生き方を育ててくれる教育のどちらを望むか。
主体的な生き方とはわがまま勝手ではなく、しっかりした価値観をもって生きることです。その生き方を保障し自由に生きる能力を育ててくれる方を選ぶでしょう。我が国の良さや伝統文化を否定的に教え込もうとする教育には、影響される子供はほとんどいません。
道徳教育でも一定の考え方を注入しようとする場合は、二年生の後半から受け入れられなくなっています。
子供は、自分自身の主体的な生き方を育ててくれる社会に親近感を持ち、この社会を維持発展させていこうとするでしょう。それが教育として我が国の良さ、伝統文化を大切にする子供を育てる早道です。そのことに自信を持って、子供自身を育てる教育を進め、教育活動を活性化させていきたいものです。(八月二十九日)
上村和男 社団法人国民文化研究会理事長
日本会議の方々や国会議員の先生方のこの十年間のご努力とその成果に関し、絶大な賛辞を呈します。
世界情勢は刻一刻と変化してゐる中にあつて政局に依然と汲々としてゐる国の姿はピエロとしか見えない実に悲しい姿である。之は、「国家意識」を喪失したまゝ自らの共同体が認識されないが故に危機意識が感じられなくなつたのではなからうか。
近隣諸国からの危機に対しても自らが国を守り国民の生命財産を守らうとの気概が失せ自国の安全保障も日米同盟におんぶにだつこで他人任せではないのか、これで独立国として世界に通用する筈がない、と思ふ。
戦後六十年、国連加盟国は大なり、小なりに戦争や紛争に巻き込まれ、国民も軍人も死に向ひあつて生きてきた。
日本は憲法を楯にテロ対策にしろ、他国の安全の為に日本人が血を流すことは少なかつた。湾岸戦争のやうに金だけ出して身を挺身しない国は独立国として世界の国々から尊敬されないであらう。
祖先が世界の国々に示して来た忠節を尽すことこそ日本がその威信を得ることになる。
その為にも、安倍総理の掲げる「戦後レジームからの脱却」を一つ、一つ完結されることを望む。これにより、戦後喪失されたままの国家意識が甦へつて来ると確信するからです。
最後に去る八月十五日に、安倍総理が靖国神社に参拝されなかつたことは、「戦後レジームからの脱却」の精神に反するものと思った。(九月六日)
唐澤祥人 日本医師会会長
平成九年に「日本会議」が設立されて以来、本年で十周年を迎えられましたことに対し、日本医師会を代表し一言お祝いを申し上げます。
貴会は「誇りある国づくり」をスローガンに掲げ、憲法、教育、防衛など国の基本問題について国民運動を全国で展開し、伝統・文化を尊重した新しい日本再生に向け、多くの成果を挙げてこられましたことに深甚なる敬意を表する次第であります。これもひとえに全国の役員及び会員の皆さまの献身的なご努力の賜と拝察申し上げます。
とりわけ特筆されるべきは、貴会の運動の柱とされている皇室・靖国・教育に関し、皇室典範改悪阻止、靖国神社に代わる国立追悼施設建設構想の阻止、教育基本法改正等の実現を始め、数多くの成果がその証左でありましょう。
現在我が国は、世界でも類をみない速さで少子高齢化が進行しておりますが、政府は市場原理主義に基づく財政優先の施策を断行し、医療の分野にも大幅な財政削減を強いております。
このため、医療現場ではいま未曾有の難局に遭遇し、医療機関の人手不足、産科医師・小児科医師の不足、高齢者の医療難民・介護難民発生の心配、患者さんの医療格差の拡大等々、世界に誇る我が国の国民皆保険制度が崩壊の危機に直面しており、我が国の社会保障の大幅な後退が懸念されております。
このような状況の中で、いま最も望まれることは、日本のすばらしい伝統文化を礎に、国民誰しもが健康で安心して暮らせる社会の構築であり、そのためには各界の協力が不可欠であると思われます。
最後に、この十年を節目に、会員の皆さまのご健勝と日本会議のさらなる飛躍を心より祈念し、お祝いの言葉といたします。(八月二十七日)
川上源太郎 社会学者・評論家
日本を離れていくつかの街に暫く暮らしていて当惑と緊張を感じるのは、彼ら他国民の独特な祖国愛の感情と表現に出会うときである。出会うというより、衝突したとか、締めつけられた、というのが実感である。巧みな外交術を持っている国は、国民が自然に身についた強固な祖国愛を抱いていて、しかも他国民の祖国愛の感情や性格の違いに敏感である。
健康な人が自分の身体を意識していないように、健全な国家は、その国民性を殊更に意識していない。しかし、仮に自分たちの国民性がどこか破壊されたならば、その国家は再びそれを元どおりにする以外には何も考えようとしない。政治的に成熟している国家は、祖国愛を基盤にした国民性を意識するまでもなく自然に共有している。
教育基本法の改正をめぐる国会や新聞の議論を聞くたびに、読むたびに、日本国家の不健康、病体の深刻を、私はつくづく悲しく思った。日本の国民性を充たすべき祖国愛は、はじめから「愛国心」という美しい、素直な表現に恵まれているではないか。教育改革はいまは何もない未来にむかって騒しい声を立てるのではなく、尊い死者たちの、確実に生きてある声に静かに耳を傾けるべきである。日本会議が、素直な愛国心の浸透と確証の、力強い起点であり続けるように祈ります。(九月二日)
久保田信之 アジア太平洋交流学会代表・NPO法人・修学院長
十八世紀に英国・仏国で生まれ、十九世紀に米国で花開いた「科学的合理主義と自律的個人主義」は、神に変わって『人類の王国』が実現できるとの「不遜な夢」を抱かせた。特に「歴史を汚らわしい」と評し重視していない国・米国は、「進歩・発展・変化」を無邪気にも信奉して世界を席巻し続けた。二十一世紀に入った現在においても、日本はこの「近代化」の影響をもろに受け続けている。日本の指導者の中には、「舶来」祟拝から脱することなく「グローバライゼーション」という名の米国追随を率先して担っている者が少なくない。
しかし、広い視野に立って現実を眺めてみれば明らかなように、近代化によって地球は汚染され「人間存在」は混乱し続けている。近代化はかつての光を完全に失っている。
この中において、「人間存在の鉄則」である『温故知新』に命を通わせ続けてくれたのが「日本会議」の活動である。「日本会議」が果たした役割に救いを見出しているのは決して私一人ではない。
この十年間を支えてきた諸々の善意に対して衷心より祝意と感謝の意を表したいと思う。
「大きな一里塚」を経過した現在、あえて提言したいことは、既に「日本の伝統文化を現代に蘇らせ、次代を担う青少年に誇りある日本を伝えるべく、この十周年を契機に国民運動を推進する」と行動計画を組み入れておられるが、これをさらに推進させて、次代を担う若い世代に、日本の現状や特色を同世代の外国人に報せる具体的行動を実施することによって、祖国を再確認・再評価することが可能になると考えるのである。戦乱に明け暮れ、貧困と飢餓に苦しんできた諸外国にあっては、一人ひとりが「祖国」を絶えず意識せざるを得ない。しかし、平和で豊かで、歴史的繋がりを享受していられる日本にあっては、祖国への意識が薄らぐ危険性がある。このような恵まれた国にいては愛国心の重要性を唱えても実感が湧かない。異国の人間との交流を通して始めて「日本を知って日本を報せる」体験をさせることができる。
異質の文化背景をもった人間との文化交流をなし続ける地道な日常活動から日本を愛する人材が養成されると言いたいのである。(八月十九日)
クライン孝子 ノンフィクション作家
今さら、何を言っても始まらないが、保守本流の主人公で、「戦後レジームからの脱却」の声を高らかに挙げ、キラ星の如く輝き、颯爽と登場した安倍前総理の突然の辞任劇には、驚いた。
いや余りも突然のことだったので、唖然としたといったほうが当たっているかもしれない。
私など、その安倍前総理成立に、ようやく日本は一人前の国家として、国際社会における活躍の機会が到来したと信じ、当地ドイツから懸命に拍手喝さいしていたからだ。
それは同時に、第二次世界大戦における敗戦国としてのドイツと共有している痛みに対する労わりでもあったのだ。なぜなら戦後のドイツは米ソ両大国のハザマにあって、東西分断国家として、手足をもぎ取られたも同然の状態にあったからで、そのドイツが統一という切符を手にしたのは一九八九年十一月九日、「ベルリンの壁」が崩壊したときのこと。以後ドイツの独立機運とその気迫には鬼気迫るというか、目を見張るものがあった。
あれよあれよというまもなく、米露英仏と仲間入りをして大国としての実力を遺憾なく発揮するようになったのもそう。
安倍政権成立はまさにそのドイツに追随するかのようにスタートを切ろうとしたのではなかったか。
ところが、残念なことに、僅か一年余で挫折してしまった。
もっとも、ものは考えようである。
何事も順風満帆というわけでなく、事を起こせば必ずやその反動に遭って暗礁に乗り上げるのは世の常である。
その覚悟なくして前進などあるはずはない。
その意味ではこの挫折も必ずや、次の機会で実を結ぶ。「日本会議」の国民運動はまさにその原点にあるといっていい。この内外、風雲急を告げる今日、今後日本という国を「皇室、靖国、教育」の三つの大きな柱を中心に、次代を背負う我が日本の若者たちのために、そしてこれまでの二十数年にわたる国民運動を無駄にしないためにも「日本会議」には、よりいっそうの飛躍を心から期待したいものである。(九月十五日)
黒住宗晴 黒住教教主
今日の世の中、わが国はこのままでよいのだろうか、将来どのような国になるのだろうかと、不安とともに反省の思いを抱く人が多いのではないでしょうか。それは、太古の昔から地下水のごとく滔々と流れ来たいのちの流れと絶縁しているような人が、余りに多い故ではないかと思われます。
私どもはここ二十年近く、微々たるものではありますが、植樹につとめています。モチとかタブやカシなどの、深根あるいは直根ともいわれる樹木の生命線の切られていない実生のポット苗を植えているのですが、これらの若木の年ごとに伸びていく逞しさその瑞々しさに驚嘆しています。こういう樹木を目の当たりにしますと、人間にも深根に当たるものがあるのではないかとの思いにかられます。とりわけ、根無し草的なさらには根腐れしたような人、その言動を見るにつけてもこの思いは募ります。
過ぎたともいえる個人尊重は自己中心的な考えを増長させ、併せて同時進行のように発達した文明の利器は、人間生活の”生の実体感を希薄にしてしまいました。平均寿命は長くなりましたが、個々人の持ついのちの厚みは薄くなり続けているように思えてなりません。はるかなる先祖から培ってきた「親への孝行の心、先祖への尊崇の念」は、急速に衰えてきました。それは同時に、民族としての深根を弱めることでした。
民族としての生命力を弱体化された国の行く末は歴史が物語っていますし、いわゆる国際社会でもその生命力の弱い人物は真に国際人たりえていません。
日本会議が積み重ねられてきた十年の歩み、その果たされた役割の大きさに感服するとき、私ども一人ひとりが問題をしっかりと見据えて今後とも努めていくことの大事を改めて思います。(九月三日)
小林正 元参議院議員・教育評論家・民間教育臨調教育制度部会長
平成十八年十二月二十二日、新たな教育基本法が公布・施行された。占領教育行政の中核として六十年余、国民精神、我が国教育界を廃仏毀釈運動の如く荒廃させた「教育基本法」は遂に消滅した。
「法隆寺金堂にて」会津八一おしひらくおもきとびらのあひだよりはやみえたまふみほとけのかほ「廃仏毀釈」がもたらした荒廃は、国柄、伝統、文化を否定した戦後の荒廃そのもののように思える。戦後レジームからの脱却は、この「重き扉」を押し開き、一条の光りを射しこむことから始まった。新たな教育基本法の制定は教育再生への曙光である。
八一は自註で「この寺の金堂の扉は甚だ高く、甚だ広く、甚だ厚し、したがひて、甚だ重きものなり」と語っている。新たな教育基本法制定に到る経過を思うと長い苦難に充ちた助走があり、最終段階まで気の抜けない緊張の日々であった。日本会議十年の歩みにおいて、教育基本法改正運動は国民精神を呪縛から解き放ち、再生させる契機を齎したものとして、長く歴史に刻み、誇りとすべきものと思う。
創立二十周年への新たな挑戦は、言うまでもなく、更に「重き扉」を押し開くことである。すでに「憲法改正手続きに関する法律」は前国会で成立しており、国会は三年後に向けて準備を始めなければならない。参院選の結果から、当然なすべき課題が政局がらみで捻じ曲げられようとしているが、国会議員懇談会の皆さんと日本会議に集う国民運動が力を合せて「重き扉」を押し開き、宿願であった自主憲法制定を現実のものとしなければならない。
これを実現させることによってはじめて、古き神話に遡る万世一系の百二十五代の天皇を戴く国柄について誇りをもって語ることができるのではないかと思う。(八月二十五日)
佐藤和男 青山学院大学名誉教授・法学博士
日本会議設立十周年の記念大会を迎えるにあたり、日本国民の一人として私は、心からなる敬意と感謝の念を、同会議を育成・発展せしめて確固たる国民運動を展開してこられた愛国者の方々に捧げたいと思います。
昭和二十年八月のポツダム宣言の受諾ならびに引き続いての新憲法の施行から、わが国の社会事情は一変を余儀なくされました。
しかし、その一変した社会の中に在って、教育の職務にたずさわる私には、「教育勅語」の中の次の言葉が一貫して至高の指針でした。
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝行ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス昭和の一桁、それも最初期に生まれた私は、「忠義」と「孝行」を最も重要な徳目として修身教育を授けられました。「忠孝、本を一にす」、「孝は百行の本」、「忠臣は孝子の門に出ず」が血肉化したと思います。戦後の”民主主義”も、教育勅語の精神の中に包括されるものと感じました。海軍兵学校の最後の卒業クラスの一員として、私は戦後も「忠臣は二君に仕えず」の気持で、昭和天皇を仰いでまいりました。
日本国および国民統合の「象徴」とされた天皇は、私や多くの仲間にとって、精神的には依然として忠誠を捧げるべき国家元首であられたのです。日本国民のうちの相当多くの者にとって、天皇は、戦後も戦前と変わらぬ君主としての「天皇」であられることは事実であると思います。
日本会議は、天皇および皇室を国家生活の中心として仰ぎ見つつ健全な国民運動の数々を推進してきておられます。敬意と感謝を捧げるゆえんです。
日本会議の設立以前から、戦後一貫して「忠君愛国」の崇高な理念の下に活動し、今や日本会議という大運動の全体組織を仕切っておられる椛島有三事務総長に対して心から「有難う。ご苦労様です。これからもよろしく」と申し上げます。(九月十八日)
佐藤守 軍事評論家・元空将
日本会議創立十周年を心からお祝い申し上げます。この間、皇室典範改定、靖国神社代替施設建設計画など、国家的危機の打開に積極的に取り組まれ、見事な成果を挙げられたことに敬意を表します。中でも教育基本法の改正運動が実現しましたことは特筆に値すると思います。私は、三十四年間の航空自衛官生活を通して、この国を堕落させている根源は「新憲法」にあると確信していますが、その改正問題が漸く政治日程に上がろうとしているのも、日本会議の地道で弛みない取組があったればこそだと思っています。
そこに、堂々と憲法改正を目標に掲げて登場した安倍政権でしたが、残念なことに今回の参院選挙で苦杯を喫しました。しかし「戦後レジームからの脱却」は、心ある日本国民みんなの願いであることに変わりはありません。
今や我が国を取り巻く情勢は予断を許しません。十二月の韓国大統領選挙を控えた朝鮮半島情勢、来年三月の台湾総統選挙と中台情勢、そして五月に予定されているロシア大統領選挙後の極東ロシア情勢、更に国際的に問題が噴出している八月の北京オリンピックと、それに連動した中国国内情勢も緊迫の度を増しています。そしてその締めくくりが来年末の米国大統領選挙です。これらは規定の路線ですが、好むと好まざるとにかかわらず、我が国の安全保障に直接影響する要素です。それに加えて地球温暖化が原因と思われる大災害が加わったらその混乱は想像を絶することになるでしょう。このように情勢が切迫しているにもかかわらず、永田町では「コップの中の嵐」が続いていて国民は不安は感じています。
そこで、日本会議国会議員懇談会の皆様に、政局安定化と憲法改正のためのより一層の御奮闘を期待して、簡単ですが祝辞に代えさせていただきます。(八月二十四日)
篠沢秀夫 学習院大学名誉教授・作家
日本会議設立十周年に敬意を表します。感激しました。嬉しく思いました。
設立以前、二十数年もの国民運動の歴史があると承りますが、日本会議になってからの歴史の半分以上、この私が参加させて頂いていると気づいたからです。始まりは「日本の息吹」への執筆依頼だったと思います。それまでの私の著書や雑誌随想などをよく読んだ上での依頼と知り、感激しました。電話の対応が丁寧で、しかも的確有能です。夜になって、とりあえずと、ファックスを送ると、たちまち「受け取りました」とお電話を下さる。
以後、行事の御案内があると可能なかぎり皆参加していました。
どの行事も、「こうしたいな」と思っているときに、「こうしよう」と呼びかける催しです。参加します。日本会議の動きは自然です。国民一般の心の底の動きと一致しています。占領軍の初期政策の押しつけた「日本ぶっこわし」宣伝が教育現場に根づいて生じた「戦後イデオロギー」は、今も多くの国民の建前となっています。マスコミではそういう口のききかたが基本、お手本という感じです。だんだんとそれは治りつつあります。それを治すのが日本会議の動きです。国民の深層心理を表に出しましょう。
懐かしいのは愛子内親王御誕生奉祝運動に皇居前広場に駆けつけた時です。
たしか午後以降御出産の場合は翌日夕方集合という計画でしたが、二万人も集まりました。日本会議の広報能力は凄いが、それに応える国民の心が嬉しい。
その時に壇上で挨拶するメンバーの一人にして頂いた。そこで申したことをここでもう一度。簡単だが、大事なことです。その日、長島監督の音頭でもう何度もバンザイをしていたが、二万人が掌をこちらへ向ける。それではコーサンだ!自衛隊幹部になった旧友から聞いた昭和天皇の教えでは、バンザイは両の掌を内側へ向けて両手を挙げるのです。(八月三十日)
関岡英之 拓殖大学日本文化研究所客員教授
日本会議設立十周年、心からお慶び申し上げます。祖国再生のために築いてこられた数多くのご業績に、一日本人として深甚なる感謝の意を表します。
終戦五十年には、大東亜戦争のお陰で独立を達成したアジアの人々が、日本への感謝と連帯を証言する『自由アジアの栄光』と『独立アジアの光』という素晴らしいビデオ作品を制作され、平成十四年には日印国交樹立五十周年記念式典を挙行されました。
おりしも今年はインド独立六十周年にあたり、安倍総理がインドを訪問、ラダビノート・パール博士の長男と面会され、チャンドラ・ボース記念館を視察されました。例によって中国は不快感を表明しましたが、日印の輝ける交流史を嫉妬しているのでしょう。振り向きもせず、黙殺すれば済むことです。
今年はまた、大川周明博士の没後五十年にあたります。大川博士は早くも大正期に『復興亜細亜の諸問題』という古典的名著を著し、白人帝国からのアジア解放を唱導したばかりでなく、日本に亡命していたインド独立運動の志士を自宅に匿うなど自ら実践しました。更に、アジア各地で独立を支援する専門家の養成機関、世に言う「大川塾」を設立して多くの人材を育てました。「大川塾」の卒業生たちはチャンドラ・ボース率いるインド国民軍や光機関等で活躍し、尊い犠牲者も出しながらインド独立のために貢献しました。
このまぎれもない史実は、「大川塾」第二期生の山本哲郎氏が『大川周明顕彰会報秋霜』の最新号(第四十四号、平成十九年八月二十日)でも証言されていますのでご一読頂ければ幸いです。
インドのネルー初代首相は初来日の際、大川博士に感謝の意を表したいと面会を希望しましたが、博士は既に死の床にあって実現しませんでした。大川博士の名誉を回復することは、大東亜戦争の世界史的意義を再評価し、東京裁判史観の桎梏を打ち破ることにほかならないと私は信じております。貴会議の益々のご発展をお祈り致します。(九月五日)
千玄室 茶道裏千家前家元、日本・国連親善大使
日本会議と日本会議国会議員懇談会が設立十周年を迎えられ、今日まで国民運動の展開に大きな力を与えられたことに対し、御祝いを申しあげます。
特に貴会議が重点的に推進されてこられた教育問題につきましては、色々な問題点を改正するという時期になり、そのために多くのご賛同を得て、新基本法が実現しましたことは、将来の我が国のために喜ばしいことであります。
戦後、はき違えた民主主義のあり方が、愛国心や道徳心というものをどこかへ棚上げさせ、しかも我が国の伝統文化の真の姿が見失われるというようなことになっておりました。そこでこの新基本法の成立により、教育の根本的な指導目標が定まり、全ての偏った考え方が是正されるということになることは、明白のことであります。
私達はこの美しい日本の国に豊かな自然と共に暮らさせていただいています。神仏の恵み、そして地球の有難さというものをもっと身近に痛感し、ものに感謝をする―有難い―という心を国民一人一人がもつべきではないでしょうか。日本のそうした麗しい国のあり方と、日本人が古来より有する美しい人間愛をあらゆる国の人達に理解していただければ、日本の国はもっともっと世界において重要視されるのではないでしょうか。
近年、誰もが国際問題の権威者の如く知ったかぶりをし、色々な考え方を撒き散らしています。しかし、真の平和を考えるとき、単に口先だけではなく、平和の実現のための行動を生まれてこそ、日本から平和が発信出来るのであります。
そのためには過去の歴史を知ると共に、それをよく理解し、誤ったことは二度と起さぬよう心しなければなりません。そして、過去の悲しい歴史を糧とし、正しい我が国のあり方を世界に伝えなければならないと念じております。貴会議の今後の御発展を祈念いたします。(九月五日)
鷹司尚武 神宮大宮司
この度、日本会議・日本会議国会議員懇談会には設立十周年の佳節を迎えられましたこと心よりお慶び申し上げます。
ご高承の通り日本会議は、前身の「日本を守る会」「日本を守る国民会議」が統合し、先輩諸兄が戦後伝統文化を軽視した社会情勢を憂慮し、民族としての誇りを回復させ、次世代に日本の心を伝え育む為、昭和五十年代初頭より二十数年に亘る国民運動の歴史を引き継ぎ、平成九年五月に設立されました。
爾来「我が国の伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」との大いなる綱領を掲げ、天皇陛下ご即位十年奉祝運動や行幸啓奉迎活動など、皇室の伝統を守る運動を通して若い世代に敬愛の心を涵養されると共に、時代に即した対応を以て諸問題に取り組まれ、うるわしい日本の歴史・文化を守り伝えるため「誇りある国づくり」をスローガンに国民運動を展開され、輝かしい成果を上げておられますことは洵に心強く、深甚なる敬意を表する次第であります。
しかしながら、現下の内外の諸情勢は更に厳しさを増し、深刻な状況であると言わざるを得ません。
どうか皆様方におかれましては、この記念の年を契機として、更なる結束のもと、相互にご研鑽をつまれ、我が国のうるわしい国振りを次世代に継承するため、なお一層ご尽瘁いただきますようご期待申し上げます。
結びにあたり、貴会の益々のご隆昌とご参会の皆様方のご健勝とご多幸を祈念し、私の祝辞と致します。(九月五日)
田久保忠衛 杏林大学客員教授
早いものでもう十周年かとの感慨を催しました。三好達会長が言われるとおり、後半の五年間に皇室典範改悪阻止、靖国神社に代わる国立追悼施設建設構想の阻止、教育基本法改正の実現で果した役割はまことに大きかったと思います。日本会議が存在していなかったらこの三問題はどうなっていたでしょうか。
しかし、運動に順風満帆はありえません。とくに先の参議院議員選挙の結果は、民主党の賛成を得なければほとんどの法案は成立しないという冷厳な事実をわれわれに突きつけました。難関をくぐり抜けるにはどしたらいいのか。参院での勢力バランス復活は三年後も六年後も難かしいのですから、常識で考えたら大連立、政党再編成しか手は見当りません。自民党と民主党の憂国の士を集めて危機は突破できるのでしょうか。
ユーラシア大陸だけでなく日米間にも楽観を許さない事態が出現しつつあります。日本会議の真価はこれからの十年間で決まると考えます。(九月六日)
竹本忠雄 日本会議国際広報委員会座長、筑波大学名誉教授(在パリ)
私にとって日本会議との縁は、黛敏郎さんから声をかけられてパリから設立総会に駆けつけ、しかしその時にはこの国士は急逝され、代わって初代会長となられた塚本幸一氏を囲んでの懇親会で当地の反日メディアについて伝えたところ、ここから国際広報委員会設立に至ったということに端を発している。お陰で、「南京大虐殺」の虚構に対して委員会として最初の英文反駁書を刊行し、辛くも一矢を報いることができた。
この間、「内」と「外」を別のものと考えすぎる日本人の通弊、閉鎖性が国難を助長していると訴えてきた。首相の八月靖国参拝が断固行われていれば、痛恨極まりない今回の退陣にも拘らず、日本は名誉を守る国だとの世界の親日家たちの支持は強化されえたであろう。
日本が日本の声を挙げるための、当然なる、純正な意志を持った中心的運動体として日本会議はあり、ゆえに私はその同志たちと涙と笑いを共にしてきた。その前身の組織から数えれば三十年、もしこの運動がなかったならば、教育、元号、憲法、靖国、皇室典範等々で日本はどうなっていただろうかと考えれば、その果した役割は既に誇るべく偉大である。内なる一層の活動拡大を図りつつ、次は若い世代に、どう我々の声を外に伝えるかこの課題を受け継いでもらうよう、新たな方向づけをしていきたい。
遙かに十月六日の記念大会に思いを寄せ、参集の諸士に、次の十年への祈願をこう送ります――《従来の受け身一方から転じて、「真正の日本」を躊躇わずに外に打ち出そう。我々はその導きとなる限りなく尊い燈台光を内に持っている。》(九月十三日)
田下昌明 医療法人歓生会豊岡中央病院理事長
本年五月をもって、日本会議・日本会議国会議員懇談会が設立十周年を迎えました。洵に心強く、謹んでお祝い申し上げます。
この間、憲法、防衛、教育など国の基本問題について全国的に国民運動を展開し、大きな成果を挙げられました。
とりわけ教育基本法改正運動は昨年末に結実し、約六十年ぶりの全面改正が実現、愛国心や道徳心の育成、伝統と文化の尊重、国の教育責任の明確化などが明記されたことは画期的な刷新であり、国民に大きな安心と勇気を与えました。
さて私達日本人は、数千年の歴史と伝統を持つ高度な文化を中心として日本国という国を造って生きています。
どの国についてもそうですが、日本国も自然にいつの間にかでき上がったものではなく、私達の先祖が造り、守ってきて今日に至っています。また国家の形態は世界中、同じものは一つもありません。すなわち日本国の形態は日本にしかないということです。
いずれにしても造ったものなので、時代の変化によって国家が制度疲労を起こすときもあるし、他国によって壊されることもあります。従って制度疲労を起こしたら修理しなければならないし、他国の侵略があれば断固として守らなければなりません。
日本国民の大多数は日本の国が滅亡することなく将来も生きのび発展して欲しいと願っています。それゆえ子供達は世界の人々とうまくやっていける国民にならなくてはなりません。すなわち子供達を「世界に通用する賢い日本国民」になるように育てるのです。
私達はそれぞれの分野で、この目的達成に寄与しなくてはなりません。そのための出発点が家庭における躾、教育です。家庭の教育力が今のままでは、せっかくの改正教育基本法も十分な力を発揮できないでしょう。私自身も『日本の息吹』連載の「子育て支援塾」をさらに充実させ、私なりに貢献できるよう努力いたします。(九月十日)
寺島泰三 (社)日本郷友連盟会長
日本会議がこの度目出度く創立十周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。
貴日本会議は創立以来健全な国民精神の興隆を期すことをはじめとする綱領の下に、誇りある国づくりのため全国的な国民運動を展開すると共に、日本会議国会議員懇談会を設立され国政に大きなインパクトを与えてこられました。特に、国旗国歌法の制定及び教育基本法の改正を実現すると共に憲法の改正、皇室の伝統継承、総理大臣及び国民の靖國神社参拝及び国家安全保障等戦後六十年にわたり続いてきた戦後体制からの離陸のため国民各層の意識改革を図り、ようやく国家の政治課題として取り上げられるまでになったことに対し深甚の敬意を表します。しかしながらこれらの課題を実現するためには、更に厳しい試練に対処しなければなりません。このため、私ども日本郷友連盟は志や信条を同じくする貴日本会議と今後とも緊密に協力して困難に立ち向かう所存であります。
どうか今後とも国民運動の中心的な存在として益々発展され、誇りある国づくりのためご活躍されますよう祈念申し上げますとともに、日本郷友連盟に対しまして引き続きご協力賜りますことをお願い申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。(九月三日)
中村粲 獨協大学名誉教授・昭和史研究所代表
日本会議設立十周年、洵に御目出度う御座居ます。貴会が我国保守派の総元締め的存在として果して来られた役割は極めて大なるものがあると信じます。だが、それにも拘らず、我国の歴史、伝統、文化の尊重に立つ真正保守思想が決して国民の意識と生活実践に定着したとは云ひ難いことは、国旗国歌法が成立して八年にもなるのに、祝祭日に戸口に掲揚される国旗の少なさを見れば一目瞭然です。
その最大の理由は、公共放送NHKをはじめとするマスメディアが左傾してゐることにあります。祝祭日でさへNHKが国旗国歌を全く放映せぬことは周知の通りです。国会で成立した放送法によつて存在し、国会で予算を承認されて七千億円に近い受信料徴収を許されてゐるNHKが、国会で成立した国旗国歌法を無視し、死文化させようとしてゐるのですから由々しい事態であります。
皇室、教育、国防、歴史問題等々でのNHKの偏向については今更喋々するまでもありません。最近は中でも改憲阻止を焦点にした様々な番組編成が日夜進められてをります。
貴会が真正日本再生のためにどれほど苦労されても、NHKといふ巨大な情報暴力の前には蟷螂の斧の如きものでせう。貴会はじめ多くの心ある人々の誇りある国づくりの努力を妨げてきたのは、マスメディア、中でもNHKといふ政府お墨付きの放送局であることをはつきりと認識して頂きたい。
NHKの斯様な偏向はもはや放送法の改正など尋常の手段では直し難く、NHKの大部分を解体して民放化し、中核部分を国営化する等の思ひ切つた改革が必要と考へます。
貴会に於かれましては、NHKなどマスメディアの偏向の重大性を認識され、その対応を今後の運動の重点項目にされるやう要望致す次第です。(八月三十日)
中島精太郎 明治神宮宮司
明治天皇御製
人もわれも道を守りてかはらずばこの敷島の國はうごかじこの度は、日本会議、日本会議国会議員懇談会の設立十周年誠におめでとうございます。両会の息の合った活動が、日に日に大きな成果を挙げてこられましたことに、深い感銘と感謝の意を表します。
日本会議の前身は昭和四十九年設立された「日本を守る会」と昭和五十三年に設立された「元号法制化実現国民会議」でございます。私事にわたりますが、当時私は、伊達巽宮司の下で日本を守る会設立の事務局の一端を担当させていただき、また、元号法制化運動の際は、全国縦断キャラバン隊が始めて編成され、その初代隊長をおおせつかりました。この歴史を振り返りますと、既に三十三年の星霜を経ており、実に感慨深いものがございます。
中でも昨年暮れに結実した教育基本法改正運動は、画期的な成果でした。
伝統・文化の尊重、愛国心や道徳心の涵養、家庭教育の重視など、約六十年間学校教育で放棄されてきた教育理念が堂々と盛り込まれました。国家の基礎は教育です。次代を担う国民の育成は、国家の盛衰を左右いたします。
その意味でも新教育基本法が、学校、家庭、社会に亙る分野において、今後如何に生かされてくるかが問われてまいります。そのためにも貴日本会議の果たすべき使命と役割はますます大きくなろうとしております。皆様方の一層のご活躍を期待申し上げます。(九月二十日)
中野良子 オイスカインターナショナル総裁
日本会議設立十周年を心よりお祝い申し上げます。この間、三好会長はじめ関係者の皆様の献身的なご努力に感謝と敬意を表す次第です。
昨今の日本の現状に接するとき、これが日本の国なのか、日本人のやることなのか、と暗然たる思いに駆られることが多い毎日です。特に子供の問題は未来にかかわる問題だけに深刻です。
子供の問題は大人の問題でもあります。
次世代に伝えるべき国の本来、成り立ち、すなわち歴史、伝統文化という、モノやカネよりも大切な価値観を学校教育の中からはずしたままの六十年の経過は、もはや取り返しがつかないのでは、との危惧をもちます。
天与の美しい風土の上に伝統文化を育み、長い歴史を刻んできた日本民族。
伝えられた神話には宇宙の始まりが物語られています。宇宙混沌の中にあって、動き出したのは陰陽の産びの神でした。そこに、産びの神々による産びの業を働く中から更なる神々が生まれ宇宙は形造られていったとあります。
今日、産業と呼びなれているこの言葉の原点が宇宙の大造化の活動の中にあったとは、何と壮大で想像力を広げられるではありませんか。悠久の原始の時代から今日に至るまで営々と宇宙の産業は営まれ、そこに厳存する宇宙大生命の延長線上に地球、その上に海、川、山、野そして植物、動物、最後に人間という生命の誕生。すべては宇宙的産業の流れの中に誕生し、生命の連鎖の中にあると解釈できます。
外国のある著名な友人から「神話のある国の人がうらやましい」と言われたことを思い出します。日本の子供たちはこの素朴で壮大な物語を学校でも親からも教わることはありません。天与の産業は世の人々の幸せのためにあり、自然の法則をわきまえた循環的なものであれば持続可能なはずです。人間我欲によるカネ経済と不離一体に進む産業は、いつしか本来の産業の路線をはずれ生存基盤をゆるがし滅びの道を進むほかないでしょう。
世界がいま、本当に求めているのは単にお金やモノではなく、更なる何か奥深いもの。それは自然を神と畏敬する、利他を尊ぶ高い精神性、そこに基点をおく道徳規範、そこから生まれた友好と技術力であることを、私は世界、特に途上国との国際協力活動から学ばされています。真に世界へ貢献できる日本となるためにも、日本の本来に立ち返る必要があり、そのためにも教育再生の実行が急がれます。(八月九日)
南部利昭 靖国神社宮司
日本会議・日本会議国会議員懇談会におかれましては、設立十周年をお迎えになられ衷心より御祝い申上げます。
日本会議並びに同国会議員懇談会は常に一体となり、誇りある国づくりを目指し、歴史・伝統を尊重し、戦後の我国の精神復興に全力を注がれてこられました。
設立から十年とは申せ、この間に教育基本法の改正が実現されましたことは我国の将来にとりまして大変大きな成果であり、今後の教育界には尚注視の必要はありますが、大きな一歩を踏み出すこととなりました。この他皇室の伝統を守る運動や様々な奉祝運動等を実現なされましたことは、役員・会員の皆様方の御努力の成果であり、敬意を表すると共に深く御礼申上げます。
また、靖国神社のことにつきましては、終戦六十年、八月十五日の二十万人参拝運動、一部の近隣諸国の干渉により戦歿者慰霊の本質を見失った国立追悼施設計画の反対等、常に英霊顕彰の御立場から強力に神社を御支え下さいました。
近年ようやく首相参拝が定着化してまいりました。靖国神社の御社頭は若い方々の参拝が急増しております。終戦より六十二年を経て、御遺族・戦友の参拝は徐々に減少していますが、戦歿者に対する国民の意識は高まりつつりあります。国民を代表する為政者が、模範を示して下さることが如何に大切か参拝者を通じて示してくれました。
今後も国政に於ては日本会議国会議員懇談会を中心に、国民運動は日本会議が中心となり、両輪となって道義国家再建への国民運動推進に御力を注いで下さいますよう切にお願い申し上げます。
本記念大会を期に更なる御発展を祈念申上げ祝辞と致します。(八月三十日)
西澤潤一 首都大学東京学長
戦後になって憲法が決定されたが、その決定の経緯についてはどうも納得がいかず、最近の「占領を背負った男」に述べられたところから推察するに、かなり強引に決められたものらしい。
漸くにして慎重に検討した新憲法をと考えるようになり、本日本会議の主張することも、個々には認められてそれなりの成果が挙がったことは喜びに耐えない。偏に三好会長を先頭にした会員諸氏の御努力の賜と心から御礼申し上げたい。更には共同して運動を展開して成果を盛り上げて下さった国会議員懇談会のお力と心から御賞賛申し上げるところである。
然し驚くことに、本会発足以来早くも十年を閲したということで、時の経つ早さに驚くと共に、これからの活動に、しっかりしたヴィジョンを持って、その実現を目指していくという方法も、是非採用していただきたいと考える。
とにかく抽象論で議論すると、表現されたものは極端になって、現実から遊離してしまって実りが寡いことが多い。
岩手県立大学創立の会議で準備委員長の船越岩手大学学長が本学の教育上理想的な人物を選んでおいたらどうかという提議があり、議論の結果当然のことながら宮沢賢治を選んだが、このような表現方法は現実離れを起こすことなく有効なやりかたであると感じ入った思い出がある。
その上で文章化するのも有効な方法であると考えている。戦後の新憲法制定を改革して真の平和憲法を決定するこれからが本当の勝負であると考える。
両者の立場、つまり帝国主義的政治態勢に次いで抽象的民主主義と平和主義を体験した我々は、今や本当の試金石に相対している。いやもう試金石ではない、真剣勝負である。社会の方が、戦後すぐに示すべきであったロマンが示されなかったばかりに自らを見失い、今後自らを律する憲法を定める能力を見失いつつある。いわば最後の機会である。本会議の責任は重大である。(九月四日)
浜畑賢吉 俳優・大阪芸術大学教授
設立十周年おめでとうございます!
私は今、大阪の大学で演劇やオペラを目指す学生に教えていますが、舞台活動という狭い領域を超えて、日本文化衰退の現実と戦っています。
私が若い頃にはまだ、明治や大正生まれの文化的な巨人がかなりいらっしゃり、直接お会いして教えを受ける幸運にも恵まれました。その方々の大半が鬼籍に入られ、自分がしかるべき年齢になって始めて、残された世代にそんな巨人がほとんどいないことに気が付いたのです。この衰退は一体何なのでしょうか。
欧米文化がギリシャに根を持つように、東洋では中国が文化の源泉でした。
それを我がご先祖たちは、日本と言う風土に根付かせたり、接木をしたりする努力の末に、独自の文化を築き上げてくれました。世界に誇れる文化だったはずです。
然るに、明治からの欧米化と、戦争でアメリカという国に屈服したことで、ご先祖が根付かせた文化を全て切り倒し、根を掘り起こして、今や痕跡を見つけるのに苦労をするほどになってしまいました。
「文化の松下村塾を立ち上げよう」「江戸しぐさに学ぼう」などの活動を呼びかけています。更に、政治はともかくとして、五十年から百年後の文化再生の為には、「文化の独立宣言」をしなくてはいけないとも考えています。
その為にも、日本会議の活動が益々発展されんことを、心より祈念しております。(八月二十日)
久富真人 神道青年全国協議会会長
日本会議におかれましては、この度設立十周年の節目を迎へられましたこと、誠におめでたく、衷心よりお祝ひ申し上げます。
この十年間、貴会が中心となって皇室、靖国神社、教育等を取り巻く様々な諸問題に対して、強力な国民運動を展開し、多大なる成果を収めてこられましたことは、誠に心強い限りであり、ここに深甚なる敬意を表します。
さて、神宮におかれましては諸祭恙なく齋行され、第六十二回神宮式年遷宮に向けて第二次お木曳行事も滞りなく執り行はれました。御遷宮に向けての諸準備が着々と進められてゐるところであります。私共神青協としましても、先輩諸賢から受け継いだ”こころの継承に主眼を置いた啓発活動を積極的に展開して参りたいと存じます。
ところで、我が国を取り巻く現状は、正に内憂外患と言へるでせう。その現状を直視し、本年度は特に「国家主権を考へ国の安寧を祈る」ことを主題に掲げ、諸活動を展開してゐるところでございます。国家安寧祈願祭の齋行や戦没者慰霊祭の齋行はもとより、領土問題、国防に関する研修会を開催し研鑽に努めてをります。来るべき憲法改正に向けても、会員の熱き思ひを結集し、より良い改正がなされるやう積極的な活動に邁進して参りたいと存じます。
これら私共神青協の諸活動が、貴会を始め関係各位の運動と調和し、大きな国民運動のうねりとなって、美しい国づくりの一助とならむことを切に願ってをります。
結びにあたり、設立十周年を機に、日本会議が愈々御発展されますこと、また会員の皆様の今後益々の御活躍をお祈り申し上げ、お祝ひの御挨拶と致します。(九月五日)
平間洋一 元防衛大学校教授
従軍慰安婦謝罪決議が在米華僑や中国政府の策謀によって米下院で採択され、さらに年末までには南京大虐殺などという映画が多数制作される。いずれも歴史的事実とは大きく異なる反日プロパガンダであるが、太平洋戦争開戦前にも偽作の田中上奏文や線路上で泣き叫ぶ子供のヤラセ写真が米国世論を大きく動かし、米国を日米開戦へと進ませてしまった。特に大きな影響を与えたのが「世界を征服せんと欲せば、まず支那を征服せざるべからず。
これ明治大帝の遺策」であると、田中義一首相が昭和天皇に上奏したとする田中上奏文である。日本政府は今の政府とは異なり直ちに強く抗議し、新渡戸稲造や多くの学者が一丸となって否定した。しかし、田中上奏文は世界中に「世界征服を目指す日本」とのイメージを定着させ、東京裁判では日本の指導者が満州事変以来、世界制覇の共同謀議を行ってきたと、田中上奏文のイメージで裁かれ、今もこの東京裁判史観が世界を支配している。
このように、チャイナハンドと呼ばれる親中派の学者や記者、宣教師などが中国へ同情や金銭的利益から日米を分断したが、独ソ戦が始まると米国を対日戦争に引き入れてソ連を救おうと、コミンテルンの指示を受けた米国の共産党員などが反戦から参戦に変わり、最後にはコミンテルンが関与したという「ハルノート」により日米両国は無益な戦争をしまった。歴史は嘘でも繰り返し語られ書かれ、ドラマとなり映画となって忠臣蔵のように確定する。
また、いくら日本語で書いても英語で書かなければ世界史にはならない。日本は正しい史実のために言論戦を展開すべきであるが、国内には孫子の兵法で毒性を増したペキンテルンに犯された親中反日家が多く、現状を見る限り言論戦への気概もなければ、英語で発信できる識者も少ない。しかし、歴史を壊された国家は砂のように消滅する。
これは西欧の植民地や中国やソ連に併合された諸民族を見れば理解できるであろう。これで良いのか日本。立ち上がれ日本会議。(八月三十一日)
廣池幹堂 (財)モラロジー研究所理事長
日本会議の設立十周年まことにおめでとうございます。戦後体制から脱却し、伝統・文化・歴史を尊重する、真の民主主義国家を確立するために、国民運動を展開して多くの成果を挙げてこられた日本会議に深甚なる敬意を表します。
その成果の一つに、昨年の教育基本法改正があります。伝統文化の尊重、道徳心、公共の精神、愛国心の育成、家庭教育の重視と生涯学習の進展などが明文化されました。日本会議は先頭に立って、改正を求める国民の署名と地方議会での決議をまとめる上で多大な尽力を払われました。
戦後62年間、旧基本法によって家庭と国家を否定する教育がまかり通り、我が国の悠久の歴史を否定する、反日的な歴史教育も行われてきました。その結果、我が国は家庭崩壊、国家解体の寸前にあり、それを再建する教育再生の一歩が踏み出されたのです。
しかし、戦後レジームからの脱却を掲げた安倍首相は残念ながら退陣しましたが、それだけ戦後体制の見直しは大変なことであり重圧感があったと推察いたします。ぜひ後継内閣も、この方向を受け継いでいただきたいものです。
世界は激動し、各国が国益をめぐって鎬を削っています。しかし拉致事件、北方領土の拿捕事件、竹島の占拠、東シナ海の海洋開発等への対処を見るとき、我が国は主権なき国家ではないかと言わざるを得ません。
この根本原因は、戦後、我が国に主権のない占領下に制定された現憲法、「アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のため憲法」にあります。
一日も早く「日本人の、日本人による、日本人のための憲法」を制定することが真の自主独立国家への道です。
「誇りある国づくり」を進める日本会議が設立十周年を迎え、なお一層国民一人ひとりの心の再生と我が国の再建に貢献されますよう祈念して祝辞といたします。(九月十四日)
ペマ・ギャルポ 桐蔭横浜大学大学院教授
今、日本は政治家の質が問われるような事件が頻発しております。第三の権力になってしまったメディアは正義をかざしてあの手、この手で政治家、特に有力政治家潰しに必死になっています。勿論メディアの役割として社会に真実を伝え、あらゆる危機に対し警笛を鳴らし、更には国民の知的要求を満たすため娯楽的な面も持たなければならないでしょう。しかし国を良くするという責任は政治家が一番大きい役割を持っていることは言うまでもありませんが、メディアや宗教家、教育者、経済人もその責任から逃れることは出来ません。
民主主義社会において、主権者である国民も一人一人果たすべき重責を背負っているのです。今、政治家はメディアの「過剰」とも言うべき監視のもと自信を失い萎縮している中、メディアに迎合している一部の政治家だけが注目を浴び、天下国家のもとを考えることなく、国家百年の計どころか十年先のことを考えることすら出来ない状況に落ちています。
またメディアそのものも商業主義に走り、国益、公益などを完全に無視し、視聴率と販売部数の競争にはまっているように見えます。
このような現状の中、私は日本会議の役割は極めて大きいと思います。日本を取り巻く国際環境は激変しておりこのまま放置してしまえば、日本はかつてのローマ人や元朝を創ったモンゴル人同様、自らの成功と繁栄に酔って、衰退への道を辿ってしまうでしょう。
日本会議はこの流れを変え、もう一度誇りと自信を取り戻し、日本ならではの素晴らしさに基づく国の再生のために大きな役割と責任が果たせると確信しております。地球的規模でものを見、長期的展望で考え、日本のみならずアジアとの共生と世界平和に大きく貢献していただきたいと切に願い、日本会議の益々のご発展とご活躍を心より祈念しております。(九月五日)
保積秀胤 大和教団教主
日本会議が設立されて以来、各界の多くの有志の方々のご努力により十周年を迎えたことはご同慶の至りです。
戦後の占領政策によって、日本人としてのルーツを消され、アイデンティティーを失った我が民族は、どこへ向かうとも知れず長い間彷徨ってきました。この流れに歯止めをかけ、戦後の軛から脱却して、大和民族としての本来の姿を取り戻すべく、「誇りある国づくり」の国民運動を展開してきたのが日本会議です。
憲法改正を視野に入れた国民投票法を成立させ、教育基本法を改正して、国家存立の根幹にかかわる問題に、正面から取り組む内閣が誕生するに至ったのも、国民世論に対するこれまでの国民運動による地ならしの成果と言っても過言ではありません。
しかし、国家再生の道はなお遠し、と言わざるを得ません。先の参院選の表層雪崩のような現象は、多くの国民の関心が未だに国の根本的な問題に向いていないことを示しております。世界第二の経済大国になった今も、年金などの「生活が第一」の公約に向くなど、公と私の比重は「私」に大きく傾いたままです。「戦後民主主義」の皮肉な成果というほかありません。戦後民主主義なるものを排し、日本の国柄を回復するためには、さらに国民運動、なかんずく教育再生に向けた運動の拡大と深化を図らなければなりません。
私どもの教団の根本精神は「心づくり、人づくり、国づくり」というもので、開祖は、おおかみみたまのふゆ大神の恩頼の吾が命よひとささ世人のために献げ尽くさんという自らが詠んだとおりの生涯を送りました。私たちの宗教活動はこの大和の精神によって支えられております。
今後とも大和の精神をもって、宗教団体の立場から日本会議の「誇りある国づくり」国民運動に参加してまいる所存です。(九月四日)
堀江正夫 英霊にこたえる会会長
昨秋、小泉総理の後を継いで「戦後体制からの脱却と美しい国日本の再生」を目指す安倍政権が誕生した時、我々は安倍総理の官房長官当時の言動から、英霊顕彰と靖国神社における公式参拝の実現を目指す我々の運動の将来に明るい希望を懐き、やがては陛下御親拝の道も啓けるものと大きく期待しました。
ところが安倍総理は、総理就任後は靖国神社参拝について、いわゆる曖昧戦術を唱え、昨年秋、本年春の例大祭、次いで八月十五日も不参拝で、今秋の例大祭には必ず参拝があるものと期待していた矢先、九月十二日の突然の辞意表明となった。
先の参院選での自民党の歴史的敗北は、色々と不測な、そして不祥な事態が相次ぎ、国民の不信感が高まった上に、従来自民党を支えてきた組織の崩壊がその要因と言われているが、自民党総裁選で公約した八月十五日の靖国神社参拝を実行して退任した小泉総理の後継者と目されながら、自分の信念である「総理の靖国神社参拝」を実行し得ない安倍総理の姿に、就任前とは違う政治家安倍の姿を国民は敏感に嗅ぎ取り、それが安倍総理に対する失望感、不信感となり、このような結果をもたらしたものと私は考えている。
今後、安倍後継政権下でも政局が混迷し国政が渋滞し、政局の運営が極めて困難となることが必至と予想されるが、「戦後体制からの脱却と美しい国日本の再生」は日本の現状から見て当然且つ緊急な命題であり、この実現のためには、今後政策的には妥協せざるを得ないものはあろうとも、その基本的な信条は断じて曲げることなく頑張ってもらいたい。そしてその第一歩として、国のため一命を捧げた御英霊を国や国民を挙げてしっかりと慰霊・奉賛する唯一の施設である靖国神社に、我国の舵を取る総理が先頭に立ち、閣僚や国会議員の方々が続いて参拝することを、是非とも勇断をもって実行していただきたいものである。(九月十四日記)
牧野和春 随筆家
日本会議設立十周年、まことにおめでとうございます。戦後日本人はずっと奇怪なる幽閉感覚の重圧に堪え続けてきた。これにきっぱりとけじめをつけ、有るべき、また有らねばならぬ国家・民族像を論理的かつ明確に国民に提示し続けてきたことに日本会議最大の歴史的意義があると思う。また、それ故にこそ大きな発言力を獲得することができた。
節目に当たり強く感じることは、組織単位中心の啓発から本当に地域単位〈ふるさと感覚〉個人対象〈草の根〉へと、水が大地に染み込むように更なる運動の展開を図ることが肝要かと思う。
では、その具体策は?何事によらず必ずついて回る質問ではあるが、表には現れぬ心の内面、琴線に触れる、につきるのではあるまいか。民族の心は生きている。受けた心の傷は忘れない。しかし自己治癒力は秘めている。
そこを誰が処方するのか。最後は自覚・自立以外にないけれども、そこへと至る誘導路は不可欠なのである。
戦後日本人の心の軌跡をたどれば、受けた心の傷をいかに治癒し、復元化させるかの苦悶、苦闘の跡とも言える。
戦後日本の出発は形は憲法になってはいるが、心で見れば、昭和天皇の『終戦の詔書』にある、あの『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ…』の一節に秘められている。かくて日本は蘇った。しかし、戦後体制の災禍と欺瞞的言説の充満により民族の心は重く幽閉された。
”生き物である民衆の心的マグマはこの屈辱をハネ返すうねりとなって〈今〉を呼吸する。国民会議運動は民衆心情と表裏一体。安倍政権発足はこの政治的投影である。我々はいま間違いなく日本再起の前夜に立っている。
このうねりはいかなる妨害があろうと成就させねばならぬ。試されているのは各自胆力である。(八月二十七日)
増元照明 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長
日本会議・日本会議国会議員懇談会設立十周年おめでとうございます。
日本会議の皆様には、日頃より「拉致被害者救出」のためにご協力を賜り、心より御礼申し上げます。
奇しくも、私たち「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が設立されてから十年を迎えましたこの年に、貴会議が設立十周年を迎えられましたことに、えにし少なからぬ縁を感じております。
一九九七年三月に私どもの「家族会」が結成され、家族の救出と同胞の救出を訴えて参りましたが、いち早く我々の活動にご理解をいただき私どもと共に闘いを始めていただいたことを、心より感謝申し上げます。当初は「疑惑」「でっち上げ」等の誹謗の中でメディアからも協力を得られない状況と、また既成政党の中に救出への妨害とも思える言動とがあった中で、五人の被害者とその家族を取り戻すことが出来ましたのも、日本会議の皆様を含め、心ある日本国民の皆様の支えがあったからこそという感謝の念で一杯です。
しかし、未だに多くの被害者が北朝鮮国内に留め置かれ、人質状態にあります。「家族会」は結成十年目を迎え、尚更なる闘いを推し進めていく覚悟です。
政局が混迷し、拉致問題を国の重要課題と掲げる安倍総理の信念が高い支持を得られないような現状において、我が国・我が国民を覚醒させる為に、主権を侵されて拉致された同胞を国家の責任として毅然と取り戻していく姿を、国内外に示さなければなりません。
誇りある国のあり方を追求する貴会議のご活躍が、我が国を正しく導く大きな力となっていくことを、更にその力によって私どもの家族の救出と問題解決が早期になされることを期待いたします。
日本という国家を信じて、国民を信じていきたいと思います。(八月二十七日)
丸山敏秋 社団法人倫理研究所理事長
日本会議・日本会議国会議員懇談会は、このたび設立十周年を迎えられ、十月六日にはその記念大会を開催されるとのこと、衷心よりご祝辞を申し上げます。平成九年五月三十日の設立以来この十年間、日本を良くするために国民運動の先頭に立ってご尽力いただきました歴代の会長様はじめ役員・関係者の皆様に心からの敬意を表します。
今、わが国が直面している喫緊の課題の第一は「安全」の問題です。食の安全から国家の安全まで、あらゆる方面で日本の安全は脅かされており、国民は安心どころかますます不安な日常生活を強いられています。
第二は「教育」の問題です。昨年、六十年ぶりに教育基本法が改正されたことはまことに喜ばしいことではありますが、それが実施され効果を上げるには長い時間が必要であり、国を挙げて統一した教育は今の日本では望めそうにありません。
これら喫緊の課題を国や政府に任せて手をこまぬいている訳にはいきません。民間から提言してそのうねりを国民全体に及ぼしていく以外に道はないように思います。これまでの十年に倍して、これからの日本会議の使命と役割は重大だと思います。誇りある日本の伝統を存続し、未来の発展のためにますますのご活躍をお祈り申し上げます。(九月四日)
水島総 日本文化チャンネル桜代表・映画「南京の真実」監督
まず、日本会議が結成十周年を迎えられたことを、心よりお祝いを申し上げたい。私たちが始めた衛星放送日本文化チャンネル桜も、本年八月十五日をもって四年目を迎えた。弊社の社是は、吉田松陰先生の「草莽崛起」と西郷南洲先生の「敬天愛人」である。この精神をもって放送事業を展開してきたが、今また、私たちは映画「南京の真実」の製作に取り組んでいる。これは、本年、中国が南京大虐殺なる「歴史のねつ造」を全世界的共通認識にせんと、三百億円以上の資金で多数の「南京大虐殺」映画を製作している企てに、唯一対抗する活動である。この映画製作は、単なる政治的イデオロギー的対立なのではない。きわめて現実的な、我が国の安全保障と祖先の名誉と誇りを守る情報戦争なのである。英国の保守思想家エドモンド・バークは、保守政治家というものは、墓の下にいる無数の先祖も一票を持っているつもりで政治を行うべきだと述べている。私たちの映像事業は、まさにその精神を持って行われている。したがって、私たちは映像分野において、常に日本会議の活動とほぼ同じ思いと志で、共に歩んできたつもりである。最近の政治状況を見るとき、口先だけの思想ではなく、その思想を実践、実行、決断できる勇気こそ、政治家に求められているのだと痛感している。
評論家の江藤淳氏は、西郷南洲翁が明治政府に対して起こした「西南戦争」を大東亜戦争に譬え、「大東亜戦争は世界に対する日本の西南戦争」であったと喝破した。現実に勝つことを必ずしも最優先しない道義国家日本こそ、南洲翁の日本精神だったのだと私たちは考え、そうありたいと願っている。
「正道を踏み、国を以って斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受るに至らん。」南洲翁遺訓十七より(九月五日)
宮崎義敬 神道政治連盟会長
日本会議が設立十周年の佳節を迎へられましたことに、心よりお祝ひを申上げます。
歴史・伝統に基づく道義国家の再興を目指して「悠久の歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」との力強い綱領を掲げ、皇室の尊厳を守るための活動を中心に据ゑ、平成九年に設立された貴会の国民運動の実績は、誠に大きなものがあります。
敗戦により荒廃した国民精神の恢復を目指し、日本会議国会議員懇談会をはじめとする関係諸団体と手を携へて取り組んでこられた国民運動は、昨年十二月の教育基本法の改正、また本年五月の憲法改正のための国民投票法の成立など、個人の権利の追求や自由・平等を至上とする「戦後民主主義」の歪の是正に繋がる原動力となりました。
改めて申すまでもなく、全国縦断キャラバン隊など、貴会の継続的な草の根運動の大きな成果であります。殊に、心ある多くの若者が貴会の主張に賛同し、若さと情熱をもって国民運動の中心的役割を担ってをりますことは、誠に頼もしい限りです。
混迷の度を深める政局、所謂「A級戦犯分祀論」や新たな戦歿者追悼施設の建設論議など靖国神社をめぐる諸問題、近隣諸国との領土・領海に関する問題など、時局は極めて多難ではありますが、日本人が主体性を確立し、「精神的構造改革」を完遂するためには、更なる国民運動の充実が必要であることは論を俟たず、今後一層、活動に御挺身を賜りますやう、切にお願ひ申上げる次第です。
最後に、貴会の益々の御発展と関係各位の御健勝と御多幸をお祈り申上げ、祝辞と致します。(九月十四日)
森敬惠 「日本の心歌い継ぐ会」代表・ソプラノ歌手
去る七月末に行なわれた参院選で自民党歴史的大敗と日本中が騒ぎ、いかにも日教組を支持母体に持つ民主党が国民の支持を得たかに見える報道がされているが、私はそうは思はない。そしてその報道に対して一言言わねばならない。
何故なら、安倍政権は、これまでどの首相も成し得なかった重要な改革を僅かな時間で行ってきたのだが、報道の歪みによって、日本国民はその真実の姿、改革の意義も知らされてこなかったのだ。
テレビ、新聞で騒々しく取り上げられるのは政治と金の問題、年金問題のみで、それも根元的闇部分には触れず、メディアの意図する方向に完全に誘導されたものだった。もし国民がその真実に目を向けるべく、日本国民の為には今、何を為すべきかを知らされていたなら、結果はこうはなっていないだろう。
「自由」は「規則」によって支えられるように、一国民は国家によって支えられている。「平和と自由と個人の権利」のみを叫び、摂理を無視した片落論に酔わされているのは日本国民だけだ。
真のジャーナリズムとは国民に真実の姿を伝え、自国民の安全保障の実態を鋭く探り、自分達の存続発展の為の資料を提供すべき使命を持つものであるはずだ。それが個人の利権争いという低次元で日本国を売り、国民を欺き、捏造、でっち上げのたぐいで済まされていたのでは、国民はたまったものではない。今回の選挙で利権を失ったと勘違いしている多くの国民に対しても、自己利権のみに走る事は自己破滅への道につながる警告を発していくべきだ。
個人と国民は表裏一体のもので、国を敵対視するメディアの言い方は間違っている。国が崩壊すれば個を守るものはない事を踏まえ、今こそ国民一人一人が日本国の存続発展の為に行動を始め、その底力を示す時がきている。(九月三日)
森田健作 俳優・元衆議院議員
家庭教育において「親学」は、最も大切なことです。全ての土台になるものが「親学」であると思います。
「親学」の基本は、「自分たちは一人で生きているんじゃない。みんなといっしょに生きているんだ」ということをしっかりと教えることです。それには、「思いやる気持ち」「助けあう気持ち」を子供たちにしっかりと育むことです。もっと身近に言えば、「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「すみません」をはっきりと言えるように躾け、育てることです。
しかし、「そんなことを言っても、うちの子供は言うことをきかないよ」という方がいます。それに対して私は「親が子供に根負けしていませんか?」と言いたい。子供は親の言うことを簡単には聞きません。それでも、親が絶えず言うことが大事なのです。そうすると必ず、子供のほうが根負けをして挨拶をするようになります。いろいろな家庭の状況があると思いますが、共通して言えることは、自分たちを納得させるために、「私たち親が、子供に根負けしていませんか」ということです。ここに親学の基本があると思います。
今ほど日本会議の重要性が問われるときはありません。良識派といわれる方々はあまり声に出して言いません。
いつも声の大きな少数派の声だけをマスコミが取り上げるので、それが国民全体の声のようになってしまっています。これは最も悪いことです。
日本は豊かで平和です。しかし、ふと離れて見てみれば、この平和さが日本を堕落させているようにも思えてくるのです。日本会議の皆様は、真の良識派です。私たちはこれからは、今まで一しか言ってこなかったことを、二、三と言っていきましょう。それを全国で実行していけば、大きな力になる。
それこそが、健全な日本の姿だと思います。
今こそ、日本会議の皆さん!
力をあわせて、この国を力強く牽引していこうではありませんか。(九月十二日)
矢田部正巳 神社本庁総長・日本会議副会長
この度、日本会議が設立十周年の節目を迎へられ、本日ここに盛大な記念大会を挙行されますことは誠に慶賀の極みであります。
貴会は、平成九年五月、悠久の歴史に培はれた我が国の伝統・文化を継承し、日本国民としての誇りと自信を恢復させることを目的に掲げ、二十数年間にわたり国民運動の中核を担ってきた日本を守る会と日本を守る国民会議を統合して、設立されました。そして、貴会と志を同じくする日本会議国会議員懇談会とともに、皇室の尊厳護持・自主憲法の制定や国家の安全保障・教育の正常化など、国の根幹に関はる諸問題に取り組んでこられました。
近年においては、余りに拙速なる皇室典範改定への動きに対して、各界各層と連携して慎重な論議を求める運動を展開されました。さらに、昨年九月の悠仁親王殿下の御誕生に際しては、奉祝運動の輪を全国に広げられ、皇室を中心とする我が国の国柄を改めて内外に示すこととなりました。
また、憲法改正については、現行憲法の制定過程や具体条文の問題点を明らかにし、その成果を以って早期改正を求める国民世論の喚起に努めてこられました。これらの活動は、本年五月の憲法改正の手続きに関はる法整備の実現となって、結実したところであります。更に、昨年十二月の教育基本法の改正は、教育正常化に向けた長年に亙る運動の成果であり、戦後史の中でも特筆されることでせう。この過程で、貴会が常に国民運動の先頭に立たれたことに、心より敬意を表するものであります。
この記念すべき秋を迎へ、志を同じくする多くの良識ある国民と手を携へ、麗しい国柄を後世に伝へるために活動を更に充実されますことを、切に御期待申上げる次第であります。
結びにあたり、貴会の益々の御発展と関係各位の御健勝を心よりお祈りし、祝辞と致します。(九月十四日)
山本卓眞 富士通名誉会長・日本会議副会長
日本会議は過去十年間、日本の正常化にかなりの貢献をしました。皆様と共にお祝いしたいと思います。しかし7月末の参議院選挙の結果に加え、閣僚の靖国神社不参拝など若干の逆行が憂慮されます。特に憲法改正の実現、教育再生の定着など日本正常化の課題は山積し、日本会議は従来にも増して努力すべき状況にあると思います。従来の方針に次期の対策を加え、実行すべきでしょう。これまでの国会中心の活動に加え、国民への情報発信、世界特に欧米への英文情報発信など広報活動に力点を置くべきではないでしょうか。
今回選挙前の新聞、TVなどによる争点の低次元化誘導はひどいものでした。正に民主主義の欠陥である大衆迎合でしょう。また例えば、沖縄の集団自決への軍の関与についてのNHK番組の偏向ぶりも露骨なものでした。NHK対策の第一は国会を通して公共放送としての姿勢を是正することでしょう。一般的には健全な国民の声を如何に大きく目立つようにするか、また広告出稿を通じてのマスコミの牽制だと思います。勿論広告については経営者への働きかけが必要で、これまた正常な国民の声の大きいことが背景として重要です。
所謂「従軍慰安婦」に関する米国下院の決議は多くの日本国民を呆れさせました。過去日本の政治家が事実に反する不見識な談話を発表して禍根となった代表例でしょう。この撤回を求めるのも国家の尊厳と威信を保ち、道義を貫く為不可欠なことで、日本会議の使命の一つでしょう。「慰安婦」は典型例で、海外広報には従来以上に力を入れるべき時が来たようです。これには反日プロパガンダを目的とする敵があり、戦いの意識が必要です。
元来、国家の威信を賭けた情報発信は国家の事業の筈ですが、歴史的に見ても日本政府、外務省の認識は十分とはいい難く、政府への働きかけと日本会議自身の努力が必須のようです。自己主張を美徳としない日本文化からの意図的な離脱が要請されています。(九月四日)
屋山太郎 政治評論家
安倍首相が唱える「戦後レジームからの脱却」がこれほど評判の悪いものだと全く思わなかった。とくに朝日新聞の安倍叩きは自らの新聞としての権威を貶めるほど非酷いものだった。
「戦後レジーム」とは「平和憲法と進歩主義」に象徴される、実に抽象的な概念である。この漠たる概念を追求した結果、日本人は物質的利益を得ることやその配分にしか関心がいかなくなった。国家意識や社会的規範が薄れて、国家が溶解寸前まできた。
参院選の結果は国民が「戦後レジーム」に安住する方を選んだということなのか。そうではあるまい。脱却したのちに、どのような世界があるのかについて安倍首相はもっと丹念に説明すべきだった。我々は非常に名誉ある社会に住み、その社会が壊れそうになっている現実を語ってほしかった。「教育基本法の改正や国民投票法の制定はその輝かしい社会を回復する第一歩なのですよ」と。
四十年ほど前、特派員としてローマに駐在した時のこと。外人記者クラブで宗教のことを聞かれ「神道だ」というと「どういう教義か」と問う。「教義はない」と答えると、一同不思議そうな面持ちである。「では社会の規範はどうやって守られるのか」と問う。
それでようやく解ったのだが、西洋社会は封建時代を経て、人々が自由を求めて国民国家としてそれぞれ誕生するのだが、その際、社会の規範となったのがキリスト教である。聖書を読めば何が悪くて何が善いかが書いてある。
ひるがえって日本はどうか。封建時代を通じて日本人が身につけたのは名誉の観念だ。名誉を尊ぶことから「恥の文化」ともいわれる。これに対比すれば西欧は聖書を通じた「罪の文化」といえるだろう。教義もないのに、同じ価値観に国民皆が同一化しているのを知って記者の面々は驚嘆した。その様を見て私は自分が日本人であることを初めて自覚し、誇りに思ったものである。いま、その「恥の文化」が危うくなっていることを痛感する。(九月二日)
米長邦雄 東京都教育委員会委員・永世棋聖
先ずは十周年おめでとうございます。というよりは、ご苦労様でしたと申し上げるべきか。教育の現場からの私見を述べたい。
教育基本法改正は確かに良かったが、もっとすっきりとした格調高いものにして欲しかった。これは妥協に次ぐ妥協のならしめる結果であるが、前文は民主党案の方がはるかに優れていると思う。
これからも日本会議の果たす役割は、青少年の健全教育を第一と考えていただきたい。教育については総理をはじめ多くの人々が口にしているが、教育の何たるかを低次元で捉えている輩が多いことは嘆かわしい限りだ。
教育は人間の魂、心を育むことが全てと言い切って良い。古来、読み書き算盤が教育の根幹をなしてきたのだが、近頃は学力とかに惑わされ過ぎているようだ。「一に国語、二に国語、三四がなくて五に数学」とは『国家の品格』の著者、藤原正彦先生の言だが、その通りである。
正しい国語を学ぶことが教育の基礎基本である。国語を正しく読み、正しく書く。母音と子音では母音が急所中の急所だ。発声は、和歌や詩吟等は母音のみの素読も一法である。洋楽は子音で終わる語彙も多い。日本語の乱れは母音の乱れでもある。
国際化やアイデンティティーの確立、グローバリゼーション等々がしきりに説かれているが、全ては「自立した日本国民」としての自己があっての上でなければ話にならぬ。国際人とは、他国の人に対して日本という国の在り方をきちんと説明出来る人と定義して教育する必要がある。
ゆとり教育は実は素晴らしいものである。ただし、「ゆとり」という表現が間違いであった。あれを「魂を育む時間」として再度出直しは出来ぬものだろうか。
愛国心や道徳心、孝心、公共のための知性などは点数では示せないものである。これらは学力に関係ない授業になる。学力低下を防ぐためとの目的で「ゆとり」の時間がなくなる。残念である。
日本会議のメンバーになろうかという人間を育成することが教育で最も求められているはずだ。それは学力と全く関係ないものであって、「ゆとり」の中でそれを教え育む環境こそが教育改革で最も重要なのである。(九月五日)
渡部昇一 上智大学名誉教授
「戦後レジーム」とは何であろうか。
その第一はサンフランシスコ講和條約が締結した時に、独立回復のためになすべき一番肝腎のことをやらなかった状況の継続のことである。日本が占領下にあった時、つまり主権を奪われ、天皇陛下も占領軍最高司令官に隷従(subject)せしめられていた時期に、占領軍の意向で作られた憲法を、独立回復の時にそのまま残しておいたことである。百万の詭弁を弄しても、主権のない時代に、主権の発動たる憲法ができるわけがないのである。しかし日本の敗戦によって利益や地位を得た人たちは、自分たちの敗戦利得を守るため、護憲を唱え、その勢力が大きかったのだ。日本人の憲法が必要である。
第二には、国民の間に、特に教育の場において、いわゆる東京裁判史観が浸透し続けたことである。いわゆる共同謀議を柱にして日本を裁こうとした東京裁判が、国際法を無視したものであり、事実的にも成り立たなかったことは、パル判決書を見るだけでも明かである。特に近年は英米ソなどの暗号解読文書や極秘文書に触れることができるようになったことによって、東京裁判における検事側の主張は全く成り立たないことも明かになってきている。
しかし現実の日本では、占領憲法の支持者や東京裁判史観を正しいと思い込まされている人たちが多い。そうした中で、十年前に日本会議が設立されたことは、長い暗夜に、東の方から光がさし始めたという感じがしたものである。それ以来、日本会議が日本のために果してきた業績はまことに偉大である。かつてはそれを口にしただけでも大臣や議員のクビがとんだような正論も、堂々と唱えられるようになってきた。「戦後レジームからの脱却」を果しつつある今日、日本会議の十周年記念を心から慶び、かつ深い敬意を捧げる次第である。(八月二十七日)
許世楷 台北駐日経済文化代表処代表
日本会議及び日本会議国会議員懇談会が設立されて十周年という節目の年を迎えるにあたり、衷心よりお祝いを申し上げます。
日本会議、日本会議国会議員懇談会を設立した目的は、日本が直面している政治、教育、危機管理など種々の課題に対して、解決につながる糸口を提言することにあります。これまで皆様は日本人としてのアイデンティティ、日本の伝統文化を守り、光輝ある歴史と伝統精神に誇りを持ち、後世に伝えるように訴えてまいりました。また人権、歴史、安全保障、外交、教育、経済、憲法、皇室など多方面にわたる啓蒙教育を施し、戦後の平和教育によって失われようとしている国民精神を回復させ、道徳心と愛国心を想起させ、社会公共に尽くす気概を喚起し、日本人としての尊厳を取り戻すよう各種の運動を積極的に展開してこられました。
皆様の長年来の献身的なご努力により、元号法制化、国旗国歌法が成立、教育基本法が全面改正され、数多くの成果を収められました。今後さらに新たな時代に見合った国民運動を展開し、いっそう精進し、所期の目的を達成できますよう願ってやみません。また貴我両国の友好関係の更なる発展にもぜひ引き続きお力添えのほど宜しくお願い申し上げます。
結びに日本会議の益々のご発展ご隆盛をお祈り申し上げます。(九月二十日)