安倍晋三元総理・追悼

安倍晋三元総理・追悼

(令和4年9月・『日本の息吹』9・10月合併号より)
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  • 各界より

国会議員より

(敬称略)

平沼赳夫 日本会議国会議員懇談会顧問(前会長) 古屋圭司 日本会議国会議員懇談会会長・衆議院議員
下村博文 衆議院議員 馬場伸幸 衆議院議員
衛藤晟一 日本会議国会議員懇談会幹事長・参議院議員 加藤勝信 衆議院議員
藤田文武 衆議院議員 髙鳥修一 衆議院議員
山谷えり子 参議院議員 柴山昌彦 衆議院議員
有村治子 参議院議員 義家弘介 衆議院議員
木原稔 衆議院議員 佐藤正久 参議院議員
遠藤敬 衆議院議員 鬼木誠 衆議院議員
小田原潔 衆議院議員 山下貴司 衆議院議員
山田宏 参議院議員 和田政宗 参議院議員
阿達雅志 参議院議員 松本尚 衆議院議員
鈴木英敬 衆議院議員 平沼正二郎 衆議院議員
石橋林太郎 衆議院議員

平沼赳夫 日本会議国会議員懇談会顧問(前会長)

 安倍元総理の政治の核

 安倍晋三元総理大臣に心から哀悼の意を表します。

 真の保守の政治家として、皇室の問題、憲法の問題、安全保障の問題、教育基本法の問題、夫婦別姓の問題とあらゆる事に気を配り、真っ当な日本を取り戻すため着実に実行し、尽力してくれました。彼が首相の時、日本維新の会を代表して予算委員会の質問に立ちました。若い議員も多かったので、相当細かい質問を致しましたが、彼は真摯に耳を傾け、彼の知識も加えてくれ、私はその時、本当に憲法のことをよく勉強していると感心し頼もしく思った事を思い出します。

 私自身は、病を得たとは言え、憲法の事をやり残したまま政界を引退せねばなかった事は断腸の思いでございましたが、安倍晋三という真の保守政治家の存在があればこそ安心して引退をする事が出来ました。

 今の政治家の中に安倍元総理程の高く深い見識を備えている保守政治家がどれ程いるでしょうか。そのことを思うと安倍元総理を失った事はこれからの日本にとって測り知れない大きな損失と言わざるを得ません。安倍元総理の政治の核を受け継げる存在がある事を願うばかりです。

 安倍晋三元総理大臣の冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

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古屋圭司 日本会議国会議員懇談会会長・衆議院議員

 不世出の政治家 安倍晋三を想う

 狙撃のニュースを受け、参議院選挙応援中だった私は日程をキャンセルして上京。その際の情報で深刻な状況であることを覚悟した。党本部到着後4階の幹事長室に入った瞬間に厳しい現実を実感。その足で富ヶ谷の安倍邸を訪問。御母堂の洋子さまやご遺族にはかける言葉も見つからない。

 一言でいって、警察の警備体制は0点だったと言っていい。警察にも平和ボケが蔓延しているのだというやり場のない怒りが込み上げてきた。国家公安委員長経験者として要人警備の在り方を根本から見直さなくては。

 安倍元総理とは私が成蹊高校・大学の一年先輩の同窓。学生時代は著名な選手ではなかったが、体育会系の学連事務局長を務めるなどそのセンスはキラリと光っていた。

 縁あって安倍晋太郎外務大臣の秘書を務めたが、晋三氏は既に外務大臣秘書官として大活躍をし、拉致家族会の訴えに「これは単なる誘拐ではなく国家によるテロだ。」と主張し、外務大臣に代わり真剣に取り組んでいたことは鮮明に記憶している。

 たまたま私が一期先に衆議院議員となったが、その後、晋三氏が初当選以来同志として、同じ保守政治家として、以心伝心で同じ方向を向いて一緒に仕事ができたことは私にとってこの上ない誇りだ。これほどまでに明確なメッセージを発信し、仕事をこなした政治家を私は知らない。

 常に目を前に向けて結果を出し、実現していくことが政治家の使命だ。政治家安倍晋三が目指した「真の保守政治」邁進のためその遺志を心に刻み、日本国の名誉のために戦い続けることこそが天上界で眠る安倍氏への供養だ。

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下村博文 衆議院議員

 安倍さんへの誓い

 7月12日、安倍昭恵夫人が葬儀に遺族として述べた挨拶が今だに胸の奥深くで響いている。「政治家としてやり残したことはたくさんあったと思うが、本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後、冬を迎えた。種をいっぱい蒔いているので、それが芽吹くことでしょう。」この一節は吉田松陰の「留魂録」からの転用である。そして、安倍晋三元総理もお父上の安倍晋太郎氏の葬儀に際して同様にこの一節を述べている。

 安倍元総理とともに行動し、活動して来た者として、安倍さんが突然お亡くなりになられて、改めてその圧倒的偉大さと存在感が国内外に広がっていたことを噛みしめている。その私の心の空洞感は一ヵ月近く経っても埋められないものであるが、いつまでも嘆き悲しんでいても安倍さんの御霊は救われない。

 まさに我々が一つ一つの種を芽吹かさなければならない。それは自衛隊明記や緊急事態条項等の憲法改正であり、これからも万世一系を守るための男系男子の皇室の維持発展であり、日本の安全保障のための外交防衛政策であり、そして国民一人一人を元気にする積極経済対策や教育改革であり、何よりも日本が本来の日本らしい国家を取り戻すという、日本の再生だ。

 残された私たち同志が果たすべき課題は多い。しかしこれらを解決せずして日本の立て直しはできないし、安倍さんの遺志に報いることはできない。

 命を賭して戦います。

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馬場伸幸 衆議院議員

 初対面で確信した「再登板」への決意

 元内閣総理大臣、安倍晋三さんが凶弾に倒れ1カ月余り。なおも私の心中は、得も言えぬ喪失感が覆っています。

 安倍さんに初めてお会いしたのは10年前、平成24年2月16日のこと。民主党政権下で、大阪維新の会が国政挑戦を模索しているときでした。私は堺市議。大阪での教育再生のシンポジウムの時に、松井一郎大阪府知事(当時)らと共に打ち上げの場で、意見交換させていただきました。

 病を得て総理の座を降りられて4年半。日本が進むべき道を熱く懸河の弁で語る安倍さんの姿から、再登板への固い決意と覚悟を感じ取りました。そして秋の自民党総裁選、年末の総選挙を経て安倍さんが総理に返り咲き、維新も国会参戦を果たしました。私たちの国政での軌は第二次安倍政権と一にしており、安倍さんは党派を超えた「戦友」のような存在でした。

 幾度か食事も共にさせていただきましたが、いつも安倍さんの機知に富んだ会話で場が和みました。憲法改正や教育再生など政策面で私たちが共鳴する部分がありましたが、とにかく「人間・安倍晋三」と波長が合いました。

 平和安全法制や教育再生、アベノミクスなど憲政史上最も長く国の舵をとられた安倍さんの治績は枚挙にいとまがありません。

 「平和は人から与えられるものではなく、勝ち取るものだ」。私たちは安倍さんの言葉を肝に銘じ、憲法改正をはじめ不世出の指導者が悲願とした諸課題の実現に全力を尽くします。どうか、見守りください。

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衛藤晟一 日本会議国会議員懇談会幹事長・参議院議員

 松陰の辞世の句に投影された安倍さんの思い

 これほどの喪失感に打ちのめされたことはない。私の胸に残響するのは、吉田松陰の辞世の句である。「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置かまし大和魂」。この世を去った後でも、残された同志が必ずや意思を継ぐという意味である。昭恵夫人は、安倍晋三さんが父の晋太郎さんへの手記の中で、吉田松陰の留魂録を引用していたのを紹介して「主人も六十七年の春夏秋冬があったと思う。最後、冬を迎えたが、種をいっぱいまいているので、それが芽吹き、やがて実を結ぶと思う」と涙した。

 安倍さんは覚悟を持って国政に携わった。日本を誇れる国にしたい。一刻も早く戦後体制に終止符を打ち、新しい「日本の朝」を迎えたい。その信念をよすがとして、全力で駆け抜けた人生だった。教育基本法の六十年振りの抜本改正、謝罪外交を終わらせる七十年談話、アベノミクスでの経済の再生、TPPによる自由貿易体制の確保、外交では日米豪印を軸とするインド太平洋構想、平和安全法制の制定と戦後体制からの大転換…。その功績は計り知れない。

 あとに残された者は、死活的な喫緊の課題に全力で取り組まなければならない。憲法改正、男系による安定的な皇位継承、日本を守り抜く安全保障体制の確立、そして先端技術の世界トップへの回帰、エネルギー問題の解決である。松陰の句に投影された安倍さんの思いを体現していく。それこそが、安倍さんの志に報いる道になるに違いない。今こそ、戦後体制を脱却し、新しい日本を創っていこうではないか。

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加藤勝信 衆議院議員

 安倍元総理の志の実現へ

 七月八日の昼前、参議院選挙の応援のため、地元の岡山から大阪へ移動する新幹線の車中で「安倍晋三元総理が凶弾に倒れた」との一報が入りました。大変な驚きと強い憤りを感じるとともに、何とか回復してほしいと祈り続けましたが、その願いも叶いませんでした。いまだに受け入れ難い気持ちです。

 安倍元総理には七日に岡山へ参院選の応援に入っていただいたのですが、私は島根を応援で回っていて、お会いすることができませんでした。前日六日の晩、出迎えができないことをお詫びするために電話で話をしたのが最後の会話となりました。

 安倍元総理との思い出は数えきれません。第二次政権で私が内閣官房副長官を務めた時には、安倍元総理からいつも優しく心配りをしてもらい、何の気兼ねもなく仕事に邁進することができました。一億総活躍担当大臣で初入閣、その後も厚生労働大臣や自由民主党の総務会長などを務めさせていただき、政治家として得難い経験を数多く積めたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 日本にとって、世界にとって欠くことのできない政治家だった安倍元総理が亡くなられたことは、重ね重ね残念です。この悲しみが尽きることはありませんが、憲法改正をはじめとして安倍元総理が掲げた高い志をしっかりと受け継ぎ、その実現に向かっていかなければなりません。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

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藤田文武 衆議院議員

 若手政治家が目指すべき理想の政治家

 威風堂々とした立ち居振る舞いの中に、親しみやすさとユーモアがある。私たち若手政治家が目指すべき理想の政治家像がそこにはありました。

 私が初当選した2019年4月の衆議院補欠選挙。当時人気絶頂だった安倍元総理が対戦相手である自民党候補の応援演説に来られ、地元寝屋川市駅前には数千名の聴衆が集まりました。その後、私が予算委員会に初登壇した際の対戦相手が安倍元総理。地方創生について質問した私に対し、「私も先日寝屋川に行かせていただきました。ただし、相手候補の応援でしたが。」とユーモアを飛ばし、委員会室が笑いに包まれましたことが昨日のように思い出されます。時には「良い質問だったよ」などと、私のような他党の若手議員にも議場で気さくに話しかけ、激励してくださる方でもありました。

 突然の凶弾に倒れられ、志半ばでご逝去された安倍元総理。私は他党所属であり、大変僭越ではありますが、尊敬してやまない安倍元総理の思いや志を受け継ぎ、憲法改正、安定的な皇位継承、教育の再生、安全保障の強化など、これ以上先送りにできない重要な国家課題に真正面から取り組んで参りたいと存じます。

 戦後最長にして最高の宰相、安倍晋三元総理の御霊の平安を心よりお祈り申し上げます。

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髙鳥修一 衆議院議員

 日本を護り抜いた英雄

 私は政治を志すにあたり安倍先生を師と仰ぎ20年間行動をともにして参りました。6月23日、上越市と糸魚川市での参議院選街頭演説でお会いしたのが最後になるとは、驚きと果てしない悲しみです。

 かつて江沢民主席が来日した際に日本は歴史認識を改めなければならないという趣旨の発言があったと思います。これに対して安倍先生は、「中国には中国の立場があるだろうが、日本には日本の立場がある」と毅然として仰った。そんなことを堂々と言える政治家が日本にいることに感銘を受け、安倍先生の門を叩きました。(私の父は田中角栄先生の門下で11期衆議院議員を務めたので通常は、平成研に入るべきところを安倍先生に憧れて清和研に入会。)

 間近で拝見してきてハッキリと言えることが有ります。それは、安倍先生は裏表がなく誰に対しても態度を変えない、威張らない人だということ。誰にでも優しく声をかけ平等に気配りされる方でした。安倍先生は、独裁者だの地球の裏側まで行って戦争する国にするだの、野党による事実無根のレッテル貼りと反日勢力からの罵詈雑言にもたじろがず、日本を護り抜いた英雄です。

 そして「誰にも真似の出来ない最期を遂げた」こと。結果、多くの若い人たちを目覚めさせたことは献花・記帳に訪れた人たちの表情を見れば分かります。突然の理不尽な別れではあるけれど安倍先生は人生の最後までこぶしを振り上げて私たちを鼓舞して下さったと思います。安倍先生のご遺志を継いでとは簡単に言えませんが、安倍先生のご遺志とは何かを常に考えて行動して参ります。どうか天から我々をそして日本をお護り下さい。本当に有難うございました。合掌

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山谷えり子 参議院議員

 戦う政治家安倍元総理

 喪失感は日に日に大きくなるばかりである。

 夏の参議院選挙は、大変に厳しく、亡くなられた七月八日の夕方は、埼玉の大宮で私の応援弁士として演説をしてくださるはずでもあった。その前に開催した六月の「励ます会」では、冒頭挨拶で私のことを戦う政治家と言ってくださり、「男系でつないできた皇統を守っていくという上においても、いろんなことが起こる可能性があります。一度失ったものは、もう取り戻せないわけですから、その点で最後まで絶対的に戦い続けてくれるのは山谷さんなんだろうと思います」と言われていた。憲法改正、拉致問題解決、自信と誇りを持てる国づくりのため常に闘う不屈の政治家でいらした安倍元総理と、これからも心の中で対話を重ねながら進んでいきたい。

 第一次安倍内閣で教育再生担当の総理補佐官を、第二次安倍内閣では拉致問題担当大臣を務めさせて頂き、総理の戦略性、実務能力、あたたかなリーダーシップに尊敬の念は強まるばかりだった。

 総理に必要なことはと、記者に問われて「ビジョンとチーム力と情熱」と答えておられたが、明治以来最長の安倍内閣は、まさにその力で、国内に希望の息吹を吹き込み、国際社会では「自由で開かれたインド太平洋」構想など大きな構想をリードし、実現された。まだまだやりたいことがおありだったろう。このたび皆様のご支援により尊い議席をあずからせて頂いたことに感謝し、これからの六年間は、そのご遺志を結実させていくことが祖国日本への、安倍元総理へのご恩に報いることになると思い、走り続ける覚悟である。

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柴山昌彦 衆議院議員

 安倍晋三元総理を悼む

 令和4年7月8日、安倍晋三元総理が凶弾に倒れ、逝去されました。私もいまだ気持ちの整理がつかないというのが、偽らざる心境です。

 安倍先生は、私が平成16年の補欠選挙に自民党初の全国公募で選ばれ立候補した時の幹事長として、厳しい選挙の陣頭指揮を執って当選へと導いて下さいました。

 以来、安倍先生は私の政治の師であり、最も尊敬する兄貴分でもありました。

 第二次安倍政権では安全保障担当の首相補佐官として、核セキュリティサミットでアメリカのオバマ大統領(当時)との議論にご一緒したり、南スーダンのキール大統領への密使として、当時駐留していた自衛隊撤収の極秘ミッションなどを任せていただきました。

 平成30年に文部科学大臣を拝命した時は、弁護士としての経験を活かして文部科学行政の立て直しを命じられ、全力で取り組んだことも私の大きな財産です。

 安倍元総理は日本のみならず諸外国でも、憲政史上在任期間最長の総理として高く評価され、世界中から寄せられる哀悼の言葉の数々が、そのプレゼンスの大きさを物語っています。

 私が所属する清和政策研究会の会長、また保守政治家のリーダーとして、憲法改正をはじめまだまだ志半ばの課題も多く、ご本人が一番無念だったことでしょう。

 残された私達が悲しみを乗り越え、その遺志を受け継ぎ発展させることこそが、故人への何よりの供養になると信じ、安倍晋三元総理への感謝とともに、ご冥福を心からお祈り申し上げます。

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有村治子 参議院議員

 宰相として最善の意思決定をするために

 靖國神社の遊就館には、安倍晋三元内閣総理大臣を追悼する一角が設けられています。掲示の中心には、在りし日の安倍総理が、平成21年のみたま祭に際し奉納された揮毫があり、躍動感のある筆で「寂然不動安倍晋三」と書かれています。【煩悩を去って何事にも動じず、心静かで揺るぎない有様】。初めて拝見した瞬間、安倍総理が国会答弁で言及された【木鶏】を思い出しました。

 7年前、全国中継された予算委員会で野党議員が厳しい追及を重ねていた中、総理の口から思わず不規則発言が出てしまい、国会審議が中断した事がありました。後日改めて答弁席に立たれた総理は、「残念ながら未だ木鶏足り得ず。『これを臨むに木鶏に似たり』という考え方で宰相を務め、真摯に向き合っていきたい」と、自らを律して静かに答弁されました。

 「荘子」に登場する木鶏とは、何事にも心が動じず、まるで木彫りの鶏【木鶏】のように微動だにせず、誇示せずとも最強である闘鶏の佇まいを指すようです。「寂然不動」「木鶏」│││これらの言葉を服膺し、自らの生き方とするまで止揚されるトップリーダーの気概に、自ずから頭が下がりました。

 総理は常に、日本の安全と繁栄、尊厳を守るために何をなすべきかを考え、その目的実現のため、時に国論が二分するような難しい政治課題にも立ち向かわれました。その分、舌鋒鋭く切り込んでくる野党や報道、心ない中傷にもひたすら耐え忍ぶ場面が続きました。どんな時にも感情に振り回されず、最善の意思決定をするために心を手入れし、平常心と大局観を磨いて国家国民に尽くされた総理に、閣僚としてお仕えできたことを生涯の誇りとし、総理の御遺志を紡ぐ一員でありたいと存じます。

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義家弘介 衆議院議員

 日本を取り戻す為の戦い

 今も悔しさと悲しみ、寂寥が心の中で複雑に渦巻いています。安倍元総理を襲った手製の銃は、2発で12個の弾丸を発射し、うち2個の弾丸が安倍元総理の命を奪いました。残り10個の弾丸は現場から90m離れたビルの壁などで発見されています。「無差別殺人」ともいえる凶行だったのです。しかし、元総理以外に被害はなかった。これを「奇跡」と言わずして何というのでしょう。安倍元総理はあの瞬間、無辜の国民の盾となって命を落とされた、ともいえましょう。

 私は、安倍元総理の側近として長く行動を共にしてきましたが、「神がかっている」「天命が降りてきている」と安倍元総理から感じる場面が幾度もありました。

 安倍元総理との最初の出会いは、17年前、神楽坂の料理屋でした。経済人との会食で、政治の話題になったとき、私は、「安倍さんのようなブレない保守政治家が必要です」と主張しました。しばらくすると、女将が私に耳打ちしました、実は安倍先生が別の座敷に来られていて、義家さんにお会いしたいと……。私は中座を申し入れ、安倍さんの座敷にお伺いしました。安倍さんは、私に強く優しく語りかけました、「一緒に日本の教育再生をやりましょう」と。それから1年後、安倍内閣が発足し、「教育再生会議担当室」が設置され、私は室長に任ぜられたのでした。

 そして、今年、安倍さんは、「日本を取り戻す為の本当の戦いはこれからです。一緒に頑張りましょう」と涼やかに、しかし力強く語りかけてくださいました。図らずも遺言となってしまったその言葉を大切に胸に収め、現下の国難と戦っていきます。

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木原稔 衆議院議員

 「おもいで」

中東訪問に同行

 令和2年1月、中東3カ国(サウジアラビア、アラブ首長国連邦、オマーン)訪問に総理補佐官として同行した。直前には米国によるイラン司令官殺害、その報復としてイランによるイラク米軍駐留基地ミサイル攻撃が行われ、更なるエスカレーションが危惧される中、マスコミからは訪問中止の報道が流れた。かつて、父・安倍晋太郎外相(当時)がイラン・イラク戦争の仲介を試みようと銃声が響く両国を訪問し停戦を呼び掛けた。このとき安倍晋三先生は外相秘書官として同行している。

 最終的に安倍総理は周囲の慎重意見を押し切る形で中東訪問を決断。迷いは感じられなかった。出発当日に逝去したオマーン国王の弔問も叶い新国王に挨拶できたことは、決断が運を引き寄せたと感じざるを得ない。

志賀哲太郎顕彰碑への揮毫

 台湾で「聖人」として慕われている熊本県出身の日本人教育者・志賀哲太郎先生を偲び、地元の益城町に顕彰碑を建立することになった。令和2年4月、安倍総理に碑石題字の揮毫をお願いしたところご快諾。ご多忙の折にもかかわらず、ひと月も経たぬうちに「木原さん、書き上がりましたよ」と連絡をいただき、総理執務室に受け取りに伺った様子を思い出す。

 その後、顕彰碑も完成し同年12月には除幕式を催行した。現職の内閣総理大臣から揮毫を頂戴できたことは、益城町や顕彰会そして志賀哲太郎先生にとって大変名誉な事であろう。安倍先生はいつも台湾に深く思いを寄せておられた。揮毫された顕彰碑を直接ご覧になる機会を作れなかった事が心残りである。

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佐藤正久 参議院議員

 安倍元総理の撒いた種を芽吹かせる

 安倍晋三元総理は、日本を思い、日本のために尽力された偉大な政治家でした。突然の悲報に接し、悲しみはあまりに大きく言葉になりません。

 安倍元総理のご尽力により、戦後停滞していた日本の安全保障は大きく前進しました。防衛庁の「省」格上げ、国家安全保障戦略と国家安全保障局の設立、特定秘密保護法と平和安全法制の成立、集団的自衛権の行使容認の閣議決定など、その功績には枚挙に暇がありません。まさに「日本を取り戻す」ため尽力されたのです。

 日本を思う気持ちは、戦歿者に対する哀悼の意の深さにも表れています。平成二十五年の硫黄島訪問においては、滑走路の下にも多数の遺骨が埋もれている可能性がありレーダーで地中探査しているとの話を聞くと、安倍元総理は滑走路に膝をつき両の手を合わせて英霊の冥福を祈ってらっしゃいました。これほどまで英霊に対して敬意を表された政治家はいたでしょうか。その姿に、元自衛官の政治家として感銘を受けました。

 安倍元総理は、沢山の種を撒いてくれました。その種を芽吹かせるのが我々の責務でしょう。

 安倍先生、どうかご安心ください。我々は、安倍先生のご遺志を受け継ぎ、日本を強く、世界で誇れる国になるよう汗をかいて参ります。安倍先生、本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈り致します。

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遠藤敬 衆議院議員

 在りし日の安倍先生を偲んで

 安倍先生の突然の悲報に接し、誠に痛恨の極みです。心よりお悔やみ申し上げます。

 私も若い頃に、安倍先生の「美しい国」という理念に影響を受け、よく学ばせていただいた一人です。私が初めてお会いしたのは、十五年余り前の「近現代史における教科書の問題点」勉強会の立ち上げの際です。そこから、歴史認識の話し合いや懇親会でお会いするようになりました。

 安倍先生は、大阪のシンポジウムの折には、お身体が優れない三宅久之さんを、自分も行くからと背中を押して下さり、一緒にお越し下さいました。安倍先生が車椅子の三宅さんに寄り添われながら帰っていかれる姿が、今でも忘れられません。さらに、交流の場でも、安倍先生はいつも盛り上げて下さいました。若い政治家を育てようという使命感から「遠藤さんも一緒に頑張ろうね」と仰って下さったことを覚えています。安倍先生の持ち味のリーダーシップやお人柄もよく思い出されます。

 安倍先生の一番の心残りは奥様である昭恵夫人でしょう。モスクワでご夫妻と滞在した折、昭恵さんを大変お大事にされていることを近くで感じておりました。これまでお二人でやってこられたお姿が、将来の日本にまで生き続けると思います。政党は違えど、思いは共有しておりました。心から御冥福をお祈り申し上げます。

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鬼木誠 衆議院議員

国の平和と安全を守る目覚ましい功績

 参院選最終盤、猛暑の中で意識朦朧とした私は「これは熱中症か?」と思い、翌朝かかりつけの医院を受診した。主治医は新型コロナの疑いがあると診断し、私はPCR検査を受けることに。翌日の判定までの間の安静を指示され、7月8日、私は自宅のテレビの前に居た。そこへ飛び込んできた「安倍元総理銃撃される」の報。私は一日テレビにかじりついた。多くの国民の祈りも虚しく、安倍元総理の一命は失われた。

 実弟の岸防衛大臣のお気持ちはいかばかりか。防衛副大臣の私はすぐに上京して、大臣の傍へ行き、大臣が自由に移動できるようサポートしたい気持ちは募るばかりだった。しかし私はコロナ陽性となり、身動きが取れなくなってしまった。不可抗力とはいえ痛恨であった。
防衛に特化しても安倍元総理のご功績は凄まじいものがある。平和安全法制、武器輸出三原則の改定、特定秘密保護法の制定、これらは現代日本防衛の根幹をなすものであり、逆に言えば「よく今までこれをほったらかして国が守れていたものだ」というほど死活的に重要であり、かつ実現困難な改革を成し遂げられたのだ。

 そしてこの先にあったのが、防衛戦略三文書の改定、防衛費の増加による防衛力の抜本強化、さらには憲法改正であった。左派からは「安倍政権は戦争につながる」とレッテルを貼られてきたが、政権与党として現実的に日本の平和と安全を守るべく全力を尽くしてきたのが安倍元総理だと私は確信している。

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小田原潔 衆議院議員

安倍晋三元総理への感謝を胸に

 令和四年七月八日、参議院選の応援演説中に、世界からの信頼も厚い日本の指導者、安倍晋三元内閣総理大臣が凶弾に倒れ、ご逝去されました。数日前には、参議院選の応援で地元立川に入られた安倍先生とご一緒したばかり、あまりにも突然の報に、未だ心の穴は埋まらず、気持ちの整理はつきません。

 私を含め四期生は、自民党が野党の時に、これでは国がガタガタになるという危機感で国政を志しました。当時、安倍総裁の下で総選挙を戦い、共に政権を奪還し、十年間その背中を見て育ちました。数々のご指導、ご厚情、一生感謝することでしょう。

 悲報に接した時から「運を持っている人だからきっと一命をとりとめてくれる」と祈り続けていました。夕方訃報に接してからは、呆然と深夜までただただテレビをつけていました。何時になったら就寝するべきかも分からない心境でした。

 これから、憲法改正、防衛費増額、積極財政、皇室の安定的継承等、保守をまとめていく最も重要な指導者でした。日本を愛し、二百六十か国・地域・機関等の要人等から千七百件以上の弔意メッセージ・声明等が寄せられるほど世界から敬意を受けた人物だからこそ、できることがありました。本当に悔しくて、残念でなりません。

 しかし、課題は待ってはくれません。遺志を継ぎ、我々は一致結束して国民の負託に応える為に働いてまいります。

 心からご冥福をお祈り致します。どうぞ私たち国民を見守っていてください。

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山下貴司 衆議院議員

「後は託したぞ」と目で伝えられた夜

 平成30年10月1日夜の会議中。私の携帯に見慣れぬ番号の着信があり、何気なしに中座して電話に出ると、聞き覚えのある安倍晋三総理の声で「内閣に入ってほしい」。

 まさに青天の霹靂でした。私は当選3回の政務官に過ぎないし、しかも、直前に行われた総裁選では石破茂先生を支援していたことは周知の事実でした。狼狽して「私でいいんですか!」と口走ってしまった私に、安倍総理は、「総裁選のことなら気にしないでいいよ。それより山下さんは私と考え方が一緒だよね。一緒に新しい国創りをしようじゃないか!」とキッパリと仰って下さいました。就任後も、未熟な私は、野党等からよく叩かれましたが、いつも泰然と見守ってくださり、責務を全うすることができました。

 大臣の任期を終える日、「私のような者を使っていただき申し訳ない思いで務めておりました。総理、私はお役に立ちましたか。」と伺いました。安倍総理は、びっくりしたような顔で私を見て「当たり前じゃないか」と言って下さり、私は「そのお言葉で報われました。」とお答えして執務室を辞しました。その後も、憲法改正など親しくご指導いただきました。

 あの事件の前夜も選挙応援のため岡山においでになり、別れ際、後は託したぞ、という目で見て下さったのが、お別れになろうとは。今後はご遺志に少しでも報いるよう身命を賭して責務を全うするのが後進の使命です。安倍総理、天上から日本をお見守りください。

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山田宏 参議院議員

「種」となり、「魂」の継承を

 世界が「戦国期」に突入し、その最前線に立つわが国の最も危機的で重要な時期に、余人をもって替え難い最も大事な国家リーダーを、日本国民は突然失ってしまった。平成26(2014)年12月の総選挙で、9月に発足したばかりの平沼赳夫、石原慎太郎両リーダー率いる「次世代の党」の私の落選が決まった翌日、安倍総理から携帯に電話があった。「山田さん、本当に残念だったね。でももう一度自民党に戻って来て『日本を取り戻す』ため私を支えてほしい。」と。

 もう国会議員はやめようと決意していたが、安倍総理の強い愛国憂国の熱意にほだされ、私は同じ志でこの6年間行動を共にして来た。茫然自失の私の心にポッカリ空いた大きな穴は、今になっても埋まらない。葬儀の日、安倍昭恵夫人が立派なご挨拶をされた。

 「本人なりの(人生の)春夏秋冬を過ごして、最後冬を迎えた。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」と。郷土の山口県の英雄・吉田松陰先生の「留魂録」の一節からの引用だ。処刑の日の朝、松陰先生はこの一節の前に有名な辞世の句を遺している。

 「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」残された私たちの使命は、それぞれが安倍元総理の「種」となり、安倍元総理の「魂」を継承していくことだ。吉田松陰先生の後に多くの志士たちが立ち上がり続いていったように。

 今回の参議院選挙で「改憲勢力」が、衆参ともに憲法改正の発議ができる3分の2を超え、歴史的な環境が与えられた。安倍元総理が作ってくれた。まずは次の国政選挙までに憲法改正のための国民投票を実現し、安倍元総理の魂にお応えしたい。

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和田政宗 参議院議員

安倍元総理の憲法改正への強い思い

 安倍総理は平成29(2017)年5月3日の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の「公開憲法フォーラム」で、現行憲法に自衛隊を明記する憲法改正を訴えた。憲法改正運動において、緊急事態条項の創設を9条改正の前に行ったほうが良いとの意見も増えてきた時であった。

 しかし安倍総理は、真に国家国民のための憲法改正を優先すべきであると、9条への自衛隊明記を訴えた。実は、9条改正を優先して訴えるということは、この前月にお会いした時に私にお話しくださっていた。憲法を改正し、いついかなる時も国家国民を守れる日本とする。国防に身を賭す自衛隊の違憲論争に終止符を打つ、それが安倍総理の思いであった。

 私はこの年の衆院選で、選挙広報統括として安倍総理総裁出演の自民党CMのコメントを全て書いたが、CM冒頭で「豊かで平和な日本を守り抜く」と、安倍総理に言って頂いた。戦後レジームから脱却し憲法改正を成し遂げるのはなぜか。安倍総理に近しくご指導いただく中で、「豊かで平和な日本を守り抜く」ことが安倍総理の究極の目標と考えたからだ。

 真に豊かで平和な日本を守り発展させ、美しく強く輝く国としていく。安倍元総理の遺志を受け継ぎ憲法改正を必ず実現する。憲法改正が成った時、「しっかりとした日本になりますね」と笑顔で安倍元総理が現れるのではとの錯覚にとらわれる。私達の心の中に安倍元総理は生き続けているのだ。必ず憲法改正を成し遂げ、墓前に報告する。

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阿達雅志 参議院議員

安倍外交の功績

 安倍晋三元総理が銃撃された一報を聞いたときには、言葉を失いました。安倍元総理とは私の妻が又従兄弟の関係にあり、自民党山口県連でも親しくご指導頂いてきました。

 自民党外交部会長として、安倍総理のところに行くと、必ず、「我が国の名誉と国益を守るための戦略的対外発信」を具体的にどのように進めるかという話になりました。また、私が菅政権で外交担当の総理補佐官になって以降は、折に触れ、安倍元総理に呼ばれ、菅外交について質問を受け、「菅総理に伝えておいて」という形で助言を頂きました。

 私を介したのは「外交は政府の専管事項」ということで遠慮されたのだと思いますが、総理を退任されても常に「世界の中での日本」を心配されていました。

 安倍外交の功績は非常に大きなものがあります。第一に、戦後最悪であった日米関係を修復し、日米同盟を強化したことです。特定秘密保護法、国家安全保障会議創設、平和安全法制によって集団的自衛権が一部可能となり、日米同盟の強化、東アジアにおける抑止力の維持に大きく資することとなりました。安倍総理がいなければ東アジアの平和は崩れ去っていたでしょう。

 第二に、埋没しかけていた日本外交の存在感を大きく高めました。「地球儀を俯瞰する外交」では、在任中に述べ175ヶ国を訪問、首脳会談は延べ1075回に及びました。そうした中で、中国の課題・問題点を世界と共有し、「自由で開かれたインド大平洋」構想を国際社会に提示しました。まさにグローバル・リーダーでした。

 国際秩序が大きな挑戦を受けている今日、安倍外交の継承は残されたものの責務です。

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松本尚 衆議院議員

安倍元総理の言葉を受け継ぐということ

 昨年の衆議院選挙前に安倍元総理にお目にかかりました。そのとき安倍元総理は、「松本さん、選挙はね、ストーリーが大切なんだよ。ストーリーを作りなさい」と仰いました。私は、選挙を通じてそして安倍元総理が進めてきた国家政策の道筋を辿ってみて、安倍元総理の言うストーリーとは即ち「戦略」ではなかったかと考えています。事態全体を俯瞰しながら、情報を収集・分析し、作戦を立て、戦術を駆使して、目標を達成する、まさに私のやってきた救命救急の思考と同じです。如何に多くの人(スタッフ)を引き込んで、思い(治療方針)を共有させるか。「松本さん、同じだろ?」という安倍元総理の声が聞こえてくるようです。

 今、多くの自民党国会議員は「安倍元総理の遺志を継いで…」と語ります。ただ、いくら安倍元総理の言葉をコピーしても、人には故人をいつまでも偲んでいるとしか映らないでしょう。政治家として大切なのは、安倍元総理の遺志とは何だったのか、それを「自分の言葉」で語ることです。その遺志をよく理解していれば「自分の言葉」で語ることができます。その生きた言葉が人を動かし、安倍元総理の目指した国づくりを実現することに繋がるのだと思います。

 安倍元総理は、「確たる信念を持ち、たじろがず、批判を覚悟で臨む」政治家でした。憲法改正、領土・領海・領空の防衛、男系皇統の維持、拉致問題の解決等々、国家の存立と尊厳に係わる大きな問題に立ち向かうために、私も斯くありたいと思うのです。

 心から哀悼の意を表します。

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鈴木英敬 衆議院議員

真の勇者の「夢の続き」の実現へ

 「日本の強さの源泉を見た。シンゾーありがとう」。G7伊勢志摩サミットの折、伊勢神宮を訪問したメルケル独首相の言葉です。改めて思い返すと、安倍元総理ご自身の生き様や功績に向けられた言葉ではないかと感じます。心からご冥福をお祈りします。

 「政治家鈴木英敬の生みの親」は安倍元総理でした。以前、「自分が面倒を見なきゃいけない政治家が3人いる」とおっしゃられ、その1人が私であった、と安倍元総理と親交ある記者からお聞きました。どう応えていくか、正直大きな重圧です。ご存命なら都度ご指導賜れますが、それは叶わない。政治家人生かけてお応えしていく決意です。

 凶弾に倒れる1週間前、私の選挙区で、安倍元総理は、「真の勇者は、倒れない人ではなく、再び立ち上がる人だ」と強調されました。お聞きできた最後の肉声でした。困難に見舞われた際、安倍元総理ご自身が強い覚悟で再び立ち上がった、真の勇者たる姿を思い浮かべ、日本の国益と未来のために力を尽くすことが遺された私達の使命です。最後にお聞きしたお言葉を胸に邁進してまいります。

 安倍元総理は、「夢」と揮毫されるこ
とがありました。誰も安倍元総理のような存在になれませんが、「戦後レジームからの脱却」はじめ、一人一人の力を結集して、安倍元総理の「夢の続き」を実現していかねばなりません。安倍元総理は徹底して「結果を出す」ことにこだわる政治家でもいらっしゃいました。結果を出し、夢を実現する政治、実践してまいります。

 安倍元総理、信じ、愛した日本の行く末、見守っていて下さい。合掌

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平沼正二郎 衆議院議員

安倍晋三という保守の幹は再生する

 大きな幹を失ってしまった。それが、安倍晋三先生ご逝去の報を受けた時に率直に思った事でした。私は衆議院議員に当選させていただき、約9ヶ月です。しかしながらこの短い間、安倍先生と同席する機会が有難いことに多くあり、様々な事をご教授いただきました。先頭で困難に立ち向かい新たな境地を切り開いていくというのが安倍先生だったではないでしょうか。安保法制、教育基本法改正、皇室典範、夫婦別姓問題、自由で開かれたインド太平洋等、例を挙げればきりがありませんが、これらは安倍先生でしかなしえなかった。日本が間違った方向に進みそうになる時に正しく進路修正し、日本の危機を何度も救った政治家を私は近代では思いつきません。

 「戦後レジームからの脱却」これが安倍先生の政策の根底にあったと感じております。真の意味で独立した日本を取り戻す、これこそが方向性を見失わないための指針であり、日本の政治家が果たしていかなければなりません。憲法改正もその一つです。憲法改正ではなく自主憲法制定が安倍先生も目指したものであったのではないかと思います。国家の根幹たる憲法を他国が作ったような国はございません。しかし、現実的な路線で憲法を改正するというのも、改めて国民の意志を憲法に宿すという意味では大変重要な事であります。

 安倍先生が残した種は政界だけでなく国内外に宿っていると私は確信しております。私もその一粒として日本の為に尽くして参ります。

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石橋林太郎 衆議院議員

憧れだった安倍晋三先生

 広島県議として熱心に「国旗・国歌」「歴史教科書」「ジェンダーフリー」などの諸課題に取り組む父の背中を見て育ち、後を継いで政治の世界に飛び込んだ私にとって、安倍晋三先生は常に保守陣営の先頭に立つリーダーであり憧れの存在でした。

 年明けに、お世話になっている方のお誘いで先生に面会する機会がありました。とても緊張しましたが、初めてお目にかかる先生は、物腰も柔らかく気さくに色々とお話をして下さいました。自民党のリベラル化を危惧されていたのが強く印象に残っています。

 自民党若手による「責任ある積極財政を推進する議員連盟」(https : //sekkyokuzaisei.jp/)の勉強会等でも近しくお話を伺う機会がありました。ご自身の反省も踏まえPB黒字化目標や国債60年償還ルールの見直しなどを主張され、一刻も早くデフレを克服し経済成長を実現しなければならない、と熱っぽく語られていました。また、防衛力について、強化を急がなければいけない、と強い危機感をお持ちでした。

 「戦後レジーム」から脱却し日本人自身の手で日本を築くため八面六臂の活躍を続けてこられた安倍先生。ご縁が出来た矢先の突然の死を受け容れるにはまだ少し時間がかかりそうです。

 短い時間ながらも直接ご指導頂いた感謝を胸に、皇位の安定継承、憲法改正、防衛力強化、デフレからの脱却等の課題にしっかりと取り組み、美しい日本を次世代に守り伝えるべく愚直に活動して参ります。

 安倍晋三先生、本当にありがとうございました。

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