日本の息吹創刊200号

日本の息吹創刊200号

(平成16年7月号)
  • 各界より
  • 都道府県役員より

各界より

(敬称略)

石井公一郎 日本会議副会長 岩田啓成 (財)モラロジー研究所常務理事
宇佐美忠信 (財)富士社会教育センター理事長 呉善花 拓殖大学教授
岡崎久彦 岡崎研究所理事長
所長
小川義男 狭山ヶ丘高等学校長
小田村四郎 日本会議副会長 片岡昭雄 三重県神社庁長
椛島有三 日本会議事務総長 金井肇 日本教育文化研究所所長
クライン孝子 ノンフィクション作家 小堀桂一郎 東京大学名誉教授
さかもと未明 漫画家 佐藤守 岡崎研究所特別研究員
元空将
篠沢秀夫 学習院大学名誉教授 下條洋二 長崎県神社庁長
高市早苗 近畿大学経済学部教授 瀧藤尊教 四天王寺前管長(百五世管長)
田久保忠衛 杏林大学客員教授 竹本忠雄 筑波大学名誉教授
在パリ
丹羽春喜 大阪学院大学教授 所功 京都産業大学法学部教授
中條高徳 (社)日本国際青年文化協会会長 中城まさお 新国民劇準備会
劇作家
西澤潤一 (財)半導体研究振興会名誉所長 長谷川三千子 埼玉大学教授
平野啓子 カタリスト
語り部
村松英子 女優
詩人
森敬惠 ソプラノ歌手 山本卓眞 富士通株式会社名誉会長
吉田好克 宮崎大学助教授

石井公一郎 日本会議副会長

 二十年を経て高まってきた教基法改正の機運

 『日本の息吹』が、我が国の正しい世論を喚起する活動を開始してから二十年、ここに二百号を迎えたことは、意義深い慶事であり、関係者の感慨もひとしおとお察しします。第一号が発刊された昭和五十九年は、戦後史のなかでも特に不名誉なことが多かった五十年代の最後の年に当たります。そのころの世相を顧ると、先帝陛下に対し、申し訳ない思いを禁じえません。

 この年の出来事のなかで特に印象に残るのは、中曽根臨教審の発足と「教育基本法」に関わる論争です。選任された委員の数名が、審議会開催に先立って教基法改正を唱えたことがジャーナリズムの問題になったのです。

 朝日新聞は、社説でこれを攻撃し、教基法は憲法と密接不可分の関係にあるから、臨教審ごときが手を出すべきではないと主張しました。政府は、朝日をはじめとする左傾ジャーナリズムの勢いに屈服し、岡本会長を呼びつけ、教基法を尊重してその枠内で審議を行うよう指示しました。

 今思えば、まことに情ない話ですが、当時の一般世論には、そうしたジャーナリズムの専横を許す土壌があったのです。そのときから二十年を経た現在、教基法の改正がようやく人々の注目を集めるようになりました。『日本の息吹』の活躍の場が、いよいよ広がりそうです。

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岩田啓成 財団法人モラロジー研究所常務理事

 主権喪失国家日本の再生のために

 『日本の息吹』が本年創刊200号を迎えられ,今や我が国の数少ない健全なオピニオン誌として、多くの国民に愛読されるまでに発展してきたことに対して、心からお祝い申し上げるとともに、本誌を支えてこられた関係者の皆様に衷心より敬意を表する次第です。

 今、国民の最大の関心事は、憲法改正にあるといっても過言ではありません。敗戦後、主権が存在しない占領下にあって、マッカーサーによって一方的に押し付けられた現憲法が、六十年間一度も改正されずにきたこと自体がまことに驚きであり、不可解なことです。

 当面する北朝鮮による拉致問題をはじめ、歴史教科書問題、総理大臣の靖國参拝問題、あるいは竹島、尖閣諸島の領土問題等々、すべてこれらは日本国の主権にかかわる問題であり、結局、現憲法に起因する事柄であるみとは、もはや誰も否定することは出来ないでしょう。

 最近の世論調査(読売新聞社)によると、六十五パーセントの国民が憲法改正に賛成しているということは、その機が熟してきていることを意味しているといえます。あわせて教育基本法の改正を急ぎ、教育の正常化を図ることが、現下の喫緊の課題であります。主権喪失国家日本の再生のために、日本会議の運動がさらなる展開と同時に、オピニオン誌として本誌に期待するところがまことに大きいといえます。ますますの御発展を御祈念申し上げます。

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宇佐美忠信 (財)富士社会教育センター理事長

 正しい国家観、歴史認識を

 『日本の息吹』発刊二〇〇号を御祝い申しあげるとともに、二十年間発行に努力されてこられた皆様に衷心より敬意と感謝の意を表します。

 日本会議の全国的運動を広報し、国を思う同憂の士に貴重な示唆を与えるオピニオン誌としての役割を果たしてこられた功績を高く評価致しております。

 昭和五十九年発行当時の情勢は、閣僚が憲法改正を発言しただけで罷免されたり、マスコミは北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和国と表現していました。私は昭和六十年二月十一日、国立劇場で開催された建国の日を祝う国民式典で、全日本労働総同盟(同盟)会長として「建国を祝い、天皇陛下の御長寿を祈る」万歳三唱の音頭をとりましたが、総評など労働界で猛攻撃を受けました。

 国旗・国歌法制定、自衛隊の海外派遣、北朝鮮被拉致者救出の世論の盛り上がり、憲法改正、教育基本法改正、教科書改善運動、靖國神社問題などこの二十年間の変化は、日本会議の運動の成果と思います。しかし、政、官、労、使のリーダーの多くは、戦後の偏向教育を受けた者です。正しい国家観、歴史認識をもたなければ、国の立直しはおくれます。日本会議の果す役割は益々大きいと思いますので、頑張りましょう。

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呉善花 拓殖大学教授

 一万年の個性の上に

 できたばかりの日本列島には、ちょうどヒマラヤ山脈のような、鋭利な刃物のようにそびえる尾根と、直下にどこまでも深く沈み込む谷間という、極端な地形の起伏が形づくられていました。それが、長い間にわたる海水の浸食作用で和らげられ、平野部がわずか二割に過ぎないにもかかわらず、多くの人々が豊かに生活することのできる環境が造りあげられてきました。

 亜寒帯から亜熱帯に至るまで延々と島々が連なり、山地・平地・沿岸地域が複雑に混じり合い、照葉樹林・ブナ林・針葉樹林ありと、まことに自然は多種多様です。そこに暮らす人々もまた、北方アジアから東南アジア・南太平洋に至るまで、どこの人々とも似た顔立ちが見られるという多種多様さです。

 これほどに多種多様体ともいうべき日本なのですが、今から数千年~一万年ほど前には、すでに全土に共通の縄文文化がいきわたっていたことは驚きです。北は北方領土を含む北海道から南は沖縄の琉球諸島まで、もちろん伊豆七島にも隠岐にも対馬にも。

 人の世は時の流れとともにさまざまに変化をとげていきますが、なお容易に変わることのない個性――お国柄とか国民性とかいうものがあります。それは、ある時代に統一体として形成された文化に発するものに違いありません。とすれば、日本のそれは一万年を遡りうるもの。『日本の息吹』・日本会議の活動は、この底深さに依って立ち、未来への視野を大きく広げていこうとする国民運動なのだろうと、密かに感じております。

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岡崎久彦 岡崎研究所理事長・所長

 集団的自衛権の行使こそ日本の国益

 志ある方々の集まりが、もう二十年も続いて、更に発展しつつあるという事は誠に心強いかぎりです。

 私がこういう場所で訴えたいことは、現在の時点ではただ一つ、集団的自衛権の行使を認める事です。これを認めないために、過去半世紀以上、日本という国がどれだけの損をして来たか、ほんとうに測り知れないものがあります。

 一九七〇年代から八〇年代にかけて、冷戦の真只中で、幾度か中東で危機がありました。

 米第七艦隊はただでさえ極東ソ連海軍の増強で手薄の上にインド洋の石油ルートをパトロールしなければならず、日本の援けを求めました。事実来る船来る船全部日本のタンカーだったといいます。集団的自衛権の行使できない日本はこれを断ります。

 もし、あの時日本が米軍のインド洋パトロールに参加していたらどうでしょう。東南アジア全域どころか中国まで歓迎する環境でした。また自衛艦隊の能力の高さ、規律の厳しさは湾岸のすべての国が認める所となり、日本の軍事力に対する信頼は確立していたでしょう。

 日本は敗戦以来、東南アジアに営々として莫大な資金と技術、それにもまして善意を投入しましたが、安全保障の考慮を怠ったため根無し草になっています。一旦中国がFTAを言っただけで、中国の軍事力をおそれて誰も反対できないのが現状です。今すぐにでも、何よりも大事なのは、集団的自衛権の行使を認める事です。

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小川義男 狭山ヶ丘高等学校長

 ナショナルセンターとしての役割を

 イラクで三人の日本人が捕まったとき、その家族は、異口同音に「自衛隊のイラク撤退」を叫んだ。これに呼応するかのごとく、全国に同趣旨の発言が続き、小規模ながらデモさえ行われた。マスメディアの一部にも、これに同調する傾向が見られた。この種の反体制運動の動きから、表面化してはいないが、明らかにナショナルセンターが存在するのではないかと私は思った。そこからの指示、命令によって、全国の各種政治運動が展開されているのに違いない。

 しかしながら、いわゆる「健全保守」の陣営には、このようなセンターが存在しない。自民党も、国会議員の政治傾向があまりに広範に過ぎ、ナショナルセンターとしての機能を果たせないでいる。

 北朝鮮による拉致問題対策について考えて見ても、政治や運動全体に、行き当たりばったりの感が否めない。昨今ではそれは、すっかり拉致被害者救出の問題に矮小化されてしまっている。もともと拉致は、対日工作のための北朝鮮特殊工作要員の教育のためだったのだから、その本質は国防問題なのである。米軍脱走兵を、どこかの国で家族に会わせればよいなどという問題ではない。

 その時々の政治の焦点を、常にいち早く指摘し、運動のあり方に方向性を示すナショナルセンターとしての役割を、私は日本会議に期待する。『日本の息吹』が、そのような「前衛的」役割を果たす機関誌として発展することを切望するのである。

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小田村四郎 日本会議副会長

 創刊当時の時代を想起し現状を憂へる

 二十年前、『日本の息吹』が創刊された当時の国際情勢は米ソ対立の真只中であった。

 しかしその五年後、東西冷戦は西側陣営の全面的勝利に終り、共産主義の総本山ソ連邦は解体してその軍事的思想的脅威は後退した。これに代って出現したのが中国の抬頭であり、十三億の巨大な人口を擁して我が国と対峙してゐる。この国は一九九〇年代以降、反日ナショナリズムを政権維持の基本とし、陰に陽に我が国の属国化を工作してゐる。朝鮮半島情勢も混沌とし、我が国をめぐる極東情勢は東西冷戦時代よりも、さらには日清戦争以前よりも険悪になってゐると言つてよい。

 一方、国内では、当時予想もされなかつた憲法改正が現実の政治課題となり、教育基本法改正も具体化し、極めて不十分とは言へ有事立法も近く成立が見込まれ、海外派兵も実現するに至った。その変化は確かに隔世の感があるが、他方、教育や国民思想は悪化の一途を辿って来た。主権の尊厳を無視した宮沢談話(近隣諸国条項)、後藤田談話、河野談話等々に続き、極め付きの国辱的村山談話が今も政府、国民を呪縛してゐる。その上、夫婦別姓、ジェンダーフリー、ゆとり教育等の伝統破壊運動が猖獗してゐる。冷戦は自由陣営の勝利に終ったが、我が国にあっては逆に左翼思想が政権中枢を占拠するに至った。まさに文化的思想的敗北と言ふ他ない。

 歴史と伝統に輝く独立主権国家日本を再建するため、『日本の息吹』の一層の健闘を祈って已まない。

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片岡昭雄 三重県神社庁長

 より力強い御発展を

 『日本の息吹』発刊二十年の記念すべき年を迎えられました事を心よりお慶びを申し上げます。日本の発展に陰りが見え始めた頃、国の行く末を案じ、日本を守る国民会議が日本会議に発展、国民運動の一翼を担い、活動を進めて頂き、『日本の息吹』が創刊され、二〇〇号を数えられました。編集部の皆様の御努力に満腔の敬意を表するものです。

 戦後われわれ国民の怠慢により、悠久の歴史に大きな汚点を記し始めた頃、「日本の心が見失われ、あらゆる分野で崩壊や行き詰まり現象が表れている中にあって、真の日本を回復する様々な動き、活動の息吹を伝えていきたい。この機関誌から明日の日本への息吹が伝わってくれば幸いです」(創刊号の編集後記)と記されて居りますように、多くの心ある人達の購読を願いたいと、お勧めをしておりますが、なかなか成果が上がらない現状を見ますとき、力不足が慙愧に耐えない所です。一層の精進を図らなければと戒める昨今であります。

 この度の首相の訪朝問題についても、余りにも平和呆けの国民性が露呈され、情けなくなります。野党の発言等にも政治を担う選良の態度かと、児戯に等しい発言に唖然とするばかりで彼等にこそ『日本の息吹』を読ませたい。私達随神の道を奉ずる者にとってもより多くの人達に購読を願い、御国の進み行く道の堅固な造成に、一層の努力を重ねなければならないと覚悟を新たにする次第。『日本の息吹』のより力強い御発展を御祈念致します。

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椛島有三 日本会議事務総長

 『日本の息吹』二百号に思う

 昭和五十九年に創刊された『日本の息吹』には三つの標語が掲載されている。

 一、日本は日本人の手で守ろう。

 一、教育を日本の伝統の上にうちたてよう。

 一、憲法問題を大胆に検討しよう。

 役員同士の間で真剣に論議して生まれた標語が今は、なつかしく想い起こされる。三つの標語は、当時の時代を反映していると共に、願いが込められている。その願いが今、現実化されつつあることに二十年の歳月を感慨深く思う。創刊号の誌面には、昭和天皇御在位六十年奉祝運動の提唱、高校日本史教科書の編纂事業の着手、憲法九条の改正を目指した自衛隊法改正運動の推進、そして長崎県の活動報告として教育基本法改正の県議会議決の採択(全国で初めて)、以上のこと等が記されている。

 その後の二十年の国民運動の歩みは、皇室の奉祝行事の挙行、歴史問題を軸にした教科書、靖國神社、終戦五十年の諸問題への取り組み、そして憲法改正、教育基本法改正へと目下最大の運動へと続いてきていることを考える時、『日本の息吹』の創刊号は、国民運動の土台を提示していたことを改めて認識させられる。創刊号において三つの標語として願いが発せられ、運動の時代が築かれたことは、『日本の息吹』の性格をよく表わしている。願いが言葉となり、運動となって一波が万波を生み、点が線となり、面となって海となる。二百号の歴史は、同志の人々の言葉と運動の蓄積である。その蓄積が国民意識に変化を与えてきた。まさに『日本の息吹』は国民意識の先端に立って国民運動を興していくことを確信して編集されてきたのである。

 『日本の息吹』は国民意識を変化させ、大きな潮流を創り上げていく為の行動指針を示した国民運動の書である。憲法改正、教育基本法改正は国民意識の最大の変化と大潮流の形成を必要とする。その時に二百号を積み重ねてきた『日本の息吹』が更にその力を発揮し、日本の心が大きく息吹いていくことを願ってやまない。

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金井肇 日本教育文化研究所所長

 教育の制度面に一層の理解を広げることを期待する

 『日本の息吹』が日本人の心を育て、凛とした国をつくるために努力してきた力は大きいと思います。これをさらに教育の面で一層押し進めていただきたいと考えます。学校教育にますます問題が広がっているのは、特定の教師たちが、歴史教育や国旗・国歌の取り扱い、道徳教育など教育内容に自分たちの考え方を持ち込んでいるからです。

 教育は元々、主権在民の制度のもと、制度を通して一定の条件を付して国民から学校に負託しているものです。その条件の中に教育内容も入っています。教育内容を白紙委任する親がいるはずはないから、至極当然のことです。このことは、昭和五十一年のいわゆる旭川学力テスト事件についての最高裁判決でもはっきりしているし、この判決によって確定してもいるのです。

 それにもかかわらず、校長たちの多くがこの点を明確にした教職員指導をしていないように見えます。国旗・国歌問題が起こるのは学校内で決めることができるという錯覚があるからです。つまり、白紙委任されている場合と同じ行為であるのに、この点をはっきりさせ、批判することができないでいる場合が多いように見えます。内心の自由などといわれてたじろいでいる場合も見られます。内心の自由を主張しうるのは個人としてであって、公務の場合はそれに伴う義務(付された条件)に従わなくてはならないことは、消防官や警察官などの場合を考えても当然のことです。内心の自由を言うなら個人の立場で、つまり職を退いて主張するほかはないのです。

 これらの点を明確にし、正常な教育の実現に向けて、『日本の息吹』がさらに力を発揮することを期待します。

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クライン孝子 ノンフィクション作家

 初志の貫徹を

 『日本の息吹』が創刊されて二十年になるという。創刊の年の四月二六日には、旧ソ連で、チェルノブイリの原子力発電所で大爆発が起こっている。片や、日本では七月六日、衆参両院同日選挙が行われ、第三次中曽根内閣が成立した。

 で、この年の八月一五日、何が起きたか。突然首相・外相ら四閣僚が、近隣諸国への配慮から靖国神社公式参拝を見送ってしまった。それだけではない。九月五日、「文芸春秋」での藤尾正行文相の「日韓併合は韓国にも責任」の発言が表面化し、韓国から外相会議延期申し入れがあったというので慌てた中曽根総理は、藤尾文相を罷免している。

 つまりこの年、旧ソ連では例の大爆発事故がきっかけとなり、急遽西寄り外交に転じ、やがてソ連崩壊を導いたというのに、一方日本では、中曽根総理による近隣諸国対応のつまずきが尾を引いて、今も、その深い傷は癒されていず、四苦八苦している。北朝鮮による拉致被害はその典型的な例といっていいだろう。はからずもその年に「日本の息吹」は産声をあげたという。そして誤った日本の方向路線を修正するため、ひたすら貢献してきた。

 創刊号の編集後記には、「日本の心が見失われ、あらゆる分野で崩壊や行き詰まり現象が表れている中にあって、真の日本を回復する様々な動き、活動の息吹を伝えていきたい。この機関誌から明日の日本への息吹が伝わってくれば幸いです」と記されている。今後もこの初志を貫き、ぜひ日本国家の永劫繁栄のために励んでいただきたいものである。

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小堀桂一郎 東京大学名誉教授

 節目の年に銘記しておきたいこと

 今でもなほ「今年は昭和何年か」と昭和年号での年に換算しては来し方行く末を考へる尺度とする、といつた癖が抜けないので、『日本の息吹』が昭和五十九年に創刊されて以来、本年で丁度二十年目を迎へる、との報に接した時、なるほど今年は昭和七十九年なのだから――と妙に納得のゆく思ひだつた。

 そこで数へてみると「日本を守る国民会議」「日本会議」の歴史は、発足五年目までが昭和、そのあとの十五年が平成の御代での活動の歴史である。といふことは、「日本を守る国民会議」の設立は、「昭和の終焉」の予感とそこから生ずる或る何ものかへ向けての漠然たる憂慮の念から発した動きだつたのではないかとも思へてくる。

 もしさうであつたとすれば、設立者達のその予感は的中し、懐いた憂慮は正しかつたと、自惚れを極力排した上でなほ且つ公言してよいであらう。何故ならば、平成への御代替り以後に生じた幾つかの国家的・国民的大事件のうちの少からぬ件数が、もしあの時に「国民会議・日本会議」の存在と活動がなかつたとしたら、事態はいつたいどの様な帰趨を辿つてゐたであらうか――と、思へば、我から慄然とする様な性格のものだつたのだから。我々はもちろん、好んで事を構へる人間の集合体などではない。だが否応なく、多難にして険悪な時流それ自体が、組織体としての我々の決意と行動とを今後益々強く要求してやまないであらう。節目の年に当つて、此事は確と銘記しておきたいものである。

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さかもと未明 漫画家

 美しい言葉を次世代に

 創刊二十周年おめでとうございます。いつも楽しみに、背筋を正して拝見しております。常に美しい言葉に溢れているからです。

 しかし現実世界で私たちは、余りに醜い言葉ばかりを見聞します。報道は凄惨な事件ばかりを伝え、町では悲しくなるような日本語しか耳にしない。私など、つい身をすくめて歩いています。醜い言葉はしらずしらず私たちの心を傷つけるのです。

 とはいえ好きな書物にだけひたって生きられません。自分を含めた人間の矮小さ醜さに囲まれつつも、私たちはより「よく」生きなくてはならない。そんな時私たちを導いてくれるのは、当たり前で美しい言葉しかないと思うのです。勿論、現在のマスコミ情報にそんな言葉を見出すのは難しい。真実は、媒体に歪められずに届く親から子への直接の言葉と、ほんの僅かの、良識ある媒体のなかでしかありえないと私は思います。

 けれどそれがどんなに難しかろうと、私たちは美しい言葉に出会って、それを次世代に伝えていかなくてはならないのです。ひとはパンだけでなく、美しい言葉や理想を心の栄養に生きていくのだと思います。それらは慎ましいので一見微力に見えますが、実は私たちの人生に深く楔を打ち込んでくれるのです。

 例えば私は三十年もまえに聞いてずっと忘れていた祖母の言葉を、人生の節目節目で思い出し、随分助けて頂きました。それと同じような力を、私は御誌の言葉に見るのです。

 どうぞ心ある言葉をこれからも届けて下さい。真実は小声でいっても、必ず心に響くのです。

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佐藤守 岡崎研究所特別研究員・元空将

 日本精神を忘れないための努力

 「外交と防衛は車の両輪である」といわれる。ところがわが国の憲法は、戦力を否定しその使用を認めていないから、戦後五十七年間この国は片車輪が回転しない車のようなもので、前進することなく「左旋回」を続けてきたのである。その間、軍事力を否定する知識人が「進歩的」で、その必要性を説く者は「保守反動」と見なされ袋叩きに遭ってきた。

 しかし、近来、さすがに「平和を愛する」我が国民も、軍事力を無視する事が非現実的なことであることに気が付き始めた。「暴力には暴力を!」とはいわぬまでも、「話しあえない」国が余りにも多く存在することを認めざるを得なくなったからであろう。五十七年間試みられた「一国平和主義」の幻想も払拭されつつあることは喜ばしい。

 航空自衛隊の戦闘機搭乗員としてスクランブルに明け暮れた三十四年間、私は国民の財産である良く訓練された武力組織が、憲法の呪縛で全く能力発揮できない「玩具の軍隊」であることを痛感してきた。しかし、退官後各地で接する方々の多くに、健全な日本人の心が息づいていることを知った。それは、本誌『日本の息吹』に代表される、日本精神を忘れないための努力が継続されてきたからだと思う。これからも塵芥が浮遊する汚れた川面に迷わされることなく、水面下の本流を信じて、共産主義国歌建設実験に失敗して瓦解したソ連の二の舞にならぬ様、日本精神を復元するための様々な活動を率先して継続して頂きたいと思う。

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篠沢秀夫 学習院大学名誉教授

 『日本の息吹』に今後期待するもの

 『日本の息吹』は、伸び伸びと息をする思いをもたらす。現在のマスコミに残っている「進駐軍」の占領初期方針「日本的なものは何でも悪い」の影響から自由だからだ。

 創刊号で黛敏郎氏が指摘される「戦後久しく不問に付されてきた国家と国民の根本に関わる問題」、加瀬俊一氏が提起する「憲法改正、教育刷新」は今なお焦眉の問題として残る。だがその当時にこの意見を堂々と言うのは先進的勇気を要したのではないか。これらの方々の勇気のお陰で、今や国民の半数以上がこの意見を支持している。

 それでもまだまだ、敗戦と占領に起因する誤解は残る。例えば「シビリアン・コントロール」だ。『文藝春秋』平成十六年三月号巻頭随筆で塩野七生さん(学習院大学の後輩)が「一級の武将がなかなかいないから、われわれシビリアンは危っかしくて、コントロールしなくてはと思わざるをえない」としているが、これは本来「文官統制」だ。一般市民が軍をコントロールすることではない。

 そしてスポーツ新聞では「巨人惨敗の戦犯」と、「戦争犯罪人」を「敗戦責任者」と決めつけている。もちろん心理的にそう思ったからこそ、昭和二十三年の皇太子(今上陛下)誕生日を狙った東条英機氏らの絞首刑執行を受け入れたことに発しているが、誤解は誤解だ。今や多数意見の母胎に立つ『日本の息吹』はこういう誤解を一つ一つ実証的に解いていくコラムを作るのもいいのではないか。

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下條洋二 長崎県神社庁長

 常に瑞々しさを感じる誌面を

 二〇〇号おめでとうございます。しかも創刊二〇周年の節目の年。伊勢神宮の式年遷宮も二〇年に一度。原点回帰と再生のときです。

 溢れる情報の中で、いま日本人として最低必要な正しい情報を、優しく的確に伝えてくれるのが「息吹」です。ややもすれば、項目を見ただけで避けてしまいそうな固い問題でも、「息吹」ならば読んでみようかと思います。確かな編集方針とご担当者のセンスを感じます。

 長崎では昨年、十二歳の少年による男児誘拐殺人事件が起こってしまいました。国民を震撼させ、市民みんなが悲しみにくれる中、マスコミの過剰報道とともに各方面から様々なコメントが発せられました。その中で「息吹」には、さりげなく、また優しく、しかも力強いメッセージが込められ、それは特に長崎の人々を勇気付けるものでした。

 神職の重要な務めの一つに、祭典後の講話があります。話の内容は、神社神道のことから時局問題など多岐にわたり、参列者に分かり易く説くことが肝要となります。そこで「息吹」は、いわばその種本としての情報誌となるのです。そういう意味でも県内神職に講読を勧奨し、神社庁で取り纏めているのです。

 限られた予算の中で、これだけの紙面を保つには、編集ご担当者を始め関係者の並々ならぬ御労苦が偲ばれますが、その努力こそが貴会活動の「息吹」にほかなりません。今後とも、創刊の趣旨を継承されるとともに、常に瑞々しさを感じる誌面であれば、さらなる講読拡大が実現できると確信しています。

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高市早苗 近畿大学経済学部教授

 日本会議とともに、真の主権国家構築を実現しよう!

 『日本の息吹』が通巻二〇〇号という大きな節目を迎えられました事、愛読者の一人として、心からお慶び申し上げます。創刊から二十年間もの継続は、高い志と使命感に支えられた日本会議事務局の皆様の無私のお働きがあってこその事と、感謝申し上げております。私自身も、「日本の心を取り戻したい」と切望されている全国の会員の皆様とともに、地道な活動を続け、生涯を賭けて「真の主権国家構築」を実現する覚悟でおります。

 近代以降、「国家の構成要素」は「国民」「領土」「主権」とされており、私は、この三要素を守り抜く事こそが政治の最も重要な役割だと考えています。

 特に「主権」とは、「他の意思に支配されない、国家独自の意思による統治権力」であり、これを完全に行使し得る独立国を「主権国家」と呼ぶのです。まずは、他国による内政干渉を許さない姿勢を示す事が大切です。戦没者の追悼・慰霊の在り方や教科書の記述内容は、純粋に内政事項であり、決して他国の干渉を受けてはなりません。また、国民固有の権利である選挙権は、日本国籍取得によってのみ与えられるべきです。

 そして、昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約発効前に、GHQが国際法違反である関与をして制定された「憲法」と「教育基本法」を書き直すことが、「真の主権国家構築」への第一歩であり、最低条件であることは言うまでもありません。

 今後、国政の場で急いで議論を進めていただきたいのは、「海外における邦人保護」のあり方だ。本来、拉致・誘拐された国民を国家が救出するのは「広義の自衛権」として認められるべきである。日本では狭義の解釈で自衛権を縛っているが、せめて潜入捜査を可能にする法的担保が欲しいと思っている。

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瀧藤尊教 四天王寺前管長(百五世管長)

 温故知新

 本年は、聖徳太子が憲法十七条を制定され千四百年の歳に際会する。太子が当時世界の最強の覇者として君臨していた隋国に対し、堂々と対等の外交を展開され、日本国の権威を確立された歴史を顧みる時、その周到な準備に十四年を投じ、その間諸方面に極めて、徹底した施策を完成し給うた。

 先ず使節来日に対する設備と日本国家の統治対策、一国家の威を示し、国民の済世福祉、人材養成の為の施設として悲田(福祉)敬田(教育=学校)療病(病院)施薬(投薬所)の機能を兼ねた四箇院と更には国防の道場としての四天王護国之大寺(四天王寺)の建設、続いて人材養成の為の冠位十二階制の設定(同時にこれは外国使者への威を示す組織を兼ねる)、更に、普遍的国家としての威と全国民の高度な国民精神涵養を育成する十七條憲法の制定、更に世界状勢を把握する為の情報者の迎賓(高句麗の慧慈法師を始め高僧達の礼遇と彼等を通じての当時の世界状況の把握、をもって対処のありようを検討し、有名な

 〝日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや、云々〟

 の、堂々たる対等外交の書を呈せられた。

 然も、隋国が第一回高句麗遠征に敗れ第二回の国威をかけての遠征の発令準備の忽忙の時をねらった派遣という極めて適切な時の利を得た行動が、見事に奏功した歴史を省みる時、日本外交の今日的在りようはこれに学ばねばならぬと思えるのである。

 従って、国立の外交大学、即ち軍事、世界状勢、政事、経済等の高度な学問の国立の大学を創始し、歴史家、科学者、等々各分野の最高級の教授に特訓を依頼し、国家の費用で、人材育成の大学教育を即今、創始して、大人物を養成して、堂々と、ソ連、北朝鮮、中国といった侵略国家への交渉に当たり、我が国の堂々たる君主国としての、輝く世界史の範としての地歩を確立せねばならぬと念ずる次第である。

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田久保忠衛 杏林大学客員教授

 日本人よ、立ち上がれ

 創刊二〇〇号、まことにおめでとうございます。この二十年間に御誌の果した役割は大きいと思います。残念ながら日本はいまだに戦後から完全に脱却できず、よろよろしていますが、着実に変化しているところが出てきているのは否定できないでしょう。『日本の息吹』は志を同じくする他のメディアとともに国家の直面する基本問題である憲法、教育、防衛問題などを一貫して正面から取り上げてきました。それが読者の共感を呼んだのだと思います。

 もちろん、米ソ二極構造の崩壊、中国や韓国による内政干渉まがいの日本批判、北朝鮮による日本人拉致や核およびミサイル開発、さらに「強い日本」を公然と求めている米ブッシュ政権の登場といった国際環境の変化も見逃してはなりません。戦後六十年近くも惰眠を貪ってきた日本に対して「それでいいのか」と覚醒を迫っているのがいまの国際情勢ではないでしょうか。

 ただし、いくら外的条件が変化しても日本国民に呼応する力が生れなくては日本の再生はありえません。『日本の息吹』は日本人に二十年間にわたって「立ち上がれ」と号令をかけ続けてきたのだと私は考えております。

 これからの十年間に国際情勢と日本がどのように変化していくか。不動の姿勢で従来の主張を続けていただきたいと思います。使命はますます重大になりましょう。

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竹本忠雄 筑波大学名誉教授、在パリ

 祖国日本を守る精神気流

 二百号という『日本の息吹』記念の節目にあたり、日本を守る国民会議の「初心」や如何に、と創刊当時のバックを繙き、粛然と襟を正した。「祖国日本を守る精神気流を全国に巻き起こす」と黛敏郎氏は述べておられる。この目的のために「学界・宗教界を中心に」同会議は結成された。わけても「宗教界」の意義が重い。民主主義を際限のない「?聖」の保証と履きちがえたことに、日本のこれほどの失墜は起因しているからだ。

 創刊号で加瀬俊一氏が最大の警告を発せられたソ連の軍事脅威は、今日、中国のそれに変わったが、変わらないのはこれら共産主義国を後ろ盾とする内外の反日活動である。イスラム世界全体も、民主化か、欧米型?聖文化拒否かで大揺れのところで、もはや文明全体が回転軸なきコマ同然となっただけに、日本はかくありと示すことがなお一層重要となってきた。

 その意味で、新設の日本会議経済人同志会会長、武原誠郎氏が就任の辞で述べられた「三ケ国語」マスターの「将来のリーダー育成」に日本会議は取り組んではどうかとの提唱に、私は大賛成なのである。本誌も、これを機に、誌名、目次、レジュメーぐらいは英語で毎号かかげてみてはどうか。次文明へのエクソダスを併せ考えるべき時であろう。

 大東亜戦争で敗れたときのように我々は再び孤立してはならない。日本文化は、世界を舞台に万丈の気炎を吐いている。いま我々は苦しい戦いを強いられているが、サムライであることが苦しくないはずはない。そしてそれゆえに尊敬されないはずはない。日本会議の名で我々が喚起しつつある「精神気流」は日本の最美の伝統にほかならず、これは世界から愛され、世界的現存のものなるがゆえに、その旗幟のもとに立つかぎり、勝利はついに我々に帰すると信ずべきである。

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丹羽春喜 日本会議大阪議長(大阪学院大学教授)

 潜在GDPの余裕を活用して、防衛力の整備を急げ― 日本会議は、このことを政府に強く要望するべきだ―

 端的に言って、現在、わが国は、安全保障の面で、基本的に、非常に危険な状況に置かれている。急速に軍事大国化・経済大国化しつつある中国が、その膨大な人口の国民に対して、徹底した反日教育、反日プロパガンダを続けつつあるからである。また、韓半島の北朝鮮にしろ、韓国にしろ、ともに、きわめて反日マインドの強烈な国である。しかも、北朝鮮は、すでに若干の核兵器と、わが国を標的としていると推定される弾道ミサイルさえ保持していると思われるのである。

 したがって、わが国は、これら周辺の反日諸国家に対する、有効な軍事的抑止力としての防衛力を備える必要がある。日米安保条約があるとはいえ、それを真に信頼度の高いものとするためにも、わが国は、防衛力の整備に努めねばならない。巨大なデフレ・ギャップの存在という形で、年間四百兆円もの潜在GDPを空しく捨て去り続けているわが国経済の現状(わが政府は、このことを隠蔽してきた)を想起するならば、そのようにして捨て去られている膨大な「生産能力の余裕」としての潜在GDPのうちの、せめて一割でも二割でもよいから、それをわが国の防衛力の拡充のために活用すべきだということを、日本会議は、わが政府に強く要望すべきであろう。憲法の改正も、このことを可能にするような内容のものであるべきである。

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所功 京都産業大学法学部教授

 感謝と要望

 『日本の息吹』は、毎号ほとんど隅から隅まで読み通し、その的確・迅速な情報に多くのことを教えられてきました。取材・編集などを担当して来られた関係各位に、あらためて感謝を申し上げます。

 この二十年来、日本会議などに集う有志の多大な尽力により、「国のかたち」を建て直す世論が徐々に盛り上がってきたことは、御同慶の至りに存じます。しかし、教育問題に関しては、「教育基本法」の改正案が未だ国会に上程されない現状にあり、ぜひ近い実現を目指して頂きたいと思います。

 また「国のかたち」を考える時、わが日本国は二千年来の「君主国」だ、という事実を再確認してほしいものです。戦後の現行憲法でさえ、最も重要な第一章を「天皇」とし、象徴(元首)の役割と世襲の地位を明示しています。

 しかし、その永続を可能とするためには、「皇室典範」の改正(女性宮家の創設など)や宮内庁の改組(宮内省か宮内府への昇格)なども、早急に検討する必要があり、それを関係方面に働きかけて頂きたいと念じております。

 なお、海外から日本への関心が高まっている現在、本誌の貴重な情報が世界各地でも受信されるよう、日本会議のホーム・ページに、少なくとも英文で、全容か要旨を併載してほしいと存じます。

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中條高徳 アサヒビール株式会社名誉顧問、(社)日本国際青年文化協会会長

 自主憲法を早くつくれ

 日本会議の機関誌が通巻二百号を迎えた。誠にめでたい限りであり、心から喜びたい。

 戦い敗れて五十九年。未だに自虐史観のただようこの国に於て、『日本の息吹』の果した役割は極めて大きい。「蒙を啓(ひら)く」という表現があるが、余りにも現今のこの国の国民の蒙は暗くて深い。

 たとえば、国家の基本法「憲法」ひとつ考えてみても、民族の決断として国家の全てをかけて戦った。そして不幸にも敗れた。その時の勝者の手になる憲法を後生大事に、いまだに変ええず平然としている民族が他にあるだろうか。平成十一年九月八日、マンスフィールド駐日大使が日経紙上の「私の履歴書」の中で、マ元帥がケーヂスに命じて作らせた百パーセントアメリカ製憲法だと論じておられるのを、日本国民、とりわけ立法府にある政治家たちはどう把えているのか。

 ケーヂスが作ったから全て悪いなどケチなことを云っているのではない。

 昭和二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効後即ち日本が主権を回復後いち早く、自由の空の下、国民自らの手で、自らのための憲法をつくるなど近代国家のイロハのイの字ではないか。

 その自らの手で作った憲法が仮にケーヂスの作った現憲法と一条一句違わないとしても、国家、国民の誇りが違うことを知らねばならない。私は職業軍人として敗戦の日を迎えた。

 切ない悔しい眼(まなこ)で占領政策を具(つぶ)さに見てきた。GHQは極めて巧妙に憲法作成を進め、一切そのプロセスを国民に伝えてならないと報道管制をした。だから未だ眼が覚めないのだ。今後の『日本の息吹』の役割はますます大きい。

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中城まさお 新国民劇準備会・劇作家

 靖国神社のこと

 世界中どこでも国のために命を捧げた勇士に対しては最大限の顕彰、慰霊を行います。その慰霊の方法は各国固有のしきたりによるもので、日本ではそれが靖國神社です。さきの大戦で多くの将兵は自分の家の宗派に関係なく「靖國で会おう」と言い交わして死地におもむきました。その心情を無視していいはずはありません。今この国には内部にもそれに異を唱える人がいます。いろいろな理屈がうりますが、たいていは某々国政府の内政干渉的発言のマスコミ報道に影響を受けているのです。或いはかつての占領軍による東京裁判などの考え方を引きずっているのです。

 日本人自体の宗教観についての誤解もあります。日本では一つの家の中に神棚と仏壇が並んでいる事はごく普通の事です。靖國神社に祭られたからといって他の宗教で祭る事を妨げるものではありません。この穏やかな国の宗教観は海外の一神教的な考え方とは全く異なっているのです。

 国のため一命を捧げた方々を正しく慰霊、顕彰できないで、なんで国を守る事、国を愛する事ができるでしょう。私は演劇にたずさわる者ですが、戦後この国の芸術家は余りにも〝私(わたくし)〟の感情の掘り起こしに熱心で〝公(おおやけ)〟についての発想が少なすぎる事に異常を感じています。黛敏郎先生、三島由紀夫先生は「後に続くを信ず」と思っておられるはずです。昨秋私は靖國神社秋季例大祭で『一人語り散れ山桜』奉納公演を行いました。英霊は生前の約束通りこのやしろの庭で集っておられました。

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西澤潤一 (財)半導体研究振興会名誉所長

 日本人のロマンを世界に

 世界は未だ理性の社会にはなっていないのに、対蹠のしかたについて学者は理知で批判する。此処に無効議論を繰り返すこととなる。国際問題を議論する時に、対象となる人々の中には、暴力主義者があり、軍事力主義者がありで、常識を逸する。その状態で我々が如何に日本人のロマンを形成し、これを実現してゆくかと云うことが二十一世紀日本人の世界観形成の第一歩であるのに、依然として閉鎖を守り、利己的民族との批判を受けつつある。

 漸くにして、十九世紀の遺物と云うべき拉致問題が、家族の悲鳴を他所に、二十年も放置され、当事者が何の責任も感じないと云う正に十九世紀の黙認が実行されていたと云うことが明らかになったが、このことは我国の後進性と云うか、自主性のなさと云うか、とても近代国家と云う資格のない状態が我国に堂々として存在しているのである。

 日本会議が、この中の矛盾を解決する最強のホープと考えるのだが、ややもすれば同様な前世紀的野蛮団体と見られたことも少なくない。そのような苦しみを背負いながら、理性的でありながら「現実の正義」にも充分な評価を与えながら、窮極的な理性的な、現実の前世紀的要素に対する、正当な解釈と評価を与える論理構成を完結しなくてはならない。

 この極めて困難な課題を解決することが、本会の使命となっている。云い換えれば他にない。その上、現実問題に対する適正な対応が間髪を入れず実行されなければならない。本会に対する期待は極めて大きい。

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長谷川三千子 埼玉大学教授

 「運動」と「精神」と―『日本の息吹』二十周年に思ふ―

 ふつう、「運動」と「精神」とはあひ容れぬものである。世に「なになに運動家」と呼ばれる人々の顔を思ひうかべてみれば、そのことはすぐにわかる。そこに「精神」と呼べさうなものの翳(かげ)が見て取れることは、まづほとんどないのである。

 ところが、日本会議が行つてゐる国民運動といふものは、さうした常識に逆らふ運動である。この「運動」は、もちろんその都度具体的な目標をもつてゐて、たとへば憲法改正といふやうなことも、その目標のうちに含まれてゐる。そして「運動」である以上、その目標を現実に達成するために、策を練ったり、多くの人々を動かしたりすることがたえず必要である。

 けれども、もしもさうした物理的努力が、それを行ふ人々を次第にただの「運動家」にしてしまつたとしたら、或るもつとも重要なものが失はれる、といふことにならう。この運動は、まさに精神を重んじる運動なのである。しかし、実際にはこれほど難しいことはない。精神はスローガンによつて支へることはできないし、また「精神主義」などといふものによつても支へられない。硬直した精神主義(ヽヽ)ほど精神を手ひどく破壊するものはないからである。日本会議の目指す運動は、ほとんど逆説的と言つてもよい困難な課題である。

 『日本の息吹』は、この困難な課題によく応へて、日本会議の「運動」を伝へ、支へつつ、その背後にひそやかに息づく「精神」の息吹をも伝へつづけてきたと言へる。その二十年間に心からの感謝と感嘆をささげたい。

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平野啓子 カタリスト・語り部

 日本人の感性の再発見

 虫の音や木の葉の落ちるかそけき音、この日本人独特の感性について、私が話したとき、その拙い言葉の一つ一つを、丹念に書きとめてくださっていた編集者の真剣なお顔をいまだに忘れることができません。

 日本人は、たとえば雨の種類も、小ぬか雨、霧雨、氷雨、など実に細かく識別し、それを「美」として捉えます。月の満ち欠け、桜の花の変化、等々、日本人は季節や時の変化に敏感に反応し、身の回りのものに取り入れてきました。それらは日本の古典文学の中にも記されていて、その感性が古えからのものであることを物語っています。私自身の中にもある、これまで漠然と感じていた日本人の感性を、なんだか編集の坂元様に質問されながら引き出され、自身で確認できたような気がしてなりません。

 日本が世界に自信を持ってアピールできるのは、日本独自の風土に育まれたきめ細かい感性と、それを形にしていく粘り強いまでの気質ではないかと思えております。それがこれまでの産業界やスポーツ界での活躍にも繋がったのだとしたら・・・。日本の風土や伝統を再確認し、日本とは何かを見つめることが、今最も大切なことではないかと思うのです。

 「日本が日本であること」を支えるために、今何をすべきか。このことを考えたとき「日本会議」、そして「日本の息吹」への期待はやみません。二〇〇号、本当におめでとうございます。これからの更なる発展を心よりお祈り申し上げます。

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村松英子 女優・詩人

 有史来の新しい危機に瀕している日本

 『日本の息吹』二百号記念、おめでとうございます。

 ――近年の日本はまるで満身創痍の重病人のようです。一つひとつの症状をあげるのが大変なくらいです。二千年の歴史をふり返っても、新しい形の危機に瀕しているといえるのでしょうか。――

 本の美点、美徳、国としての誇り、健全さを回復し、再生の息吹を伝えようとする貴誌の努力に、今後も期待しております。

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森敬惠 「甦れ、日本の心コンサート」主宰・ソプラノ歌手

 すべての問題は現憲法にある

 七年前の神戸少年殺人事件が契機となり、私は行動を起こし戦後教育の呪縛から少しずつ解かれていったが、日本が今日迄の歩みを続けてきた間、どれ程多くの先人達が日本の現状と未来を案じ、その命と力を注いでこられた事であろう。それを思うと胸が熱くなる。

 不可解な少年犯罪の原因をたどってきた中で、遂に見えてきたのは現憲法であった。世界の歴史はどこもあらゆる策謀と手段をもって侵略し、又侵略される歴史を刻んできている。外見は平和と民主主義を装っていても、その長い歴史に潜む侵略の本質は今でも少しもぶれてはいない。一方、日本は明治維新後、不慣れな外交で列強国に必死で胸を張ってきたのだ。仕掛けられた戦争にも裸身の戦いをし、戦勝国の利益の前に、理不尽な汚名を被せられ、国際法も国際倫理も無視された戦後処理の中で根元的精神破壊への道を歩むべく、現憲法を背負って六十年歩いてきた。その結果、目に見えない物を見てきた民族は、

 目に見える物しか見ない民族になっていた。

 私は少年犯罪や拉致等の諸問題の根源に現憲法の醜い偽装がある事に気付いた。それは侵略の歴史上、当然の成り行きとは言え、到底見過ごせる代物ではない。一個の人間も、一つの国も生命体として、外敵からの侵入を防ぐ力を持たなければ、やがて死に至るのだ。私達はこの列強の侵略精神をしっかり肝に銘じ、日本民族の高い精神文化を息づかせ、新憲法を自らの手で作り上げ、世界に向けてその存在を主張する時が来ている。

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山本卓眞 富士通株式会社名誉会長

 日本の尊厳と愛国心

 『日本の息吹』が活動して二十年、二〇〇号を迎えたことに祝意と敬意を表します。二十年前に比べて日本国民の思考はかなり正常化しました。今日、憲法、教育基本法が国会議員により論議されていますが、嘗ては改憲の言葉自体がタブーでした。日本会議をはじめとする有志の長年の奮闘努力の結果であることは言う迄もありません。靖國神社に代わる追悼施設の挫折、新しい歴史教科書の採用の動きなど既に具体的成果も出始めています。

 しかし憲法だけでも改正条項を乗越えるのは容易ではありません。厄介なのは真面目な国民の多くにも戦後教育の歪が残っていることです。

 一方、五月二十二日の首相の訪朝成果に厳しい批判もありますが、私達は目前のことばかりでなく、茲に到っても尚北朝鮮からの侮りを受けつづける日本の姿と、その所以を深く考えるべきだと思います。ロシアは六十万人のシベリア抑留、六万人の死者に対し満足な謝罪もせず、北方領土を不当占拠しています。韓国は竹島を不法占拠し、近時ますますの反日です。中国の反日プロパガンダにも無策で、尖閣諸島の守りも心許ない現状です。

 憲法を改正して自立性を高め、正常な軍事力を持たない限り、厄介な国々囲まれた日本の尊厳はありえない事に思いを致すべきです。同時に、一旦緩急あれば国を護る愛国心を蘇らせねばなりません。日本会議の行く手は正に課題山積ですが、過去の実績から自信を持ち新たな決意で将来に向かう時でしょう。

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吉田好克 宮崎大学助教授

 「天下に五枚で書けないことはない」

 今は亡き山本夏彦氏は「およそ天下に五枚で書けないことはない」としばしば言つてゐて、なかなかの名言であると私は思つてゐる。世に無内容を糊塗せむとした、或いは原稿料稼ぎを企んだ長い論文少なしとせず、その点、『息吹』所収の論文は短いのは二枚程度、長くても見開き四頁で、しかもいづれも重要な事柄が本質的に述べられてゐるので、とても有り難い(講演録などの場合には、それを纏めた編集者のお手柄もあるだらう)。勿論、論題にもよるが、一般的に言つて、本質的な問題を熟考し、それが過不足なく表現される時、その表現はおそらくそんなに長いものではないのではないか。

 簡明で達意の表現を心掛けたパスカルはさる書簡において、手紙の文章が長くなつてしまつたことを相手に詫び、その理由を「時間がなかつた」ことに求めてゐるけれども、この逆説もまたなかなかに味はい深いと言はざるを得ない。もう十年以上前のこと、コンピュータの世界で「簡明に表現する」といふ意味の「ブレーズする」といふ動詞が作られたが、ブレーズとはパスカルの名前であつた。簡明の美徳は古今、洋の東西を問はぬものらしい。

 手間暇掛けたゆゑの簡明・簡便。これが『息吹』の存在価値の一つであるのは間違いないと思ふ。身は小さくとも「三寸の楔」といふことがある。さらなる発展を祈りたい。

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