(敬称略)
李登輝 | 台湾前総統 | 石井 公一郎 | 日本会議副会長 ブリヂストンサイクル(株)元社長 |
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井尻千男 | 拓殖大学日本文化研究所所長 | 出雲井 晶 | 作家 画家 |
市田ひろみ | 服飾評論家 | 入江隆則 | 明治大学教授 |
宇佐美忠信 | (財)富士社会教育センター理事長 | 岡崎久彦 | ㈱博報堂特別顧問 元駐タイ大使 |
岡野聖法 | 解脱会法主 | 小川義男 | 狭山ヶ丘高校校長 |
小串和夫 | 熱田神宮宮司 | 小田村四郎 | 日本会議副会長 拓殖大学総長 |
小野田寛郎 | 財団法人小野田自然塾理事長 | 加瀬英明 | 評論家 |
勝部 真長 | お茶の水女子大学名誉教授 | 唐津 一 | 東海大学教授 |
川上源太郎 | 社会学者 清泉女学院副学長 |
北白川道久 | 神宮大宮司 |
木村治美 | 共立女子大学教授 | 工藤伊豆 | 日本会議副会長 神社本庁総長 |
工藤雪枝 | ジャーナリスト | クライン孝子 | ノンフィクション作家 |
黒住宗晴 | 黒住教教主 | 小堀桂一郎 | 日本会議副会長 東京大学名誉教授 |
蔡焜燦 | 偉詮電子股_有限公司董事長 | 櫻田 淳 | 評論家 |
春風亭柳昇 | 日本演芸家連合会会長 | 篠沢 秀夫 | 学習院大学教授 |
竹本忠雄 | 在パリ 筑波大学名誉教授 |
田久保忠衛 | 杏林大学教授 |
坪井栄孝 | 日本医師会会長 | 外山勝志 | 明治神宮宮司 |
中野良子 | オイスカ インターナショナル総裁 |
中條 高徳 | アサヒビール株式会社 名誉顧問 |
名越二荒之助 | 元高千穂商科大学教授 | 西尾幹二 | 電気通信大学名誉教授 |
西部 邁 | 評論家 秀明大学教授 |
長谷川三千子 | 埼玉大学教授 |
林秀彦 | 脚本家 | 林道義 | 東京女子大学教授 |
廣池幹堂 | (財)モラロジー研究所理事長 | 前野 徹 | アジア経済人懇話会会長 |
丸山敏秋 | 社団法人倫理研究所理事長 | 宮崎義敬 | 神道政治連盟会長 |
宮西惟道 | 東京都神社庁庁長 | 村尾次郎 | 全国地名保存連名会長 |
村松英子 | 女優 詩人 |
八木秀次 | 高崎経済大学助教授 |
吉田好克 | 日本会議百人委員会委員 宮崎大学助教授 |
渡部昇一 | 上智大学教授 |
李登輝 台湾前総統
「日本会議」成立五周年にあたりまして心からのお祝いを申し上げます。五周年とはいえ、その礎は国を思う志篤き皆様方の長年のご努力の結晶になるものとお聞きしており、誠に心強い限りとご同慶の至りです。
素晴らしい諸先生方、そして何よりも若い方々が頑張っておられる日本会議は、日本のみならずアジアの諸国にとりましても、足元を照らす光でありますことと確信いたしております。日本も台湾もお互いに民主化自由化に努力していますが、日本がアジアのリーダーシップを執り、これからのアジアの平和に、ひいては世界の平和に貢献なさるという気概を持たれて前進なさいますことを切に祈っております。
日本会議の益々のご活躍とご発展を遥か台湾よりお祈り申しております。
石井 公一郎 日本会議副会長
ブリヂストンサイクル(株)元社長
伝統文化の尊重は、いま声高に語られていますが、普通教育の実態は、戦後五十余年を通じて伝統軽視で貫かれているように思えてなりません。
もっとも大切である國語は、アメリカ占領軍の指導に忠実な文部省によって行き過ぎた標音化・簡略化が進められたことに加え、小学校用教材から文語文を追放(乃至は最少限化)するなど、古典学習の基盤を故意に弱体化する愚行が重ねられてきました。
同様に、歴史教材のなかにも、戦後の症状が顕著に見られます。小学校では「社会科」のなかで無味乾燥の社会史が教えられており、ほとんどの教科書が左翼史観信奉者によって書かれているので、歴史好きの児童が育たない仕組みになっています。児童が祖先の足跡を知り国柄を理解しようとする第一歩に、このような障壁が設けられているのですから元気のよい日本人が少なくなるのも無理がありません。
日本会議は、右にあげた問題を含む教育全般の刷新をはかるため、広く同憂の方々に呼びかけ、西澤潤一氏を会長とする「教育改革有識者懇談会」(略稱は民間教育臨調)を新たに組織しようとしております。平成十五年一月二十六日に発足する予定なので、皆様の積極参加を期待申し上げます。
井尻千男 拓殖大学日本文化研究所所長
日本会議が設立されて、ことしが五周年、最初の節目の年を迎えた。初志を再確認し、態勢を整え、新たな気合いを入れて歩を進めなければならない。
歪められた歴史を糺すことが容易ならざることであることを知りつつ、誰かが正統な歴史を探し求めて、それを語り続けぬかぎり、民族は漂流して、やがて波間に消える。史上、消滅した言語と民族は少なくない。
戦後五十七年のわが国は、間違いなく漂流過程にあるといわねばならない。被占領期に押し付けられた憲法を一度も改正していないばかりか、そこに国是を見る知識人と政治家がいまだに多い。被占領状態があたかも理想であるかの如き倒錯した議論すらある。
国家の安全を、平和を愛する諸国民にゆだねること、それが戦争放棄の前提になっているわけだが、そういう憲法をいただくことで、われわれは大事なものを失ってしまった。民族国家にとっての「聖なる領域」を失ったのである。
その聖なる領域の発生する源泉が、国防、すなわち国体を護るという観念にほかならない。火力の多寡ではなく、観念の深浅が重要なのである。傭兵でも国は守れるというような現実論は論外なのだ。
靖国神社という聖域が成り立つのも、国防という聖なる観念あってのことである。今日、それが内政、外交の具になっていること自体が漂流する国家の悲喜劇なのである。
もう一度、原点に戻ることが肝要だ。その原点を「八月十五日」(敗戦の日)とするか、それとも「四月二十八日」(主権回復の日)とするか。その差は天と地ほどのものである。
敗戦国日本が被占領下に置かれて六年八カ月、その間喪失していた国家主権を回復するのが昭和二十七年四月二十八日、講和条約発効の日。この日を起点に戦後史を考え直すこと、それ以外に漂流する祖国を真っ当な航路に戻すことは不可能だろう。
日本会議の新たなる一歩として、主権回復記念日を祝日にする国民運動を加えていただきたいと切望する。
出雲井 晶 作家・画家
皆様大変失礼ですが、ご自身に問うてください。自分は類人猿から進化した動物と思っています?日本国とは、倭の奴国王が後漢にに使者を送った。邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送るなどして始まった、という国史に抵抗も違和感も感じませんか。
最近でも憂国の士でありながらこの国史に疑義を抱いていない人の多い事を知り、私は愕然とした。これらの歴史は占領軍の日本人を洗脳、弱体化の為の巧妙な罠(わな)であった。戦後五十七年たってまだその呪縛が解けていない。人間としての、また日本人としてのアイデンティティーを消され、自己の尊厳を喪失し国家の誇りを失った民族に堕(お)ちてしまっているということだ。
道徳の退廃、青少年の非行、治安の悪化、腰抜け外交、経済不安、すべてはここに起因する。洗脳された思考で作るから占領時代と同じ歴史教科書で子供達は教えられ続けている。結果は、戦前戦中戦後を生きてきた者からみれば、今ほどの危機的状態はない。日本が日本でなくなる危機感である。この事態を冷静に直視すべきである。
その上で日本人みなの古代のご先祖が発見し伝承してくれた「日本神話」にこめられた真理=大宇宙の法則に則(のっと)った本然の魂に回帰する。人間とは大生命に生かされて生きる神の命(いのち)。地球上の人間すべては一つの大いなる命で繋がっているという真理。わが日本の国とは世界百九十一の独立国の中で天皇様の皇統が二千六百六十二年、百二十五代連綿と続いている、正に世界歴史の奇跡のごとき国家である。これは古代ご先祖が壮大な大和(だいわ)の理想を描いて建国しておいて下さったからこそ今存在するのである。
人間と国家の原点を、大地悠久不変の法則に則って発見し伝承してくれた偉大な古代ご先祖に感謝する時、猛然と正しい愛国心も湧いてくる。郷土愛も先祖、親を大切にする心も健全に育っていく。まず洗脳を解き時流に流されず、自己と国家の根幹を正しく見極め学ぶ事を、徹底させることから始めよう。
市田ひろみ 服飾評論家
二〇〇一年四月。三度目のエジプトの旅。ナイル川の上流にあるアスワンは、私の好きな町で、百年の歴史を持つオールド・カタククトはエジプトで、私の最も好きなホテルだ。
ナイル川に面した私の部屋から激しい流れを見る。
白い帆を張ったファルーカが行き交っている。
私は夕方ファルーカに乗るのが好き。船の漕ぎ手はヌピア人だ。黒くちぢれっ毛でエジプト人とは違う。服装も、言葉も違う。このあたりはヌピア地方と呼ばれ、かつてヌピア王国のあったところだ。
私の衣装を訪ねる旅は、その民族のルーツを訪ねる旅でもある。だから一方では、その国の興亡を知る旅にもなる。
いくつの国が栄えて滅んだだろうか。カルタゴ、ムガール帝国、ユーゴスラビア。かつての栄光はうたかたの夢だ。
日本人は、今、日本の将来を考えねばならない。十年先、五十年先、百年先を考えねばならない。
国家の秩序がこわれてゆけば当然のごとく滅びにむかう。 何はともあれ、守るべきもの、変えてゆくべきものを正しく判断してゆかねばならない。
ルールのないところに秩序は保てない。日本の教育は劣化の一途をたどっており、その上、家族の絆も、夫婦別姓にでもなればどんなことになるか。
自国の防衛を、誰がするというのか。日本人が、日本の国と日本人を守らないで誰が守ってくれるというのか。
日本会議は、日本の良識の集団だ。日本全国の、良質の日本人の誠実な国民運動が「日本会議」として再スタートして五年。ますます、その責務は広がるばかり。一人一人が、知恵を出し、力を出して、この国がその行方をあやまらないようにせねばならない。「日本会議」の責任は重い。
入江隆則 明治大学教授
つい最近保守論壇の一部で、反米・親米論争なるものが持ち上がった。その中心的な論点の一つは、日本がいかにして自立するかという問題だったように思う。現在の日本は形式的には国家として自立をしているかにみえても、片務的な安全保障条約をアメリカと結んでいて、かつアメリカの核の傘によって守られている。そのため、アメリカの元大統領補佐官に「保護国」だとか、「下僕」だとか罵られても、むろん腹を立てる人はいても、その立腹も長くは続かない。これもそのせいかどうかは分からないが、八十年代から九十年代にかけての貿易摩擦の際に、日本は経済主権をも放棄して、それを護ろうとしなかったと言われている。それがその後の日本の失われた十年の一因だとされている。さらにまた中国や韓国が日本に内政干渉をしてくるのを、こうもやすやすと許しているのは、日本人に主権意識がなく、日本が国家として自立していないからだというのは真実であろう。
この議論を突き詰めて行くと、どうやら「核」の問題に行き着くのではないだろうか。日本では正面から「核」を語るのはタブーであって、非核三原則の見直しの可能性にちょっと触れただけで、いまでも政治家の首が飛びかねないほど、その忌避感は根強い。しかし世界での核廃絶の可能性は、リアリストにとってはあり得ないし、また核を廃絶すればそれで楽園が来るわけでもない。一九四五年以前の世界は「核」はなかったけれど、近代兵器による頻繁な戦争の時代であった。そんな時代が再来するぐらいなら、「核」による抑止力が利いていた冷戦時代や、それ以後の時代の方が良いとも言える。中国にも北朝鮮にもあるいはアメリカにも対等の口がきけるのは、「核」をもって初めて可能になるという言い方は、日本人のタブーには触れるかもしれないが、一面の真実を含んではいないであろうか。それはまた、日本人に日本国家の滅亡を常に意識させるという意味での、緊張感をももたらすであろう。臆せずに、こういう問題を語るべき日が来ているのではないだろうか。
宇佐美忠信 (財)富士社会教育センター理事長
日本会議が設立されて五年を経ましたが、この間わが国がかかえる重要な課題について積極的に提言し、その実現の活動をつづけてきた意義は大変大きかったと確信しています。
この会議こそ憂国の士の集いであり、国民運動の中心的組織であります。大東亜戦争直後から日本は貧しさからの脱却のため、経済的に欧米に追いつけ、追い越せの気概をもって働きつづけてきました。昭和二十九年末から昭和四十七年の間に、神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気という好況の時期を経て、経済力を飛躍的に発展させ、昭和四十八年の石油価格急騰の危機も克服し、バブル経済をつくり出し、平成に入ってバブルが崩壊しましたが、日本人の生活水準向上にしました。しかし反面、戦後、六年八ヶ月の占領下において、日本人の大和魂、武士道精神をとり除く洗脳教育計画がつくられ、これに実質的に同調する偏向した教育が進められ、東京裁判史観、自虐史観、マルクス主義史観が多くの人々にうえつけられました。
国に誇りをもち、国を愛することが右翼反動と言われたり、誤った利己主義がはびこり、多くの不祥事件の発生、凶悪犯罪、青少年犯罪の多発などに見られるような心の荒廃が進んでいます。日本は金持ちになったが、心の貧しい国になりつつあります。これが最重要課題だと思います。
日本の伝統、文化を尊重する正常な教育を表現しなければ、日本の将来は暗くなってしまいます。 日本会議としてさらに教育改革の実現を目ざし、心豊かな国づくりを進めましょう。教育改革には時間はかかるでしょうが、今からでもおそくはありません。若手労働組合リーダーの教育の仕事をしていますが微力をつくす所存です。
岡崎久彦 (株)博報堂特別顧問・元駐タイ大使
日本会議設立五周年おめでとうございます。
今後とも頑張って下さい。もうあと一息の感があります。
初期占領政策とそれを引き継いだ左翼の偏向教育、偏向報道の残滓は、国民の意識の中から薄紙がはがれるように取れて行っているように思います。
しかし国民の意識がここまで変わって来ているのに、政治の惰性というか、硬直性のために、いまだに、憲法改正、戦争裁判の公的な見直しが行われず、とくに集団的自衛権はあるがその権利は行使できない、という、いやしくも法律のカケラでも知っている人間は愧死すべき答弁が今でも国会で行われているという現状を考えると、日本会議に最後まであきらめずに頑張っていただきたいと思います。
岡野聖法 解脱会法主
誇りある国づくりを目指して全国的に国民運動を展開しております日本会議が今度設立五周年を迎えられましたことは真に喜ばしく衷心より御祝い申し上げます。
ご承知の如く、日本会議の綱領や基本運動方針に従い、憲法問題、外交問題、教育問題を主軸として今日まで全国各地で多彩なる活動を展開し国民世論を形成し多大の成果を収められていますこと、その実績の上に今度、新たな国民運動方針の五項目を打ち出し力強く宣言されておりますことは、まことに心強く心から賛同する次第であります。
さて、三好達会長はご挨拶の中で「愛国心の涵養こそ国を立て直す道」と申されております。まことに至言であります。戦後、今日に至るまで個の主張が強く、公の観念が乏しくなっています。個の確立と公の確立は共に大切であり、個と公がうまくバランスされて機能することが大切だと思います。
日本会議の主旨や活動が国や地方自治体、広く国民各家庭、国民一人ひとりに理解され浸透していくことを強く望むものでありますが、そのためには、打ち出された五項目を更に具体的な実践形体をもって私共が展開してゆくことが肝要と存じます。
国づくりは人づくり家庭づくりから、といえましょう。今こそ人間らしい人間、日本人らしい日本人を養成すること、即ち人間として生みなされた尊さを心底から自覚し、自他の生命を尊重し、動物植物生きとし生けるものを愛護する人を育成する必要があると存じます。家族を愛し、人を愛し、郷土を愛し、国を愛することのできる心根を育成することが再優先されるべきことと考えます。
人間として日本人として生みなされた尊さをしみじみ味わい、敬神崇祖の伝統精神をもって大和の国・日本を愛し、日本人としての誇りをもって国の建て直しに努力してまいりたいと存じます。
小川義男 狭山ヶ丘高校校長
私は昭和二十六年、中学校代用教員となった。発足間もない頃の日教組には、校長が組合員だったこともあり、良識が失われていなかった。しかし、いわゆる「飢餓賃金」の頃だから、時には活動が激烈にわたることもある。そのようなときは、必ず村の古老が学校に押し掛け、校長と激しく論争した。互いの理解も深まり、最後は校長公宅で一杯やるという結末だったようである。
しかしいつの頃からであろうか、このように健全な「圧力団体」が影を潜めてしまったのは。代わって、「○○市教育ネットワーク」などと称する「左翼圧力団体」が登場するようになった。彼らが最大のターゲットにしたのは、公立小中学校の儀式における国旗、国歌である。弁護士、学者などを含む四、五人の「市民代表」が校長室を訪れ、校長と「深く話し込む」のである。国旗も、国歌も国民の圧倒的多数に支持されているのだが、彼らはそれを認めず、校長を徹底的に論難する。
実は左翼政党、もしくはその直系外郭団体に組織された政治圧力なのだが、彼らは市民の名の下に、その偏見で学校運営を揺さぶろうとする。
ところが、圧倒的多数を占める筈の良識派は全く姿を現さない。かくして、極々少数の者に、学校の健全な運営が脅かされるのである。私はこれを、「声の大きな少数派の横暴」と呼んでいるが、この少数派によって、教育どころか国政全体が脅かされているのが今日の我が国なのではあるまいか。
「日本会議」「新しい歴史教科をつくる会」等々、新しく頼もしい人々が献身的活動を展開し始めたが、まだまだそのカは弱く、コミンテルン以来の、訓練され尽くした組織活動に太刀打ちできていない。社会主義がイデオロギーとしても壊滅した今日、我々は大地を捲いて、残的掃討の戦いに突進しなければならないと思うのである。
小串和夫 熱田神宮宮司
本会が設立五周年を迎え、その勢いが益々盛んでありますことは、役員・会員はもとよりご関係の方々のご尽力によるものと存じております。役員のひとりとして御礼申し上げますと共に、今後の更なるご助力ご協力をお願いする次第であります。
さて、我が国は二千六百有余年にわたる悠久の歴史を有し、神武天皇の御即位以来、建国の精神を連綿と受け継いでまいりました。
これは我々の先人たちが、幾度となく襲いかかる危機に際し、心血を注ぎ勝ち取ってきたことに依るものであります。
現在の日本は正に内憂外患、非常に危機的な状況にあり、政治・経済・教育ともに迷走を続けていることは心を痛めるところであります。
本会の活動がひとりでも多くの国民の自覚と誇りを回復し、この国の危機を打開せしめる力となることを希望致します。
小田村四郎 日本会議副会長・拓殖大学総長
日本会議及び日本会議国会議員懇談会が、設立以来日本再建の国民運動の中核体として活動し、ここに五周年を迎へたことは喜びに堪へません。
特に、今上陛下御即位十年の奉祝祭典と敬宮愛子内親王殿下御生誕の奉祝集会がいづれも皇居前広場で盛大に行はれ、萬世一系の皇室を戴く國體の尊さと国民的一体感を実感できたことは、最大の喜びでした。
今年は平和条約が発効して独立主権が回復した五十周年に当ります。歴史教科書や靖國神社参拝に対する外国の不当な内政干渉は依然跡を絶ちませんが、今年に入って瀋陽総領事館事件、北朝鮮工作船事件、邦人拉致事件等の主権侵犯事実が衆目に曝され、国民の国家意識も漸く正常化の兆しが見えて来ました。
しかし最大の問題は、国防規定の欠落した憲法の存在とこれに関する政治の独断的解釈です。そのため、自衛隊は未だに国軍として認められず、安全保障法制も未整備のままです。我々は先づ、根拠なき政府の自衛権解釈を是正するとともに、安全保障条項と明記した憲法改正の実現を急がなければなりません。
さらに国防の基礎は、祖国防衛のために殉ぜられた英霊の顕彰祭祀にあります。それには、小泉首相が外国の干渉を排して断行された靖國神社参拝を継続、定着化させ、現在政府の一部で画策されてゐる新たな国立慰霊施設の建設を断じて阻止する必要があります。
当面最も懸念されるのは、男女共同参画の美名の下に公権力を利用して強行されつつあるジェンダー・フリーの運動です。それは、夫婦別姓をはじめ、家族と解体し、男らしさ・女らしさを否定し、我が国の伝統文化を根底から破壊しようとしてゐます。かかる策謀を破砕して、社会の基本である家庭を護るのは刻下の急務です。
設立五周年に当たり、関係者各位の御努力と御支援に深く感謝申し上げ、初心を想起して決意を新たにしたいと思ひます。
小野田寛郎 財団法人小野田自然塾理事長
真剣な眼差しで声を嗄して獅子吼する首相に、今度はさっぱりと腐れ縁を断ち切って少しは胸の張れる日本に様変わりさせるのかと期待したが、昨年の八月十五日の靖國神社参拝前倒しで「やっぱりこの程度のことか」とその後を当てにしなくなっていた。
果たせるかなアメリカ大統領を案内するだけで明治神宮にもお参りできず、靖國神社の例大祭に参拝して、八月にはお詣りしないと早々前ぶれ発表して鎮静化に懸命の努力。それでも従来の首相よりも一歩前進と評価する向きもいるが、外交辞令か本心かは図りかねるが、私は納得はできない。
「自分の言葉に責任を持て」私は父からよく戒められた。父は「口から出た言葉は人の耳に入る、後になって違ったら悪意で人を欺いたと同じことになり『奴は嘘つき』と言われても弁解の余地はない。発言する前に良く吟味しろ、『武士に二言はござらぬ』でなければ信頼される人間にはなれぬ」だった。
その意味で首相は浅慮か不備不明か、悪意はなくても信頼できぬ範疇に入る。現在の政治家に、事の次第で腹を切れるだけの「肚の座った」士を求める方が無理かも知れないが、私は別に腹を切って身の潔白を示す事を望んでいるわけではない。その覚悟で事に当たって欲しいと願っているのだ。何故なら昔から言われている通り「死」を覚悟して事に当たる事で、己の持つ総てが集中発揮でき、困難な戦いの局面を切り抜ける事が出来たことを経験しているからである。戦場で多くの兵士の命を預かった者の責任感が、そうした自分で信じられないような能力が湧き出した例は、単に私一人だけの例ではない、多くの体験者がいる。
一人、静かに靖國の御霊の前で瞑想すれば、一国の安否を預かる者として自ら感じるものがある筈である。速やかにそうした士の現れることを願っている。
加瀬英明 評論家
前大戦が終わってから、五十七年の歳月を経たが、日本国民は年を重ねるごとに、正気を失うようになっている。
靖国神社問題に対する政府の態度だけとっても、反日を国是としている中国と韓国が要求しているからといって、代替追悼施設を建設することを検討している。しかし、このようなことを、二十年、三十年前に、想像できただろうか? 当時の日本国民はこのように国を辱しめることを、許さなかっただろう。
勝者の一方的な報復であった東京裁判についても、同じことがいえる。いわゆる〃A級戦犯〃として犠牲となった、政府、軍幹部の御霊が靖国神社に合祀されたのは、昭和五十三年のことであった。その翌年、大平首相が二回、靖国神社を参拝した。いわゆる〃A級戦犯〃の御霊を合祀した時にも、大平総理が詣でた時にも、中国と韓国は異議を唱えることがなかった。
戦後、日本が独立を回復してから、日本国民は三人のいわゆる〃A級戦犯〃を、首相、外相、蔵相とした。岸信介、重光葵、賀屋興宣の三氏である。今日の日本であったら、このようなことは、まったく考えることができまい。
自由民主党は靖国神社を公的に維持しようとする「靖国神社法案」を、昭和四十九年に他の法案を優先したために廃案とするまで、国会に毎年上程したものだった。
いったい、どうしてこの三十年あまりの間に、日本が狂うようになったのだろうか。たった二つの隣国――中国と韓国が、日本国民から誇りを奪うことによって、日本を従わせようとする政治的な意図をもって、靖国神社と歴史認識をめぐって干渉しているのに対して、卑屈に膝を屈するようになってしまった。
明治の先覚者の福沢諭吉先生が、「独立自尊」という言葉を遺されたが、国民が日本の歴史と伝統文化を尊ばないかぎり、国家として独立を全うすることができない。
勝部 真長 お茶の水女子大学名誉教授
「元朝や 一系の天子 富士の山」
という句があるが、私はその作者名を忘れてしまった。しかし日本人の心の底に共通に流れている心情をよく突いていると思う。
やはり二千年にわたるわが国の歴史伝統に思いをいたす時、「一系の天子」という観念は、わが民族・国民の支えであって、ほかの国々や民族にはみられず、わが国民のプライドを支えていると思われる。明治維新は東海の一孤島であった日本に、世界の勢力が圧迫を加えた危機であったが、それをはねのけた底力は、実にこの観念であった。
唐津 一 東海大学教授
日本には世界一の産業が随分あります。乗用車、二輪車、工作機械、産業用ロボットを始めデジカメ、ビデオゲーム機、カーナビからこれらを生産するための半導体用シリコンは七割が日本製ですし、携帯電話の電池も長持ちすることで、日本製が圧倒的に好評です。これらの企業の経営はやはり世界一です。一時グローバルスタンダードなどという言葉がはやりましたが、経営は結果で評価すべきです。結果が世界一ならその経営も世界一だと判定すべきでしょう。
このようなすぐれた経営の企業があるおかげで、目本のGDPは五百兆円という素晴らしい結果をもたらしたのです。ところが日本では一部の評者が寄ってたかって、日本式の経営管理方式にいちゃもんを付けていますが、信用する必要はありません。勿論世の中は変化しますから、その変化に対応して行く必要があります。これに対して日本企業の見事さは何といっても変わり身の早さです。特に最近はバブルがはじけて以来、日本の変化は急激でした。今は五年も経つとすっかり変わる国です。
東京の秋葉原に最近行った人はテレビがすっかり変わって薄い板になったのに驚くはずです。お馴染みの後ろが突き出たブラウン管式のテレビは僅か半年で姿を消して平面型テレビに入れ代わったのです。
また従来型のカメラもデジタルカメラに入れ代わりました。これはパソコン普及が後押ししたのです。それにシャッターを押すとすぐカラーの画像が出ます。変な顔が写ったら何度でも取り直しできる。その為に若い女性に大人気で、長い歴史のあったポラロイドは潰れました。
このような新しさが日本の活力です。
ここでの話題はすべて日本の今の話題です。この素晴らしい国を私たちは大切にしましょう。
川上源太郎 社会学者・清泉女学院副学長
「日本会議」に向かっては、とりわけ私たち会員のお世話をしてくださる方々には、五周年を折りに「おめでとう」と言うより先に、「ありがとうございます」と感謝を申し上げたい。日本会議が取り上げた問題はどれも、日本の将来のために解決すべき重要問題でありながら、その解決の道は険しく、正面から取りくむには、余程の覚悟と忍耐力が必要であった。
私は社会学を学ぶ者であるから、いつも社会とは何か、と自問する。欧米のまじめな社会学者たちが、誰でも自然に受け容れるような社会の概念はなくなってしまった、というとき、彼等が思想的立場の違いをこえて共通に認めているのは、利害計算で危うく結びついている社会の上と下に、国家と家族という共同体を失ってしまった、あるいは見失ってしまった、という事実である。
今日の日本社会解体の危機は、このふたつの共同体を否定することが進歩の証しでもあるかのように思い込んでいる人びとの無知と無責任にある。だからといって、彼等を見下げたり罵ったりするような固い姿勢は捨てて、穏やかな微笑をもって説き、ともに日本国民であることのよろこびと誇りとを共有するように辛抱強く勧めなければならない。その望みに適う高い知性と暖かい愛情を持つように務めなければならない。御皇室の度重なる慶事は、その知性と愛情の確かな在処を春の風のように私たちの心に伝えている。
この夏は、無念のうちに草柳大蔵氏をお見送りした。私たちは、年を経るごとに「日本会議」の貴重な宝を失っている。彼等がその生命をかけて私たちに遺してくれた、もう一つの生ける宝を日々心に抱いて「日本会議」の成長のために祈り努めなければならない。非力を恥じて申し上げる。困難な活動を支えてくださった、特に若者達に。「本当にありがとう」。
北白川道久 神宮大宮司
この度、日本会議・日本会議国会議員懇談会には設立五周年の佳節を迎えられましたこと心よりお慶び申し上げます。
顧みれば、先輩諸兄が戦後伝統文化を軽視した社会情勢を憂慮し、民族としての誇りを回復させ、次世代に日本の心を伝え育むため昭和五十年初頭より二十数年に亘る国民運動の歴史を引き継ぎ、新たに組織を拡充、平成九年に日本会議が設立されましたことはご高承の通りであります。
爾来「我が国の伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の興隆を期す」との大いなる綱領を掲げ、皇室の尊厳維持活動を通して、敬愛の心を青少年に涵養されると共に、憲法改正への提言、国家の防衛問題、更には教育正常化運動の展開を図られる等、率先垂範お力を注がれてこられましたことに深甚なる敬意を表する次第であります。
しかしながら、現下の諸情勢はまさに混沌としており、非常に厳しく深刻な状況であるといわざるを得ません。斯様な時にあって、貴会の国家の未来を見据えたこれまでの諸活動は真に心強く、今後より一層の宣揚に努められんことを切望致します。
どうか皆様方におかれましては、この記念の年を契機として、あらためて創立の原点に立ち返り、ご研鑽をつまれ、国家発展のためご尽瘁いただき、また貴会の更なる飛躍を期待いたしまして私の祝辞といたします。
木村治美 共立女子大学教授
日本会議設立五周年、おめでとうございます。この数年に、日本があるべき方向に大きく転回したのは、だれもが感じるところでありましょう。これは日本会議の活動と連動しているのはたしかです。貴会議が、しかるべき成果を修めつつあること、心強く、また喜ばしく、安堵いたしております。
最近、たまたま依頼された仕事との関わりで、台湾についての本を何冊か読みました。そしてかの地における日本統治時代の日本人の群像に深い感銘を受けました。ひるがえって現在の日本を眺めるに台湾にいまなお憧憬とともに残るといわれる「日本精神」が、見出せるのかどうか、心もとない次第です。
今後も日本会議に期待し、日本精神の復活を心より願うものであります。
工藤伊豆 日本会議副会長・神社本庁総長
この度、日本会議が結成五周年を迎へられ、本日ここに盛大な記念式典を挙行される運びとなりましたことは洵に慶賀に堪へません。
平成九年五月、二十数年にわたって国民運動をリードしてきた日本を守る会と日本を守る国民会議が統合して設立された日本会議は、相呼応して設立された超党派の国会議員による日本会議国会議員懇談会とともに「誇りある国づくり」を合言葉に、わが国の伝統・文化を守るため、皇室・憲法・防衛・教育などをはじめとした国家の基本に関はる諸問題に取り組んでこられました。殊に天皇陛下御即位十年の奉祝運動をはじめ、敬宮愛子内親王殿下の御誕生をお祝ひする国民運動、教育正常化の運動、自主憲法制定に向けた運動、英霊を顕彰する運動の展開など、一歩一歩着実にその成果を挙げられてゐることに衷心より感謝と敬意を表する次第です。
さて、わが国の世情は、愈々混迷の度を深めてをり、洵に憂慮に堪へない状況が続いてをります。山積する諸問題を解決するためにも国民各界各層を幅広く糾合し、より広範な国民運動を展開することが求められてをり、日本会議のなすべき使命の重要性は愈々高まりつつあると存じます。
この記念すべき秋に当たり、あらためて結成の精神に立ち返り、ともに手を携へ、わが国に誇りと元気を取り戻すため、さらなる国民運動を展開されますことを心よりお願ひ申し上げます。
終はりになりましたが、日本会議の益々の御発展と関係各位の御多幸をお祈り申上げまして祝辞と致します。
工藤雪枝 ジャーナリスト
「言うは易し、行うは難し」とは、一般によく言われる言葉である。何かと軽輕浮薄な昨今、益々この言葉が身に染みて感じられる気がする。
また、世間一般の社会だけでなく、マスメディアにおいて登場するキャスター、コメンテーター等々も、様々な批判や問題点を指摘するものの、その前提として自分達が実際の行動者、実行者でないが故の身勝手さや無責任さを感じさせる面々が実に多い。
実際、私自身、ここ十年来メディアの世界に関った仕事をしてきて、いかに今の日本のメディア界に健全な「国家観」が欠如しているかという情けない実状をつくづく実感してきた。
このままでは、いったい日本はどうなってしまうのかという状況に、風穴をあけてくれたのが、まさに「日本会議」であると思う。
日本会議は、前述の「言うは易し、行うは難し」という言葉を見事なまでに裏切って、今の日本社会に必要、かつ重要であると思われる多くの諸問題の解決や諸政策の実現に、言葉だけでなく、行動をもって実行してこられた。
私自身も大きな関心と共に取組んでいるいくつかの例をあげても、靖國神社参拝問題において、国の英霊を適切に慰霊するための運動、日本国憲法改憲に関する提案、皇室に代表される日本の伝統文化の継承、また自衛隊の存在に意義と名誉を与えるべしという行動。例をあげていえばキリがないほど、実に多くの諸問題に関して、日本会議は「行動」を行い、正しい理想の実現を目指している。
そこが、理想論をふりかざしながらも、決して前向きな行動をおこさない罪深き日本のメディア界との大きな違いである。
実績かつ存在意義の大きい日本会議が、設立わずか五年にして成し遂げたことの意味は日本国家の歴史の中でも重要なものであると、今、あらためて感じいる次第である。
クライン孝子 ノンフィクション作家
恥ずかしいことだが、ほんのつい最近まで私は韓国に徴兵制があるのを知らなかった。その韓国では若者は、男子十八歳になると、三十カ月、つまり二年余りの軍隊生活を送らなければならないという。
私はこの事実を知って、日本は負けたなと思ってしまった。
戦後日本が平和主義という名において、徴兵制を廃止し、頭でっかちな知識詰め込み教育にかまけてひ弱い人間を作り世に出している間に何とお隣の国韓国では、男子に徴兵を義務づけ、体力的に強靭な国民作りに専念してきた。朝鮮半島はドイツと同様、朝鮮戦争勃発後、南北に分断され、その後三十八度線を隔て睨み合うようになったのだから、必然的に軍体制強化に取り組まなければならなかった。それゆえ徴兵制度も当時当たり前のこととしてすんなりと韓国人は受け入れたのだろうと思う。
一方日本はどうか。未だに国防の話になると、とたんにアレルギーを起こし軍国主義復活などと騒ぎ立て、瞬時に握り潰してしまう。憲法改正でさえ、未だに手つかずのままだし、昨年の九月十一日の米同時多発テロをきっかけとして有事法や個人情報保護法案など一連の法整備を国会で行おうとしても、なかなかまとまらない。一種の日本国弱体世論操作ともいうべきで、これに日本のメデイアが加担し踊らされているのだから何をかいわんや。それなのに日本人はまだそのことに気づいていない。こんなことでは日本はいずれ崩壊してしまうに違いない。その危機から日本を救うにはどうすべきか。国民一人ひとりが国際的視野に立って、正しい歴史認識を身につけ、今一度原点に立ち返り国体を維持するとはいかなることか、真剣に考え行動することだろう。
幸い日本会議はその任を担って、今や五周年を迎えるまでに至った。しかもその活躍たるや年々めざましいものがある。及ばずながら、その日本会議発展のためにドイツからエールを送り続けることができれば、こんな嬉しい事はない、そう思う今日このごろである。
黒住宗晴 黒住教教主
先ずもって、「日本会議」設立五周年をお祝い申し上げますとともに、今日まで尽力なされました諸氏の御志の高さに心からの敬意を表します。
さて、世の顰蹙を買うような若い人たちの言動を見聞きするにつけても、戦後は終わっていないとの感を改めて深くしますが、併せて私たち年輩者の責任を、反省を込めて強く感じることです。
〝真のドイツ人が真の世界人〝とか言ったニーチェではありませんが、真の日本人が真の国際人であること、すなわちベリーナショナルにして初めてインターナショナルたりうることを、人生の先輩である私たちが若い世代に教えてゆかねばならないことも痛感しています。
そのために為すべきことは、まさに日本会議が展開されてきた諸活動に明らかであります。私ども岡山という一地方都市にあって、微力ではありますが、様々な伝統芸術、特に「道」と名のつく茶道華道をはじめ各種武道に接し、あるいは汗する機会を青少年に与えることが年輩者の責務と思い努めていることです。
就中、国旗日の丸に対する人々の思いなどは、このような伝統的な道に関わると立ち所に強くなることを目の当たりにして胸打たれると同時に、今までの至らざりしを恥じることでもあります。
日の丸といえば、明治様がお詠みあそばされたくもりなき朝日のはたにあまてらす神のみいつをあふげ国民こそ、今日の私たちが取り戻したい心根です。
国民の家毎に、日の丸の旗がさわやかにはためく日を、ひとつの夢として努めてまいりたく存じております。
小堀桂一郎 日本会議副会長・東京大学名誉教授
瞬く間に過ぎ去ってしまつたこの五年間の歳月を顧みますと、やはり設立当初の産みの苦しみともいへる種々の出来事が思ひ浮かびます。先づ初代会長に就任を予定されてゐた黛敏郎氏が会議の発足の直前に急逝してしまはれたこと、黛氏の遺志を継いで急遽初代会長の任を引き受けて下さつた塚本幸一氏が是亦わづか一年で逝去されたこと、又緊密な提携を約束して設立された日本会議国会議員懇談会の方々にも、何ぶん現実政治の世界のことですから思ひがけない人事の変動が生じて会議活動に多少の停滞を已むなくされた事等々です。
それでも、種々の不利な条件の下で常に献身的に働いて下さつてゐる事務局の方々の御尽力が顕著に功を奏した形で、会員の数も、地方の都道府県本部の設立数も、連年着実に増加を続けてきました。殊に昨年秋には元最高裁判所長官の三好達先生に待望の会長就任の御内諾を頂き、折から生じました皇室の御慶事の奉祝事業にも早速に立派な御指導を仰ぎ得たことで日本会議全体の士気がとみに高まつた観があります。
かくて五年目にして我々の国民運動の覚悟も姿勢も堅実に固め整へることができたと思はれます。為すべき課題は、これほどに拡大し得た組織を以てしても容易にはこなしきれないほどに山積してゐます。本当の活動はこれからが正念場であり、内外の情勢も我々の挺身を要請してゐるかの如くにいはば機が熟してゐます。
我々の当に為すべき仕事を一言で言へば、敗戦と占領による国家主権喪失の期間に、我が国家と国民精神が蒙つた深い傷が、法的な主権回復以来半世紀・五十年の歳月を経てもなほ快癒してはゐない、それどころかその後遺症がどんなに執拗で根深いものであるかが年を追つて醜く露呈してきてゐる、その病症の克服のために辛抱強く戦ふことです。具体的な個々の標的は運動方針を記した冊子を参照して頂くこととして、この記念の機会に、我々は先づは日本国家再生のために専心協力を誓ひ合つた同志であることを再確認致したいと思ひます。
蔡焜燦 偉詮電子股_有限公司董事長
目は口ほどにモノを言うというが、日本会議の若者達の目を見て私はそう確信した。
いまから四年前、ビデオ作品『新台湾と日本』の取材収録のために台湾へやってきた若いスタッフらの目は、生き生きと輝いていたのである。またそれが私と日本会議の出会いとなった。
これまで我々台湾人は、日本にラブ・コールを送り続けてきたのだが、それは単なる郷愁からではなく、日本の安全保障にとって民主主義国家・台湾の存続は極めて重要であり、そして、日本と台湾は運命共同体であるという事実を、日本人になんとしても分かってもらいたいからである。
しかしながら、日中国交樹立以降の歴代日本政府は、ひたすら北京の顔を窺い続けてきた。そしていまや日本は、中国の隷属国という屈辱的な立場に甘んじるように見える。
かつてアジアの盟主という自覚をもって、威風堂々と正義を貫いた日本は何処へいったのか。そんな無念を覚えながら肩を落としかけていた矢先、日本会議の若者達が台湾に目を向け、そして“真実”を求めてやってきたのだった。
彼らは皆、祖国・日本の窮状を救わんと、至純の愛国心をもって来台してきたのである。
「こんな素晴らしい若者達がいるなら日本はまだまだ大丈夫だ!」
私は、彼らの国を愛する心にいたく感動し、最高の取材ができるよう取り計らった。そして全日程を共にしようとした矢先、神様のいたずらだろうか、私は思いがけない急病で入院を余儀なくされ、彼らと行動を共にすることができなくなってしまったのである。そのことがいまも心残りでならない。しかし、彼らは自らの足で台湾各地を歩いて熱心に取材を続け、そして完成させたビデオ作品が『新台湾と日本』であった。
この作品を見て私は驚き入った。
我々台湾人が日本に送り続けてきたメッセージと心の叫びが余すところなく描かれており、さらに戦後の偏狭な歴史教育によって捏造され、封印されてきた日本近代史の真実が、見事に掘り起こされていたのである。この映像が、日本人の台湾への理解を深め、そして愛国心を高揚させたであろうことは想像に難くない。
創立五周年を迎えた日本会議の諸先生方と素晴らしい若人の皆様、あなた方の祖国・日本の覚醒のために、これからもどうぞ頑張っていただきたい。日本の将来はあなた方の双肩にかかっているのだから。
遠く台湾の地から皆様の益々のご活躍を祈念申し上げます。
櫻田 淳 評論家
近年、世評高いテレビ番組の一つに、『プロジェクトⅩ』がある。そこで登場する人々は、率直にいえば、「当たり前のことを淡々とこなした人々」である。技術者は、便利な製品を開発し、料理人は人々を感動させる料理を作り、医者は人々の病を治す。それが、「当たり前のことを淡々とこなした人々」の肖像である。『プロジェクトⅩ』が紹介する様々な挿話は、基本的に「成功物語」には違いないけれども、それを視聴する幾多の人々の感動が向かう先は、「成功物語」としての結果ではなく、「当たり前のことを淡々とこなした人々」の姿である。幾多の人々は、その姿に「美しい日本人」の何たるかを見る。
しかし、目下の我が国で最も懸念されるべきは、経済の低迷でも安全保障体制の不備でもなく、そのような「当たり前のことを淡々とこなした人々」の姿が、おぼろげになっていることである。政界や官界での不祥事だけではなく、経済界を指導する有力企業での不行跡は、「当たり前のことを淡々とこなす人々」の影が誠に薄いものになっていることを示している。それらの不行跡は、「何故、このような拙劣なことをしたのか…」と首を傾げたくなるようなものばかりである。大々的に練られた悪事ではなく、誠に矮小な不行跡の積み重ねによって、幾多の人々が自らの立場を失っている。我が国は、余程、深刻な状況に直面している。
この度、日本会議は、創立五周年を迎えることになった。過去五年の我が国の難局を前にすれば、「当たり前のことを淡々とこなした人々」の息遣いを世に知らしめるという独自の活動も、日本会議の手掛けるものとしては大事になるかもしれない。「日本の誇り」なるものは、観念ではなく、そのような人々によって具体的にもたらされるものであろうからである。
春風亭柳昇 日本演芸家連合会会長
五周年お目出とうご座います。
若し日本に〝日本会議〝という大きな組織が無かったら日本はどうなってしまうのだろうと思うことがあります。
それは五十余年前、一度も経験したことの無い敗戦と言う大きなショックで心ある日本人は何もいわなくなってしまいました。
全く無口になってしまったのです。それに引き換え怒濤のように踊り出したのが左翼の人達でした。〝自由〝〝革新〝〝進歩〝と口を揃えて吠え始めました。
それにどうしたことかマスコミもこれに同調、今までの考えを持った人達を〝古い〝〝汚い〝と悪の権化のように叩いて来ました。
それがどうでしょう、この人達の神のようにあがめたソ連が崩壊したり、共産国の行き詰まりの現状を見るようになっても左翼崇拝の人達はまだ目が醒めません。拉致と言う恐ろしい事をしたのも共産国です。
靖国神社を参拝する者は〝無知、下品、幼稚〝と罵る田原総一郎氏のようなひとをこのままほっといて良いのでしょうか。
何も言わない日本人の皆さん!立ち上がりましょう。
篠沢 秀夫 学習院大学教授
心安らかに参加できるのが日本会議の主催する行事である。初めて参加したのは、天皇陛下御即位十年奉祝運動だった。ご案内いただいたとき、どういう団体か、認識がなかったが、とにかく主旨はよい。参加するとお返事した。
いわゆる戦後教育を受けた世代はもちろん、敗戦直後の文化人タイプは、皇室に対する敬愛の念は大多数の日本人と変わらない人でも、行動としてその敬愛の気持を表すのをためらい、そういう行動を、あざ笑って見せるのを見栄のようにしている例が多い。
こういう感性の源は、例の三十二年テーゼだ。国際共産党コミンテルンの一九三二年の日本支部への指令である。天皇を旧ロシア帝国の皇帝ツァーリと同じ専制君主と定義していた。無知に基づく誤解である。一八八九年の大日本帝国憲法には、今の憲法の「内閣の助言」と同じに「内閣の輔弼」の規定があり、内閣の決定に対して天皇は拒否権がなかった。第一、憲法発布以前も、明治天皇は一兵たりとも恣意的に動かしてはいない。この三十二年テーゼを知らない人まで、「戦前の天皇は専制君主」と思いこみ、戦後教育がそう教え続けているのは、非科学的であり不幸なことだ。
断固参加すると、著名な心理学者など立派な方々にお会いし、組織の方々は熱烈、親切だ。両陛下おでましの時刻にピタリと雨が上がったのと合わせて感激。
愛子内親王御誕生奉祝運動にも日時未定だが出席の返事をした。当日、冬の夜に駆け付けた人の中に若き歌手X嬢がいた。挨拶をすると「これって政府でやってるんですか」とのお尋ね!何だかわからないが主旨がよいので参加なさったらしい。それでいいのだ。それを受け止めることができるのが日本会議だ。そうしてこういう若い方の純な日本の心に触れると、嬉しくて、いつ死んでもいいような気がする。若いつもりでも年か。
竹本忠雄 在パリ、筑波大学名誉教授
歴吏の回天となるような運動は屡々その淵源に霊性的直覚の起源を持つものだが、日本会議も、今から二十八年前、その前身たる「日本を守る会」結成にかかわった宗教界代表、朝比奈宗源老師に下った伊勢神示に端を発している。困みに、マルローが伊勢内宮で得た天啓も、その翌々年のことである。
チベット侵略に続いてカンボジア殲滅を指嗾した中国共産党が、その隠蔽工作として「南京虐殺」を言い立てたごとき宣伝工作にまんまと嵌って日本各層が屈従の自縄自縛に奔った、その後の二十四年間は、余りに長く、国難というも愚か、取り返しのつかない国家転落のまさにG加遠であった。
この時に及んで日本会議が立ちあがらなければ他に何がありえただろうか。教科書から靖国、瀋陽、拉致に至るまで、一連の問題の中心は国家主権、つまり誇りの意識の欠如にあり、「祈り」の皇室への敬愛と伝統文化尊重を取り戻すことによってそれを克服しようとする姿勢に、この国民運動の権威と正当性は存する。終局的には憲法改正に向かうであろう。が、レジームの改変の前に感動がなければならない。「御即位十年」に皇居前を埋めつくした人波の歓喜と、これに応えられる両陛下のお姿との、あの熱い交流にあらわれたような――。
インド独立が国民会議派によって達成されたごとく、日本の主権回複は日本会議によって実現されるであろう。我々の抵抗は孤立どころではない。独裁ないしテロ陣営と民主主義陣営の闘諍をとおして、日本の運命に今や世界の運命が重なっているからである。
田久保忠衛 杏林大学教授
日本は滅亡するのではないかとの悲観論が少なくない。経済の明るい見通しが立たない中で、教育の荒廃は目を覆いたくなるほどだ。政界はまさに同時多発スキャンダルの観を呈している。日本には外交があるのか。などなどのマイナス面は実際に枚挙に暇がないくらいだ。
その中で「日本会議」はこの五年間にすごぶる大きな役割を果たしてきたと私は強調したい。「民間憲法臨調」が設立され、教育基本法改正に向けた運動も進んでいるが、「日本会議」を取り巻く環境は着実に前進しているからである。瀋陽の日本総領事館に北朝鮮の亡命者が逃げ込もうとした際に中国の武装警察官が取った行動はテレビを通じて日本人の目に焼きついた。日本の外交官が実際に何をしているかの実態にようやく国民の大方が気付き始めたのではないか。事件直後のNHKの世論調査では八〇%近くが「中国怪しからん」であった。
この事件を待つまでもなく、有事関係三法案が国会に提出された。現時点では成立するのかしないのか、私にはわからないが、「有事法制」を口にしただけでその人がどれほどひどい悪口を言われて、理不尽な扱いを受けたかを私は目撃してきた。昭和五十三年に当時の栗栖弘臣統合幕僚会議議長が有事法もない事態では、万一の場合に超法規的措置を取らざるを得ない」という意味の発言をした途端に退任せざるを得なくなった。当事者の金丸信防衛長官を諌めて解任を思い留める者は与党の自民党の中にもいなかった事実を憶えておく必要がある。今回の三法案の内容に文句は沢山あるが、当時と現在の空気を比べると今昔の感がある。
私が言いたいのは、国を動かそうとするには民間の地味な力の継続が必要だ、の一言だ。「日本会議」は何も五年前に始まったのではない。その二十数年前から志ある人々が懸命に陰で屋台骨を支えてきたのだと思う。栗栖さんがいまあちこちのメディアで発言されているのを眺めると、今日の少数意見は明日の多数意見になると確信する。「日本会議」の十周年が楽しみだ。
坪井栄孝 日本医師会会長
この度、日本会議・日本会議国会議員懇談会が設立五周年を迎えられ、衷心よりお慶び申し上げます。
両会は日本会議の前身である「日本を守る会」の二十周年間に亘る国民運動の歴史を引き継ぎ新生組織として、天皇陛下ご即位十年や愛子内親王様ご誕生をお祝いする奉祝行事、国旗国歌法の制定や祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する教育正常化運動の推進など国民的世論形成のうえで大きな成果を挙げてこられました。
終戦から半世紀余、我国は世界主要八ヶ国の一員として世界の平和と安定に貢献する民主主義国家として発展してまいりました。
しかしながら、国内外の現下の情勢は極めて厳しいものがあります。昨年九月十一日のニューヨーク世界貿易センタービルの爆破テロ以来、世界はテロの脅威にさらされ、テロとの戦いが続いております。一方、国内では出口の見えない景気低迷の中で政治・経済・社会システムの各般に亘る抜本的改革が急がれて居ります。二十一世紀の少子高齢社会に相応しい真の改革を成し遂げる事は、我国が二十一世紀において引き続き世界主要八ヶ国の一員として世界の平和と安定に貢献するうえで極めて重要な国家的課題であります。
日本会議が設立五周年を機に推し進めようとしている我国の伝統・文化に立脚した国民運動は我が国の繁栄と活力を高め世界平和に貢献するうえで極めて大きな意義を持つものであります。
国の繁栄と活力の源泉は国民一人一人の心身の健康にあります。日本医師会は国民医療の担当者としての責務を全うすることにより日本会議が目差す誇りある国づくりに向けて貢献できるものと確信致します。
両会の今後の益々のご発展を祈念して祝辞と致します。
外山勝志 明治神宮宮司
今深刻な拉致事件の当事者の事を思いますと、その早期解決になんらかお役に立つことがないかと案ずるばかりでありますが、考えてみますと戦後日本は、わが国全体が占領下にいわば“拉致”されて、異質の文化・価値基準の世界になじまされ、洗脳され乍ら出発したようなものです。そのマインドコントロールからいまだ目覚めずにいる個人・団体・公機関が、本来の日本とは埒外の“戦後日本”の精神風土をきづいてきてしまいました。
がしかし、戦後半世紀に及んでやっと憲法からしてその元凶であることが指弾されはじめ、教育基本法もわが国の伝統精神に基づくものに改正される動きが見えてきました。
我が国を、“拉致”状況から救い出し、本来の日本を恢復して国家理想の実現をめざす、わが「日本会議」の努力が功を奏してきましたことは、誠によろこばしい限りです。
結成五周年を迎えた今日、全国津々浦々に支部や会員が澎湃と結集し、実効ある行動展開ができる最有力な良識団体として成長してきましたことは、洵にご同慶に堪えません。
先頃六十八歳のお誕生日を迎えられました皇后陛下が、その日「おどろきと悲しみとともに、無念さを覚えます」と拉致事件に言及されましたことは、恐懼の極みでありますが、その皇后さまが昨年、明治神宮御鎮座八十年に際して、
とつくにの風招きつつ
国柱太しくあれと守り給ひき
とご献詠下さいました。
国柱を太く立てて欧風を招き入れ近代化を果たされた明治大帝の御偉業を仰がれたこのお歌はまさしく、アメリカナイズされない、左翼思想に洗脳されない、即ち“拉致”されない日本の本来あるべき姿を示唆くださっていると思います。
そのとき同時に戴いた今上陛下の御製は、
しろしめしし御代かへりみて日の本のもとゐ成りたる様をしのびぬ
でありました。
佳節の年を迎えた日本会議のさらなる発展を期す大方針も、この御製の大御心を仰いで決せられるべきではないでしょうか。
因みに明治大帝の御製のなかには次の二首があります。
橿原の宮のおきてにもとづきてわが日の本の国をたもたむ
よきをとりあしきをすてて外国におとらぬくにとなすよしもがな
中野良子 オイスカ・インターナショナル総裁
日本会議の五周年を祝すこの良き日に併せて今一つ、喜ばしい話題を提供できますことを嬉しく存じます。
既にニュースで報道されましたが、この度タイから「皇太子ご夫妻のご長女・愛子さまのご誕生を記念して、日本国民の皆さまへ」と、可愛い小象が上野動物園に贈られてきました。アティ(五歳、雄)とウタイ(四歳、雌)の二頭です。タイ語でアティは「太陽」、ウタイは「日の出」を意味し、日本の国旗「日の丸」をイメージして名づけられたものです。十月二十九日にそのお披露目式が行われましたが、上野ではこれから、現存のインドからの二頭と合わせ計四頭の象が日本の人々とお付き合いすることになります。
今回の寄贈は、東北タイのスリン県からのものですが、外国の地方自治体から象が贈られるのは初めてのケースで、手続きの複雑さはありましたが、両国関係者の尽力で、愛子さまの初めての誕生日に間に合い、私どもも非常に喜んでおります。
そのスリン県はタイでも指折りの貧しい雨量も少ない乾燥地帯で、オイスカが農業協力の要請を受けて入ったのが一九七六年でした。農業が必要とする水と土を生み出すためには植林が不可欠と、現地の人々を説得して植林をスタートしたのが一九八〇年。以来二十余年間、毎年日本からボランティアを派遣し、植林活動を根付かせていきました。この間、さまざまな曲折はありましたが、住民の意識の高まりと共にカセムサク現知事の積極的な指導力もあり、荒野は緑の森を復元しつつあります。この未来への明るい展望が、謝意の表明となって今回の象の寄贈につながりましたこと、実に感慨深いものがあります。
日本が二十一世紀の世界に名誉ある国として生きるには先ず、指導者たちが「芯」となるべき国家観に目覚め、目標を定めて命を賭すに惜しくないという活動に力を合わせることです。大人たちのその姿が青少年に写っていけば、必ずや日本の未来は明々と開けてまいりましょう。オイスカもその一端を担っていきたいと思っております。
中條 高徳 アサヒビール株式会社・名誉顧問
国破れて山河あり、大東亜戦争が終わって五十七年。講和条約発効からでも五十年たつのにこの国は大きくゆれている。
経済もなかなか上向かない。国家財政は確かに六百六十九兆円の赤字。その国民は千四百兆円の預金を持つ。ムーデー社から国債の信用評価を二階級も下げられた日本。
だが世界一の債権を持つ国であり、ODAもこれ又世界一だということは忘れてならない。債権を持つことは個人でも会社でも、国家でも最も危険なポジションである。それなのに国の基本法たる憲法すらが占領下という異常な環境で制定されたものがそのままになっている異常さ。
近隣諸国からの靖國参拝、教科書問題の内政干渉にうろたえる政治家、官僚、マスコミなどの情けない群像。
これを憂い、国家のあるべき姿を考え、国民としてあるべき道を問い続けようと「日本会議」は起ちあがった。その日から五年。日本会議の催すさまざまな行事は、忘れかけていた「日本の心」を目覚ましてくれている。歴史の悪の演出者のように叩き込まれてきた日本人の心に、民族の誇りと自覚の芽を与えつつある。
つい最近、分厚い手紙が私に届いた。二人の子を持つ三十七歳の主婦からであった。「いろいろ試行錯誤の結果『教育』だ」と気づいて子供への躾のテーマ迄きめている、しっかりしたお母さんだ。国旗、国歌について、そのまま紹介しよう。
「我家は昨年、国旗を購入しました。随分前から考えていたのですが、やはり玄関先に国旗を掲げるのはなかなか勇気が要ります。昨年、敬宮愛子様のご誕生を機に勇気を出して国旗を掲揚する事に致しました。
国旗、国歌に関して最近嬉しい事がありました。昨年、娘が入学して、しばらくたってからの事です。『白地に赤く、日の丸染めて…』と日の丸の歌を歌っていたのです。なんだかとても嬉しくなりました。
さらに『君が代は千代に八千代に…』と歌っているではありませんか。聞けば入学式に歌うとのこと。考えてみると私は『君が代』を学校で教わった記憶はありません」。
手紙の最後のくだりには「私が今、国の為にできる事はこんな些細な事しかありません。こんな小さな事でも日本は良くなって行くでしょうか。いつか『憲法改正』という大きな、うねりの中の小さな力になれたらと思うのですが…」私は年のせいか涙っぽくなった。この手紙を読んだだけで感動の涙がにじみ出てきた。
勿論、すぐ励ましの礼状をしたためた。
「日本会議」の照らす光は、この様に千波萬波となってこの国を照らすこと間違いない。日本の明日は明るい。
名越二荒之助 元高千穂商科大学教授
組織を作ってその会員になると、それに安住してしまう傾向がある。大きな組織になるほど、その傾向が強い。「日本会議」は民族覚醒の運動体として、最も大きな組織である。いはば「戦艦大和」のようなもので、これに乗っておれば(愛国心をみたすことができて)安心だ、という心が働く。支部組織は、中央の指示に従うのが運動だと思って、忠実にこなす
ことに尽力する。たしかに指示には意味があり、重要なテーマである。しかし時代は激動している。突発的な予想外の事件が起こり、それを利用する反日勢力は変幻自在である。
これらにいちいち対応するには、図体の大きい大和では間にあわない事が起こる。やはり機動力のある駆逐艦による夜襲作戦や、基地を叩く航空機や、深くもぐる潜水艦作戦が必要となる。いうならば連合艦隊的重層作戦である。これらがうまく機能しながら、攻勢に打って出たいものである。
そもそも「専守防衛」では守れない。思想戦に於いては特にそうであって、だんだん守勢を余儀なくされている。憲法にしても、教科書、靖國問題にしても、次第に外堀を埋められてきたではないか。攻勢に出るチャンスを掴みたいものである。北朝鮮による国家犯罪・拉致問題などは絶好の機会ではないか。いかなる反日勢力も弁護することはできない。連合艦隊は一丸となって、押して押して押しまくる時は今である。
私は昨年北朝鮮を八日間かけて回ってきたが、あの国が「嘘で固めたお伽の国」であることは誰にも判る。それが見抜けず便乗した政治家や外交官の愚かさも追求して、「独立自尊」の気風を振起したいものである。
西尾幹二 電気通信大学名誉教授
日本の社会と文化がいまおかしくなっているのは、どこかに一つの病因があるからではなく、総体として体力が弱まり、その結果さまざまな小さな歪んだ病的現象があちこちに立ち現れるようになったからである。根本原因が一つある、という見方ももちろん成り立たないわけではない。昭和天皇の崩御である。しかしそれは言っても詮ないことであり、国民の努力不足を皇室への期待にすりかえるのは不徳義である。
社会の中のさまざまな小さな歪んだ病的現象をひとつひとつ、まるでもぐら叩きでもするかのように叩いて、潰して、少しづつ全体を変えていく以外に今や改善の方法はない。日本会議の取り組んできた五年間の国民運動の題目をみると、まさにもぐら叩きのもぐらの頭がずらっと並んでいる光景である。憲法改正にはじまり、教育基本法改正、有事法制など安全保障政策の改正、歴史教育是正、首相の靖國参拝実現、夫婦別姓反対運動、等々、国を健全化するほとんどすべての改正運動のテーマがほぼ勢揃いしている。
これらをばらばらに叩いていたのでは効果がない。勿論、具体的行動としてはばらばらに、個別に撃破するしかないのだが、どこかに全体を統轄するセンターがなくては、日本の社会と文化を大きく変えていく力を結集していくことはできない。
日本会議がこの五年間に目指したのはこのセンターの役割を果たすことであったと思う。そしてそれは十全の働きを示したし、「新しい歴史教科書をつくる会」などは大いに恩恵を蒙り感謝以外のいかなる言葉もないほどである。日本会議はこれからも全体を統轄するセンターの役割と使命をいっそう強く自覚し、ややもすると疲労困憊するもぐら叩きの切ない努力を、背後からしっかりと支えてくれるパワーでありつづけてもらいたいものだと思う。
西部 邁 評論家・秀明大学教授
いわゆる左翼の人士が戦後日本の精神風土をどれほど汚染してしまったか、またその挙げ句に左翼の勢力がいかに衰退しつつあるか、それについては言及するまでもない。しかしさらに確認さるべきことが一つある。それは、いったい何が左翼の本質なのかということである。「近代主義を具現させるために、歴史の流れを断ち切ってでも、社会に大がかりな実験を仕掛ける」、それが左翼思想の精髄だと私は思う。
そうとらえれば、アメリカもまた、正確にはアメリカ型文明もまた、左翼の一種だといわなければならない。実際、アメリカの経済を彩る技術主義も、その政治の押し出す人権主義も、その文化に広がるポピュリズム(大衆人気主義)も、なべて歴史破壊に向かって邁進している。そんなことは、我が国の「戦後」の輪郭がおおよそアメリカ型であったこと、それゆえアメリカは日本の宗主国とでもよぶべき地位にありつづけたことを思えば明らかである。
それなのに、我が国にあって保守派を自称するものたちのうちで、アメリカ批判を禁句とみなすものが少なくない。その批判がアメリカニズムという思想形態の欠陥を発くものであっても、アメリカの世界戦略にとって邪魔になるとの理由で、それを拒否するのが日本の保守派の大勢なのである。彼らはそもそも何を保守しようとしているのであろうか。日本の国柄を保守することを除いて政治哲学上の保守が存在しうるわけがない。
日本の国柄が日本国憲法と教育基本法によっていかほど歪められどれほど壊されてきたかは論じるまでもない。忘れてならないのは、両方とも、アメリカの圧力の下に作成され、そしてそれに迎合する日本人たちによって維持されてきたという点である。アメリカへの迎合を恥と感じないような人々は断じて保守たりえない。それが確認されないのでは、日本が左翼国家であることをやめるのは不可能であろう。
長谷川三千子 埼玉大学教授
日本会議設立五周年、と聞いていまさらのように驚いてをります。もう五年も経つてしまつたのか、といふ驚きではありません。むしろ、あれはたつた五年前のことだつたのか、といふ驚きの気持ちであつて、大広間を埋めつくした会員の方々を前に塚本前会長が力強く挨拶を述べられ、多くの国会議員の方々が次々と立つて相手に答えていらした、あの五月の設立大会のことが、はるか遠い昔のことのやうに思へます。
この五年間に、いろいろなことがありました。嬉しいこと、おめでたいことも多々ありました。明るいきざし、建設的な一歩一歩のあゆみ―たとへば憲法調査会が衆参両議院に設置され、論議がつみ重ねられてきてゐる、といつたこと―もさまざまに見られます。けれども、もつとも肝心の「日本国民の心のありやう」といふことに目を向けてみると、この五年間は、なにかひたすら劣化の道をたどりつづけた五年間だつたやうな気がしてならないのです。
いまあらためてつくづくと思ふのは、日本人としてのまつたうな心のありやうといふことを最も重要な問題として考へてゐる団体は日本中でこの日本会議しか存在しない、といふことです。しかるに、われわれ自身がその問題をしっかりと自覚すればするほど、われわれの語る言葉が「ふつうの日本人たち」に伝わらなくなつてしまふ。たとへば「大御心」といふやうな言葉を使つて語るとたんに、多くの日本人は、まるで梵語のお経でも聞かされたやうな白々とした顔をしてそつぽを向いてしまひます。この難しい逆接といふものを、私自身、この五年間いやといふほど実感させられてきました。
多くの日本人に訴へかけることができる、といふことは、いはゆる大衆文化への迎合といふことではありません。おそらくそれは、われわれ自身が自らの思想を磨き、言葉を磨くことによって開拓してゆかなければならない道でありませう。その道を、一歩でも二歩でも先へとすすめ延ばすために、力の限りをつくしたいと思つてをります。
林秀彦 脚本家
不撓不屈な精神とは、要するにしつこさである。
最近そう思うようになった。執念深さであり、ねちっこく、くどく、しぶとく、脂っぽい。それらの性格を十分持ち備えていないと、日本をよくすることなどできない。百万遍でも同じことを言う。相手からもう耳に胼胝ができたと言われても蛙の面になんとやら、怖めず臆せず、いまの日本の何が間違っていて、どこが悪いのか、くどくど、くどくど……と言いつづけ、書きつづけるしかない。それしか手がないのである。
このクドクドこそ不屈の精神とでも信じないと、自分が嫌になる。この数年、同じような文章ばかりくどくど書き、同じような内容の本を何冊かくどくど上梓してきた。自分はもともと脚本家で、ロマンの世界こそ我が生きる道、などと時々自他に言い聞かせないと、同じ能書きばかりたれる三百代言的な嫌な気分になる。
たとえどんなに情熱を込め、勉強に勉強を重ね、力の限りの正論を書いても、世の中は何一つ変わりはしない。ますます、日々、悪くなる日本である。
勝手にしろ、俺はとっくに日本を脱出した。横向いて帰らなければいいのだと、思ってしまうと、もう何も残らない。お前はいい、もうじきくたばる、だがお前の息子、お前の娘、その友達、その友達の友達は日本に生きている。これからもたくさんの日本人が生まれてくる。彼らのためにできることは何か。――しつこくなることなのだ。
日本会議も設立五周年を迎えるという。だが、十年一日とみなせば、まだ半日しかたっていない。半日のしつこさでは何も変わらない。国家百年の計を志すなら、百年分の執念深さが必要だろう。日本会議がますますねちっこく、しつこくなることを祈っている。
林道義 東京女子大学教授
この度は日本会議設立五周年記念おめでとうございます。
誇りある国づくりを目指して日々奮闘されていることに対して、常々有り難く、また心強く感じております。
政治外交のあり方、教育や家庭のあり方、青少年の心のあり方など、いま日本は大きく崩れていくか、健全な精神を取り戻せるかの瀬戸際に立たされています。敗戦以来、心まで武装解除されてしまった日本人は、道義的水準をますます低下させ、犯罪は毎年増え続けています。その背後には、家庭教育の頽廃、秩序感覚の崩れ、日本文化への軽蔑心を煽る勢力の跳梁など、多くの原因が数えられます。そうした日本人の心の崩しを狙う勢力に対抗して、日本会議が国民の道義的水準を高めるべく、ますます精力的に国民運動を展開してくださることを期待します。
とくに日本的文化を破壊し、道徳的水準を落とす作用をしているのがフェミニズムとそのジェンダーフリー運動です。それは今や国を動かすほどの実力を蓄え、巧みな運動を展開しています。かつてのマルクス主義にかわって、今やフェミニズムが国を亡ぼす勢力として台頭しています。
彼らは長年にわたる理論学習と草の根運動をバックにしており、これに対抗するためには強力な理論武装が必要と思われます。その点、これまでの保守陣営の中にも若干の不統一が見られましたが、日本会議が一層の研究・学習を通じて言論界をリードしていただくようお願いします。私もおよばずながら学問を通じてお役に立ちたいと考えています。 日本会議のますますのご発展を期待しています。
廣池幹堂 (財)モラロジー研究所理事長
日本会議の設立五周年まことにおめでとうございます。
我が国の低迷は「失われた十年」と言われますが、私はこの半世紀こそ「失われた五十年」であると憂慮するものです。なぜなら、日本人の心と魂が失われ、家族崩壊と国家解体の半世紀であったからです。
我が国が、国家としての体を成していないことは、これまでの北朝鮮による拉致事件への対応、中国の瀋陽領事館の亡命者問題等で明らかです。主権なき国家と言わざるを得ません。
この根本原因は、現憲法にあります。真の自主独立国家となるために、一日も早く「アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための憲法」を改正し、「日本人の、日本人による、日本人のための憲法」を制定することです。
また教育基本法には、「我が国の伝統、文化を大切にする、家族を愛し、国家を守る」ということが完全に抜け落ちています。さらに白虐的な歴史教育によって、自国に誇りを持つ国民を育てることなく、国益を守るべき政治家、官僚に国家意識が薄れ、反日的なマスコミが跋扈して、今日の我が国の混迷を招いたのです。
まさにこの半世紀は、日本人の心、魂が「失われた五十年」です。日本の再建は、日本人の心の再生」なしには有り得ません。私どもが生涯学習活動で「心を育てる道徳教育」と「魂を育てる歴史教育」を展開する所以がここにあります。
また民族、宗教、国家の対立の止まない国際社会では、お互いに理解し、尊敬しあう「互敬の精神」ほど必要なものはありません。外来文化を受容し、寛容的な伝統、文化を育んできた我が同こそ、世界平和に貢献できる国であると確信いたします。
このたびの設立五周年を期に、日本会議の「誇りある国づくり」を目指す国民運動がさらなる発展を遂げ、我が国が真に信頼と尊敬を受ける国となることを心から念願して祝辞といたします。
前野 徹 アジア経済人懇話会会長
領土を守る、国民の生命を守る、国民の生活を守る、日本の伝統文化を守る。この四原則が、独立国家としての大前提であります。
現在の日本は、この四原則が、完全に守られていません。“独立国家”としての体を成していない、不甲斐ない、情けない、呆れ果てた国家に転落しています。
そして、その事を最も正確に認識していないのが、今の小泉総理始め、政・財・官・マスコミ等日本を指導している大部分の人です。日本の悲、喜劇の背景がそこにあるのです。
五十七年前、戦勝国、アメリカ、ロシア、中国等が「日本を再び立ち上がらせない」基本政策が今でも、厳然として生きているのです。国の根幹をなす“憲法” “教育基本法”“伝統文化の振興”等、なにひとつ、日本人自身の手によって作れないまま、今日、半世紀以上に到っております。
言い換えますと、現在の日本の指導者層のほとんど、心底「敗戦国病」から一歩も脱却していないのが、実状・実態です。
先人たちが唯一の活路として、経済成長を軸にして日本を復興しようと、血みどろの努力、精神編成しかかった途端〝戦勝国〝の論理は、これは許さず、経済の停滞から政治・行政・社会の行き詰まりで混迷、錯綜しているのが今日の現状です。
マレーシアのマハ・ティール首相が、戦後一貫して「日本を学べ」と主張してきましたが、ついに、「日本を反面教師にして台湾、中国に学べ」に方向転換。スイスのシンクタンクが「国際競争力、世界第三十位」に日本を位置づけたのも、“国家の崩壊”が現実になってきた事を、なによりも、意味しています。
国家、民族の衰退は、目前。“反日、日本人”“無日、日本人”が国民の大勢になっている中で、日本人は、この劣勢をはねかえせるか。残す時間は。暗然たる思いです。「日本会議」の事務局のご努力、心底から感謝と敬意を表します。
丸山敏秋 社団法人倫理研究所理事長
[発表しない]
日本会議並びに日本会議国会議員懇談会設立五周年を心よりお慶び申し上げます。今日の世相を見るとき、ますます本会議の役割の重要さを痛感せずにはおられません。とりわけ、社会を構成している最小単位である家庭の崩壊は目を覆うばかりで、いっときの猶予もありません。この復旧への運動に今こそ開闢以来築いてきたすばらしい伝統文化に思いを馳せ、先人たちの尊き働きに感謝の念を抱き、よってたつところの精神的支柱を再び確立すべき危急存亡の時と申せましょう。
当研究所は創立以来六十年近くにわたり、この根本問題である家庭人としての倫理を研究し、実践普及してまいりました。大を成し遂げるには、まず小なる家庭生活を大事にし、そのためには夫婦・親子という最小の人間関係から立て直さなければなりません。家庭内できちんと挨拶が交わせること、約束事がしっかりと守れること、目が覚めたらサッと起きること、どれも極めて卑近な倫理実践によって行えることを唱え続けてまいりました。
日本をよくするためには、強固な信念とたゆまぬ実践力によって、志を同じくする人々の輪を広げ、その共鳴の声を国民世論にまで高めてゆかなければなりません。その同じ志のために、日本会議の発展をどれほど心強く、また勇気を鼓舞されたことでしょうか。記念すべき五周年を期に、日本会議の運動がますますの国民運動として高まりますことをお祈りしてお祝いの言葉とさせていただきます。
宮崎義敬 神道政治連盟会長
日本会議が設立五周年の佳節を迎へられ、本日茲に盛大な記念式典を挙行される運びとなりましたことは、洵に慶ばしく心よりお祝ひ申上げます。
貴会は日本を守る会と日本を守る国民会議を母体として設立されて以来、相呼応して結成された日本会議国会議員懇談会とともに、戦後失はれようとしてゐる健全な国民精神を恢弘し、麗しい歴史と伝統にもとづく新たな国づくりを目指して、広汎な国民運動を展開してこられました。
殊に天皇陛下御即位十年奉祝運動をはじめ、敬宮愛子内親王殿下御誕生奉祝運動、国旗国歌法制定、憲法や教育基本法改正に向けての運動など、私どもと相携へて積み重ねてきた活動の成果に対し、あらためて感謝と敬意の念を表する次第であります。
しかしながら、わが国を取り巻く社会情勢は愈々厳しさを増し、混迷の度を探めてをります。日本人の伝統的価値観や共同体意識は失はれつつあり、家族の絆は薄れ、教育現場における道義の荒廃は箸しく、洵に憂念禁じ難きものがあります。本年はサンフランシスコ講和条約が発効し、わが国の主権回復五十年といふ節目の年に当たりますが、奇しくも北朝鮮による拉致事件、工作船事件や中国瀋陽での領事館事件などを通じ、わが国の国家・主権に関はる意識の希薄さが浮き彫りにされてゐます。
かかる時局に臨み、貴会の責務は愈々その重さを増してゐると言へます。設立五周年を機に、貫会が益々活動を充実され、わが国の道義国家の再興に向け一層の御挺身を賜はりますやう切にお願ひ申上げます。
最後に、貴会の益々の御発展と関係各位の御健勝と御多幸をお祈り申上げて祝辞と致します。
宮西惟道 東京都神社庁庁長
日本会議・議員懇談会の五周年、誠に慶賀に存じます。
日本を守る会・同国民会議の輝かしい活動の歴史的な成果が、多くの良識ある人々の賛同をあつめ、新生日本会議に結集しこの五年間、多大なる成果をあげられました。
今、全世界的に人類の精神的危機が現れつつあります。天地自然の攝理をないがしろにする人間の驕りとも言はれます。
國の内外に重大な課題を抱える中、我が民族の将来に向けて日本会議が力強い指針を掲げつつ進展されますことを切に御祈り申し上げます。
村尾次郎 全国地名保存連名会長
つひ最近まで、「来るべき二十一世紀には」とか、「二十一世紀を迎へるに当り」とかいふ言葉が世間に飛び交つてゐた。しかし、これを言ふ人の二十一世紀がどのやうな歴史を刻む百年になると予測してのことなのか、中味の話を聞いたためしがない。
世間の人が口に吊してきた「二十一世紀」は正月を待ち侘びる気分と同じで、何か、これまでとは違ふ晴れがましい時代になるのではないか、さうあつて欲しいと思ふ淡い期待が灰かに感じられる言葉であつた。
そもそも、「世紀」は舶来の歴史目盛であつて、日本の歴史には縁遠いものであったので、言葉が上滑りして、あまり意味の無い演説用の極文句(きまりもんく)、つまりは流行後に堕してゐるのであらう。舶来語が忽ちはやる日本の、望ましくない一面である。
ところが、二〇〇一年が幕を上げるやいなや驚天動地のテロが全世界を震撼させた。それからは血腥い風が吹き荒れて止むことなく、ふやけた世紀觀を嘲笑(あざわら)ふごとくである。
悪魔的な無差別テロの頻発が世界の歴史にどう作用するか、多くの人の思索を誘つてゐることであらう。少なくとも、二十一世紀がかなり危険な道を歩むことになるのは必至である。
二十一世紀、すなはち、今世紀ではあるが大部分は未来に属する時間の中味を決定するのは我々であり、子孫である。困難を怖れて為すべきを為さず、議論ばかりしてゐるやうでは日本の前途は暗い。
日本会議が目差すところのもろもろは過去五十余年の国民的課題を解決し、心身ともに健全な真の独立国を樹立するころにあり、実り多い二十一世紀を築くことであるから、その使命はきはめて重大である。勇敢に前進しようではありませんか。
村松英子 女優・詩人
内政的、外交的にも、経済的にも、不安定で、世界はテロ戦争の時代になる、とおいう、これまでにない危機に日本は直面しています。だからこそ、確りした信念と知恵、誇りと謙虚さを持たないと、日本は独立した「国」としての機能さえ失うでしょう。―日本会議のパースペクティヴのある冷静な、同時に熱意と愛のある活動に、期待しています。
八木秀次 高崎経済大学助教授
一九七〇年代の後半の英米社会は低迷していた。イギリスは英国病を患い、アメリカは基幹産業である自動車・鉄鋼産業が日本やドイツに猛烈な勢いで追い抜かれようとしていた。国民は自信を失っていた。
教育界は六〇年代の反体制運動の影響を受けて左翼政治イデオロギーを子供たちに注入していた。子供を学校の枠から解放するとして「学校の市民社会化」が唱えられ、カリキュラムの自由化や校則の大幅緩和が計られていた。いまだ基礎的な道徳教育が必要な年齢の子供たちに闘争的なスローガンが教えられていた。子供たちの学力低下と規律の喪失が社会問題となってもいた。
この現実を憂えて立ち上がった人々がいた。イギリスでは心ある教育学者や教師、保護者たちが「教育黒書」と題する書物を次々に発刊し、教育界の非常識ぶりを告発していった。アメリカでは保護者や宗教家、政治家が「基本に返れ!」を合い言葉に基礎学力の充実と規律の回復を求めて草の根運動を展開していった。
実は一九七九年五月のサッチャー政権、八一年一月のレーガン政権を誕生させる原動力となったのはこの「教育黒書」運動や「基本に返れ!」運動だった。このままでは「次世代の国民」である子供たちがダメになる、国が滅びるという市井の人々の声が集結され、サッチャー、レーガンという政治的リーダーを産み出した。そしてサッチャー、レーガンはよくそれに応え、保守主義の政治哲学に立脚して国内改革を断行した。事実、両国はその結果、立ち直ったのだった。
今日の我が国のありさまは七〇年代の英米の様子に近似しているが、国を衰退させるも、再生させるも最後は政治の力である。しかし重要なのはその政治の力を産み出すのは市井の国民運動だということだ。我が国にも待望される保守主義革命の原動力として貴会に大いに期待しているところである。
吉田好克 日本会議百人委員会委員・宮崎大学助教授
私が宮崎大学に赴任してから十年あまり。幸ひにも、この未知の土地で数多の盟友たちと深い契りを結ぶことができました。
あれは平成六年のことでした。大江健三郎がノーベル賞を受賞したのを機に、大江に対してかねて持つてゐた批判を私が『月曜評論』に書いたところ、それを目敏く読み、戦後五十年謝罪決議反対論を『日本の息吹』に書いて欲しいと依頼状を下さったのが、今は『息吹』の編集長、坂元義久氏でした。聞けば氏は宮崎出身で、自分には仲間がゐるからと紹介して下さつたのが、永野雅康氏を代表とする「宮崎・祖国と青年の会」の面々だつたのです。すぐに意気投合したのは言ふまでもありません。月一度の勉強会を共催し、それは「竹の会」といふ名で今日まで続いてゐます。
私が「北朝鮮に拉致された日本人を救出する宮崎の会」を組織し得たのも、学生を引率して新田原基地に何度か表敬訪問を行なひ得たのも、或いは、小柳陽太郎先生の講演会を竹の会六周年事業として成功裡に催行できたのも、すべてこれ「宮崎・祖青の会」の諸兄が傍らにゐてくれたお陰なのです。
また数年前からは、高橋辰治隊長率ゐる西日本キャラバン隊を日本会議宮崎関係者と共にお迎へするのが、真夏の楽しみの一つとなつてゐます。
事程左様に、宮崎において私は幾多の邂逅に恵まれたのであり、そのことを人生の幸福と呼ばずして、何と呼ぶのでせうか。
邂逅と言へば、坂元氏と我が師竹本忠雄先生を山の上ホテルでお引き合はせしたのは私でしたが、抑も、宮崎大学への赴任を「天孫降臨の地ゆゑ、方角が良い」と勧めて下さつたのは竹本先生だつたのですから、考ヘてみれば、宮崎での豊饒なる生活は疾うに師によつて預言されてゐたのでありました。
渡部昇一 上智大学教授
明治維新のことを考えると、結局「抜本的」ということが歴史を動かしたように思う。幕府が勅許を得て外交をやるとか、公武合体論でわくとか、いろいろと無難そうな案はあったが、結局、幕府をなくし、更に大名までなくする方向が新生日本への正道であった。この当時の極論を実現した岩倉具視や大久保利通や西郷隆盛らこそが維新日本の創造者であった。極論はたいていの場合はダメなものなのだが、極論でなければ「生き筋」が見えない非常事態もあるのだ。
敗戦し占領下にあったということは日本の非常事態であった。それを常態にするには極論的な方針が必要であったはずである。それをやらないでずるずると常態にもどったと錯覚したとがめが半世紀後に出てきているというのが現状であろう。それで私の「極論」をのべさせていただいて日本会議の御参考に供したいと思う。
まず、日本が占領下にあった昭和二十七年四月二十八日までは、日本には主権がなく、日本における最高権威は占領軍であったことを明確に認識することである。従って新憲法も含めて、占領下のすべての法律や条例は、日本の主権がない状態の下で日本人に与えられたものということになる。日本の議会があっても、占領軍の意に反しないことは何一つ議決できなかったのである。それどころか新憲法があるにもかかわらず、死刑(東京裁判)が日本の法律によらずに日本国内で行われたのである。
われわれはまず、昭和二十七年四月二十八日の独立回復以前の占領下の日本の法律・法令は、憲法や教育基本法も含めて、独立回復後は本質的に無効であり、日本人の手で作り直すべきだと宣言しなければならない。明治維新になれば徳川時代の禁令などは無効であり、ナチスの占領が終れば、ビシー政権の法令は無効になるが如しである。