(敬称略)
叡南覚範 | 日本会議滋賀会長 | 菅原道之 | 日本会議福岡副会長 |
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角荘三 | 日本会議和歌山会長 | 多久善郎 | 日本会議熊本理事長 |
朝永清之 | 日本文化研究会代表 | 松田皜一 | 日本会議長崎会長 |
横山亮次 | 日本会議茨城会長 |
叡南覚範 日本会議滋賀会長
日本会議の前身である日本を守る国民会議の時から関わってきた者の一人として、機関誌『日本の息吹』が発刊二〇〇号を迎えることは、真に喜びに耐えません。
大東亜戦争終結後、六十年になろうとする今日、自主的ならざる憲法と唯物共産主義思想による、ゆがめられた教育により国を思い他人を思いやるという美わしい伝統文化が否定された結果現出した社会の混迷を打破すべく、誇りある国づくりを目指して立ち上がった日本会議の運動が、今や国会議員の中にも大きな輪の広がりとなり成果を挙げつつあることは喜ばしい限りです。
小泉首相はイラクへの人道、復興支援の為の自衛隊派遣に当っては憲法前文を掲げて大義の拠り所とし、今こそ「日本の理念、国家の意志、国民の精神」が問われている、と述べられて決断されたことは、これからの日本の在り方を内外に宣言されたものであり、戦後の首相として我々国民に一大感銘を与えてくれました。又北朝鮮による拉致問題も首相の再度の訪問により五人の家族の方々が還り、十人の未帰還者問題にも一封の筋道が見えたことは、更なる前身として首相を賛えたいものです。
そしてこれ等二つの事は誇りある国づくりへの一里塚となることを思います。次の大目標は憲法改正、教育基本法の改正であり、機関誌『日本の息吹』の果す役割は益々大なるものがあります。編集に携わる各位の一層のご奮闘を心よりお祈りいたします。
菅原道之 日本会議福岡副会長
日本会議福岡の設立の準備委員長として動いた結果、平成十年十月十日福岡市中心街のアクロス会場で一一〇〇名の人々と共に発会式を華々しく行うことができました。以来、理事長として全力投球をして参りました。たくさんの方々に応援をしていただいて、会員数も日本一の座を占め続け数々の実績を積み重ねる事ができた事は、当会会員の皆様と共に悦ばしく思うところです。
正副理事長は定年八十歳制として居りますので、本年五月末の総会をもって小生は理事長を退任し、副会長(会長代行)に就任、後任には副理事長(時局担当)の山本泰藏氏が理事長に昇格、二十歳若返りました。福岡は会費も会員管理もすべて自主管理でとりしきって居る唯一の県ですが、新理事長の新体制で一層頑張るものと存じます。更に御指導御後援の程願います。
尚、平成十六年度運動方針としては既に決定され総会でも報告しましたが、その内で特に強調されるのは「東京裁判は無効」論を広く世界・米国に訴え、不当不適格な裁判だった事や日本は自衛のために戦わざるを得なかったという事(マ元帥も米議会委員会で証言)を確立せねばならないという事です。東京裁判にて却下又は未提出の弁護側資料は全八巻が出版され、約四千件近くが公開されました。本来なら政府・政治家がやるべき事です。
だが戦後六十年近くなってもその動きが見えない事は残念の極みです。侵略国の汚名はそそがなくてはなりません。憲法・教育基本法改正も此の原因を正さねば小手先改造に陥ることでしょう。
どうか全国の皆様、協同して闘おうではありませんか。
角荘三 日本会議和歌山会長
『日本の息吹』が二〇〇号を迎えると聞いて、今更のように先覚者の日本再生にかける洞察と軌跡に胸を打たれ襟を正しています。
私は平成六年から田辺市教育長を拝命して、多岐にわたる教育課題に取組む中でも、国旗国歌の指導、教科書採択、少年犯罪、偏向史観など、どれをとってみてもその因って来たるところは、戦後借りものの個人の尊厳や履き違えた自由の毒がまわって、国家について語ることを憚らせてしまったことが大きいと感じてきました。
そこで平成八年から、機会をとらえては「長い歴史をもつ我が国の良さを語り続けて、発達段階に応じて国民であることの意味を教えてほしい」とか、「流動する世界に伍してたじろぐことのない資質には、国の運命を担う意識の形成が不可欠ではないか」と力説したものでした。
解決に程遠い拉致犯罪の非道さ、あらわになった国家主権侵害とその対応の弱弱しさにつけても、今や危機に立つ日本の現状を見れば、まず国家意識を国民の常識として取り戻さなければならないと思います。
平成十三年に、市議会における退任の挨拶の中で、「教育は、つまるところ国民の誇りの基礎を培う営みだという確信をもって取りくんできた」ことを述べました。今もその思いに変りはなく、日本会議の提唱を我が事として、まず教育基本法の改正を、更に教員養成システムの大改革と教育行政の改善が国民運動の大きなうねりとなることを願っています。
多久善郎 日本会議熊本理事長
『日本の息吹』二〇〇号おめでとうございます。現在熊本では、約一五〇〇名の方が毎月『日本の息吹』を手にして日本の現状と将来、そして日本会議の活動について熱い思いと期待とを抱かれています。熊本の活動情報を伝える『日本の息吹』県民版も、日本会議熊本の設立準備時期の平成九年十一月から一号も欠かさずに毎月発刊し、今号で第八十一号を数えるに至りました。
『日本の息吹』を如何にすれば、日本全国津々浦々十万名の方々にお届けする事が出来るのか。会員十万名は日本会議の悲願であり、到達すべき目標だと信じます。その為にはやはり、地道な活動を積み重ね、心有る方々と出会う為の、感動を与え共感を呼び覚ます行事の定期開催が最低必要となってきます。日本会議の会員とは、日本会議の提供する情報に価値を見出すと共に、日本会議の活躍に期待し声援を送る方々です。
先日熊本では五月三日に、森本敏先生をお招きして第五回憲法シンポジウムを開催し、八百名の会場が満杯となりました。その約八割は一般からの参加者でした。又、現在は手分けして教育基本法早期改正の地方議会議決運動を行っていますが、紹介議員になって戴く地方議員の方々の教育問題への意識は高く、日本会議にも関心と期待を持って受け止めて下さっています。日本会議の活動を通した地方議員の輪が生まれて行く実感も持っています。その他にも運動を通した輪は次々と広がって行きます。
朝永清之 日本文化研究会代表
大東亜戦終戦後六十年を目前とする時期となり、今や戦後生まれの世代があらゆる分野の中核として活躍する時代となつてゐる。
彼等の多くは、大戦を遠い過去の負の歴史として否定し、空想的な平和論を降りかざしながらグローバルな社会の構築といふ夢物語に酔ひしれてゐる。
そのような多勢の中にあって、真の日本のあり様に目覚め、戦後の歪みを軌道修正しようとする若者たちが徐々に増えて来てゐるのは事実であり、その啓蒙と教育に大きな力となつてゐると確信する『日本の息吹』が二〇〇号を重ねたことは有難いことである。
憲法をはじめ、日本の国家の存立と存続の為の規範が早急に見直され、正されなければならない時期である。戦前に生を享け、戦前と戦後を体験的に生きてきた最後の世代の一人として、歴史の連続のために少しでも役立てればと念じ、微力ながらも日本会議の末端で頑張らせていただきたいと思つてゐる。
私的な思ひを言へば、戦後の北朝鮮引揚げ者のひとりとして、未だに当地に眠ったままになつてゐる三万余柱の同胞の慰霊に是非取り組みたい。戦後の混乱の中で、飢ゑと寒気と伝染病のため、又は占領国の迫害により屍ねて異国の土に放置されたままになつて半世紀を越えた。唯一、現地の慰霊や収骨が出来ていない国である。関係者の高齢化や他界によりだんだんと声が小さくなつてゐるが、歴史の連続のためにも忘れられてはならないことであると思ふ。
松田皜一 日本会議長崎会長
『日本の息吹』二〇〇号発刊おめでとうございます。日本を守る国民会議時代から、各地の国民運動の息吹を広く伝える役割を果たして来られたことに、心より感謝と敬意の念を表したいと存じます。
創刊号をひもときますと、昭和五十八年度における長崎の活動の成果を、一ページ全体を割いて紹介して戴いております。自衛隊法改正の県議会や佐世保市議会での決議の達成、市町村で生起した諸問題への取り組み、そして全国に先駆けて実現することが出来た教育基本法改正の県議会決議と、まさに当時の長崎県民会議の「熱い息吹」をお伝え戴いております。
私ども地方にある者は、『日本の息吹』によって、全国の国民運動の有り様を知っては刺激を受け、また、自らの活動の成果を取り上げて戴けることに励まされ、国民運動の一翼を担う自覚と使命感を高めて参りました。そして、全国の有志、同志との強い絆を実感することができましたことは、ともすれば偏向したマスコミ報道等によって孤立・疎外の状況におかれてきた地方の活動にとって、どれほど大きな支えとなったか知れません。
創刊から二十年を経て、『日本の息吹』によって支えられてきた国民運動の成果でありましょうか、国民の意識は大きく変りつつあります。戦後も六十年を迎えようとする今日、悲願であり、厳然たる課題でありました憲法・教育基本法の改正が、具体的な可能性をもって語られ始めております。しかしまた、その一方で、戦後思想を固守してきた勢力の死力を尽くした攻勢がますます強まっているのも事実であります。わが国の盛衰を決する天王山を既に迎えていると考えねばなりません。
全国の国民運動に一層の奮起が求められております中で、『日本の息吹』の果たされる役割はいよいよ大きいと存じます。『日本の息吹』のご奮闘とご発展を祈念申しあげ、『息吹』に取り上げて戴けるような成果を挙げるべく更に奮励努力して参りますことをお誓いして、御祝いの言葉と致します。
横山亮次 日本会議茨城会長
『日本の息吹』二〇〇号発刊おめでとうございます。昭和59年創刊号黛敏郎氏の記事を読ませていただき、「息吹」の意味が国民運動の息吹である事を知ると共に、その発刊の意義が、関係者によって、今日迄絶える事なく守られ、またより一層その意義を高めて来られました事をお喜び申しあげます。
幸いにして『日本の息吹』の成果が高まり、三万人の購読者の方々に「誇りある日本人の心」が養われ、これらの方々がその心をより多くの国民の方々に伝えるよう努力されていると思いますと、創刊における『日本の息吹』の精神が益々高まってゆく事が期待されます。
関係者の皆さんがこの期待を喜び、これからもより一層御努力されます事を祈念申しあげ、御祝いの言葉とします。